9/1 Thu. 青天の霹靂

 9月だよ。二重の意味で憂鬱な日だよ。


 今日から2学期。また4か月もの間を規則正しい生活を送らなければならない。


 腹が減ったら食い、眠くなったら寝る。そんな人間の本能とも言える三大欲求のうち2つに制限を掛けられる日々。苦行以外のなにものでもない。


 まあ。いいよ。そこはね。仕方ないことだし。問題はもう1つの方だよ。


 今日は防災の日。今から99年前、1923年に起きた関東大震災を踏まえて様々な災害についての認識を深め、また心構えの準備をする日。


 大地震が11時58分に発生したことから我が校の避難訓練は4限の後半に設定され、それが終わったら楽しい楽しいお昼休みになる訳だが、


「お昼なのに碓氷くんが教室に残ってるなんて珍しいわね」


 その昼休みの教室でのこと。自分の席でスマホをいじってたらいつのまにか目の前に美少女の皮をかぶった悪魔がいた。その隣には我がクラスの女神のお姿も。


「人違いです」


 この2人とそれなりの仲だと知られたらたまったもんじゃない。そもそも今日はこんな些事に構ってられるほどの余裕はないんだ。


「どう見ても碓氷くんなのだけれども」


「ただいま碓氷は席を外しております。申し訳ございませんが予めアポイントメントを取得したのちにお越しください。本日のご用件は弊社の浅井が伺います」


 アイコンタクト1つ。それだけで浅井は立ち上がり、


「浅井くんは要らないよ」


 川辺さんの返し1つ。それだけで浅井が座り直した。すまねえなぁ。


「部室でご飯を食べるんじゃないの?」


 水谷さん、しつこい。俺が困ってるって絶対に分かってるくせにこれだもんな。命令券に永続的な効果があるなら『学校で話し掛けるな』って言うのによぉ。


「部室に行かないなら碓氷くんも一緒に食べる?」


 川辺さん、天然だからって何を言っても許されると思ってんじゃねえぞ。その誘い1つで俺にどれだけの困難が降り掛かると思ってんだよ。


「部室で食う。けど今日はその前に行くとこがあるんだよ」


「行くとこ? 購買とか?」


 水谷さんが無駄に絡んでくる。普段はそこまで俺を気にしないのにね。


「今日って防災の日じゃん」


「そうね」


「防災の日ってあらゆる災害に対する心構えを準備する日な訳じゃん」


「名目ではね。だからさっき私語の多すぎる避難訓練をしたわけだし」


「けど防災って昔は他の方法もあったじゃん?」


「他? どういうこと?」


「人身御供とか」


 自然災害は神の怒り。その神さんを鎮めるために生贄を捧げる。人柱とも言うね。


「あー、大雨による川の氾濫とか、干ばつによる飢饉とかを予め回避するためにやってたとこもあるって聞くわね。昔に作られた大きな橋も崩壊したら大事になるからって人柱を立ててあるとか、近代でもトンネルを作る時にコンクリートの壁の中に人柱を埋めるってこともあったらしいわね」


「……え」


 最後のは要らなかったかなぁ。川辺さんが青ざめちゃってるよ。トンネル恐怖症になっちゃうよ。まあ、事実なんだけどさ。


「その川の氾濫に対する人身御供を諸葛亮孔明がやめさせたって逸話がある」


「饅頭のこと?」


 知ってんかよ。知識マウントかまそうとしたのによ。


「おまんじゅう?」


 川辺さんが小首を傾げてるから水谷さんと視線を絡ませた。説明よろしく。あなたが言いなさい。バチバチと視線でバトって、


「コンビニとかでも売ってる肉まんの起源でもあるんだけどね」


 俺が言うことになった。だって美少女と見つめ合ってたら惚れかねないもん。


「あれって元々は人の頭くらいでかいものだったんだよ。だから饅頭の漢字には頭って字が入ってる。欺瞞のマンに騙すって意味もあることから、人の頭として騙すって意味で瞞頭まんじゅうって言う説もあるね」


「へー。そこと底みたいな?」


 隙あらばドヤるね。けどそれは守秘義務があるやつだからね。黙ってようね。


「そう。それで孔明は人の首の代わりにでっかい饅頭を氾濫した川にぶん投げて、無事にその川が平穏を取り戻したとこを見計らって、次からはこうすればいいんじゃよって諭したんだ。生贄っていう非科学的な悪しき慣習をやめさせるためにね」


「え! 本当にそれで川が落ち着いちゃったの!?」


 川辺さんが川に夢中なのはいいけど、あんま大声を出されると視線が余計に集まるからやめて欲しい。川辺さんこそ落ち着いてくれ。


「天候に詳しい孔明くんが『あー、そろそろ嵐が収まるな』って思ったくらいで饅頭をぶん投げたってことなんだけどね」


「……詐欺じゃん」


「本当に騙した相手は神様じゃなくて村民だったってお話ね」


 水谷さんがまとめてくれたところで俺は2つあるランチバッグの1つを開けて見せた。スケルトンになったイエローの弁当箱の中には小型のおにぎりがいっぱいある。そのどれもが海苔を使って目や口を描いた、人の頭みたいなものだ。


「かわいい!」


 おまかわ。瞳をキラキラさせてる川辺さんは本当に良いね。


「お米で作った饅頭ってこと?」


「うむ。中に色々と詰めておる」


 そして俺は説明する。なぜこんなものを持っているのか。


「今日、上条先輩の誕生日なんだ」


「……あー」


「……あぁ」


 似たような声が遠くから3つ聞こえた。浅井、天野さん、大岡さんかな。


「俺、これで防災したくてさ」


「無理でしょ」


 容赦ない。水谷さんってば容赦ない。


「前から9月1日に弁当を作りますよって言ってあったんだけどね。この土壇場になって受け渡し方法にクレームを付けられたんだ」


「もう災いに遭ってるじゃないの」


 そうなんだよ。お陰で身動きが取れない。


「下駄箱に入れときますって言ったんだけどさ。衛生面でケチを付けられてさ」


「それは正論よね。論理的でもあるわ」


「だからここまで取りに来るって!」


「それはまた。台風的な災害じゃないの。被害が計り知れないわね」


 あんたも似たようなもんだよ。いつまで俺に構ってんだよ。って言葉は飲み込む。


「それな。だからどうにか1年8組への上陸を阻止しようとしてたんだけど」


「なら持ってこいってなるわよね」


「それだよ。けどそんなのしたら2年の先輩方に事実無根の情報を流されるのが目に見えてるじゃん。クラスの諸君、聞いておくれ。このおにぎりには何が詰まっていると思う? それはね。彼の私への愛情さ。いやあ、照れるね。こうなるんだよ!」


「予想の精度が高すぎて飛白先輩の音声で脳内再生するのが簡単だったわ」


 苦笑する水谷さん。一方の川辺さんは面白くないって顔をしてる。


「そういうでたらめなことを言うのはよくないと思う」


「仰る通りです」


「わたしが持っていこうか?」


 まじかよ。川辺さん、まじ女神かよ。


「でも誕生日プレゼントみたいなものなんでしょ? 人伝に渡すのってどうなの?」


 水谷さんが名案にケチを付けるから川辺さんがむすっとしてしまった。


「ちーちゃん、こういうときにそういう正論は要らないんだよ」


「じゃあ今後の碓氷くんから美月へのプレゼントは私経由でもいいのね?」


「そんなのダメに決まってるじゃん」


 おい。論理破綻してんじゃないよ。


「自分が嫌なことを他人にしたらダメでしょ。碓氷くんもそう思うわよね?」


 川辺さんのコントロールに俺を使うのはやめてくれよ。頷くけどさ。


「まあ、いま折衷案を出してるとこだから」


「と言うと?」


「2階中央の階段の踊り場に来てくれませんかって」


「へー」


 告白の呼び出しみたいね。水谷さんの顔にそう書いてある。


「昼休みも有限だし、先輩も食べる時間が必要だから賛同してくれると思うけど」


「そうね。内炭さんも碓氷くんを待ってるでしょうし」


 川辺さんの眉根がぴくっとした。大丈夫。これは水谷さんの勘違いだから。


「あの子は基本的に俺が行った頃にはもう食べ終わってるよ」


「ん? 待ってくれないの?」


「俺らって2人で食ってるんじゃなくて同じ部屋でぼっち飯してるだけだから」


「……2人とも変わってるわよね」


 自覚はあるので否定しません。てかさ。


「そもそも今日はもう油野、久保田、優姫を派遣してある。夏休みの間って割と仲間内で集まってわいわいやりながら食べてたしさ。急に1人にさせちゃうと色々と考えちゃうと思うんだよね。あれ、私って友達いっぱいいたんじゃ。とか」


「祭りの後の静けさってやつね。それなら私達も誘ってくれたらよかったのに」


 おいおい、誘い誘われる仲だって公言しちゃったよ。何してくれてんだよ。


「あっ、許可が下りた。いってくるわ」


「いってらっしゃい」


「むぅ。いってらっしゃーい」


 逃げるように教室から出ていった。後で川辺さんにはLINEでスタンプでも送っとこう。過剰な気遣いかもしれないけど、悪いとは思ってるからね。


 という訳で目的地に向かったら人型災害ユニットはもうそこにいた。


「お待たせしました」


「ちょうどいま来たところだよ」


 デートの待ち合わせみたいなやり取りで嫌だな。


「こちらが本日のお弁当でございます」


「有難く頂戴する」


 予想外にも嬉しそうな顔をしてくれてる。


「ん? 私の顔に何か付いてる?」


「いや、思ってた反応と違ったなって」


「なんだい。意外な一面を知ってドキっとしちゃったのかな? 照れるね」


「至って平常な脈拍なのでご安心ください」


「それならどういうことなのかな?」


 どうもこうもないわ。


『女は男からのプレゼントに価格以外の価値を求めないわ。とにかく高い物を渡しなさい。安物を渡されても感謝の言葉を言うことはあっても感謝なんかしないわ。私ならそれを見るたびに安く見られたものねってイラっとすると思う。そうそう、あんたって料理が上手みたいだけど、もし手作りの食べ物をあげようとしてるのなら絶対にやめなさい。価値を見出せない上に手垢塗れのものを誕生日にあげるって狂気でしかないから。燃えるゴミの袋に入れられてLINEをブロックされるのがオチよ』


 あからさまに女子ですって文面で送ってきたあの長文を忘れてやがるのか。


「LINEをブロックされないのかなって」


 大歓迎ですけど。


「あぁ、以前のあれだね。大丈夫だよ。私に嫌われてでも自分の手垢を食べさせたいというきみの狂気は私の包容力で受け止めてあげるからね」


「その発想こそ狂気だわ。きちんとラップ越しで握ったから大丈夫ですよ」


「つまり、私に嫌われたくなかったってことだね。いやあ、照れるなあ」


「これ。どうするのが正解なんすか」


「気持ちが通じ合った記念に交際を始めちゃうとか?」


「ねえわ。てか通じ合ってねえし」


 溜息を禁じ得ない。


「どうしたのかな? やっぱ飛白お姉さんとお付き合いしたい?」


「そうじゃなくて。あのLINEって本心じゃなかったんだなって」


「ふむ。あれは亜麻音が数年前に言っていたことだね。私は少年の手垢塗れのおにぎりでも笑顔でいただくよ?」


 そこはどうでもいいわ。ただね。えー、どうしようか。


「えっと。だとしたら引かれるかもしれないんですけど」


「大丈夫だよ。今すぐ飛白たんのスカートの中に顔を突っ込みたいって言ってきたとしても、私にはそれを受け入れる用意がある」


「そんなのこっちがドン引きだわ」


 まあいいか。俺の方のランチバッグに入れてた梨地素材の小袋を出す。


「……それは?」


 上条先輩が虚を突かれたように驚きを表情に乗せた。


「シャーペンです」


「へ、へぇ」


 なんかもう色々とだるくなってきたから雑に渡す。


「見てもいいかな?」


「だからシャーペンですって」


「まあまあ」


 サイトで確認した通りにペンケースに入ってるみたいだった。ペンケースに描かれてる絵は万年筆だから景品表示法違反みたいな感じがしちゃうね。


 上条先輩はどこか緊張した面持ちでペンケースを開けた。シャーペンって言ってんのに。


「おおぅ」


 ペンケースに真鍮色のシャーペンが1本だけ。スッカスカだから見応えがないね。


「ん? なにこれ」


 ケースの蓋の裏側に黒い紙っぽいのが2枚と白い紙が2枚ある。


「あぁ、ペンケースのカバーと保証書じゃないかな」


「保証書?」


「それドイツ製のブランドシャーペンなので」


「……なるほど」


 先輩は恐る恐ると言った感じでシャーペンを持った。


「ちなみにいかほどの?」


「1本7000円くらいですね」


 ピシッと先輩の表情が固まった。やっぱ諭吉に届かないとダメなのかね。LINEの内容だと価格以外のものを求めないって話だったけど、その価格ってのがいくらなのか分からなかったもんなぁ。今回は込み込みで9000円に届かなかった。


「文字も彫刻してくれるんですよ」


 先輩がゆっくりとシャーペンを回す。『To Kasuri 2022』って筆記体で刻まれてた。


「まあ、使いにくかったら筆箱に眠らせといていいんで」


 どんだけ高くて良いものでも効率が下がるならそれは使うべきじゃない。頂きものだからって理由で優遇するのは非合理的だ。


「じゃあ部室に行きますわ。弁当箱は洗わなくていいんで俺の下駄箱にでも入れといてください」


「……うん」


 上条先輩はずっと彫刻された文字を見てた。あれも迷ったんだよな。『Kasuri.K』の方がカッコいいかなって。あと『To』か『For』の問題な。けど文字数の上限が15だったし。どうしようかなって思って結局1番ベーシックなのになった。


 とにかく足早で技術科棟に向かった。メシを食うための時間が刻一刻と減ってることもあるが、あのシャーペンは深夜のテンションで注文しちゃったからなぁ。


 無料メッセージカードってのがあったからテンプレのバースデーカードを選択した訳だが、有料のフリーメッセージカードってのもあって、たったの110円だったからノリでそっちを頼んじゃったんだよね。


 1行15文字で5行までって制限があったから、


『有名なシャーペンですけど、使い難い場合は捨ててくれてだいじょうぶです。俺も上条先輩みたいな飛耳長目の人になれるように、面白半分ですが頑張ってみますね。』


 上限の75文字ぴったりでお願いした。取り出す時はペンケースに目がいってて気付かなかったと思うけど、戻す時はカードに引っ掛かって絶対に気付くからなぁ。


 ほらね。技術科棟のスリッパに履き替えたとこでLINEが来たわ。


『照れるね』


 それだけかい。ってのが本音だったが、まあこれもあの人らしいっちゃらしいな。


 そこで俺は気付いた。やべえ。肝心なことを言ってねぇ。


 焦った俺は慌てて電話を掛けた。


 けどなんか知らんが電話に出てくれない。おにぎりを掴んでんのかね。


 まあいいか。そう思って切ろうとしたら繋がった。なんなんだよ。


『なにかな?』


「言い忘れてました」


 上条先輩の息を呑む音が聞こえた気がした。


「お誕生日おめでとうございます」


『……あ、あぁ。うん、ありがと』


「それではまた」


『うん。……照れるね』


 またそれかよって思いながら電話を切った。


 ふぅ。やっと肩の荷が下りたわ。ようやく2学期が始まった感じ。


 そんじゃ、午後の授業に向けて腹ごしらえでもしますかね。


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