8/21 Sun. 猫かぶり――後編

 服装をどうするかで迷ったけど、制服が多いらしいし、上条先輩もそうするみたいだから合わせてみた。


 自転車で行くと思ってたのに徒歩でウチまで来たから不思議に思ったが、何のことはない。南安城駅のすぐ近くだった。


 こんなとこに塾なんかあったっけ? って思ったけど、上条先輩が言うには5年くらい前からあるらしい。


「きみにとって塾は道路標識みたいなものなんだね」


 比喩なのか皮肉なのかは分からんけどしっくりきた。道路の標識はそこら中にあるのに運転免許を持ってないせいか、まったくと言っていいくらい俺の目に入らないからな。これもカラーバス効果の一種なのかねぇ。元から俺は関心の薄いものに関してはとことん脳のリソースを割かない性質ではあるけども。


 ともかく塾の内部にGOだ。上条先輩の紹介で見学って扱いにはなってるものの、塾なんて生まれて初めて入るからどきどきするね。


 自習室は2階と3階にあるそうだが、2階は中学生用らしいから3階へ。視聴覚室とかで使われる重々しい感じの開き戸を引っ張って侵入する。


 ふむ。自習室って自ら勉強という苦行に挑むドMの巣窟だと思ってたから会議室みたいな内装を想像してたが、外の景色を一望できる窓際の机も、専用のタブレットが陳列されてる大きな横長のテーブルも木製だ。椅子も背凭れがカラフルでおしゃれなやつだったり、長時間の勉強に適したリクライニングチェアだったりする。ガラスのローテーブルの近くにはふかふかのソファも置いてあるし、事務の三種の神器である長机やパイプ椅子が一切ない。人気のコーヒーショップみたいな感じだった。


 薄っすらとクラシカルなBGMも聞こえるし、ドリンクバーっぽいコーナーも奥に見える。勉強熱心=根暗って固定概念をぶち壊すには充分すぎるくらいのインパクトがあるね。ここなら別に来てもいいかなって思うもん。これが塾経営者の戦略の1つだって言うのなら俺は素直に両手を挙げるよ。通うかは別としてね。


 利用者はざっと見て30人くらいかな。その大半がメガネだ。けど陰キャって感じがあまりしない。おしゃれな空間でコーヒーを飲みながら参考書を捲るシーンとか普通にかっこよく見えるしな。思わず俺もやってみたくなるわ。コーヒーは苦手だから飲まないし、参考書も捲る以外に必要としないけどさ。


 ふと窓際の席で足を組みながら参考書を捲ってる内炭さんの様子が浮かんだ。どうしてかな。そこはかとなくイラっとするね。たぶんそれがかっこいいと思ってやってそうだからだよね。あの子、形から入るとこがあるからなぁ。


「あの席にしようか」


 上条先輩が指定したのはまさに俺が想像してた内炭さんの席だ。まあ、いいけど。


 どこか釈然としないが、2人用の窓際の席に座る。上条先輩が無駄に椅子を寄せてきたせいで肩が触れ合う形だ。傍目で見れば完全にカップルだね。背凭れのない椅子だから密着の度合いが否応なしに理解できるし。


「先輩」


「ふふ。どきどきするね?」


「右腕が動かしにくいので離れてください。これじゃあ課題が捗りません」


「……本当に、きみってやつは」


 ほんの少しだけ離れてくれた。本当に5センチくらいだけ。


「ところで例の彼はいますか?」


「どつき回さずに済みそうだよ」


 先輩が通学用のリュックからポーチを取り出し、その中からさらに手鏡を出した。


「この個人用の、黄緑色の背凭れに身体を預けているメガネだよ」


 なるほど。この絶望に打ちひしがれてるようなツラをしてるメガネか。


 普通にイケメンなんだけど。少なくとも俺よりイケてるってのは間違いない。浅井と同格か、それ以上って答える女子も多そうだ。身長は俺と同じくらいで、勉強熱心なだけあって細身の体格。むしろ細すぎてモヤシってあだ名が付けられてそうだ。


「先輩、俺が思うにこれはもうミッションを達成してしまったのでは?」


「同意するよ。私のシナリオでは少年とあのメガネで愛しき飛白ちゃんを巡って血で血を洗うバトルをすることになっていたのだけどね」


「同意できんわ。俺の性格でそんなことになるはずがないでしょ」


「きみなら間違いなく私を差し出すことを選ぶね。その方が合理的かつ効率的だし」


「分かってるじゃないですか」


「ああ、分かっている。歪んだ愛だよね。照れるよ」


 どうやら愛しき飛白ちゃんが俺との血で血を洗うバトルをご所望のようだ。


「ともあれ目的の1つが終わったことだし、後は普通に夏休みの課題でもしようか」


「おっけ。拍子抜けではあるけど、サクサク片付けていきますかねー」


 なんて人の恋路を軽く扱ったのが悪かったのかもしれない。


「あれ? なんでカドくんがいるの?」


 振り返ったら優姫がいた。その横に愛宕部長も。


 なんでだよ。こいつこそ俺以上に塾を道路標識だと思ってるはずだろ。


「上条先輩に誘われた。お前は?」


「愛宕先輩にお願いして」


 俺らの視線が愛宕部長に集中する。


「私もここに通ってて。優姫ちゃんが塾を紹介して欲しいって言うから。飛白ちゃんはどうして碓氷くんを誘ったの?」


 今度は上条先輩が視線の的になった。メガネの死体蹴りをするのは気が引けるが、よくよく考えればこの悪魔に魂を引っこ抜かれずに済んだのって幸せなことじゃないかね。ある意味で善行を重ねた訳だし、ここは素直に言っていいのでは?


「才良と勉強デートをしたくて」


 クソふざけたことに腕にしがみついてきやがった。


「え!」


「え?」


 同じ言葉を発したのにポジティブとネガティブの差が凄いね。


「飛白ちゃんって碓氷くんのことが好きだったの?」


「おいおい。本人の前で言わせる気かい?」


 本当に人を勘違いさせるプロだね、この人は。答えはNOなのにさ。


「カドくん、どういうこと?」


 なんで問い合わせの対象が俺なんだよ。女子のこういうとこって本当に正した方がいいと思うんだよね。そこの悪魔っ子に聞けや。


「待つんだ、優姫。彼に非はないんだよ。私が説明しよう」


 たまにはまともなことを言うね。なんて思ってたまるか。こんなの絶対に、


「とある事情で私と才良の仲を見せ付けにきたんだ」

 

 ほらまた勘違いをさせにきた。しかも嘘偽りのない事実だし。


 上条先輩の露骨な挑発に、けど今日の優姫はぷんすかしなかった。


「飛白先輩」


 笑顔。それも威嚇だとハッキリ分かるくらいの作った笑顔だ。


「あたし、カドくんのことが好きなんだけど」


 この告白にどきっとできないのは内炭さんのせいだろね。


「へぇ」


 上条先輩は薄く笑い、


「蛍が鳴くとは驚きだ」


 その言葉に俺が驚いた。


『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』


 ちょうど2週間前に上条先輩がくれた助言だ。


 要するに、あの時からもう上条先輩は優姫の本心に気付いてたってことだ。


 俺はてっきり紀紗ちゃんのことを蛍に例えてるんだと思ってた。本当に都合よく騙されてたんだな。


「え? ええ? 優姫ちゃんも碓氷くんのことが好きなの?」


 発言のすべてを鵜呑みにしちゃう善良の化身たる愛宕部長。率直に申し上げて将来が心配でなりません。


「はい。小さい頃からずっと好きです」


 愛宕部長の方が赤くなっちゃったよ。ピュアっピュアだね。


「なのでカドくんから離れて欲しいんですけど」


 臆せず要求する優姫に、


「拒否する」


 上条先輩がバッサリいった。まあ、理由は分かる。誰も文句を言いに来ないけど、そこかしこから視線を感じるし、何より例のメガネが希望を宿した瞳をこっちに向けてる。男の浮気がバレて上条さんがフリーになるかもって思ってんのかねぇ。


 しかし勘違いはよくない。それに隠し事はしないって決めたしな。


「紀紗ちゃんと同じやつ」


 優姫は首を傾げ、


「あー、そっか」


 理解はしてくれた。けど顔を見る限り納得はしてない。


「紀紗チャンの時にも言ったけどさ。カドくんじゃ釣り合ってないから説得力がないんじゃない?」


 改めて言わなくてもよくない? 俺だって可能ならイケメンになりたかったよ。


 そんな感じで落ち込む俺の肩に、上条先輩は頭をこてんと倒した。


「では優姫。きみなら才良に釣り合うと?」


「その才良って言うのやめてくれません? イラっとするんですけど」


「私が才良を才良と呼ぶことに何の問題があるんだ。ねぇ、才良?」


 ノーコメント。今の悪魔相手に口を開けば禍の種が芽吹いてしまう。


「ほら、否定しない。問題なしということだね」


 口を開かなくても禍が生じてしまったわ。どうすりゃいいんだよ。


 優姫はすっかりぷんすかしてるし、愛宕部長は真っ赤な顔であわあわしてるし、メガネは瞳を輝かせてるし、ギャラリーはお静かにって言ってくれないし。


 悪魔はこれ以上ないくらいに生き生きとしてるし。


「それでどうなんだい? 優姫、きみは才良と釣り合っていると?」


「……釣り合ってないと思います」


 前は釣り合うって言ってたのにな。


「あたしはバカだし、カドくんもあたしなんかと話をしても楽しくないと思うし。だから塾に通ってカドくんに相応しい女になるつもり」


 あぁ。


『そうだね。あたしも朱里ちゃんみたいにトーク力? 話術って言うの? それを磨かないとだめかなーって思った。やっぱ勉強できる人は違うなって。だって言い返せなかったし。油野クンも勉強できる人だから、朱里ちゃんみたく色々な知識を持った子と話をする方が楽しいんだろなって』


 油野を俺に置き換えるだけで辻褄が合っちゃうわ。こいつが内炭さんとたまに衝突するのもこれが原因だったりするのかな。つまりは嫉妬だ。


 悋気は女の七つ道具って言うけど。なんか。心を動かされるね。


「それは大変ご立派なことだ」


 優姫の決心を認めながらも、上条先輩は俺から離れようとしない。


「しかし私も事情があってこうしている。我々の逢瀬の邪魔をされては困るね」


「浅井クンに頼めばいいじゃないですか」


 確かに。あいつも一応はイケメンの端くれだし、美人の先輩が誘えばしっぽを振ってやってくるだろ。


「えー、だってあの子って顔と胸とスカートの裾しか見てこないしなぁ」


 おいおい。女子の前で本当のことを言うなよ。可哀想だろ。


「え? 浅井くんってそんな子なの?」


 ほら、愛宕部長が信じちゃったよ。事実だけど。


「そんな子ですね」


 優姫さんも容赦ないね。


「でも性格はともかく顔だけならギリで釣り合うと思います」


 歯に衣着せぬってこういうことを言うんだね。これまた事実ではあるけど。


「いやいや、私はね。才良がいいんだよ」


「どうして?」


 聞くまでもない。玩具にできるからだよ。


「私のことを分かってくれるからさ」


「は?」


 予想外すぎて声を出してしまった。


「私は右脳タイプの人間を好いていない。論理を積み重ねても言葉の意図が通じやしないし、すぐに感情を昂ぶらせて論点をずらしてくるからね。先程の才良と呼ぶなと言った具合にだ」


 優姫が眉を曇らせた。上条先輩はそれを一笑して続ける。


「それに引き換え才良は良い。論理や合理で満たされた会話の心地よさときたらないよ。私にも一応は惚れた男がいるけどね。あれとは将来の絵を思い描くのが難しい。実際に結婚を考えたくなるのは才良のような男だ」


 不覚にも理解できた。優姫とママゴトをしてる時に何度も思ったからな。こいつを恋愛対象にすることはできても、結婚をしたいとは思えんって。


「才良も一度や二度じゃないはずだよ。私との会話を楽だと思ったことはね」


 優姫が不安げに見てくる。嘘を言いたくなるけど、それは合理的じゃない。


「一度や二度ってか百度どころか千度はあると思いますけど」


「そうだろうとも」


「同じくらい鬱陶しいとも思ってますけど」


「そうだろうとも」


 そこも肯定すんのかよ。分かってんならやめろや。


「でも喧嘩するほど仲が良いって言葉を思い浮かべるくらいには飛白ちゃんと碓氷くんって仲良しに見えるよね」


 愛宕部長が嬉しそうに言った。近い内に説教をしないと。


「優姫。きみは才良とここまで砕けて話すことはできるかな?」


「……無理かも。嫌われるのがこわい」


 優姫がしょぼんとした。これを見過ごすのは難易度が高すぎるな。


「あんなことがあっても結果的には嫌わなかったし。もっと遠慮なしでいいんだぞ」


「……ほんと?」


「まじまじ」


「嘘だったら例の罰を与えるけどいい?」


「お前いい加減にしとけよ」


「ほら! 怒ったじゃん!」


「怒るのと嫌うのは違うだろ」


「怒られるのも嫌なんだけど」


「俺に感情を殺せと?」


「あたしの心が死ぬくらいならカドくんの感情に死んでほしい」


「お前、すごいことを言うね?」


「意外とできてるじゃないか」


 上条先輩が驚いてる。そのご褒美って訳じゃないと思うが、やっと俺から離れた。


「愛美のお陰でメガネが帰ったんだよ」


 まじだ。同じ塾に通ってるなら愛宕部長の人の良さを知っててもおかしくないし、その人が『仲良し』の判定を下したんだから疑いようがなくなったのかもな。


「ではいい時間だし、みんなで碓氷少年のお弁当でも食べようか」


 切り替えが早すぎて付いていけねえわ。


「えっ、カドくんのお弁当があるの?」


 優姫を笑顔にしてくれたのはナイスだけどね。


「私が採点しましょう」


 愛宕部長って料理のことになると目の色が変わるんだよなぁ。


「ところで優姫。命令券はまだ使っていないのかい?」


 上条先輩は4人掛けのテーブルを指さしながら言った。


「ここぞって時のために残してあります」


 七夕まつりの時にくだらないことで使おうとしてた気がするけどね。


「ラストエリクサー症候群を患っているのか。不憫だね」


 先輩は首を傾げる優姫の耳に口を寄せた。そして悪魔は囁く。


「紀紗も、私も、命令券がなくとも彼氏彼女のような関係を持てた。それはすなわち少年の中で許せる行動の範疇であり、また命令券の適用範囲内であるとも言える」


 ごくり、と。優姫が唾を飲み込むのが印象的だった。


「縁は異なもの味なもの。それがきっかけで結ばれることもあるんじゃないかな?」


 水谷さんと油野みたいにか。或いは川辺さんの思惑のように。


 命令して付き合う。


 ラノベや漫画の中ならなくはないと思う。


 けどね。現実でそんなことをしたら関係が破綻すると思うよ。


 少なくとも。俺はその後に口を利かなくなる気がするね。


 それでも。嫌いにはならないと思うけど。


 やっぱ。やめて欲しいな。


 そんな俺の不安を余所に、優姫は財布から命令券を取り出した。


 その瞳に宿る意志は、固い。


「……あたしは」


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