8/12 Fri. 腹芸
最近、ちょくちょく思うんだ。
夏休みなのに、休めてなくね? 主に心が。
ここ最近で一番安らぐ時間って夏休みの課題を片付けてる時だもん。いっそのこと俺も塾にでも通って勉学に励もうかなぁ。
「あー、落ち着く」
そんな俺はグレーのカーペットに身体を預けてた。右を見ても、左を見ても、そこにあるのは灰色の景色だ。とても落ち着く。これは素晴らしいものだ。
「仮にも女子の部屋なのに寛ぎ過ぎじゃない?」
部屋の主たる内炭さんが苦笑してる。明日、川辺さんが遊びに来るらしく、部屋の模様替えを手伝いに訪れた訳だが。
「もうこのままでよくない? 無くすには惜しいよ。俺、週5で巡礼するからさ」
「人の部屋を勝手に灰色教の聖地にしないでくれる?」
内炭さんが通販で取り寄せたダンボールを開封してる。中から出てくるのは各種インテリア用品だ。淡色で染められたそれらでこの灰色の世界を塗り替えてくらしい。灰色教、弾圧の危機。
「碓氷くんも働いてちょうだい。今の状態は合理的とも効率的とも言えないわ」
そうなんだけど。なんか動く気分じゃないんだよな。よし。
「エチュード。圭介くんと朱里さん、休日の夫婦生活編」
内炭さんの目の色が変わった。
「朱里。悪いが今日はゴロゴロさせてくれ。最近、疲れが溜まってる訳だ」
「しょ、しょうがないわね! け、け、ケイくんは!」
妄想の中での油野に対する二人称はケイくんらしい。
「悪いな。俺の稼ぎが悪いから共働きをしてくれてるのに。お前に家事までやらせてしまって」
「そんなのいいのよ! 私が好きでやってるんだから! 共働きだって学生時代に勉強しておいて良かったって思えたし! 私はケイくんさえいれば幸せだから!」
なんか重いな。優姫くらい雑にしてくれないと心が付いていかないわ。
「はい、今日はここまで」
「ちょっと! 今からがいいとこでしょ!」
やる気を出して立ち上がった俺に詰め寄ってくる内炭さん。
「かなり油野くんのしゃべり方に寄せてくるからテンションが上がったのに!」
その分だけ俺のテンションが下がったんだよ。
「なんか俺の思う夫婦像と違ったんだよな」
「そうなの? 相山さんだったらどうしてたのかしら」
「圭介! 休みの日くらい掃除を手伝ってよ! ゴミ捨てだけで家事をしてる気にならないで!」
「……そういうのもリアルでいいわね」
新たな妄想プランを提供してしまったようだな。
「じゃあ模様替えをしますかね」
「そうね。まずはカーテンを変えましょうか」
内炭さんが用意したのは、上から下に向かって白から青になっていくグラデーションが効いた一品だ。腰窓も掃き出し窓も長さ違いの同じもの。綺麗だからインテリアとしては優秀に思えるものの、遮光性が高く見えないのが困りものだね。
「私だと踏み台を使ってもレールまで手が届かないから助かるわ」
ふむ。俺は腰窓近くの踏み台に足を掛け、
「エチュード。圭介くんと朱里さん、お部屋の模様替え編」
「っ!」
「こうして高い場所に手を伸ばしてるとお前との出会いを思い出すな」
にやにやすんな。
「そうね。あの時は運命を感じたわ。私はこの人と出会うために生まれてきたんだってはっきりと分かったの」
だからいちいち重くしないで欲しいね。
俺はグレーのカーテンを外し、腰窓のへこみにそれを置いて、内炭さんに手を差し出す。
「あの時は俺が渡す側だったが、今回は俺が受け取る側だな」
「……うん。これからもこうして助けあっていけるといいわね」
「ああ、そうだな。俺は至らないところが多い。迷惑を掛けることも、怒らせてしまうこともあると思うが、朱里、これからもよろしく頼む」
内炭さんが目を瞑って悦に入った。いいからカーテン寄越せや。俺が受け取る側って言ってんだろ。
「……碓氷くん」
「どうした?」
「週5で巡礼するお話。まだ生きてるかしら」
「グレーのカーテンを外した瞬間に死んだね。とにかくカーテンをはよ」
「とても残念だわ」
溜め息まじりで渡してきた。
「完全に偽者って分かってんのに楽しいもん?」
カーテンを付けながら聞いてみた。
「正直、小さい頃はね、どうしてみんなそんなにママゴトが好きなのかしらって思ってたの」
「まあフェミに言わせれば、女の子がママゴトを好きという認識は、女が家庭に入るのが当然と考えてる男の都合の良い思い込みだ! って理論を伴う遊びみたいだし」
「母親に憧れてる子が母親の真似事をしたがってるのかなって私は思ってたわね」
内炭ママ、どうやら娘から憧れを受けてなかった模様。
腰窓のカーテン設置完了。割と映えるな、これ。
「でも本当は夫婦の愛に憧れてたのかなって今は思うわね。恋をして、実際にしてみたらすごく楽しいし、とってもときめくの!」
踏み台を掃い出し窓まで持っていってまたもグレーとおさらばする。
「ときめくねぇ。よく分からんのだよな、それ。言葉はなんとなく分かるけど、経験がたぶんないんだよな。俗に言うキュンだろ?」
新しいカーテンを受け取って設置していく。
「碓氷くん、好きな人がいるのにときめいたことがないの?」
「物心が付く前から夫婦ごっこしてたからなぁ。気付いた時にはもう倦怠期だった。みたいな?」
「……それはちょっと」
「もしかしてあれか? 新しく実装された人権レベルの期間限定SSRが初日のおはガチャで出た時の感情に近いのかね」
「全然意味が分からないんだけど」
「あらやだ。運命ってこういうことを言うのねって感じでしばらくどきどきとにやにやが収まらなくて、意味もなくそれを見続けちゃう感じ」
「それはときめいてるわね!」
「けどキュンって感じではないんだよな」
こっちのカーテンも終わり。大きいものを運ぶのは蒼紫が遊びから帰ってきてからだし、次はカーペットの交換かな。これは水色か。
「優姫も俺にときめいたことはないんじゃねーかなぁ」
俺がグレーのカーペットを片付けてる間に、内炭さんがフローリングワイパーでグレーの痕跡を綺麗にしていく。
「そういえば。あの二人羽織みたいなことをしてた時に昔の話をしてたでしょ? あの時の相山さんってキュンとしてそうだったんだけど」
ふむ。俺には顔が見えんかったから何とも言えんな。
「直接キスでも気にならないかもって言ってたやつだよな」
「それは2人とも目が泳いでたからスルーしたやつね」
どういうこっちゃ。よく分からんからスカイブルーのカーペットを敷いていく。その上に今までなかった折り畳み式の黄色くて丸いローテーブルを置いてみた。
青空の中で輝く太陽って感じで悪くないように思えるね。その周りに白い座布団を置けばさながら雲のようだ。いいじゃん。って、あれ?
「水色に黄色って。これ川辺さんの部屋のパクリでは?」
内炭先生に盗用疑惑が生まれた。ご機嫌取りにしても露骨すぎないかね。
「パクリとは失礼ね。私は美月ちゃんをリスペクトしてるのよ」
灰色教からみっきー教に鞍替えか。そういうことなら歓迎するよ。
後はインテリア雑貨をテキトーに配置して、寝具も爽やかな色に変えていったら一段落だ。
随分と変わってしまったな。女子の部屋っぽくはなったけど、内炭さんらしさは一片も残さず消え去った。いま思えば悪くはない個性だったのになぁ。
蒼紫が来たら本棚とクローゼットの位置も変える。ひとまずは休憩だ。せっかくだからってことでローテーブルに麦茶と茶菓子を置いて寛いでみる。
「今までどうしてここにこのテーブルが無かったのかしらってくらい馴染むわね」
「せっかくの8畳なのに壁際にしか物がなかったからな」
出されたチーズおかきを食べてみる。せんべいを含めて米菓ってあんまり食べないんだけど、なかなかいけるね。パクパクいっちゃうわ。麦茶とも合う。
「そういえば、リアル脱出ゲームのことなんだけど」
「ほいほい」
「あれのチーム分けって各リーダーが指名したってほんと?」
「本当だけど。それ誰情報?」
「美月ちゃん」
「ってことは水谷さんが大元か」
いやらしい跳弾だな。
「碓氷くんに選ばれたって美月ちゃんが喜んでたわよ?」
喜んでるんじゃない。水谷さんに操作されて喜ばされてるんだ。
「私も美月ちゃんと同じチームで嬉しいわ。ありがとね。せいぜい足を引っ張らないように頑張るわ」
内炭さんまで操られるのはちょっといただけないな。
「ここで残念なお知らせがあります」
「急にどうしたの?」
「これは水谷さんによる盤外戦術です。たぶん賭けの勝率を上げるために仕掛けてきてるんだよね」
「……どういうこと?」
「問題の傾向は分からんけど、俺のチームの主力は間違いなく俺だよな?」
「そこは否定しないわね。各チームの主力はリーダーなんじゃないかしら」
「そう思う。だから川辺さんと内炭さんを使って俺のメンタルを殴ってきたんだ」
内炭さんは小首を傾げ、発言権を渡すかのように麦茶のグラスを傾けた。
「どうやって指名していったかは聞いてないだろ?」
内炭さんが頷く。
「俺。水谷さん。上条先輩。リフィスの順で1人ずつ指名してったんだよ」
「それがどうかしたの?」
「俺が指名した順番って分かる?」
「んー、んー? あれ? そう言われてみると分からないかも。1番に美月ちゃんを選んだのかなって思ったけど、そうしたらたぶん相山さんを上条先輩に嫌がらせで取られてる気がするし。でも相山さんを先に選んだら親友の水谷さんが皮肉で美月ちゃんを取りそうな気もするわね」
「俺もそう思ったんだよ。だから一応は好きって公言してる優姫を先にした。川辺さんを選べたのは水谷さんが1ターン待ってくれたからなんだ。つまり厳密に言うと俺は川辺さんを選ばなかったってこと。なのに水谷さんは川辺さんにチーム分けのことを話した。俺が選ばなかったってとこは省いてね」
「あー、なるほど。それを私から伝えられることで碓氷くんの罪悪感を揺り起こそうとしたってことね? 少しでも動揺させようって魂胆で」
「ただの嫌がらせかもしれんし、考えすぎかもしれんけどね」
内炭さんがチーズおかきを口内に投げ入れた。ぼりぼりと大きな音を鳴らす。
「でも碓氷くんの手は最善だったんじゃない? 結果として2人とも手に入ったし」
「それがそうでもないんだよね」
「どういうこと?」
「聞くと後悔するかもしれんけど言っていい?」
「……心の準備をしてもいいかしら」
「どうぞどうぞ」
俺もぼりぼりいっちゃう。最近なんでもかんでもチーズ味が出てるけど、これは普通に美味いな。スーパーで見かけたら家用に買ってみよう。
「よし。いいわよ。色々な可能性を考えたからそれほど驚かない自信があるわ」
内炭さんに予想できるはずがないから絶対にそのイメトレは無意味だけどね。
「俺の第一指名。それは内炭さん。あなたです」
「…………は?」
ほら無理だった。どうせ自分は余りものとして拾われたと思ってたんだろ。
「いやいや、おかしいでしょ。なんで私なのよ。好きな相山さんか。好かれてる美月ちゃんか。好かれてるかもしれない紀紗ちゃんか。親友の久保田くんか。堂本くんみたいに頭が回りそうな人もいたのに。よりにもよって初手で私? バカなの?」
混乱の末に罵倒ですよ。
「うわぁ。よかったね! って美月ちゃんに言っちゃったのに。でも私の方が先に選ばれましたけどね! どやぁ! って行間に差し込んでるみたいになっちゃったじゃないのよ。明日、美月ちゃんの目をまっすぐ見れるかしら」
「だから言ったじゃん。聞くと後悔するって」
「なら言わないでくれる? あー、でも知らなかったら知らなかったで無自覚に美月ちゃんを傷付けちゃう可能性もあるし」
内炭さんが頭を抱えてしまった。
「言い訳させて貰うとね。俺が初手で内炭さんを選んだのは、1巡目で水谷さんが川辺さんを、上条先輩が優姫を選んだら、本当は選びたかったのに! って言い訳を使えるからなんだよね。そしたらあいつらどっちもパスしてきたんだよ」
きっと向こうも俺の思惑を察して1ターン目は見逃がしたんだろね。絶対にどっちかを選ばせてやるって感じがしたし。それで優姫を選んだせいで水谷さんから皮肉アタックをくらいまくった訳だが。
「本当は選びたかったなら初手でどっちかを選んでるはずでは?」
ジト目を向けないでください。ちゃんと正論はあります。
「内炭さんってボウリングの時に最後まで余って落ち込んでたじゃん? 友達としてはそれを見過ごせなかった訳ですよ。次に同じような機会があれば絶対に内炭さんを選ぶ! って決めてたんだ。またあの時みたいな後悔をしないようにね」
「……そういうことならまあ。悪くない気分だけど」
「っていう設定でいこうかなって」
「……油野くんも言ってたけど。碓氷くんと話してると情緒が不安定になるわね」
「ないとは思うけど、もしも川辺さんに責められそうになったらそういう方向でいこうってお話。少なくとも内炭さんは悪くないから元気を出しておくれ」
うーむ。それぞれの思惑が錯綜しすぎてるせいで色々と弊害が出てきそうだな。
「なんか碓氷くんが水谷さんを悪魔って言ってる理由が分かった気がする」
「ご理解いただきありがとうございます」
とはいえ友達を自分の都合で落ち込ませるのはやっぱ心苦しい。
元気づけてみるか。俺の考え付く限りの最大の言葉で。
「エチュード。圭介くんと朱里さん、新婚旅行プランニング編」
「私、海外も良いとは思うけど、国内の温泉とかも捨てがたいなって思ってて」
仕方ない。一瞬で前のめりになった友達の欲望を全身で受けることにしよう。
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