7/23 Sat. 名は体を表す――中編

 無事に序盤を乗り切った俺らは川辺さんの言った通りにガンガンいった。


 問題と言える問題は1つくらい。やどりん、いつ休憩に入るの? ってやつだ。さすがにメシなしでずっと立ちっぱの接客をしろとは言えない。けどお客さんの大半がやどりん目的なのに引っ込めちゃうのは気が引ける。


「サラ。あれ作ってよ、あれ。あたしのお昼はあれでいいや」


 まかセロリ! って言ってあげたいけど、さすがにあれじゃ分かんねえわ。


「あれってなんぞ?」


「あれよ。5月くらいに作ってくれたパンの耳のやつ」


「あぁ。あれね」


 もうじき14時。イートインは今もまだ活発な状態だが、大して手間の掛かるものじゃないから特に問題ない。ホールに戻ってく宿理先輩の背中を眺めながらレシピを脳から引っ張り出す。パンの耳。卵。三温糖。牛乳。バター。ダイスチーズだな。


「ラスクですか?」


 プリン製造機が興味深げに問うてきた。


「なんて名前なんだろな。ウィロビーさんに教えて貰ったんだけど」


 コンロの前に戻ったら川辺さんが袋詰めされたパンの耳を持ってにこにこしてた。


「手伝ってくれる?」


「えっ。美月でも手伝えるの?」


「それをキッチンバサミで1センチくらいにチョキチョキしてって」


「それくらいならできそう! やってみる!」


 川辺さんの準備ができるまでに卵をボウルに割り入れて三温糖も追加投入。超かき混ぜる。そしたら牛乳をぶち込んで超かき混ぜる。泡立ってきたら川辺さんから刻まれたパンの耳を貰ってボウルに落とし、卵液が染み込むようによく混ぜる。


「フレンチトーストの手順に似てますね」


 リフィスが手を止めて見に来た。心なしか他の連中からの視線も感じる。


「ウィロビーさんはフレンチトーストを作る時に余る耳でこれをやってるらしいぞ」


「まとめて作るなら効率的かもしれませんね」


「かもな。俺はフレンチトーストならバニラエッセンスを入れたいからやらんけど」


 川辺さんが朝顔の鉢を見守る小学生みたいなわくわく顔をしてるが、しばらくこのままなんだよね。放置して卵液が吸収されるのを待つから。


 しばらく他の料理を作り、8分くらい経ったとこで卵液の消失を確認した。手が空いたタイミングでフライパンを熱してバターをしき、ボウルの中身をぶちまける。ついでにダイスチーズもぶちまけて、ヘラで上手いこと形を整えていき、蓋をして弱火にしたらまた放置だ。違う料理の準備に取り掛かる。


「いい匂いがしてきた」


 川辺さん、さっきから仕事してないよね。店長も副店長も苦言を呈さないから俺も何も言わないけどさ。


 5分くらいしたら別に用意しといたフライパンでバターを熱して、そこに片面を焼いたパンの耳の塊をお好み焼きみたくひっくり返して移し、またまた蓋をして待つ。


 もうこれで作業は終わりだ。後は良い感じになったら取り出すだけ。


「お皿を用意しますね」


「宿理先輩の分なんだけど」


 リフィスに牽制してみたが、


「お皿を用意するね!」


 あかん。守りたい。この笑顔。


「半分を宿理先輩に渡してもう1個作るか」


「あっ! 美月も作ってみたい!」


 皿を持って寄ってくる。いや、やっぱ近くないか。腰に手を回せる距離だよこれ。


「焼くとこは少し危ないから俺がやるね。他はお願いしていい?」


「まかセロリ!」


「その前に味見だけどね」


 ってリフィスが勝手に包丁を入れてるし。フォークで刺して口に入れて、


「ほう。パンの耳とは思えませんね」


「宿理先輩の分なんだけど」


 こいつ、二口目にいこうとしやがった。腹が減ってるのはみんな同じなんだよ。


 リフィスから包丁を取り上げ、半分を別の皿に移す。その後に一口サイズにした名称不明のソレをフォークで刺したら、


「あーん」


 川辺さんが目を閉じながら口を大きく開けた。思わず内炭さんの顔色を窺っちゃったね。くいくいと顎のジェスチャーで訴えてきてる。やったれやったれ、ってか。


「はい、あーん」


 こんなの優姫と何百回もやってるのにめっちゃどきどきするね。


「美味しい! 甘いのにしょっぱくて不思議!」


「チーズの塩気がいいですよね。具のないキッシュというかツヴィーベルクーヘンというか。いえ、それにしては随分と柔らかいですし」


 ツヴィーってなんぞ。後でググってみようか。


「糸魚川。わたしにも一口」


 元恋人のせいか、僅かの逡巡すらなくリフィスはさっき使った自分のフォークで謎料理を刺し、そのまま弥生さんの口まで運んだ。相手は相手で気にしてない模様。


「これ、美味しいわね。具のないスパニッシュオムレツみたいな感じ?」


「トルティージャとは違うよ。あれはお好み焼きの概念が強いし」


「そんなのキッシュもツヴィーベルも似たようなもんでしょ」


 論争が始まってしまったな。今度ウィロビーさんに名称を確認しとこう。


「川辺さん、宿理先輩に持ってくから次の準備しといてくれる?」


「分かった!」


「牛乳を入れるのは卵と砂糖をきっちり混ぜてからね。そんでパンの耳を入れるのは卵液が泡立ってきてから。不安だったら手を止めて待ってて」


 残りの半分はもう内炭さんや石附さんも交えて取り合いになってる。久保田が物欲しそうな目を向けてるが、女子の群れに入っていくのは気が引けるようで、ふと目があったら「ええんやで」って顔で頷いてくれた。


 待ってろ、親友! すぐ用意するからな!


 急いで包丁を入れ、フォークを添えてカウンターの裏からホールに出る。


 やっべ。一斉に視線を浴びて心臓が止まりそうになった。そりゃそうだわな。よく考えればリフィマのホールって女性しかおらんわ。そもそも男の俺がやどりんに給仕するって光景は不特定多数の嫉妬を買うんじゃないか? 謎料理にみんなが夢中になってたから消去法で俺って論理だったけど、これは確実に失敗だったわ。


 引き返そう。そして長谷部さんあたりにお願いしよう。


「おっ! サラ! こっちこっち!」


 ふっざけ! バッ! アホなの!?


 焦りすぎて語彙力が著しく低下した。味方に退路を断たれたんだけど。なんこれ。


 ここで厨房に行ったら俺は『やどりんをシカトした男』になる。どっちの方がマシなんだ? 嫉妬を買う方がいいか? やばい。考えがまとまらない。リフィス行進曲の音がめっちゃでかく聞こえる。弥生さん、これ良い曲だね。


 いや、もう本能に従おう。美少女が笑顔で手招きしながら俺を待ってるんだ。行かない理由がないだろ。


「あれ? なんかちっさくない?」


 大勢の目がある中でクレームを入れないでいただきたい。


「リフィス達が食べたいっていうから半分あげました。もう1枚焼くから後でまた半分持ってきます。ドリンクはどうします?」


「ガムシロミルクで!」


「おっけー。じゃあ戻ります」


「2枚目はマーガリンを乗っけといて! あとイチゴジャム!」


「はい。じゃあ」


 また後でって言おうとして固まってしまった。 


 まじかよ。目が合っちゃったよ。店の外にいる夢を見る系女子と。


 そうだったわ。次に来るのは23日って伝えちゃってたわ。


 もう! もうっ! こっちに来ないでよ! このニャルラトホテプがよぉ!


 まずいまずい。早く厨房に戻って内炭キャノンの準備をしないと精神を汚染されてしまうよ。SAN値がピンチになって正気を保てなくなるよ。


「あの。ちょっといいですか?」


 なのにすぐそこの女性が話し掛けてきた。うるせえ黙れって言いたいとこだけど、俺は店員なんだよな。店の外からの視線を気にしつつも笑みを作って、


「どういたしました?」


「写真を撮ってもいいですか?」


 こいつもか! こいつもなのか! 見た目はただの女子大生なのに!


「入口にも書いてありますが、本日は店内での撮影禁止です」


「あれってやどりんのことだけじゃないんですか?」


「はい、ストップ。すとーっぷ!」


 宿理先輩が間に入ってくれた。本来は逆じゃないとダメなのに申し訳ない。


「この子はシャイだからそういうのダメなんよ」


 そうそう。さすがは幼馴染。珍しく頼りになるぅ。


「それに早くミルクを持ってきて貰わないとだし」


 ですよね。実利あっての救援ですよね。いってきます。


 厨房に戻った途端にでっかい溜息を吐いた。いや、色々と無理。


「長谷部さん、宿理先輩にガムシロを入れたミルクを届けて貰えませんか?」


「分かりました。ところで今日の賄いは……?」


「当然、お望みのものをご用意いたします」


「ありがとうございます」


 こちらこそって感じで俺も一礼して内炭さんの元に行く。皿はもう空だった。


「高木さんが来てんだけど」


「え。追い返す?」


 頼もしいよぉ。蒼紫、お姉ちゃんが頼もしいよぉ。


「さすがにそれはね。お客様だし」


「ならせめて高木さんがハンバーグを注文してきた際は私に任せてちょうだい。私の手料理で我に返させてあげるわ! きっと私のように正しい道を歩ませてみせる!」


 ざけんな。お前の道も腐ってんだろ。


「そのタイミングで休憩に入ってくれていいからね!」


「助かる」


 そしてとぼとぼと女神のお膝下に戻っていく。牛乳を入れて混ぜてるとこだった。


「どう?」


「楽しい!」


 あぁ、うん。楽しそうだね。けど聞いたのは川辺さんの状態じゃないんだ。ボウルの中身の状態なんだ。その笑顔は癒されるけどね。まじ癒されるけどね。


 てか量が多くね。卵の殻がさっきの倍あるんだけど。よく見たらパンの耳も倍あるわ。焼くのを2回に分ければいけるけどさ。たぶんこれ味のばらつきが酷いぞ。


 やがて卵液が泡立ち、川辺さんがパンの耳を投入してまぜまぜしてる間にオーダーの消化を続け、


「碓氷くん碓氷くん」


 川辺さんがコックコートを引っ張ってきた。可愛い。けどちょっと待って。包丁を持ってる時に服を引っ張られるとまじで危ないよ。


 仕方ないから包丁をまな板に置く。両手を洗って、


「卵液の吸収が終わった?」


「うんうん!」


「じゃあ焼こうか」


「焼きたい!」


 えー。危ないって言ってんのに。


「家でも作ってみたいから。だめ?」


 可愛い。ダメって言いにくい。けどここは論理で対応しないとダメだよな。


「こうでしょ? こう!」


 右手でフライパンを持ってゆさゆさ揺すってる。


「川辺さんって右利きだよね。ならフライパンは左手で持たないとチーズを掴む時とかへらを使う時に右手を使えないよ。まあ、この料理はそもそもフライパンは置きっぱでいいし、フライパンを揺することもないからどっちでもいいけど」


「そうなんだ。じゃあ、こう?」


 川辺さんが左手に持ち替え、なぜかまたゆさゆさやって、


「あっ」


 フライパンの底がコンロから外れた。手前側に。そのガタンって衝撃にびっくりしたらしく、川辺さんはフライパンの柄を放してしまった。


 考えるより先に手が動いた。川辺さんの腹部に手を回して思いっきり抱き寄せる。その一秒後にさっきまで川辺さんの足があった場所にフライパンが落ちた。


 大きな音がしたせいでリフィスが飛んできた。


「大丈夫ですか?」


「ギリセーフだった。悪い。やっぱ止めるべきだった」


「そうですか」


 リフィスの視線が下がった。


「それで。いつまでそうしてるつもりですか?」


「あぁ。ごめん」


 背後から抱きしめるような形になっちゃったな。仕方ないとはいえ胸に腕が触れてた気もするし。一応は謝っておいた。


「……」


 手を放したが、川辺さんが俯いてる。気のせいじゃないくらい耳が赤いな。


「俺が焼くね?」


 川辺さんは頷いて一歩下がった。泣いてる訳じゃなさそうだが。


 とりあえずフライパンを洗ってしまおう。まだ熱してなかったからシンクに置いてお湯を出し、中性洗剤を垂らしてスポンジで軽く擦る。


「……怒らないの?」


「今のが包丁だったら平手打ちくらいはしてたかもしれんけどね。ケガをしなかったのは喜ばしいことであって怒ることじゃない」


「でも。美月が勝手なことをしたから」


「これは持論だけど、やりたいって思った時はやらせるべきだと思うんだよね。人って基本的には熱しやすく冷めやすいからさ。せっかく熱くなったのにもったいないって思っちゃうんだ。成長のチャンスを奪うみたいなもんだし」


 おっけ。フライパンの洗浄を終えた。まあ縁起が悪いから別のを使うんだけど。


 ふと川辺さんの方に顔を向けたらこっちを見てた。顔が真っ赤だ。


「恥ずかしかった?」


「恥ずかしかった。今も恥ずかしい」


 川辺さんの目が泳ぎ、行きつく先はシンクにあるフライパンだった。


「でも嫌じゃなかった」


「そっか」


 俺は別のフライパンをコンロに置いて、


「川辺さん、これ両手で持って」


「え?」


「はよ」


「う、うん」


 川辺さんがフライパンの柄をぎゅっと握る。


「覚えたいならフォローするよ。川辺さんはどうしたい?」


 川辺さんの口元が綻んだ。


「覚えたい」


「じゃあ少し恥ずかしいかもしれんけど」


 川辺さんの両手に右手を重ねる。彼女の口元が引き締まった。


「こうしてる時は手を放したらダメ。俺が手を挙げたら川辺さんもフライパンを放して。その時はゆっくりね。さっきと同じことになるかもしれないから」


「わ、分かった」


 俺が右手を挙げる。川辺さんはゆっくりとフライパンの柄を放した。OK。


 作業は簡単だが『できる者の傲慢』は捨て去ろう。川辺さんをサルだと思って懇切丁寧に確実なルートを辿っていく。


 まあしかし、どんなに取り繕っても簡単なものは簡単だ。


 熱したフライパンにバターをしき、パンの耳とダイスチーズを投入。蓋をして少々待ち。別のフライパンでバターを熱して、


「ゆっくりね」


「うん!」


 フライパンをひっくり返すのはさすがに危ないから川辺さんの背後から手を出し、川辺さんの両手ごと俺の両手で掴む。またまた抱きしめるような格好になっちゃってるが、お互いが真剣だから恥ずかしいとかは思わない。


 慎重に、慎重に。


 川辺さんの声が聞こえるようだった。


「やった!」


 上出来だ。俺は初めての時に円盤が折れちゃったからな。


「お見事」


 俺は安堵の息をついて目の前の頭を撫でてやった。あっ。


「ごめん」


 慌てて川辺さんから離れた。優姫とハグする時は頭を撫でるのとセットだから無意識でやっちまった。帽子を被ってるから髪には触れてないけど。


「大丈夫」


 振り返って笑った川辺さんの顔はやはり赤かったが、


「後は蓋をして終わりだよね?」


「そうだね。お皿の準備をしようか」


「うん!」


 完成したら川辺さんが皿に移し、俺が包丁を入れた。今回は自分の手で食べるらしく、フォークで刺したあつあつの謎料理にふーふー息を吹きかけて、


「美味しい!」


 嬉しそうに次の塊にフォークを刺し、ふーふーとまた息を吹きかけて、


「あーん」


 こっちに差し出してきた。真っ赤な顔でよくやるよ。まあ、食うけど。あーん。


「どう? どう!?」


「美味い」


「やった!」


「どれどれ」


 ハイエナがやってきた。リフィスと弥生さんだ。それぞれ一口ずつ食べて、


「サラのより美味しいですね」


「本当に美味しいわね。お世辞の必要がなくてびっくり」


 それはさっきより腹が減ってるのと、さっきより温かい状態だからだよ。分かって言ってんだろ。この褒め上手どもめ。


「美月ちゃん美月ちゃん、私も食べたい」


「いいよー! クボ1もおいでー!」


 わいわいやってるとこ申し訳ないが、それって宿理先輩のお昼の一部なんだよな。


 まあいいか。頼まれたのは俺だし、種はもう1個分あるし。


 それにしても。柔らかかった。優姫とは違った何かを感じた。Fの気配かね。


 俺は苦笑しながらフライパンを持ち、そこに彼女の温もりを感じてさらに苦笑してしまった。

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