8/21 Sun. 猫かぶり――前編

 夢見の悪い日は機嫌も悪い。


 あれってテロみたいなもんだよな。見たくもないもんを問答無用で見せられて、しかも具体的な解決策も講じられない上に、対応策も用意できないんだぜ。カードパワーのインフレに次ぐインフレでゲームバランスが崩壊した末期のソシャゲよりなおクソゲーって言えるよな。


 悪夢さんよ、逃げも隠れもしないからせめてアポを取ってからにしてくださいよ。こっちにも予定ってもんがあるんですよ。


 その悪夢の内容だが、巨大な猫に乗ったヒハクがやってきて「きみが悪い」と言っては強烈なねこぱんちを繰り出してくるという謎すぎるもの。普通に痛かったし。フロイト先生的にはどんな解釈になるのかねぇ。


 あー、腹立つ。腹が立つから朝メシを食おう。もう9時を過ぎてるけど、オカンが何かしら用意してんだろ。


 最低限の朝の支度をしたらダイニングにGO。我が舌は肉を欲しておるぞ。


 って、あれ。リビングの方から話し声が聞こえる。やめてくれよ。入りにくいじゃん。ニチアサに訪問とか客人も何を考えてやがるんだよ。


 よくはないと思いつつも聞き耳を立ててみる。会話の内容で帰る時間の当たりを付けたら部屋に引きこもろうかね。挨拶とかめんどいし。


「いやはやご両親もたいへん素晴らしいお方ですな。才良くんは間違いなくお二方に感化されていますよ。彼には私もよく助けられておりますし、皆もしきりに頼っております。私も彼の姿勢を見習いたいと常日頃から思ってはおりますが、私など不甲斐ないばかりで、年長者として恥じ入る限りですね」


 迷わずドアを開けた。ソファに横並びで座った両親は満更でもなさそうな顔をしてる。いい大人が高校生に唆されてんじゃねえよ。そいつは悪魔だぞ。騙されんな。


「やあ、お邪魔しているよ」


 やたらと薄着の上条先輩が言ってきた。ソファにお行儀よく座ってらっしゃる。


「まじで邪魔なんで帰ってくれません?」


 あの悪夢は予知夢だったのかもしれんね。だって上条先輩のバッグに猫のキーホルダーが付いてるもん。あれはこの件を暗示してた訳だ。


「才良! 先輩に向かってなんてことを言うんだ!」


「そうよ! 飛白ちゃん、こんなにいい子なのに!」


 クソが。既に篭絡されてやがる。このピュアどもがっ。


「いいんです。すべては私の不徳の致すところ。彼を責めないであげてください」


 切なげに微笑む上条先輩。ダメだ、ウチの両親ったらキュンとしてやがるよ。本当にこの人の不徳が原因だって分かって貰えないのがつらい。


「言っとくけどな。この人は10年後に日本を震撼させるような過激派宗教団体の親玉をやっていてもおかしくない人物なんだぞ」

 

 俺の的確過ぎる紹介に、当の本人は肩を竦めて、


「そんなはずがあるか」


「いやあるだろ」


「15年は掛かるよ」


「そういう意味でかよ。違う部分を否定しろや」


 何はともあれ気の知れた仲だとは分かって貰えたらしい。ただ、才良が高校で上手くやれてるみたいで安心した的な空気になって居づらくなったから、自分でベーコンエッグとトーストを用意して、ついでにペットボトルのミルクティーを冷蔵庫から攫って部屋に戻った。


「相変わらず散らかっているね」


「相変わらず自分勝手に付いてくるんですね」


 ガラステーブルの上にある閉じられたノートパソコンのさらに上に皿を載せ、ベッドを背凭れにして床に座り込み、両手を合わせてからトーストをかじる。その間に上条先輩は俺の隣で女の子座りをした。なんか距離が近いな。


 ペットボトルのキャップを緩め、ミルクティーを喉に流し込み、


「何か用すか」


「もう! なんでそんな態度なの!」


 うぜぇ。可愛くてうぜぇ。


「過去の自分を顧みたら原因はハッキリすると思いますが」


「過去を振り返るより未来に思いを馳せる方が合理的だと思わないかい?」


「思うけどね。あんたはもうちょっと自分の通ってきた道を見返した方がいいね」


「そんなことより本題に入っていい?」


 どんなふうに育てられたらこんな好き勝手に生きられるんかね。


「照れるね。そんなに見ないでおくれよ。そんなに私が愛おしいのかな?」


「親の顔が見てみたいって思ってたんですよ」


「困ったな。両親への挨拶はプロポーズの後にして欲しいんだけど」


「ほんとびっくりするくらいポジティブ思考だね?」


「そんなわけで本題に入るね」


 悟った。これ、いちいち反抗せずにすべて聞き入れた方が早く帰ってくれるわ。


「明日のことなんだけどね」


 上条先輩はスマホをスイスイいじって画面を見せてくる。


『十二の挑戦~challenge from of twelve~』


 例のリアル脱出ゲームのティザーサイトだ。黒バックに星が散りばめられ、十二が赤、の挑戦が緑、英字の部分が黄色で書かれた、センスを疑いたくなるようなタイトルがでかでかと表示されてる。


 俺も一応はその日の内に最低限の確認をしといた。上条先輩が招待を受けてると言ってたから不思議には思ってたが、その実、サービス開始は来月からで、俺らは難易度が適切かどうかを調べるためのエキシビションに参加するらしい。


 参加費は無料で、ただし体験した内容はサービス終了1か月前の12月頭まで他言無用。万が一でネットに晒した場合は賠償問題に発展するそうだ。当日に守秘義務を負う形の契約書にサインをしなきゃいけないみたいでわくわくしてる。


 1組5名を20組で100名。それでクリア率を出すらしい。1チームがゴールした時点で5%も動くから論理性には欠けるが、かと言って100組も呼ぶのは手間を考慮すると合理性に欠けるから妥当なとこだと思う。


「昨日の時点で8組が挑戦を終えているけど、完全クリアはまだいないらしい」


 ほう。そんなことを言われると燃えてしまうじゃないか。


「設定上のクリア達成率は10%から15%を狙っているそうだ。しかしそうなると我々の賭け事に問題が出てくる。タイトルに違わず謎は12個あるらしいからクリアできずとも順位は付けられそうだけど」


「4組ともゴール。或いは4組とも同じ踏破率で詰むと困るってことですね」


 上条先輩はこっくりと頷き、ミルクティーを一口飲んだ。おい。


「あぁ、大丈夫。私は間接キスとか気にしないから」


「こっちが気にすることを想定して欲しいんだよなぁ」


「え? 私のことを意識してるってこと?」


 無言でミルクティーを飲んでやった。


「……照れるね」


「おい。あんたまじでいい加減にしとけよ」


「冗談はさておき」


 上条先輩はスマホを卓上に置いてベーコンエッグをフォークで切り始めた。もういいわ。好きにしな。


「4組ともゴールした場合はクリアタイムで順位を付けるとして、複数の組が同じ踏破率だった場合は素直に同着でいいかな?」


「俺はいいですよ。例えば4組とも12問目で詰んだら命令券が発行されないってことですもんね。下位のリーダーから受け取るって条件のはずですし」


「そういうことだね」


 肯定してベーコンエッグをもぐもぐする。お気に召したらしい。すぐに次の一切れにフォークを刺した。


「これで話は終わりですか?」


「終わったような、終わっていないような」


「終わったことにして帰りません? てかこれLINEで充分ですよね。なんでわざわざ家まで来たんですか」


「本題の本題に関しては会って話すべきかと思ってね」


 そんな言い方をされると身構えちゃうね。どうせ大したことじゃないと思うけど。


「お昼からデートしないかい?」


 は?


「先輩と、俺で?」


「きみと、私で」


「なにゆえ」


「ほら、私ってモテるじゃないか」


「またそれですか。あえてまた言いますが、先輩はモテません」


「ああ、そうであればどれだけよかったか。残念ながらモテてしまったんだよ」


 なんかむかつくな。調子こいてる感がハンパねえわ。


「他校に通う同じ塾の男子でね。私に気があるらしいんだ」


「気のせいではなく?」


「ラブレターというか、ラブメッセージを頂戴したんだよ。なんせここ最近の私は全力で塾をサボっていたからね。体調を崩したのではないかと案じてくれたようだ」


 先輩が卓上のスマホをいじってLINEのトーク画面を見せてくる。いいのか、これ。すごく後ろめたい気分になるんだけど。


『上条さん。あなたの姿を見なくなって五日になる。僕は心配だ。きみが病に倒れているのかと思うとこの身が裂かれそうなほどにつらくなる。きみが塾を変えてしまったのかと想像するとこの胸が張り裂けそうなほどに悲しくなる。きみはいま、どうしているのかな? どうか僕を安心させて欲しい。明日も塾できみを待っているよ』


 ふむ。今は男の部屋で人様の朝メシをもぐもぐしてるよ。


「これを読んでどう思った?」


「2つありますね」


「聞こうか」


「明日って今日では?」


 受信の日時が昨日の21時になってるし。


「そうだね」


「またサボってんじゃん。この人ってばいつまで経っても安心できないじゃん」


「だって5連勤したんだもん! 座りっぱなしでも疲れたんだもん!」


「なら家でじっとしとけや」


「おおぅ。とうとう少年に私の猫かぶりっこが通用しなくなってしまったか」


 上条先輩は肩を竦め、また勝手にミルクティーを飲んだ。そして、


「もう1つは?」


「どんだけ裂けるんだよ」


「それは私も思った。さけるチーズのステマかなってね。お陰でまんまと夜中にコンビニまで行ってしまったよ」


「その行動力がなぜ塾に向かわないのか」


 そうしてくれたら俺がこうして厄介事に巻き込まれずに済んだのに。


「起きたらそんな気分じゃなかったんだよね」


 しかも超が付くほど右脳タイプっぽい理由だし。


「ちなみに少年は私と同じでこれをラブレター的なものだと思うかい?」


「思いますね」


「好きとは書いていないけど」


「逃げ道を用意したんだと思いますよ。べ、別に好きって言ってないし! みたいなね。駆け引きみたいなもんだと思います」


「ふむ。男のプライドとかいう不燃ごみの為せる業というわけだね」


 やめてよそれ。たまにくらいは燃えるよ?


「しかし残念ながら私はその駆け引きとやらに興味がない。なのに相手が逃げ道を用意しているのでは拒絶しても効果が薄い。私は単純に少年という魔除けのお守りを装備することで彼の気持ちを弾き飛ばしたかったんだけど、それなら尚のこと少年とのデートを見せ付けて自ら諦めて貰う方が効率的な気がするね」


「ないとは思いますけど、本当にただ心配してのことって可能性もありますしね」


 上条先輩が頷いた。そうなると後は俺次第になるのか。って、あれ?


「本題の本題って言ってましたけど、これとリアル脱出ゲームに何の関係が?」


「命令券の前借りはさせて貰えないのかなって思って?」


「あ? もう勝った気になってんのかこら」


「ん? 勝てる気でいるのかい? 笑わせてくれるね」


 本当に笑った。2人同時に。


「こんな関係性でデートをするとかね。そいつも可哀想だな」


「なあに、心配はいらないよ。これは彼のためでもある。だって私には好きな男がいるのだからね。この彼になびく確率は0%を上回ることなんてないんだ。ならばさっさと私を諦めて他の女にいく方が合理的じゃないか?」


「確かにね。非情だけど」


「私からすれば愛情だけどね。知らんぷりしてほっとくこともできるわけだし」


 それもそうか。どっちの方がいいかと問われたら解答に困るけどね。


「それで? 少年は私に付き合ってくれるのかい?」


「そうですね。交換条件を1つ飲んでくれるのであれば」


「聞こうか」


「リアル脱出ゲームの結果がどうであれ。俺はともかくリフィスの恋愛事情に関してノータッチでお願いします。あいつ、そこそこ参ってるみたいなんで」


「構わないけど。少年も優しいね。そんなにリフィスさんが」


 先輩はそこで区切り、苦虫を噛み潰したような表情を見せた。


「私は危うく宿理の恋路を潰すところだったわけか」


 やっぱこの人は悪魔の中でも頭抜けてるな。思考の瞬発力が凄すぎる。


「これは借りだね。千早にも私の方から言い含めておこう」


「水谷さんなら昨晩に気付いてましたよ」


 LINEが来たからな。傷付けるつもりなんてなかった。どうすればいいのか相談に乗って欲しいって。お陰で今回は気持ちよく言えた。力になるよってね。


「ならば少年が私に貸し1ということで」


「借りてばっかの身なんで別にいいですけどね」


「欲がないね。実質的な命令券だというのに」


「そう言われるとアリだな。今すぐ帰れって言えるようになる訳だし」


「……そんなつまらない使い道をされるのかい」


「こっちからすれば切実な願いなんですよ」


「……えっちな命令でも、いいよ?」


「へー」


「ぐっ。会心の出来だと思ったのに。これをスルーされると私が恥ずかしくなるな」


 どきどきしましたけどね。


「それはさておき、例の彼って塾にいるんですよね」


「たぶんね。待っていると書いておきながら待っていなかったらどつき回すよ」


 それはそれで悪くない解決法だと思うが、


「ならデートで見せ付けるって無理じゃないですかね」


「いや、塾とは言っても今日は日曜だからね。自習室で黙々と勉強するだけだからやりようはいくらでもある」


「……勉強デートってやつですか。気が向かないなぁ」


「なんならきみの夏休みの課題を私がひたすらこなしていってもいい」


「まじでか」


「字でバレるから解答を述べるだけになるけどね」


「充分っすわ。8割方は終わってるんで残りを今日で片付けちゃうのもアリだな」


「では一旦解散といこう。準備をして11時半にまた来るよ。きみはお弁当を用意してくれると助かるね」


「おっけ。こいつは有意義な1日になりそうだぜ。今日のデートが楽しみだ!」


「……あれ。もしかして私っていま美月や紀紗に途方もないハンデを負わせた?」


 効率厨の好物は効率的な行動。そんなの当たり前じゃんなぁ。


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