7/21 Thu. これからのこと――前編

 碓氷家と内炭家の距離は自転車で25分ほどだ。これはあくまで俺の脚力の話であって内炭さんならもっと掛かる。なら俺が会いに行く方が合理的だよな。


 男子が女子の家に行く。女子が男子の家に行く。どっちにしても心理的なハードルは高い訳だし、ファミレスとか喫茶店とかで落ち合おうかとも考えたが、内炭さんに是非とも来て欲しいって頼まれたんだ。


 理由は2つ。


 1つは油野を招いた時におかしく思われないかの審査。いつものとらたぬだ。


 もう1つは川辺さんを招いた時におかしく思われないかの審査。こっちは実際に夏休みのどこかでお互いがお互いの家に遊びに行くらしい。どっちが先攻かはまだ決まってないそうで、後攻なら川辺さんの部屋を参考にして模様替えをできるが、先攻になってしまうんじゃないかと気になってしょうがないようだ。


 という訳でクソ暑い中を自転車でかっ飛ばして内炭家に到着した。自転車は庭に勝手に止めていいと言われてるからそうして、


「どちらさまですか?」


 高身長のメガネが話し掛けてきた。と言っても俺よか5センチくらいしか高くないけどね。イケメンってほどじゃないけど、フツメンってほどでもない。割とモテそうな感じがするね。初見の相手に敬語を使うところも好印象だ。


「初めまして。僕は内炭朱里さんの友人で同じ部活動に所属している碓氷才良と申します。本日は朱里さんにお招きいただき、ここに自転車を止めるようにと指示されたのですが、問題がありましたでしょうか?」


 近所の人かなって思ったのに、


「これはご丁寧に。恐縮です。自分は内炭蒼紫あおしと申します。いつも姉がお世話になっております」


 まじかよ。紀紗ちゃんに言い寄ってた男もそうだったけど、最近の中学生って身長が高くないですか。おかしくね? 俺も去年まで最近の中学生だったはずなのに。


 てか今日は家族がいないって話だったのになんだこれ。家の外だからセーフとかそんな感じなのかこれ。その手のとんちはもう腹いっぱいなんだけど。


「自転車はそちらで結構です。ご案内いたしますね」


 えぇ。まじか。じゃあ案内されちゃおっかな! 内炭さんが驚きそうだしな!


「助かります。朱里さんはLINEを送っても反応が鈍いので」


「分かりますよ。メッセージを送る相手がいないので操作に不慣れなんです」


 なかなか毒を吐くね。さすがは内炭ブラザー。


 そんなこんなで内炭家に突入だ。


「どうぞお上がりください」


「はい。お邪魔します」


 リビングダイニングに通された。勧められるがままソファに腰を落とし、蒼紫くんも俺の隣に座った。えっ、近くない? 向かいに座りなよ。


「ところで碓氷さん」


 なにこのよく聞くフレーズ。


「どうしました?」


「碓氷さんってあの碓氷さんですか?」


 あの碓氷ってなんだよ。どの碓氷のことだよ。


「そう多くない苗字なのでたぶんその碓氷ですけど」


 途端に蒼紫くんが周囲をきょろきょろと見回した。なんでだよ。ここお前の家だよね。何を想定して警戒モードに入ったんだ。


 蒼紫くんは俺の耳元に口を寄せて、


「やどりんの幼馴染って本当ですか?」


 それ、わざわざ耳打ちすること?


「本当ですよ」


 スマホをいじって『やどりん』って名前のフォルダを開く。よく送られてくる自撮りとか、ノリで撮ったツーショットとか、そんなのを見せてやった。


「はわわ」


 はわわ?


「尊敬しますっ」


 よく分からんが信仰を得たようだ。みっきー教徒の俺からすればやどりん教徒は敵対すべき相手なんだけど、これも縁ってやつだから見逃してやるわ。


「あっ、でもプライベートの写真を勝手に見せちゃって良かったんですか?」


「いいって言われてる。あげるのはダメとも言われてるけどね」


 立場を得たからタメ口にしてみたが、お咎めなし。やどりんさまさまだね。


「宿理先輩が好きなの?」


「推しです。ウチの中学でも大人気なんですよ」


 へぇ。まあ雑誌の中に封じ込められてる宿理先輩は喧しくないしな。


「お姉ちゃんに頼めばここに来て貰える可能性もあるかもだけど」


 露骨に顔をしかめられた。


「ダメですよ。あの女。分かってないんですよ」


 おっと。あの女ときましたよ。闇も溝も深そうだな。


「やどりん掲載のファッション誌を買って、ここに置いておいたら勝手に持ち出しやがって。しかも何日かしたらやどりんと同じ服を買ってたんですよ。身の程知らずも大概にして欲しいですよね。あんなのコスプレにもなってません」


 あぁ、らしくない本を読んでるなって思ってたけど、弟の私物だったのか。てかこいつめちゃくちゃ口が悪いな。俺も宿理先輩も似合ってるって褒めたんだけどなぁ。


「どうせあいつとやどりんの関係なんて碓氷さんのおこぼれでしょ? なのにどや顔で言ってくるんですよ。私と宿理先輩は仲良しだって」


 どうだろね。少なくとも宿理先輩の方は仲良しだと思ってそうだけど。


「え? どうして碓氷くんが家の中にいるの?」


 真の内炭さんが登場した。デニムはともかくゆるキャラっぽい動物の顔面がでっかくプリントされたパーカーがクソダサい。普段はこんなんなのか。


 内炭さんは居るはずのない俺を見つけてびっくりしてるが、すぐに蒼紫の方を見遣って顔をしかめた。蒼紫の方も顔をしかめてる。


 分かる。油野宿理と油野圭介の関係の方が少数派なんだ。年頃の姉弟なら反抗期も手伝って険悪な雰囲気の場合が多い。このまま赤組対青組の試合が始まるのかね。


「碓氷くん、私の部屋、2階だから」


 シカトだよ。全面戦争かと思ったら冷戦だよ。


「碓氷さん、このまま自分と遊びに行きませんか? その方が楽しいと思いますよ」


 おいおい、姉弟で俺の取り合いかよ。参ったな。ラノベの主人公になっちゃうぜ。


「ちょっと! あんたは関係ないでしょ!」


「うるせえな! お前に言ってねえだろ! 俺は碓氷さんと話してんだよ!」


「お前って言わないでっていつも言ってるでしょ! 私は年上なのよ!?」


「年上だからなんだってんだ! 1つ違うだけで威張るんじゃねえよ!」


「目上への態度も分からないで将来やっていけると思ってるの!? 本当にバカね!」


「少し勉強ができるからって上から目線で語ってんじゃねえよ! このブス!」


 瞬間湯沸かし器かな? ってくらい一瞬で熱くなったね。俺を置いてけぼりにしてぎゃーぎゃー騒いでるが、俺も一言くらい怒鳴った方がいいのかな。よし。


「暑い中お客さんが自転車で来たんでしょうが! お茶くらい出しなさいよ!」


 俺の正論パンチで姉弟が黙った。


「……ごめん。麦茶でいい?」


「……すみませんでした。ポカリもありますよ?」


「は? 碓氷くんはお茶って言ったでしょ? 頭だけじゃなくて耳まで悪いわけ?」


「あ? 水分補給はポカリの方がいいに決まってんだろ。引きこもりは黙ってろ」


「は? 朝から塾に行きましたけど? 引きこもってませんけど?」


「あ? 塾以外に行くとこがねえからだろ? あんなら教えてくれます?」


 なんでも火種にしやがるね、こいつら。しゃあないなぁ。


「内炭さん」


「え? なに?」


「冗談とか評価とか胸中での罵倒ならともかく、面と向かって相手に感情をぶつけながらバカって言ったらダメだろ。それこそバカのやることだ。論理的じゃない」


「……だって」


「だっても政宗もありません」


「政宗? あぁ、なるほど」


 内炭さんが苦笑した。固くなってた頭が回り始めたみたいだね。言ってみたかったセリフを言えて俺も満足だよ。


「碓氷さんの言う通りだ。バカバカうるせえんだよ」


「蒼紫」


「はい?」


「少し黙れ」


「……はい」


 言ってみたかったセリフのパート2。


「内炭さんの上から目線は確かにむかつくかもしれんが、その報復で容姿を貶すのは自分がバカと認めるようなもんだ。論点をずらすな」


「……でも」


「デモもストレーションもありません」


「その手のインテリジェンスを感じる返し方って他にもあるの?」


 姉の方が食い付いてきた。知的好奇心が旺盛なのは良いことだが、これに知性を感じるのか。ダジャレとかオヤジギャグの範疇だと思うんだけど。


「後で教えてあげるから今は我慢しなさい」


「はーい」


「蒼紫。そもそも内炭さんはブスじゃない」


 可愛くもないけどな。普通だ、普通。


「……碓氷くん」


 無駄に好感度を上げてしまったな。内情を教えたら殴られそうだが。


「碓氷さんはどうしてそんなにこの女の味方をするんですか?」


「味方なんてしてない。俺はただジャッジを下してるだけだ。実際に内炭さんにも説教くさいことを言っただろ」


 俺の正論パンチに蒼紫は納得のいかない顔を見せた。なら角度を変えてもう1発。


「そうだな。俺は公平のつもりだったが、少しくらいは傾いてたかもな」


「不公平だったって認めるんですか?」


「まあな。誰だって友達を悪く言われたらむかつくもんだろ?」


「……確かにそうですね」


「……碓氷くん」


 また無駄に好感度を上げてしまったな。蒼紫を説得するためだけの理論なのに。


「とにかく。俺の言いたいことは分かるな?」


「うん。感情的じゃなくて論理的に話せってことね」


「はい。悪口はよくないってことですね」


「いや。お茶でもポカリでもいいから早く飲み物をくれってことだよ」


 沈黙が生じた。WHY?


「碓氷くんってそういうところがあるわよね」


「結論が出たら即座に次の議題へと移行するのが合理的ってもんでしょ」


「切り替えが早すぎるのよ。普通の人は付いていけないんじゃない?」


「リフィスとか水谷さんとか上条先輩は付いてくると思うけど」


「私は人の話をしてるのよ。いま言ったのはどうせ人のフリをしてる悪魔でしょ?」


「ご明察」


 という訳でドリンクを頂戴した。今度は弟の顔を立てるためにポカリだ。こういうのはフェアにしないとな。


 内炭さんは向かいのソファで麦茶のグラスを傾けてる。蒼紫は変わらず俺の隣に座ったままでポカリのペットボトルを持った状態だ。


「碓氷さんってすごく大人ですよね。1つ上とは思えないです。尊敬します」


 俺を上げつつ姉を下げてくスタイル。悪くないね。


「同意するわ。でもこの人みたいになったらダメだからね。人格が破綻してるから」


「酷いね。けど否定はできんな。あの悪魔どもに比べたらマシだとは思うけど」


「悪魔と張り合えてる時点で碓氷くんも悪魔なんじゃないかなって思います」


 張り合えてるように見えるのか。負けっぱなしなのに。あっ。


「悪魔と言えば。来週の月曜か木曜にワールドでボウリングをしないかって話が出てるんだった。内炭さんってどっちも塾なんだよね?」


「そうだけど。ちなみにメンバーは?」


「確定してるのは俺、久保田、リフィスの3人だな。リフィスが水谷さんを誘うらしいから川辺さんと高橋さんも来るかもだし、宿理先輩もたぶん来る。ならついでに油野と紀紗ちゃんにも声を掛けようかなって感じだな。優姫をどうするかは迷ってる」


「その人選なら行きたいかも。月曜か木曜かハッキリしてくれたらいいんだけど」


「じゃあ今日中に決めさせとくわ。あと明後日のリフィマはどうする?」


「それは行きたい。久保田くんも来るのよね?」


「今回はそっちに付き合う気がないからあっちにも行くなら2人になるけど」


「ブロッコリー10回でどう?」


「10ですか。弊社としてはもう少し色を付けて欲しいところですが」


「む。そうですねぇ。御社とはこれまでの付き合いもありますし。12では?」


「この件は持ち帰らせていただきますね。上司と検討してみます」


「いやいや我々の仲ではないですか。分かりました。私の裁量で15と致します」


「残念です。内炭さん、こっちも商売なんでね」


「18! 碓氷さん! これ以上は出せませんよ!」


「ふっ。交渉の本番はその言葉が出てからだと思っているのですよ」


「楽しそうですね」


 向かいに座ってるから部室のノリになってしまったわ。内炭さんもノリノリだったしな。蒼紫には少し酷だったかもね。


「でも意外でした。こんなに仲良しなんですね」


 即興でコントできるくらいにはなったみたいだね。


「さっきの話を聞いた感じだと本当に友達がいるみたいですし、どうせ高校でもぼっちしてると思ってたんですが」


 しみじみと語る弟。てれてれと微笑む姉。え、照れるとこじゃないよ。今のは軽くディスってるよ。それはさておいて、


「蒼紫もボウリング来るか?」


「え? 自分も行っていいんですか?」


「姉弟喧嘩をしないって前提になるけどな」


「さすがに外でまで言い争う気はないですけど」


「ならいい。たぶん宿理先輩も来るから幻滅されないようにな」


「っ! 困ったら碓氷さんの背中に張り付いてます!」


「それは鬱陶しいからお姉ちゃんに頼りなさい」


「えぇ」


 蒼紫は不服そうに姉を見た。内炭さん、渾身のどや顔を披露。


「意外と頼もしいんだぞ。お前の姉ちゃん」


「はぁ。碓氷さんがそう言うんでしたらそうしますが」


 そうだよ。頼もしいんだよ。だから早く相談をさせておくれ。



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