9/3 Sat. 縁の下の灯り

 中3でリフィスと出会ってから、俺は優柔不断という言葉と疎遠になった。


 それもそのはず、論理的思考は選択肢との相性がいい。


 二者択一なら注目すべきファクターにポイントを振ることで、仮に51:49という僅差の判定となったとしても、躊躇なく前者を選ぶことができる。


 俺の他人への好感度システムもこれが一枚噛んでる訳だが、これが適応できるのはあくまでも自己責任の範囲で解決できるものになる。


 当然だよな。例えば久保田が高校卒業後の進路を大学か専門学校の2択で迷ってるとして、その迷う理由をすべて聞かされ、かつ選択権を委ねられたところで、俺が久保田の代わりに進路を決定するなんて許されない。


 その先に生じるものが利益ばかりなら譲歩のしようもあるが、被る不利益に対して俺は何の責任も取れないからな。そりゃ謝ることくらいはできるよ。けどそんなん何の足しにもならん。俺が土下座したとこで事態が好転する訳じゃないんだから。


 ただ、久保田の立場が俺だったら話は変わる。そこは論理的思考で的確な判断をして、結果的に後悔することになっても自業自得ってことで片付ける訳だ。


 進路みたいに要素がハッキリしてるものならそれこそ即断即決になると思う。逆に迷う理由が分からないね。自分の手札を確認して、最適なカードを選ぶだけだろ。


 さりとて、昨今の俺はどうだろう。


 きっと他人から見れば優柔不断に見えるよな。


 優姫。川辺さん。紀紗ちゃん。誰と付き合うんだってお話。


 その実、紀紗ちゃんからは告白されてないから勘違いの可能性もある訳だが。


 それはともかくとして。率直な疑問なんだけどさ。


 なんで誰とも付き合わないって可能性を視野に入れないのかね。


 ちょっと前まで優姫のことが好きって言ってたじゃん。


 その優姫への気持ちも消えたって言ってんじゃん。


 それをさっさと割り切って次の恋にいけってか。


 10年以上に及んだ俺の恋心はそんな軽いもんなのか。


 少なからず。そう思われてるってことだよな。


 俺の苦しみも、悲しみも、葛藤だって。


 もう終わったことだからって。


 それが俺の人生そのものを否定してるって事実を棚に上げてさ。


 所詮、他人の痛みなんてわかりゃしねえからな。


 なんかもう。本当にめんどくせえわ。


 優柔不断も何も。そもそも俺は選ぼうとしてないだろ。


 どっちにするかで悩んでもいねえよ。


 むしゃくしゃするなぁ。


 昨日、部室に着いたのも遅かったし、優姫の一件を話すのに時間も掛かったから、いや、言い訳はやめよう。内炭さんの話を聞いて食欲が失せた。


 俺にとってあの空間は憩いの場を呼べるものだった。


 ネットの連中とも仲良くはやれてるが、年齢差がありすぎて、たまに仕事の話をされたりするとまったく付いていけなくなって、けど水を差すのも嫌だから聞き専に徹することがある。


 クラスでも同じだ。俺は人見知りだからな。正しくは、人を見知るまで本性を見せないんだ。何の情報もない相手に対しては論理で対応なんてできんし。だから初見相手は敬語で話すし、必要ないと判断すれば容赦なく論理と印籠で捻り潰す。


 俺にとっての人付き合いは常に駆け引きしてるみたいなとこがあるって訳だ。


 だけど部室での内炭さん相手には気楽に話せた。正直、舐めてるとこも多々ある。どうせあの子に俺をどうにかできる力はないって断言できるからな。


 もっと言えば俺に対して攻撃することなんてないと考えてた。7月にも図に乗ってたとこを叩いたこともあったし、敵意を向けられることはないと確信してた。


 まあ、実際に敵意じゃない。あれは無邪気ってやつだ。方向性が違うだけで小5の優姫と同じことをされてるってだけ。


 優姫が初恋を成就させるために試行錯誤したように、内炭さんも友達のために役立てることはないのかなって前向きな思考を展開してるだけだって分かってる。


 だからこそ手に負えない。だって内炭さんは悪くない。これを許さないってなったらなんで優姫を許したんだって話になる。そんなのは論理的じゃない。


 とはいえ、それを無条件で飲み込むのも無理があった。


 2学期開始から2日目にして、俺は内炭さんと会いたくなくて部活を休んだ。


 あんなことを言われた後に川辺さんのいない空間で優姫とおしゃべりする気にならんかったってのもある。居場所がどんどんなくなってくな。


 LINEは内炭さんからも、優姫からも、愛宕部長からも来たけど、こういうのをのらりくらりとかわすのは得意だし、無視せずそれっぽい返事はしといた。


 そして土曜の朝だ。だるいの一言に尽きる。


 もう8時半だ。今日は第1土曜だからママゴトをしに優姫が来てるかもしれんが、ベッドから起き上がる気になれない。


 つっても腹は減るし、喉は渇く。まあ30分以上も経ってるし、帰ってるかもな。


 いたらいたでのらりくらりとやればいい。


 という訳で朝の支度をしてダイニングに向かった。


 まあ、普通にいたね。俺の姿を見た途端に背筋を伸ばしたのがよく分からんが。


「おっはー」


「おはいお」


 俺の席に座る優姫の横を通って冷蔵庫の中を確認する。お手軽なやつでいいか。


「メシは?」


「食べてない」


 ぷんすかしながら「カドくんが起きてこないと食べられないじゃん!」って言うと思ったのに。 


「待たせて悪かったな。じゃあトースト頼むわ」


「うん! もうお腹ぺこぺこ!」 


 ソーセージを軽く炒めて、半熟の目玉焼きと一緒に1枚の皿に乗っけた。優姫も先にマーガリンを塗ったトーストを用意して、グラスに注いだ牛乳にインスタントコーヒーの粉をほんの少しだけ落としたらテーブルに集合だ。


 ぺこぺこって言葉は本当みたいで、いただきますって言った直後に優姫はトーストに目玉焼きを乗っけて、かじり、かじり、ソーセージもパリっと音を鳴らしながらパクパクいって、俺が半分くらいを食べ終わった頃には皿を空にしてた。


「ちょっと真面目な話をしていい?」


 その問いに違わず優姫の表情も声色も真剣なものだった。


 俺はトーストをかじったばっかだったから目で応じた。幼馴染にはこれで充分。


「あたしってさ。ちょっと前に2連続で告ったじゃん」


 頷く。


「でも1回は付き合って欲しいって言ったけど。2回目は言ってないよね?」


 そういやそうだな。

 

『才良くん。ずっと好きでした。あたしと付き合ってください』


 1回目はテンプレ的な正当っぽい告白だったのに、


『そして今日、あたしは二度目の恋をするの。今度の恋の相手もカドくんだよ?』


 2回目は変則的なやつだった。まあ、そのせいでグッと来たけど。


「今のあたしはカドくんと付き合いたいって思ってないから」


 ふむ。気持ちを伝えたかった。それだけのことなのかね。だとしたら助かる。告白に対して助かるって言い方をするのもどうかと思うけど。


「嬉しくなると他のことが考えられなくなっちゃうってみっきーが言ってて、あたしも基本はそうだよって言ってたじゃない?」


 告白の翌日のことかね。優姫がそうなった時は川辺さんに止めて欲しいってお願いしてた気がする。良い意味での相互監視ってやつだな。


「ずっと気持ちを隠してたせいかもだけどさ。なんかカドくんと2人きりになると、好きって気持ちを抑えきれなくなることがあるの。もう我慢しなくていいんだ。好きって言っていいんだ。今ってチャンスなんじゃないのって。31日のときみたいに」


「あの時はまじでうざかったな」


「……なんでここだけ反応しちゃうの。ショックなんだけど」


「タイミング良く口の中が空になったもんで」


「タイミング悪くね」


「見解の相違だね」


 言って俺は残りのトーストを口に詰め込んだ。


「とにかく。今は温度差が酷いじゃん? あたしは食べ終わったらイチャイチャしたいって思ってるけど、カドくんはメシ食ったらはよ帰れって思ってるでしょ?」


 頷く。へこむならそんな質問すんなよ。


「だからね。もっと温度差がなくなってからじゃないと、仮に付き合って貰えたとしてもすぐに別れちゃうと思うんだよね。そうなるともう次はないかなって。こないだ言ってた再現性ってやつを理由に相手をしてくれなさそうじゃない?」


 それはありそうだな。今の調子だと早くて即日。遅くて3日で別れそう。


「あたしも10年越しの恋だからさ。1か月そこらで終わっちゃうのはちょっとね」


 なるほど。これが温度差か。1か月も持つと思ってることにびびったわ。


「紀紗チャンに恋愛は早い者勝ちって言われてから焦っちゃってるんだけどね。ちなみに紀紗チャンとは?」


 何もない。なんならLINEも滅多に来ない。だから首を横に振る。


「……カドくんって押してもダメそうだから引いてみてるとか? 紀紗チャン、策士っぽいからなぁ。押せ押せのあたしとみっきーが鬱陶しいと思われてポイントを落としてる間に、何もしないことでポイントを稼いでる可能性が」


 ハッとさせられた。牛乳でトーストを一掃する。コーヒーの香りが鼻を抜けた。


「あるかもな。少なくとも紀紗ちゃんに対しての不満はないし」


「あたしらにはあるってことですね」


「お前が相手だから言えるけど。あるね」


「……特別視されてるみたいで嬉しいような、そこそこウザがられてるみたいで悲しいような」


「そこそこ?」


「はい! そこはもういいです! 答えは底にありません!」


 優姫は牛乳をぐびぐびと飲んで、


「とにかく! あたしが言いたいことは伝わった?」


「温度差がなくなるまでは付き合うことを考慮しなくていいってことか?」


「みっきーと付き合ってもいいよってこと」


 これはまた。


「それは温度差で上手くいかないことを前提で話してる?」


「そうだね。性格悪いよね」


「いい性格してるよ」


「それ。悪いって意味だよねぇ?」


 優姫は苦笑して、


「だからあたしとみっきーのどっちを選ぶかって考えは捨てていいよ。みっきーと付き合うか付き合わないか。それだけでいい」


「ふむ。川辺さんと付き合うなら俺と優姫の関係は今まで通りで頼みたいってのは告白された日に言ってあるんだけど」


「カドくん! あたしのために!」


 感激してますって全身で表現してらっしゃる。そこまで喜ばれると照れるね。


「今すぐエッチしたい!」


「幻滅だわ。お前のその軽さはどうにかならんのか」


 まじでテンション下がったわ。これもあのクソ姉のせいなのかねえ。


「じゃあハグ! ハグでどうですか!」


「握手でよければ」


「そんな小学生じゃないんだから!」


「とか言いながら握るのな」


「今はとにかく触れたい気分なのだよ!」


 テーブルの向かいに座ってる人と握手するって人生で初めてだなぁ。嬉しそうに鼻歌まで始めたからいいけど。


 ママゴトもしないし。メシも食わずに待ってたし。そこを踏まえると今の話はこいつにとって本当に真面目なものだったってのは分かるけどさ。


「てかお前はなんで急にこんな話をしようとしたんだ?」


 一転してジト目になった。なんだよ。


「カドくんが部活をサボるからじゃん」


 あぁ、そういう。勘違いさせちゃったってことか。


「別にお前と顔を合わせづらくてって訳じゃないんだけど」


「知ってるよ。朱里ちゃんでしょ?」


 心臓が飛び跳ねた。


「昨日の夜に相談された。踏み込み過ぎたかもって。嫌われたかもって。朱里ちゃんが泣きながらお昼の話をしてくれたから」


 そうなのか。


「朱里ちゃんもあたしとみっきーの板挟みで悩んでるっぽくてさ。コミュ障ってほどじゃないけど、人付き合いは赤点のレベルだし、どうしたらいいのか分からなくて、でも何かしてあげたくて、そしたら余計に悪くしちゃって。すっごく後悔してた」


 それも人生経験だって言う人もいるとは思うけど、俺には真似できないからな。すごいと思うし、やっぱ尊敬できる。面倒見がいいのは弟がいるからかねぇ。


「後で電話しとくわ」


「そうしてあげて。絶対に喜ぶから」


 優姫はにこっと笑って、


「でも惚れさせたらダメだからね」


 真顔でアホみたいなことを言う。


「俺みたいにめんどくさいやつを好きになるなんてレアケースだと思うけどな」


「そう?」


 おおぅ。賛同されると思ってたから二の句を告げなかったわ。


「優しいし。頭いいし。頼りになるし。困ってると助けてくれるし。ご飯は美味しいし。誕生日にケーキだって焼いてくれるし。フライドチキンも美味しいし。今夜はハンバーグだし。明日はオムライスだし。普通に好きになるよ」


 感動できそうでできないな。ファクターの偏りが酷い。


「ほぼほぼご飯は美味しいしに集約されてるな。てか今夜はハンバーグじゃねえし、明日もオムライスじゃねえわ」


「えー」


「今日の昼メシはオムライスとミニハンバーグに決まったけどな」


「っ! カドくん! そういうとこ! そういうとこだよ!」


 そういうとこだよ。をポジティブに使われたのって初めてだわ。


「ふふん。やっぱ土曜くらいはお昼も一緒に食べたいもんね」


 ん?


「部室に来ればよくね」


「……あれ? 聞いてないの?」


「何を。てか誰に」


「朱里ちゃん。お昼の部室はカドくんが呼ばない限りあたしとみっきー出禁だよ」


「は?」


 そういや昨日の川辺さんも普通に天野さんと大岡さんで食べてたな。


「あたしが通い始めたらみっきーも通い始めると思うし、そしたらカドくんが毎日女子3人と一緒にランチしてるって噂が広がるかもしれないでしょ?」


「……まぁ、メンツに川辺さんがいるからな」


「そうなるとカドくんは落ち着いてご飯を食べられるとこがなくなるからやめてあげてって。あたしもみっきーもそれで納得したからお昼は教室にいるんだよ」


 そこでも気を遣わせてたのか。なんか。申し訳なくなってきた。


「内炭さんに電話してくるわ」


 繋いでた手を放す。優姫は心の底から悲しそうに、


「妬けちゃうなぁ」


「終わったら優姫にも電話するわ」


「終わるまで待ってるけど」


 勝手に怒って、勝手に落ち着いて、俺も本当に勝手なやつだって自覚したけど、お陰で立ち直れた気がする。その証拠に、


「今の俺は何を思ってるでしょうか」


 優姫が頬を膨らませた。


「メシ食ったらはよ帰れ?」


「おっと。俺らって分かり合えてるな。良い温度差じゃん」


「……いつも通りのカドくんって感じだね」


「お陰さまで。まあ、冗談だけどな。まだやることやってないし」


「やること。エッチ?」


「おめでとうございます。ただいまポイントを落としました」


「冗談じゃん。冗談。もう言わないから。ね? ポイント戻して?」


「次はないからな」


 愛層笑いする幼馴染に王手を掛けてから尋ねてみる。


「てか、はよ。電話しに行くんだからはよ」


「……え?」


 察しが悪いな。お前は何をしにきたんだよ。おっ、気付いたっぽい。


「いってらっしゃい! カドヨシ!」


「おう。いってくる」


 なるほど。夫婦になったら呼び捨てになるんだね。続きはまた後で。


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