7/21 Thu. これからのこと――後編

 少し経ったら蒼紫は出かけた。友達の家で遊んでたら忘れ物に気付いて帰宅したところ、碓氷とかいうやつが人様の家の庭でなんかしてたから声を掛けたらしい。名残惜しそうにしてたからLINEの交換だけして送り出してやった。


 という訳で内炭ルームに突入だ。


 一言で表現すると殺風景。これが女子の部屋かよってくらい色彩がない。ピンクとか黄色とか水色とか。そういうのが皆無だ。


 カーテンもグレーだし、ベッドの掛け布団もグレーだし、カーペットもグレー。灰色の人生を表現してるみたいで良くないよ。苗字に炭の字があるから灰って字にシンパシーでも感じてんのかねぇ。


「どうかしら?」


 どうよ、この満面の笑み。どの辺が誇れるって言うんだ。


「俺、第1と第3の土曜に優姫とママゴトをやってんだけどさ」


「……その年で?」


「小6の頃からずっとね。俺を油野に見立てて新婚ごっこしてんの」


 引くよね。こんなん狂気の沙汰だし。


「え? どんな感じ? くわしく!」


 おいおい。乗ってきちゃったよ。


「俺のことを圭介って呼ぶ。それで夫婦の共同作業として朝メシを一緒に作るんだ」


「……恥ずかしいわね」


 まんざらでもない模様。いいんだぜ。俺(油野)の嫁2号になっても。


「その圭介歴4年の俺が思うに、この部屋はときめかない。むしろテンションが下がる。仮に内炭さんを押し倒すつもりで来たとしても考え直すレベル」


「……そんなに?」


「そんなに。清潔感はあるよ。普通に綺麗だし。整理整頓もできてるし。そこの本棚にある薄い本は表紙を見えない形にした方がいいとは思うけど」


 どうしてこうなってんだろね。ミニマリストってほどじゃないけど物がないんだよな。ベッド。勉強机。クローゼット。背の低いタンス。本棚。置いてあるのはこんなもんで、勉強机の上にノートパソコンがある以外は特筆すべきものがない。


 蒼紫の部屋って言われて入っても違和感がないんだよな。実際に女子の部屋に入った感がない。例えば、


「ぬいぐるみとかって興味ないの?」


 首を傾げられた。それ、人生に必要あります? って顔だ。合理的だね。


「とにかく俺(油野)の判定はNG。俺の頭の中にいる川辺さんも苦笑いしてる」


「えぇ。何がダメなのかまったく分からないんだけど」


「ほぼほぼダメだよ。分からないって考えが分からないよ」


 どうしたものか。百聞は一見に如かずでいくか。ちょっとLINEをいくつか送信してみる。


「とにかく座ってちょうだい」


 グレーのカーペットの上にグレーの座布団を置かれた。もはや灰色を崇める宗教の関係者としか思えない。


 座布団の上で胡坐を掻いたらLINEの返信が来た。一等賞は愛宕部長。


「ほら」


『迷える子羊を救済するために問題のない範囲で自室の写真をください』


 このメッセージに対して返信されてきたものがこちら。


「ピンク! すごいピンク!」


 ベッドもカーテンもラグもピンクだ。これはこれで目が痛くならないのかと不安になるが、腰高窓にぬいぐるみを座らせてるのとかはとても女子っぽい。さすがは我が部きっての女子力を誇るお方。


「これが女子の部屋ってやつだよ」


「……私の部屋もワンチャン女子の部屋にならないかしら。ほら、私って女子だし」


「(仮)とか(自称)とか※個人の感想ですとかが必要になると思う」


「そんなぁ」


 内炭さんが天を仰いだタイミングで次が来た。二等賞は優姫。


「水色! 爽やか!」


 三等は大岡さん。


「オレンジ! 温かみを感じる!」


 四等は天野さん。


「ワインレッドとブラックでエレガントに感じるわね!」


 これはこれで男目線だと引くけどな。ナルシスト臭がするもん。


「色もそうだけど少女色の強い小物とかぬいぐるみとかを置くといいかもな。一目で女子って分かるアイテムがあれば嫌でも意識するだろ?」


「……ブラとか?」


「バカなの?」


 てかあんたそれ持ってんの? 見栄を張ってCくらいのを置いたりしそうだけど。


「とにかくだね。この部屋の写真を撮って今の人達に返信したらどんな反応をされると思うよ?」


「どんなって。グレーが好きなの? とか?」


「碓氷くんの部屋ってこんな感じなんだね、だよ」


「……そんな。私の部屋は男子の部屋みたいってこと?」


「なんなら俺の部屋の方が女子力あるわ」


 項垂れる内炭さんを余所にお礼のメッセージを送っといた。愛宕部長には内炭さんに女子部屋のなんたるかを教えてあげてくださいともお願いしておく。


「とりあえず赤点ってことで。追試の日程は決まり次第お知らせします」


「……人生初の赤点だわ」


 打ちひしがれるのはいいけど。今日は俺の話を聞く日って分かってんだよね。


「とりあえず上条先輩と検証した内容を説明するけど」


 かくかくしかじかって感じでなんやかんや話してみた。結果、


「んー、実は言うかどうか迷ってたことがあるんだけど」


 言いながらも内炭さんはスマホを手にしてまだ迷ってる。


「少しでも言うべきじゃないと思うなら言わん方がいいんじゃね?」


「それが言うべきだとも思うのよね。勝手だけど、碓氷くんが知るべきじゃなかったって思ったらなかったことにするってことはできる?」


「内容にもよるとしか」


「そうよね。……よし、碓氷くんの悪魔パワーを信じて見せてみるわ」


 内炭さんがスマホの画面を見せてきた。川辺さんとのLINEの内容だ。


『碓氷くんって好きな人がいるのかな?』


 なるほど。いや、なるほどってしか言えないわ。うん、なるほど。


『どうかな』


 この4文字を返信するのに内炭さんが10分以上も使ってるからかなり気を遣わせてしまったみたいだし。申し訳ないね。


「これってただの疑問だと思う?」


「どうだろ。てか疑問ってのは発生にも理由があるからなぁ」


「ストレートに読むと、碓氷くんのことが好きだから気になってるって感じよね」


「一緒に過ごす時間が多くなってきたから、好きな人に勘違いさせちゃったら迷惑が掛かるかもって思ってるのかもしれんけどね」


「なるほど。美月ちゃんの性格だと普通にどっちもあり得るわね」


 ふむ。考えてもしょうがないことだが、悩ましい問題ではあるね。


「ところで碓氷くん」


「なんぞや」


「好きな人っているの?」


「いるよ」


「わっ。ノーコメントって言われると思ってたからびっくりした」


「油野やリフィスはもちろん、久保田すら知らないんだけど」


「え。そんなことを私に言っちゃっていいの?」


「相談に乗って貰ってるし。内炭さんの好きな人も教えて貰ってるしなぁ」


 天井を見上げ、ふっと息を吐いた。


「俺、優姫のことが好きなんだよ」


 あれ? ノーリアクションですか。視線を下げてみたら、あれ? お顔をしかめていらっしゃいますよ。


「本気?」


 正気? って聞こえた。そんな意味合いが込められてたんだと思う。


「幼稚園の時からだもんでもう10年以上の片思いだな」


「んー? でも碓氷くんって相山さんの恋を応援してるわよね」


「してるね」


「好きなのに?」


「好きだからだよ」


「好きな人が幸せならそれでいいって思えるってこと?」


「どうかな。どっちかって言うと好きな人が不幸になるのが嫌なんだよな。たぶん」


 小5の時の泣き顔は今でも夢に見るし。


「俺も何度か考えたことがあるんだよ。この恋を論理で紐解こうって感じで。いつも途中でやめちゃうけどね」


「どういうこと?」


「今から言うのは独り言な。本来なら胸の奥にしまっとくやつだから」


 承諾を得る前に話してしまうことにした。


「相山家と碓氷家は隣同士だ。だから家族ぐるみの付き合いがあって、幼稚園の時から俺の遊び相手は基本的にお隣さんの娘だった。その娘さんはママゴトが好きで、いつも俺に旦那役を押し付けてきた。何十回も、何百回もな。その結果、俺の脳がたぶん勘違いを起こした。こいつは俺の奥さんだって思っちゃってんだ」


 溜息が出る。これは事実かもしれないし、俺がそう思いたいだけかもしれない。


「小学校低学年まではいつも手を繋いで学校に行って、帰りも一緒だった。あいつは感情が高ぶるとすぐに抱き付いてきて、俺が頭を撫でてやると落ち着くんだよな。こいつは俺がいないとダメだなって思ってたし、小3くらいまで将来はカドくんのお嫁さんになるねって言ってたし、俺もその未来を疑ったりはしなかった」


 なのに。


「小5になったら優姫の俺を見る目が変わった。急にベタベタすることもなくなってな。優姫を怒らせちゃったんじゃないかって割と焦ってた。そしたらある日に言われたんだよ。カドくんって油野クンと仲いいよね? って」


 内炭さんの顔が歪んだ。


「あれ? こいつって俺のことが好きだったんじゃなかったっけ? あれ? 将来は俺のお嫁さんになるんじゃなかったっけ? あれ? って超混乱したわ」


 今でこそ苦笑いできる。当時は頭がおかしくなりそうだった。


「お陰で一時期は油野と上手く話せなくなってね。それを久保田が察してさ。油野とケンカしてるの? どっちが悪いとかは聞かないけど。ぼくは碓氷の味方だよって。仲直りしたいならいつでも協力するから言って欲しいって。あん時は参ったわ。涙が止まらんくてさ。けど久保田に言っても困らせちゃうって分かったからな」


 感受性が豊かだな。感情移入しすぎだろ。胸ポケからハンカチを取り、差し出す。内炭さんは受け取って顔を隠した。


「それからそう遠くない日に優姫が油野に告白した。まだ女子に大して興味がなかった油野はノータイムで断ったらしい。大粒の涙をぼろぼろ零しながら優姫が俺に抱き付いてきたよ。でもな。昔みたいに頭を撫でてやっても落ち着かなかった。泣いて、泣いて、泣きまくって。俺の服を涙と鼻水でべちゃべちゃにしながら、ずっと油野くんが、油野くんがって言ってんだよ。俺は頭を撫でてやることしかできなくて。けどもうそんなの意味がなくて。俺はもう必要ないって言われてるみたいで。だけど俺を頼ってきた訳だろ。俺にはあいつを突き放すことなんてできなかった」


 誰かに話せば楽になるかとも思ったが、何も変わらんな。


「そっからさらに油野との距離ができちゃって。久保田が世話を焼いて同じネトゲをやったりもしたけどな。そのネトゲで知り合ったリフィスに宿理先輩がふられて。その時に油野が怒ってんのを見ちゃってさ。宿理を泣かすなんて許せないみたいなツラをしてやがってさ。お前は優姫を泣かしたくせに何をほざいてんだってぶん殴りそうになったよ」


 なっただけだ。一握りの論理が俺を止めた。その論理を育てたのがリフィスなんだから皮肉が効いてる。

 

「俺はその日にネトゲを引退した。もうこいつとは付き合っていけないなって。俺の勝手な思いだったからあいつからすれば意味不明だったと思うけど」


 息を吐く。俺はどうするのが正解だったのかな。論理的に言えば、優姫のことを吹っ切って、別に油野は悪くないんだから友達付き合いを続けるのがよかったんじゃないかってなる。けど油野は優姫に振り向くことなんてないだろ。そのことを理解して優姫が恋を諦めた時、俺はあいつの傍にいてやらなくてもいいのかね。頭を撫でても意味はないが、胸を貸すことくらいは今でもできるだろ。


 いつもここで思考を止める。この先にあるナニカを恐れてるからだ。


「まあ、こんな感じ。独り言に付き合わせちゃって悪かったね」


 内炭さんは首を振った。


「久保田は友達思いの良いやつって言葉。こんなに重みがあったのね」


 めっちゃ鼻声だな。


「まあ、あいつデブで天パだからな」


「……重みの意味が違うし。天パ関係ないし」


「まあ、そんなんだから仮に、万が一に、ないとは今でも思ってるけど、川辺さんが告白してきたとしても、俺は応じられないな」


 本音だ。まあ、今はって条件を付けるけどね。川辺さんは魅力的な女子だし、優姫は自分勝手なヴァカだし。自分の心がどう転ぶかは俺にも分からん。


「無責任なことを言ってもいい?」


「いいよ。俺もそこまで責任感が強いやつじゃないし」


 ハンカチの向こう側で息を吐く音が聞こえた。


「美月ちゃんと付き合った方が幸せになれると思う」


「そりゃそうだろ」


 即答してしまったわ。


「無責任どころか正論が過ぎるし、友人として有難いとも思うよ」


「分かってるのに応じられないの?」


「川辺さんのことは好きだけど。恋愛的な意味じゃないからな」


「将来的に好きになる可能性はないの?」


「あるとは思う。それこそ50%よか高いくらいに」


「なら付き合っちゃえばいいじゃん」


「そんな失礼なことはできんね」


「美月ちゃんが今は好きじゃなくてもいいからって言っても?」


「もしもの話をしてもね。それでも強いて言うなら断るね」


 川辺さんに弥生さんみたいな思いをさせる気はさらさらないからな。仮に付き合うとしたらお互いが好きになってからだ。


「でも。今の相山さんとの関係は不毛じゃない?」


「言いたいことは分かる。あいつは油野を諦めないからな。けどそれを言うなら内炭さんはなんで油野を諦めないんだ? 水谷さん相手に勝算があるのか?」


 意地悪なことを言った自覚はある。けど理解して欲しい。これは理屈じゃない。


「論理の使徒が言うことじゃないと思うけどな。恋愛って不毛なもんだと思うぞ」


「……そうかもね」


 どうしたもんかね。ずるいとは思うが、最近の俺は常に『誰も傷付かない』って結末を見つけようとしてる。そんなのあるはずがないのにな。


「ままならないわね」


 ごもっとも。今だけは油野の口癖を言いたくなった。



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