7/13 Wed. サプライズサプライ
4限終了のチャイムが鳴り響く。そして昼休みの到来による喧噪の波がやってこようかというタイミングで、川辺さんはスマホを見ながら愕然としてた。
「みっきー、どしたん?」
奴隷2号こと大岡さんが川辺さんの変化に真っ先に気付いた。奴隷3号こと天野さんも不思議そうな顔で川辺さんの席に寄っていく。
「ちーちゃんがお弁当を持ってくるのを忘れちゃったんだって」
「ありゃ。完璧超人の水谷さんでもそんな天然ボケかますんだね」
「あたしらのお弁当を分けてもいいけど」
いつの間にやらだいぶ仲良しだな。
「んー、悪いから購買でパンを買ってくるよ。ちーちゃんもそうするみたいだし。でも今日はかーさんもクラスの人と食べるみたいだから一緒に食べてもいい?」
「おっけー。いいよね、絵麗奈ちゃん」
「当然。この前の土曜日にやどりんとアルバイトをしたって話を聞きたいし」
おいそこの3号。お前、役割を忘れてんじゃねえだろうな?
「あっ、そういえば今日は碓氷くんもお弁当がないんだっけ?」
さすがの2号。これで「呼んだ?」的な感じで川辺さんに近付ける。
「おいおい、なんだよ。碓氷もそんな抜けたとこあるんだな」
黙ってろ1号。てめえは今回の作戦に関係ねえんだよ。
「そんなんじゃないけどな」
浅井に一言だけあげて大岡さんに近寄ってみる。16歳になっても極端に童顔な川辺さんが笑顔で手を振ってくれた。可愛い。
「今日は料理研究会の実習日だからね。弁当はいらない日なんだよ」
「へー、そういうこともするんだね」
川辺さんが感心してる。昼に実習するのは入学して初めてのことだけどね。
「あっ、ならみっきーのご飯も作ってあげれば? 碓氷くん、上手なんしょ?」
大岡さんの提案を聞いて川辺さんが唾を飲み込んだ。エビ天丼は作れないよ。だってエビないもん。卵はあるけど。
「えー、でもそんなの悪いよ」
涎を垂らしそうな顔でよく言う。もうパンって気分じゃなくなってるでしょ。
「いいよ、別に。実習って言っても全員が来る訳でもないし、なんなら大岡さんと天野さんも来たらいい。さっき一緒に食べるとか言ってたよな」
「ぜひともご一緒させていただきたいです」
3号の圧が強い。宿理先輩が来るって言わなきゃ良かったな。
「あっ、それならちーちゃんも呼んでいい?」
まずは1つ目の分岐点だ。この提案は川辺さんの口からしか出るべきじゃない。俺を含めた他の連中は水谷さんとそこまで仲良くないからな。
「そういや水谷さんもパンだったか。けど今日は油野と食う日だよね」
ここで川辺さんがなんて答えるかで脚本の内容が変わる。
「油野くんだけ1人でパンを食べたらいいんじゃないかな」
はい、残念。油野圭介くん、脱落でございます。
って言いたいとこだが、まあせっかくのイベントだしな。泣きの1回と行こうか。
「俺はそれでいいと思うけど、水谷さんは単品でこっちに来てくれるかね?」
川辺さんの唇が横一文字になった。あなたの親友はそんな薄情じゃないでしょ?
「来ないかも。仕方ないから2人ともに声を掛けよっか」
「OK。俺が連絡するわ。現場で目障りだったら油野は内炭さんに押し付けよう」
「っ! さすが碓氷くん! 一石二鳥だね!」
「三鳥だよ。参加者が増えるならあいつにも作らせて料理を増やさんといかんし」
という訳でスマホをサクサクいじったら技術科棟に移動だ。今日は飲み物も部室にあるから俺も川辺さんも手ぶら。2号と3号はランチバッグを持ってるけど中身はなんだろね。ただのフェイクか、誕生日プレゼントでも仕込んでるのか。
何のトラブルもなく技術科棟の入口を通り、ここで割と重要かつ運任せな要素が発生する。率直に言うと、誰が先頭を歩くのかってことだ。
女子が3人もいるからエスコートとかは無視するとして、可能なら俺と川辺さんが横並びになって前衛を務めたい。一応はロジックを作ってあるが、どうなるやら。
俺は技術科棟用のスリッパにいそいそと履き替え、逆に2号と3号はしゃべりながらゆっくり履き替える。その上で俺が先に階段を目指せば、やったぜ。2号3号より先に履き替えた川辺さんが俺を追ってきてくれた。
川辺さんに手すり側を譲り、こっちはこっちでしゃべりながら階段を上る。
2階に差し掛かったくらいでスマホが震えた。内炭さんからのLINEだな。
『準備OK。いつでもどうぞ』
さて、ここで2つ目の分岐だ。頼むよ、川辺さん。
部室の前に来たのと同時にまたLINEが来た。これは大岡さんからだ。スマホをいじる口実を俺に与えるための処置。
「あっ、ちょっと急ぎの用みたいだから川辺さん、先に入ってて」
まったくもって急いでないけどね。
『絵麗奈ちゃんはやっぱ可愛いなぁ!』
普段ならこんなん既読スルーだからね。俺のLINEは日記帳じゃねえんだよ。
兎にも角にもだ。ここで「待ってる」と言われたら俺は浅井に呼び出されたことにして階下まで行かなきゃならん。入室は川辺さんを先頭に。これは必須条件だ。
「んー、待ってるよ?」
OMG。ここがアウェーだからですか。それとも俺がいないと寂しいからですか。後者だとしたら喜びの全力ダッシュをしてくるんですけど。
「そうなの。お弁当を忘れちゃって」
部室の中から水谷さんの声が聞こえた。脚本にないセリフだ。しかしお陰で川辺さんの関心が部室に移った。これ、突発的に思い付いたのなら尊敬するわ。さすがリフィスの愛弟子だぜ。人の操作はお手の物だな!
まあ、なんで後発組が俺らより先に部室の中にいるのかって違和感は拭えないし、水谷さん以外の声がまったく聞こえないのも超おかしいが、そこまでは気が回らんだろ。油野や内炭さんも水谷さんの意図を読んで声を出してくれたらいいのに。
それはそうと、川辺さん、今度こそ頼むぜ!
「もう水谷さん達がいるみたいだし、先に行っていいよ?」
「じゃあそうしようかな」
あぁ、願ってはいたけどやっぱ悲しい。水谷>碓氷の構図がハッキリしすぎてるのが悲しい。氷からアホ毛を引っこ抜いて碓水になればワンチャンあるのかな。
俺の悲哀を余所に川辺さんは家庭科準備室のドアをスライドさせて、
パンッ! パパパパンッ!
ドアのすぐ近くで待機してた連中によるクラッカー連発で超びっくりしてた。
「誕生日おめでとー!」
部室の内外から祝福の言葉の一斉砲撃。呆然とする川辺さんの背中を大岡さんが押し、途中から水谷さんが手を引いて部室内に連れ込む。
俺と天野さんはとりあえず廊下に飛んじゃったクラッカーの中身の回収だ。川辺さんの金髪にもいっぱい付いちゃってるが、宿理先輩が黄色のパーティーハットをかぶせちゃったから後回しだな。
って『本日の主役』って書かれたタスキを掛けるの忘れてんぞ。俺が目配せしたら油野と久保田が同時に気付き、いち早く油野が宿理先輩にタスキを渡した。
しかし三角帽子が大きなサイズのせいで結構な身長差ができちゃったから宿理先輩では掛けることができず、水谷さんが未だに呆然としてる川辺さんの肩甲骨あたりを押すことで頭を下げさせたが、背伸びして掛けようとしてた宿理先輩にその円錐が叩きつけられる形となって俺が笑っちまった。ナイス頭突き。
油野と久保田もつられて笑い、宿理先輩が結構な勢いで油野の肩をぶっ叩いたことで他のみんなも笑った。責任者として付き合ってくれた愛宕部長は宿理の額を心配げに撫でて、油野は宿理先輩から受け取ったタスキを憮然としながら川辺さんに掛けたが、そんなことがあっても川辺さんはまだ無反応だった。
なんかおかしくね? といよいよ思い始めた瞬間、川辺さんが急に崩れ落ちそうになった。そこはさすがの水谷さん。瞬時に一歩を踏み出して背後から抱え込む。
「大丈夫?」
水谷さんが優しい声で問い掛ける。他の連中はみんな不安そうにしてた。特に親友の1人である高橋さんはその感情が色濃く窺えた。
「……びっくりして」
一斉に多くの視線が宿理先輩に集まった。あんたがクラッカーを鳴らしたいって言ったせいでこうなっちゃったんだぞ。どうしてくれんだよ。
「でしょうね」
水谷さんの言葉にみんなが心の中で頷いたことだろうよ。
「5年はなかったものね。こんなに多くの友達がお祝いしてくれるのって」
あぁ、そういう。
お陰で謎が解けた。昨日の夜に水谷さんがLINEで言ってたんだ。
『美月にサプライズを仕掛けるのに手の込んだ細工は要らないわよ?』
天然だから。そういう意味で俺は捉えてた。けど水谷さんは違った。そういう経験も、経験する環境もなかったから感知のしようがないって言いたかった訳だ。
そしてこの反応も水谷さんの脚本の一部だからすぐに支えることができたってことかね。十重二十重で考えてるんですね。
水谷さんは子供をあやすかのように優しい手付きで川辺さんの頭を撫でてる。川辺さんの過去を知ってる連中は穏やかな表情を見せたり、感情移入しすぎてる連中は涙を見せたりもしてるが、そうじゃねえんだよ。確かに感動のシーンかもしれんよ? 川辺さん、良かったね! って俺も思うよ? でもそうじゃねえんだよ。
我々の昼休みは等しく60分なんだよ。そしてもう15分は過ぎてるんだよ。この調子じゃクライマックス直前で「はい、今日はここまで」ってなるんだぞ。
はい。遺憾ながら悪役になろうと思います。ビジネスライクにいくね。
俺は良い空気の流れる部室内をすたすた歩いて行って川辺さんの正面に立った。
「そんなにびっくりした?」
水谷さんの柳眉がピクっと動いた。川辺さんはまだ飲み込めてないようだ。
「けどこれが川辺さんの普通になるから。参加者が増えることはあっても減ることはないから。もしも川辺さんを苦しめるやつが現れたら容赦なく排除するから」
約2名がビクっとしたが、もう改心してるみたいだからいいよ。次はないけどな。
「そっか」
川辺さんがふわっとした感じで笑った。と思ったら涙が溢れてきた。これはさすがに想定外で、慌てて水谷さんに視線で助けを求めたら、なんかにやにやしてる。自分でなんとかしてみろってか。ほんとこういうとこはリフィスそのものだな。
なら初志貫徹だ。時代はビジネスだよ、ビジネス。
「という訳で祝わせて貰っていいかな?」
「うん、嬉しい」
「ならとりあえずランチのメニューを決めようか。内炭さん」
3つ目の分岐。予定と違って明るい空気じゃないから内炭さんの度胸次第だ。
「改めてお誕生日おめでとう。はい、これが本日のメニュー表。調理に使える時間の問題で種類は少ないけど。遠慮なく言ってね、美月ちゃん」
やるじゃん。内炭さんは誰が相手でも平等に苗字で呼ぶからな。私もあなたの友達ですアピールとしては充分だ。
「……ありがと。朱里ちゃん」
こいつはびっくり。内炭さんも驚いてる。だって川辺さんって苗字かあだ名の2択って感じがするじゃん。モブ炭さんの名前を知ってることにもびっくりだわ。
「どれにしようかな。ってなにこれ」
メニュー表を見てくすくす笑い始めた。内容を知らない水谷さんも川辺さんの肩越しに見て笑ってくれた。すぐにお調子者代表の宿理先輩も駆け寄り、
「碓氷の皮肉ハンバーグ。それなに肉なん。内炭火焼チキン。これって炭火焼? ただすみちゃんが火で焼くだけってこと? 愛宕愛美の愛の包み焼(鮭のホイル)。愛宕ちゃん、愛を振りまきすぎ。久保田の丸焼き。ってクボを焼くの!?」
宿理先輩の過剰な反応が周囲の笑いを呼び起こす。内炭さん、これがリアクション芸の真骨頂だよ。見習うがいい。
ちなみに今日も今日とて久保田は「ええんやで」って顔をしてるが、丸焼きにするのは久保田本体じゃなくてピーマンだ。めっちゃ柔らかくてかなり美味い。
一応の補足としては、
「下拵えはそれぞれの自宅でやってきてるからすぐに作れる。後は水谷さんがサンドイッチを持ってきてるし、油野もオムライスくらいは作ってくれるだろ。俺の独断で今日の調理場にパセリもブロッコリーもないけどな」
「油野くんはいいや」
川辺さんの即答に油野と内炭さん以外が笑った。前者は通常営業の仏頂面。後者はもったいないおばけにでも憑りつかれたかのような表情だ。
「どれにしようかな。迷っちゃうね」
「迷うならどれも作ればいいってのが俺のスタンスです」
「っ! そんなこと許されるの!?」
「そりゃあ今日の主役なんだし?」
その方が時間を有効に使えるしな。という訳で家庭科室に移って調理の開始だ。基本的に全員が火を通すだけで済む状態になってるから早い早い。
あっという間に皿は並び、みんな揃っていただきます。こういうのも悪くないね。
「わっ、久保田の丸焼きおいしい!」
見た目のインパクトが強くて食指が向かいにくいが、オリーブオイルをよく絡ませて塩麹を塗ったピーマンをグリルパンでしなっとするまで焼いてあるから、へたも種も丸ごと美味しくいただけてしまう。
「ほっほっほっ。少しだけめんつゆを掛けて食べるのも乙ですぞ」
焼きピーマン製造機と化してる久保田が笑顔を見せてる。何のキャラだよ。
そんな感じでわいわいやってたら昼休みの残り時間が20分を切った。まだ食べてる連中もいるが、メインイベントが残ってるからな。タイムキープはきっちりやらんとだ。
「調理組みは後片付けを始めような。愛宕部長の分は俺がやっときます」
ピーマンにかぶりつきながら慌てて立ち上がろうとしたから止めてやった。この人って性格がしっかりし過ぎてるせいで行動がそそっかしくなることが多々あるんだ。
そもそも今の言葉は本来と違う意味を持ってる。要は狼煙だ。
「美月ちゃん、これ、よかったら」
一番槍は内炭さんだった。プラのケースに入った黄色のシュシュを手にしてる。
「わっ、いいの?」
「金髪に黄色って合わないと思うけど。美月ちゃんって黄色ってイメージがあったから。それと、勝手にお揃いのものを自分の分でも買っちゃいまして」
「お揃い! 友達の証って感じがするね!」
川辺さんの喜びようを目の当たりにして内炭さんがほっとしてる。重いって思われたらどうしようってさっきの調理中でも言ってたからな。
それからプレゼントラッシュが始まった。俺は俺で今から少し忙しいから内容は割愛するが、奴隷2号と3号のランチバッグの中身は人気のコスメだったとだけ。
気の利く水谷さんが大きめの紙袋を持ってきていたからそれに一旦はプレゼントを収納し、最後に唯一持ち帰ることのできない俺からのプレゼントを披露する。
「お待たせしました。ビューティフルムーンでございます」
冷蔵庫から取り出したるはスクエア型のティラミス。川辺さんは濃厚な味を好むって水谷さんから聞いてるからココアパウダー多めのマスカルポーネチーズマシマシで作った。一般のそれと違うのは三日月の形で作ったホワイトチョコをまき散らしてるところかね。昨日の晩にリフィスから合格点を貰った自信作だ。
「……すごい」
いや、そうでもないからね? ティラミスってジェノワーズと比べても随分と簡単だし。多重層のティラミスケーキになると途端に難易度が跳ねあがるけど、これは底にしかスポンジを入れてない簡易的なものだから。
「びゅーてぃふるむーん。美月のこと?」
「一応。本気か冗談か知らんけどリフィスがリフィマで採用するって言ってた」
「おぉ……」
川辺さん用に持ってきたおしゃれグラスに盛り付けてあげる。
「どうぞ。召し上がれ」
プロから合格点を貰ってるから不安はないが、どきどきするね。
「っ! 美味しいっ!」
おっしゃ。俺は味見のし過ぎでココアと生クリームとコーヒーとチーズの味がくどく感じちゃってたもんで、途中から美味いってのがよく分からんくなってたんだわ。
川辺さんはすぐに2口目。3口目とスプーンを動かした。
あぁ、女子の視線が突き刺さる。安心せい。
「紙皿ならまだあるから水谷さんと高橋さんは川辺さんに分けて貰って」
14センチ四方のスクエア皿で作ってあるし、4人分はある。川辺さんがこの勢いで食べても3人でいいくらいの量だろ。
「あたしの分は!?」
宿理先輩が詰め寄ってくる。今日はあんたの誕生日じゃねえからな?
「ありますよ」
冷蔵庫から第2のティラミスを召喚する。
「おお! さっすがサラ! 準備がいいね!」
「いやこれ失敗作なんで」
「……失敗作?」
「なかなか理想のものが作れなくてイライラしてたらスポンジを敷くの忘れてた。実質的にティラミスプリンですね。リフィスは評価してくれましたけど」
「美味しそうじゃん! 愛宕ちゃん、すみちゃん、一緒に食べよ!」
残るは大岡さん、天野さん、油野に久保田。どうでもいい連中だな。洋菓子に目がない油野はずっと冷蔵庫を見てやがる。卑しいやつだね。
仕方ないから第3のティラミスを召喚だ。
「これも失敗作なのか?」
すぐに油野が近付いてきた。
「別立てってか卵白なしで作ってたのに気付いたら共立てになってたやつだな」
一昨日の晩から試作を作り始めてたが、午前2時くらいになるとさすがにミスが増えてきてね。ワンチャンいけるかなって思ってそのまま作ったやつだ。
「卵白入りってことか。リフィスの評価は?」
「美味しいけどなんか違う。リフィマのティラミスは卵白なしみたいだからな」
「なるほど。その残りの1個はなんだ?」
目敏いなこいつ。
「マスカルポーネの分量を調査するためのプロトタイプ」
「ほう。リフィスの評価は?」
「ほぼほぼチーズクリームにココアをまぶした感じ」
「……それはそれで」
「欲しいならやるが、今から食うには多いだろ。冷蔵庫に入れっぱにしとくから帰りに取りに来い。保冷材はあるから持ち帰ってもいいし、俺らの部活中に久保田とイチャイチャしながらもぐもぐしてくれてもいいぞ」
「帰りまでに考える」
そう言って油野は共立てティラミスを持っていった。もう5分くらいで5限の予鈴が鳴っちゃうが、無事に食べ切れるかねぇ。
さて、俺は撤収の準備をしますか。愛宕部長あたりに気遣いをさせないように最大限に気配を消して、いざ、今こそがモブ力を試される時!
「ちょっといい?」
水谷さんが2秒で阻止してきやがった。見ればもうスクエア皿が空になっていて、川辺さんはティラミスプリンの方でスプーンを動かしてる。よく食べるね。
「なんすか」
手の動きは止めない。水谷さんも自発的に手伝ってくれる。これが普通の人の感性なら、ありがと、助かる、良い子だねってなるが、俺の感性だと、手伝われたら追っ払いにくいじゃねえか、これって絶対に狙ってやってるだろってなる。
「一応の確認なのだけれども」
「本日の摂取カロリーに対するお問い合わせですかね。今回のティラミスはスポンジを一層にしたことにより、通常のケーキと比べて幾分かカロリーの削減に」
無言の圧力で言葉を封じ込めてきやがったわ。やっぱこの子の笑顔は恐いよ。
「美月に惚れられた時のことを考えてるのかなって思って」
咀嚼が難しかった。だから思ったままに言う。
「水谷さんは買ってもない宝くじが当たった時のことを考えたりするタイプなの?」
「あら? 今日の碓氷の皮肉は品切れになったんじゃないの?」
この手の空中戦は嫌いじゃないが、時間がないからな。
「あり得ないことを想定するのは論理的でも合理的でもないでしょ」
「あり得ないって断言するのは主観が過ぎるでしょ。それこそ論理的でも合理的でもないわ。あなたより美月を知ってる私が想定してる点を念頭に置いてくれる?」
そんなことを言われてもね。なんでそんなことを言ってくるのかって理由なら分からんでもないが。例えば、
「今日のメニューに水谷のお餅ってあったっけか」
「なんなら焼いてあげましょうか? 私は丸焼きでも構わないわよ?」
だから笑顔が恐いっての。焼くのは餅だよね? 俺じゃないよね?
「率直に申し上げて考えたこともなかったね」
「そう。男性恐怖症ってほどじゃないにしても美月は男子を異常に嫌うわ。その反動で碓氷くんにコロッといってもおかしくないと思わない?」
「あぁ、女子高に勤める男性教諭はデブでハゲでメガネのおっさんでもモテるって原理か? 他に比較対象がいないから強制的にランキング1位になっちゃうってやつ」
「それに近いかもね。とにかくメガネの侮辱は許さないけれども」
え。ここにいるメガネって久保田だけだよね。そんなに恩を感じてるのか。
「んー、けどやっぱ考えすぎじゃね? こんなんで惚れるとかあんの?」
「女子の感情は点じゃなくて線なのよ」
ピンときた。水谷さんはリフィスに似て家庭教師に向いてるかもね。
「落ちゲーで単発消しより連鎖を組んだ方が効果がある的なことか」
「しかもその連鎖判定は冷めることさえなければずっと続くのよ」
「それゲームバランスおかしくない? 優しくし続けるだけで惚れそうじゃん」
「怒気や嫌悪も点じゃなくて線だからどっちが先に大連鎖を起こすかによるわね」
「なるほど。ちなみに水谷さんって俺に対する怒りで何連鎖中なの?」
にこってされた。にこって。2個なの? 25なの? どっちなのよ。
「惚れられて対処に困るようなら今のうちから何かを考えておいた方がいいわね」
「難しいとこだな。優しくするなって話だけならお断りだが、その手の話を絡まされると手を差し伸べるのに覚悟がいるというかね」
「その覚悟をしておきなさいってお話」
「なるほどね。まあ、それでも俺は考えすぎだろって思っちゃうが」
予鈴が鳴った。誰が何かを言わずとも後片付けの準備が慌ただしく始まる。
「さっき美月が言ってたのよ。美月のためにここまでしてくれてたんだって」
「ティラミスはそんなに難しいもんじゃないけどね」
水谷さんは笑った。どこかバカにしたような、こいつ分かってねーなって笑いだ。
「冷蔵庫には3つの失敗作があった。じゃあ全体ではいくつ作ったのかしらね」
視界に愛宕部長がいるせいで簡単に記憶が蘇った。
『手作りのものって、自分のために時間を使ってくれたんだな、一生懸命作ってくれたんだなって、真心が伝わりやすいと思うから』
「あと美月も別に思考力が低いわけじゃないから、今日のサプライズが誰の企画かっていうのはそう遠くないタイミングで察すると思うわよ」
調理するのが前提。会場は料理研の部室。今日のメンバーの中心人物は誰かって考えたら、確かにバレるかもな。高橋さん以外は全員が俺の友人知人な訳だし。
「それにさっきのセリフ。まるでプロポーズだったじゃないの」
水谷さんはにやにやしながら、
「これが川辺さんの普通になるから。参加者が増えることはあっても減ることはないから。もしも川辺さんを苦しめるやつが現れたら容赦なく排除するから。キリッ」
「キリッなんか言ってねえわ」
「俺が守ってやんよ。俺やってやんよって感じだったじゃないの」
「容赦なく(水谷さんや俺が)排除するから。って意味に決まってるだろ。それとも水谷さんは川辺さんのピンチに何もしないの?」
「駆逐するに決まってるでしょ」
「やっぱそうじゃん。てかあれはタイムキープを考慮してって分かってたよな?」
「あら。もう時間だわ。早く教室に戻らないと」
「おいこら。分かってたよな!?」
「あまり言い寄られると圭介がお餅を焼くからやめてくれる?」
「今日のメニューに油野圭介の餅はねえよ。あいつはオムライス担当だっての」
水谷さんが駆け足で油野の元に逃げていく。まじかよ。卑怯じゃね。
唖然と立ち尽くす俺。そこに大きな紙袋を持った川辺さんがとたとた寄ってくる。
「碓氷くん! ティラミス美味しかった!」
そうかい。めっちゃ笑顔じゃん。えぇ、良かったねって素直に言えなくなった。
ただ、1つだけ言えることはある。
「川辺さん、帽子とタスキを外さないと。あと口の端っこにココアが付いてる」
俺、この子と一緒にいて世話をせずにいられる自信がないぞ。
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