8/16 Tue. 今日は人の身――前編
一寸先は闇。無常の風は時を選ばず。人生はどう転ぶか分からない。
それを面白いと言う人もいればクソゲーと揶揄する人もいる。
リフィスマーチは13日から15日までの3日間をお盆休みとしてた。尤も、リフィスはゴミみたいな実家に未練がないらしく水谷家に引きこもり、帰省してた水谷ママとの3日間を過ごしたようだ。弥生さんは昨日まで関東に帰省してたとのこと。
先月の第5土曜もバイトに行かなかったし、今月の第2土曜はお盆休みと被っちゃうからどこで部屋の鍵代を稼ごうかなと思っていたが、
「申し訳ありません。力を貸していただけませんか?」
午前7時を少し回った頃。リフィスが単身で碓氷家に来た。余裕で爆睡中だった俺はオカンに起こされてイライラしながらリビングまで来た訳だが、今までに見たことのない表情を前にしてメンタルが一瞬でニュートラルに入った。
「いいぞ」
「……まだ内容を話していませんが」
「今はその口調もいいわ。その方が話しやすいならそれでいいけど」
「そうだね。いや、やはりサラ相手ならリフィス口調の方が話しやすいです」
「ならそれで」
リフィスはいつもの笑顔で頷き、一転して真顔になった。
「先程、通勤中の父親が交通事故に遭って意識不明の重体との連絡を受けました」
ダイニングで朝メシを食ってる両親の視線がこっちに向けられた気がした。
「分かった。リフィマに行きゃいいんだな?」
「話が早すぎて泣きそうになりますね」
実際にリフィスは泣きそうな顔をしてる。
「生菓子と紅茶と石附さんの休憩中の料理以外でやってることって何がある?」
「そうですね。ウチは正規のアルバイトが1人もいないのでシフト管理などはありませんが、仕入れや取引先との折衝、経理などは私がやっています。生のお金を管理してるのは弥生ですし、取引先の方も弥生に任せられるとは思うのですが」
「弥生さんのメンタルが無事かって問題もあるんだよな」
リフィスが困ったような顔をした。そこはどうしようもないだろ。
「仕入れかぁ。雑にやっていいなら何とかなるかもだが。あれって去年のデータとか先月のデータとか、気温や湿度や天候が近い日のデータとかで決めるんだろ?」
「ウチはそこまで徹底していません。ただ多すぎるとフードロスが増えますし、少なすぎると早仕舞いを強いられます。損益の観点で言えば最低でも17時まではお店を開けておきたいですが」
「なるほどな。今日はもう発注してあるとして明日以降が問題か」
俺は腕組みをして考え、思ったままの結論を言う。
「まあ、贅沢を言ってられん状況だし、出たとこ勝負ってことでいいよな?」
「充分です。ありがとうございます」
頭を下げられるとやりにくいな。まだ聞かなきゃいけないこともあるのに。
「えっと。俺以外でヘルプって入れてもいいのか?」
「そうですね。お店が回らないくらいなら多くした方がいいと思います」
「ならそこは俺に一任ってことで。この後って出立する前に水谷家に戻るのか?」
「はい。まだ千早には事情を説明していないので」
「は? なんでだよ」
「私が愛知にいるのを自分のせいだと思っている節があるからです。この件を伝えれば何かしらの責任を感じそうなので」
「分からんでもないけどな。けどそこはお互いに割り切って貰おう」
「と言いますと?」
「お互いがお互いを思い合ってること。お互いがお互いを必要としてること。そんでもって、お互いがお互いを助け合えることを理解しろって言ってんの」
という訳で朝っぱらから電話を鳴らしまくって罵詈雑言を食らいまくりながらもやって参りましたよ、我らがリフィスマーチに。
開店時間のこともあって午前8時くらいに家を出られる人限定ってなるとさすがに厳しい。電話した時点で7時半くらいだったしな。
なのでこのメンツです。
生菓子担当で水谷さん。その補助に内炭さんと久保田。料理担当で俺、その補助で優姫と川辺さん。そして仕入れや雑務に上条先輩に堂本と浅井だ。
9人も入れて大丈夫なのかなと思いもしたけど、弥生さんは快諾してくれた。連休明けは忙しくなることが多く、何より抜けたのが万能タイプかつリフィマ唯一の男って要素を重く見たらしい。
「これはなかなか……」
堂本が苦笑するのも分かる。連休明け初日の発注量たるや山の如し。これをいつもはリフィス1人で片付けてたのかよ。
弥生さんは苦笑すらせず、無表情で淡々と説明する。
「糸魚川って合理と効率の鬼でしょ? これを1人で検品、仕分け、後片付け。そのついでに在庫確認をして、そのまま発注してたみたいなのよね。それも2時間弱で」
2人いても半日は掛かりそうだ。システムにスーパーマンを組み込むことによって起こる弊害の1つだな。稼働してる時はこれ以上ないくらい楽チンだけど、その歯車を1つ失うだけで下手をしたら機能停止まで追い込まれてしまう。
「これが受領書。こっちが発注書。発注書の方に置き場の指定を書き入れておいたけど、細かいとこまではわたしも分からないから、不明な点があったら糸魚川が戻ってくるまで棚上げするしかないかな」
受け取ったのは上条先輩だ。
「承知しました。リフィスさんの思考をどこまで追えるかは分かりませんが、及第点を取れるように励みます」
「ごめんね。人を付けてあげられなくて」
「なんのなんの。私にはファンネルが2基用意されておりますゆえ」
首を傾げる弥生さんに上条先輩は恭しく一礼すると、
「真治。良太。昼までに終わらせるつもりで、でもミスをするくらいならゆっくりでいい。こういうのは急がば回れだ。リフィスさんへの引き継ぎの際に不備がないことを第一条件としよう」
「良太? ああ、浅井くんの裏ネームか」
「……表も裏もねーよ。オレは長政じゃねーし」
早速とばかりに3人は検品作業に入った。俺と弥生さんは厨房へと向かい、
「飛白ちゃんはすごいね」
道中で弥生さんが感嘆を漏らした。
「あの人もリフィスみたいなもんですからね。正直、心強いです」
「いやいや、あれ、すっぴんだよ? 信じらんないわ」
「この状況で何を言ってんだよ、あんたは」
あんたの頭の方が信じられないわ。
「いやー、千早ちゃんも相当な可愛い子ちゃんだけどさ。最近、お姉さんは自分の美貌に自信を失ってばっかよ。テンションもモチベもだだ下がりよ」
「こんな話をされてる俺のテンションとモチベもだだ下がりだからね?」
「そこはさ。弥生さんが一番きれいですよ! っておだてるとこじゃないかな。女心が分かってないね」
「嘘を言えと?」
「……碓氷くん、そういうとこはほんと糸魚川に似てるね」
「正直者ってことですか?」
「皮肉屋ってことだよ! 今日は皮肉の特売セール禁止!」
「なら明日にしますね」
「明日も禁止! もう! ほんとに!」
弥生さんが足を止め、バシバシと背中を叩いてきた。
「助かるよ。糸魚川がいるみたいで安心する」
不安で瞳が揺れてる。
「まあ、せいぜい頑張りましょうかね。でないと戻ってきたあいつが皮肉の在庫一掃売り尽くしセールを開催しそうですし」
「そうだね。でもそのくらい元気で戻ってきて欲しいとも思うよ」
同感だ。
「さて、厨房はどうなってますかね」
ドアの前まで移動して中に入らず確認してみる。あっちからもこっちが見えるからやや間抜けな状態だが、気付かれる様子はなさそうだ。
「リフィスのプリンって弥生さんのケーキと同じくらい店の看板商品ですよね?」
「ケーキって一括りにするとそうだけど。個別で言えばウチの月間販売数の1、2、3位は糸魚川のプリンだね。4位でわたしのフルーツケーキがやっとこ出てくる」
そこは単価の問題もあるとは思うが、ふむ。リフィスが愛知を出る前に一応はここに寄って、昨日のうちに作ったらしいプリンを置いていってはあるけど。
RMなめらかプリンのバニラ、バナナ、ストロベリーで40、20、20。RM濃厚ミルクの生プリンが20。紅茶豆乳、アーモンドミルクの生プリンは各10だ。
プリンの合計120個とかやりすぎだろ。とはならないのが商売。
「1番人気のなめらかバニラが1日に40個から200個くらい売れるんだけど」
つまり、話にならない。リフィスが何日後に戻ってくるかも分からんし、今からでも増やしていかないと売り切れの札を置くことになる。とはいえ生菓子の足は早いからな。作りすぎてもまずい。遅くとも作った翌日には売り払いたいな。理想はところてん方式で売れたそばから作って並べていくことだ。
「他はともかくなめらかバニラだけは売り切れにしたくないかな」
言い分は分かるけどね。
「厳しそうかな?」
リフィスは1サイクル10個を20分で作る。湯煎の最中に別の蒸し器を使って作り出すから1時間毎なら50個だ。そのレシピを水谷さんはリフィスから預かってきたらしく、リフィマに到着して着替えたらすぐに作り始めたんだけど。
「どうでしょうね」
初回は30分も掛かった上に火入れで失敗した。水谷さんらしからぬミスとしか言いようがない。師匠から受けたバトンは俺らの想像を超える重さなのかもしれん。
「サラちゃんをヘルプに付けたらどうにかなるってことはない?」
「なるとは思いますけど。それだと今後のあの2人の関係性にひびが入りそうなんですよね。ほら、あの2人ってキモいくらい責任感と絆が強いですし」
「わかる。ならいっそのことサラちゃんがプリンを作るとか?」
「ないですね。俺もプリンは何回か作りましたけど、クオリティがいまいち一定にならないんですよ。しかも原因を突き止めて改善を図っても狙い通りのポイントまでいかないし。10個作ると2個くらいはあれ? ってやつができちゃいます。自分とか久保田に食わす分ならともかくお金を取るのは厳しいですね」
「んー、じゃあ千早ちゃんが覚醒してくれることを祈るしかないか」
「まあ案ずるより産むが易しって言いますし。どうにかなると思いますけど」
「だといいなぁ。そういえば今日ってやどりんはいないの?」
「油野一族は九州にある母方の実家に帰省中です。明日の夜に戻ってくる予定ですけど、やどりんエフェクトを使うとプリンが絶対に足りなくなるので今回はツイッターでも黙ってろって言ってあります」
「糸魚川は売り上げの方も気にしてると思うから千早ちゃんが上手いこといったら明後日にでも来てくれると嬉しいなぁ」
「……明後日って定休日では?」
まさか。
「3連休以上のお休みがあった週は定休日なっしんぐ」
常連客からしたら有難い話だとは思うけど。これ、だいぶきつくないか。ここまでを見越して頼ってきたのならリフィスは俺を過大評価してると思う。
「とにかく入ろっか」
弥生さんが厨房に入ったから仕方なく俺もそれに続いた。とりあえず水谷さんのことは弥生さんにお願いしよう。俺は俺でやることがあるしな。
イートイン勢が集まってるとこまで行ったら俺に気付いた川辺さんが小さく手を振ってくれた。可愛い。優姫のコックコート姿もいいな。
「今日の俺は生菓子と焼き菓子のヘルプにも入るかもしれんからイートインの方はヅッキーが音頭を取る方向でいい?」
和気あいあいと女子トークしてたヅッキーこと石附さんは俺の言葉を聞くなり、
「えぇ」
とても可愛くない声を出した。ねえ、これお仕事だよ? やる気だしていこうよ。
「大丈夫! づっきーならやれるよ!」
「そうかなぁ。でもみっきーがそう言うならがんばってみようかな」
「ゆうっきーもそう思うよね!」
そのあだ名は力業すぎないか。ゆっきーの方がまだマシだと思うけど。
「みっきー元気だね。あたし、ぶっちゃけ眠い」
生活のリズムが狂いまくってるみたいだしな。正直、俺も眠い。
「プリン、2回目は成功だったみたいだよ」
弥生さんが中身の入った耐熱プリンカップを2つ持ってきた。1つをヅッキーに、もう1つを俺に手渡してくる。味見しろってことかね。
「冷やしてないから火傷に注意ね」
それ、味見する意味ある? 冷やす前と後じゃ別の食べ物だと思うんだけど。
まあ美味いか不味いかくらいは分かるか。
蓋を開けた途端、甘い香りがふわっと立ち上った。やばい。一気に食欲がわいた。
近くにあった味見用のスプーンで掬い、ふーふーと息を吹くこと3回。
「あーん」
目を瞑った優姫が開いた口を向けてきた。
「はい、あーん」
土曜の朝メシの時によくやってるから反射的にやっちまった。
「おー、美味しいねこれ」
優姫は笑顔で俺からスプーンを取り上げ、プリンを掬ってふーふーする。そして、
「はい、あーん」
まじかよ。川辺さんがめっちゃこっちを見てるよ。てかヅッキーも弥生さんも見てるよ。特に弥生さんの目はくたばれって言ってるように見えるよ。
けどしょうがないよね。だってこれスルーしたら優姫が怒るもん。
「あーん」
うん、美味い。これなら冷めても美味いって分かるわ。まずいのは俺の状況だね。
幼馴染だからいつもこうなんですよーってわざわざ言うのもなんだかなぁ。けど目の前で堂々とあーん+間接キスのラリーをしといて何もなしってのもね。
理想はヅッキーに「2人って付き合ってるの?」って尋ねられて、優姫に「付き合ってないです。ただの幼馴染です」って俺の心にダメージを与えて貰うことだ。
頼むぜ、ヅッキー。今日はリーダーなんだからビシッと!
「あーん」
なんでだよ。川辺さんがこっちに向かって口を開いたよ。
「はい、あーん」
優姫は躊躇いもなくプリンを与えた。それ、俺も使ったスプーンなんだけど。
「美味しいね!」
「あー、うん。美味しいね」
1人だけ自分で食べてるヅッキーが棒読みで答えた。
ふむ。これは別の意味でまずいな。
よくよく考えてみると、普段の俺と優姫の行動って第三者にしてみたら恋人っぽく見えたりするんじゃなかろうか。
えー、いつもキッチンでどんなことをしてたっけ。
「オープン5分前だよー」
弥生さんの声がリフィスマーチに響く。
どうしよう。いつドカーンってなるか分からない爆弾を背負わされた気分だわ。
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