8/10 Wed. 月夜の晩に――後編

 戻ったら4時少し前だった。


 川辺家もさすがに消灯していて、水谷家も静まり返っていたが、


「若い男女が朝帰りとはやってくれるね。逢引きかい?」


 ダイニングのテーブルで上条先輩とリフィスが将棋を指してた。なんでやねん。


「千早に限ってそれはないですね。仮にあったとしたら明日サラが死にます」


 まじかよ。最期のお情けとかハニトラとかそんなケースってことか。


 盤上を確認したらどっちもグマってた。リフィスが居飛穴で、上条先輩が振り穴。相穴熊は居飛車有利って聞いたことがあるけど、上条先輩の四間飛車がグイグイいってるように見える。ぶっちゃけどっちが有利か分からんわ。


「失礼ですけど碓氷くんと私でそうなる可能性はないですよ?」


 そうだそうだ! 水谷さん、もっと言ってやれ!


「だって碓氷くんは巨乳好きですから」


 ねえちょっと。なに言っちゃってんの? ねえ、まじでなに言っちゃってんの?


「おいこら。そのネタを使うの早すぎんだろ。まだ5分も経ってねえぞ」


「さすがは千早だ。旬のネタを揃えてるね」


「寿司屋じゃねえんだよ。お前はアスパラベーコンの軍艦巻きでも食ってろ」


「残念だよ。私も少年のお眼鏡にかなわないようだね。もう2年待ってくれないか」


「あんたもここぞと乗っかんじゃねえよ。あと妙に具体的なのやめろや」


 てかお前ら悪魔って基本的にツッコミのはずだろ。なんで揃ってボケるんだよ。俺1人じゃツッコミが追い付かねえわ。


「ところで碓氷少年。先程のシュークリームの件だけどね。ああいう謎解きみたいなのは好きなのかい?」


 上条先輩は盤面を見下ろしながら言った。余裕が見えるし、形勢はやっぱ先輩有利なのかな。


「好きですね。頭を使う系のゲームは好物です」


「そうか。実は知人からリアル脱出ゲームの招待を受けていてね。1組5人までなんだけど、きみもどうかなと思ったんだよ」


 ふむ。ネットの脱出ゲームは実質的なクリックゲーだからつまらん場合が多々あるが、現実でやると楽しいのかね。まあ、ルールによるか。


「それって俺だけですか? この2人も戦力になると思いますけど」


「戦力か。リアル脱出ゲームはインスピレーションも大事と聞くし、左脳タイプばかりを集めても仕方ないと思うけどね」


 先輩は卓上のメモ帳を勝手に1枚破り、左手で紙を隠しながら何かを書き出した。


 それを折り畳み、次は4枚破る。他人の家の物で好き勝手しすぎじゃね?


 枚数から意図を読み取った高感度センサー娘が同じ本数のペンを用意し、先輩はそれぞれにメモ用紙を配って、


「簡単な問題を出すから10秒以内に回答を書いて欲しい」


 水谷さんが上条先輩の隣に座った。じゃあ俺もリフィスの隣に座るか。


「準備はいいかな?」


 全員が頷いた。ちょっとわくわくするね。


「一辺10センチメートルの立方体、大型のいわゆるサイコロを飛白ちゃんは作ろうと思っています。さて、一辺10センチメートルの正方形の板は何枚必要かな?」


 なんだこの問題。まあ、書くか。


 あっという間に10秒が経過した。指示はなかったが、全員が紙を伏せてる。


「ではオープン」


 先輩の掛け声で全員が紙をひっくり返した。まあこんなん全員が同じ答えだろ。


 は?


 上条先輩が『0~2』と。


 水谷さんが『0』と。


 リフィスが『問題不成立』と。


 そして俺が『定義不足』と書いてた。


 全員が違った。なんでだ。水谷さんは楽しげに、リフィスは苦々しく笑ってる。


「そしてこれが先に書いていたものだよ」


 折り畳まれてた紙を開いて見せてきた。


『千早は0、男は回答しない』


 リフィスから笑みが消えた。俺も笑えない。


「少年。きみの言う不足した定義は板の厚みのことだね?」


「そうです。仮に天井と底で例の板を2枚使ったら、間に挟む側面の板は厚みの2倍だけ小さくする必要があるので」


 これが上条先輩の『0~2』の2の部分だ。


「リフィスさんは厚みに加えて、製作方法を加味したのかな?」


「はい。厚みがないとビス留めができませんし。そもそも板が鉄板の可能性もあります。その辺の仕様を決定しないで製作の準備に入るのはいかがなものかと」


 そこは考えてなかったな。


「千早の回答は私の一部と重なる。何枚必要か。ここに注目したんだね?」


「そうですね。板の厚みを1センチと仮定した場合、縦10センチ横9センチの板を4枚。縦横8センチの板を2枚用意して上手く組み立てれば条件を満たしたサイコロになります。最大数を使えと言われたのなら飛白先輩と同じ2枚を選びますが、そうじゃないなら最小数の0になりますね」


 つまりは水谷さんも実質的に上条先輩と同じ回答って訳だ。


「私の回答は千早と大差ない。回答を放棄したという意味で言えば少年とリフィスさんも同じだ。要するに、4人いても2つの回答しか生まれなかったわけだね」


「発想や着眼点は違いましたが、回答に限って言えばそうですね」


 リフィスの賛同意見に俺と水谷さんも頷いた。


「ではこれを右脳タイプの宿理や美月、優姫あたりで試したらどうなるかな?」


 見当も付かないな。リフィスと水谷さんも思案顔で腕組みをしてる。


「私が思うに優姫はきっとこう答える」


 ちなみに俺の脳内にいる優姫さんは「え、わかんない」と答える。


「6枚でしょ? どやぁ」


「……言いそうだわ」


 想像以上に言いそうだわ。分かんないってより言いそうだわ。


「なんせ問題文に厚みへの言及がないからね。きみらは言及がないことを不備と捉えたけど、彼女はきっと考慮しなくていい要素と捉えるんだ。物理的に作成可能かどうかなんて興味がないんだよ」


「てか厚みについて気付かなさそうです」


「それもある。しかしきみらと違う回答を出したのも事実だ」


 確かにね。論理的思考は合理と効率を求めるから必然的にゴールが似通う。


「美月の場合は、そうだね。完成品が通販で売ってないかな? だね」


 まじかよ。作ることを放棄しちゃってるよ。


「……言いそうなのだけれども」


 水谷さんが額に手を当ててる。想像できちゃったか。俺もだよ。


「作る=欲しいと解釈して論点をずらしてくる。これはきみらだと100年使っても出せない回答だね」


 否定できないどころか真っ向から肯定してしまうわ。

 

「そして宿理は、1枚の大きな板を買ってノコでいい感じに切っちゃえば? だ」


「……言いそう」


 今度は3人とも同意した。めっちゃ良い笑顔で言ってくれそうだもん。本人からすれば「名案っしょ?」ってアドバイスをしてる気分なんだろね。


「正答に近いかはともかくとしてだ。我々4人に1人を加えるよりも今の3人に我々のうち男女1名ずつが加わる方が回答の幅が広がる。そういうことだよ」


 なるほどね。千慮一得もバカにできんって訳だ。


「ところで男性諸君。今の回答に何か釈明はないのかな?」


 俺とリフィスは顔を見合わせた。釈明?


「我々女性と違い、きみら男性は答えを出さなかった。問題を前にして『こんなん論理的でも合理的でもないし答える気になんねーわ』ってそっぽを向いたんだ」


「そんなつもりはありませんでしたが」


 おいおい。リフィっさん。それは禁句でっせ。あんたはん、いじめられまっせ。


「そうだろうとも」


 おい。こいつは許すのかよ。ただしイケメンに限るってやつかよ。


「しかし奇妙だね」


 上条先輩は腕組みをして男性陣を睥睨してくる。


「女は素直に答えを出した。男はそんなつもりはなかったと答えを渋った。まるできみらの恋愛事情さながらじゃないか」


 この悪魔め。なんて変則的な責めをかましてくるんだ。今後はうかうかと遊びごとにも乗ってやれないな。


「千早。この2人の考え方をどう思う?」


「そうですね。人でなしかと」


 手加減なしとは恐れ入るね! 師匠、黙ってないでなんとか言ってくださいよ!


「この2人は女心をなんだと思っているのかしら。今日も9回そう思いました」


 ちょっと師匠! 止めてくださいよ!


「おや? 思ったより少ないですね」


 リフィスさんたら開き直りましたね。水谷さんの眉根がぴくっとしたんですけど。


「せっかくのお誕生日でしたので」


 こえぇ。背筋が凍るような美しい笑顔を見せてくれたよ。


「まあまあ。千早、そんなことを言ってやるな。彼らは彼らなりに男のプライドとかいう不燃ごみを抱えて生きているんだよ」


 あんたこそそんなことを言ってくれるなよ。まじでへこむよ?


「しかし見苦しいのも事実。看過するのも恋する少女の気持ちを考えると心苦しい。これで我々も女子の端くれなのでね。彼女らの気持ちは痛いほど分かるんだ」

 

「ええ、分かります。できることなら代わってあげたいくらいです」


 嘘をつくんじゃねえよ。人の心を持ってねえくせによぉ。


「実はね。そんな彼らに罰を与えつつ、彼女らのフラストレーションを解消し得る、とっておきのアイテムがあるんだ」


 もう嫌な予感しかしない。


「えっ? そんなものがあるんですか?」


 これって実は脚本があったのかな。即興にしてはできすぎてる。


「てってれー。めーれーけーん」


 またそれかよ。


「我々4人が各チームのリーダーとなり、4人の仲間を連れてリアル脱出ゲームに挑もうじゃないか。そして各チームは下位のリーダーから命令券を5枚ずつ受け取ることにしよう。1位なら計15枚、2位なら計10枚が手に入るということだね」


「え。今回は上条先輩と水谷さんも命令券を発行するってことですか?」


 これは意外だ。上条先輩がリスクを取ってくるだなんて。


「負ければね?」


 水谷さんが微笑んだ。てめえなんかに負けるかボケって顔に書いてあるね。


「受けるかどうかの前に確認したいことがあるのですが」


 リフィスがいつものアルカイックスマイルを顔面に張り付けた。


「その券を使うことで、あなた方に我々の恋愛事情に踏み込むなと命じることは可能でしょうか?」


 理外の発想だった。それが可能なら俺も少しは乗り気になれるが。


「前回の命令券は使い捨てで。永続的な効果はなしって話だったよな?」


 水谷さんが口元を手で隠した。上条先輩はテーブルを指先でトントンと叩いて、


「そうだね。これは迷うな。それをアリにすると大問題があるんだ。私と付き合って欲しいと少年が言ってきたら断ることもできず、別れることもできない!」


「はいはい、とらたぬとらたぬ」


「私はそれが通るのなら受けても構いませんが」


 リフィスがレイズしてきた。


「命令の永続化をその一点にのみ適用する分なら私は構わないわね」


 水谷さんがコールした。


 後は俺か。もう賭けは一生やらんって決めたんだけどなぁ。


「少年、迷うのかい?」


「そりゃあね」


「では私がその迷いを断ち切ってあげよう」


 なんだろ。って思ったら財布からチケットが出てきたよ。あんたのチケットは優姫にあげたはずだよね。


『サラ用命令券――ながまさ』


 浅井の野郎。姉川の戦いを起こされてえのか。


「少年。賭けに乗りなさい」


「……これ。卑怯じゃね?」


「私は正しい使い道だと思うわよ?」


 そう言って水谷さんも財布からチケットを出してきた。


『リフィス用命令券――みつき』


「じゃあパーティーメンバーを選択しましょうか」


 男性陣に拒否権がなくなったのでドラフト会議が始まった。今回は俺らが仲間を指名できるらしい。指名した相手が他のチームが良いって言ったらどうすんだろね。


「もう人が起きてきてもおかしくない時間だ。サクサク決めていこう」


 上条先輩が勝敗の決してない将棋盤を片付けながら言った。


「碓氷少年から時計回りで1人ずつ指名していこうか」


 となると俺→水谷さん→上条先輩→リフィスの順になる。


「私はそれで構いません」


 リフィスが同意し、水谷さんも頷いたからすぐに決まった。


 悪魔がハンデをくれたのかな? ってちょっと嬉しく思ったのも束の間だった。


 これ。試されてるんじゃね? 


 さっきも変則的な責め方をされたし。優姫。川辺さん。紀紗ちゃん。この中の誰を1番に選ぶのかを探られてるんじゃねーか?


 考えすぎかな? 考えすぎだよね。よし、じゃあ。


「内炭朱里」


 チキった。安牌を取っちゃった!


「へぇ」


 3匹の悪魔が意味深な視線を送ってくる。なんだよ。文句あっかよ。


 内炭さんは俺に出せない答えを何回か出したことがあるし、俺ほど左脳に振り切れてないと思うんだよな。充分にアリだろ。


「赤居弥生」


 水谷さんが弥生さんを引っ張っていった。これはきっと弥生さんにまたリフィスの命令券を与えるため。それと、リフィスの初手を決めやすくするためだ。


「では浅井良太」


 上条先輩の狙いはあのバカの特殊な思考かね。


「油野宿理で」


 リフィスの初手は必然的にそうなるよな。ふむ。なら俺は、


「相山優姫」


「いいの?」


 俺の指名に水谷さんがケチを付けてきた。


「私に取られるわよ? 美月を」


「どうぞご勝手に。相山優姫で」


「あっそう。油野圭介」


 あぁ? 取らねえのかよ。


「堂本真治」


「久保田玲也で」


 一気に男子が減ったな。けど蒼紫って言う訳にもいかない。


「川辺美月」


「あら? ごめんなさいね。巨乳好きなら弥生さんも欲しかったんじゃない?」


 水谷さんってばさっきからやけに突っかかってくるね。


「俺が一番に選んだのは鉄壁の内炭さんですが?」


「どうせカモフラでしょ。高橋華凛」


「寺村明美あけみ


 カップルで拾い上げるのか。そこは上条先輩らしいな。


「天野絵麗奈」


 宿理先輩とのシナジーでも狙ってんのかね。


「油野紀紗」


「ハーレム完成おめでとう。長谷部日菜子ひなこ


 シカトシカト。


「愛宕愛美」


「大岡静香。これで終わりですね」


 上条先輩が頷いて再びメモ用紙を4枚破ってそれぞれに書き記す。


 碓氷チーム。内炭朱里。相山優姫。川辺美月。油野紀紗。


 水谷チーム。赤居弥生。油野圭介。高橋華凛。長谷部日菜子。


 上条チーム。浅井良太。堂本真治。寺村明美。愛宕愛美。


 リフィスチーム。油野宿理。久保田玲也。天野絵麗奈。大岡静香。


 思いのほかコミュニケーション的には悪くないような気もする。


「確かリフィスマーチの定休日は月木だったね。それでは22日の月曜で予約を取ってみよう。不参加が判明した場合は当然ながら代役を認めるけど、先方に連絡しないといけないからなるはやで頼むよ」


 上条先輩のその言葉を契機に俺らは解散した。


 さて、どうなることやら。


 あくびを噛み殺し、今日のところは寝床に戻ることにした。


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