7/12 Tue. 友達たるもの

 滑り出しはよかったんだけどなぁ。


 あれから5科目のテストが返ってきたが、どれも70点台だった。内炭さんとのバトルが昨日で助かったわ。こんな手札じゃ勝ちようがないからな。


 若干テンション低めで部室に来てみたら、内炭さんがサンドイッチを卓上に置いたままで長机に突っ伏してた。こんなの油野が暴力沙汰を起こして以来だ。


 いつもの席につき、弁当箱とジャスミン茶を長机に置く。


「……ねぇ」


 口と長机の距離が近いせいか内炭さんの声はめっちゃくぐもってた。


「どうした?」


「テストの結果が悪いんだけど」


 内炭さんも最初だけの人だったか。まあ、ずっとあの調子なら学年1位になってもおかしくないしな。中間になかった保体とか家庭が足を引っ張ってると見た。


「悪いのはどれも月曜に受けた科目なの」


 あぁ、油野家での写真が届かないことで寝不足になってた日のやつか。それは悪いことをしたね。なんて思うはずもない。


「まさかとは思うが、言い訳しようとしてる?」


 内炭さんが顔を半分だけ上げた。めっちゃ睨んでるよ。


「言い訳じゃない。事実として私は碓氷くんのせいでコンディションが悪かったの」


 確かに言い訳じゃないな。これは責任転嫁ってやつだ。やれやれだぜ。


「俺のせいってのは納得しかねるが、その点で論争しても意義を見いだせないからここは寛容な精神で約38万キロほど譲ってあげよう」


「それって月までの距離よね。どれだけ自分の罪に納得してないのよ」


「当然だろ。例えば優姫みたいな一夜漬けは実質的に勉強とは言い難い。あれは情報を記憶してるだけだ。一方の内炭さんは日々の努力によって記憶を知識に昇華させてる訳だな。そして当然だが、記憶は忘れても知識は忘れない。コメとかリンゴとかの品種の名称を忘れることはあっても、コメが炭水化物、リンゴは赤いなどの常識は忘れないってことだな。だってどんだけ体調が悪かろうが三角形の内角の和は分かるだろ? 仮にそれを忘れるんだとしたら復習が足りてないってことだよな?」


 内炭さんがしかめっ面を見せた。そんなの今はスルーだ。


「月曜のテストって数A、現国、英表だったよな。頭が回らなくて点が取れなかったって言えるのは数Aくらいじゃね? 他は単純に内炭さんの勉強不足だろ」


 内炭さんがとうとう顔を上げた。てか姿勢を正した。いやはや、顔のしかめっぷりがやばいね。これを飲み込めないならもう俺から言えることは何もないぞ。


「そうね。寝不足って言っても軽度だったし、私の反復が足りなかったって言うのなら一旦はそうだと認めてもいいわ。そこは約1億5千万キロくらい私が譲ってあげるわよ。寛容な精神でね」


「それって太陽までの距離だよな。どんだけ自分の落ち度を認めたくないんだよ」


「いいえ。落ち度は認めるし、碓氷くんの論理も受け入れる。そこは否定しないわ」


「じゃあどこが気に入らんのだね」


「勉強してない人に勉強不足って言われるのは腹立つ」


 やばい。納得がいった。わかるーって言いそうになった。


「そもそも碓氷くんは日曜の夜から勉強するって言ってたのにしなかったのよね?」


 あー、これ面倒なやつだ。勉強しなさいって言ってくる時のオカンと同じ顔をしてる。こういう時って何を言っても話を聞こうとしないから黙ってた方がいいよな。という訳でご飯ご飯。


「ちょっと。話を聞いてるの?」


「聞いてる聞いてる」


「ほら! 同じことを2回言った! 絶対に聞いてないでしょ!」


「本当に聞いてるって。食べながらの方が効率が良くて合理的だろ?」


「……碓氷くんは真面目な話をしてる時に相手があくびをしたらどう思う?」


 殴りたくなりますね。


「俺の話ってつまんないのかな。もっとトーク術を磨かないとなって思う」


「それは私の話がつまんないってクレーム? つまんないからお弁当を食べるの?」


 どうしよう。今日の内炭さん、めんどくせえな。けど、少し面白い。


「論理がおかしいな。腹が減ってるから弁当を食うんだよ。内炭さんの話がつまんないかどうかって件はまた別の議論が必要である」


「……また屁理屈を」


「内炭さんも食べな。ほら、プチトマトもあるよ」


 爪楊枝で刺して差し出してみる。ぷんぷんしながらも受け取ってくれた。


「ところで内炭さんよ」


「なによ」


「今みたいなやり取りって俺以外とできるの?」


「……ん? どういうこと?」


 言い方は何種類か思い浮かぶが、自覚がないみたいだから強めにいくか。


「上から目線の八つ当たり」


 内炭さんの背筋がピンと伸びた。


「……あっ」


 目が泳ぐ。たぶん山本達との一件を思い出してんだろな。


「そもそも写真の件は内炭さんからさっさと俺に問い合わせしてたら解決してた問題だった。それをしないで勝手にもやもやして寝不足になって、まあ確かにコンディションが悪ければ平時なら思い出せることでも思い出せないかもしれんから、暗記系の問題でも落とすことはあると思うけど、それって本当に俺が悪いか?」


「あの、その」


「しかも正論で突いたら睨むわ、顔をしかめるわ、不愉快ですって感情を隠そうともしない。それどころか勉強を碌にしてないお前に言われたくねえわって態度だ。その上で説教まで始めようとしたよな。内炭さんは何様のつもりなんだね」


「……ごめ」


「謝らなくていい」


 これを拒絶の言葉と受け取ったみたいで、内炭さんが身体を震わせた。


「しかも腹が減ってるのに、ご飯を食べるのは私の話を聞いてからにしろって。上から目線ってか天から目線だよな。ほんとにさ」


 内炭さんが俯いた。


「俺がどんな気持ちで相手してたと思ってんの?」


 内炭さんは答えない。いや、答えられないって感じか。ネガティブだね。


「嬉しいなって思ってた」


「……へ?」


 内炭さんが素っ頓狂な声を出しながら顔を上げた。瞳が潤んでる。やりすぎたか。


「何様って言ったが、お互い様だろ。俺もいま説教くさいこと言ってるし。実際に腹が立つって言われた時は内心で、わかるわーって思っちゃったし」


 ジャスミン茶の蓋を開ける。ごくっと飲み、


「俺らって割と仲良くなってきたなって実感してた。俺もこれでクラスメイト相手には基本的に感情を見せずに淡々と応じるタイプだからな。半分くらいの生徒はぶっちゃけ見下してるし、それが伝わってるから授業のペア組みとかで困る時もある」


「……そうなんだ」


 内炭さんも似たようなとこはあるからな。尋ねてもいないのに学年順位を教えてきたり、ハンデで5点やるからテストで勝負しようって持ち掛けてきたり、自分の方が上位だという自負を持ってないとそんなことできん訳で。


 ちょうど昨日のことを思い出したみたいで、内炭さんの目がまた泳いだ。


「まあ最近はカースト上位の男子を奴隷にしたからそこも少しは楽になったけどね」


「何をしでかしちゃってるのよ」


 苦笑してくれた。


「まあ、何が言いたいかっていうとだ。俺相手に何を言おうと俺は構わん。その分だけ言い返すこともあるとは思うが、そこはさっきも言った通りでお互い様だ。もう俺らは気を遣って感情を抑えるような間柄でもないしな」


「ありがとう」


 本当に嬉しそうに言うからちょっと困る。だってこれ布石の一環だしな。


「ただ、俺とのやり取りに慣れて他のやつらに似た態度を取っちゃったら困るんじゃないかと思ったんだ。それこそこの間の山本とかみたいに『調子に乗ってんの?』とか『私らのこと舐めてんの?』って話になりそうだしなぁ」


「それで私の心臓を鷲掴みにしてきたってこと?」


「比喩が過激だね」


「そのくらい胸が苦しかったから。泣かなかった自分を褒めたいくらい」


「それは悪かったね」


「全然。言われて思ったの。クラスの人達も同じように思ってるのかなとか。仮にさっき泣いてたとしても、完全に自業自得だなって」


 内炭さんはプチトマトを口に入れてもぐもぐした。やがて嚥下して、


「でもそれ以上に碓氷くんに嫌われることが恐いって思ったの」


 つらい。嫌だ。じゃなくて恐い。要するにダイレクトな感情じゃなくて論理的な話か。嫌われることによって起こり得る未来に対して思いを馳せたってことだな。


「お昼にここでずっと1人でいることを想像したら、それが毎日続くことを想像したら、びっくりするくらい背筋が冷たくなった」


「それもお互い様じゃね?」


「碓氷くんは川辺さんもいるし、久保田くんも、油野くんだって、その奴隷さんだっているでしょ? 私はまだ山本さん達とそこまでの関係を築けてないし。川辺さん達も私と碓氷くんの仲が悪いってことになったら私の相手なんかしないと思う」


 そこは否定しづらいな。久保田視点で考えても内炭さんはきっと『碓氷の友達』って枠だ。宿理先輩と川辺さんがその辺をどう考えてるかは分からんけど。


「それにこの間は怒っちゃったけど。いま冷静になって考えてみたら気付いたことがあるのよ。碓氷くんはたぶん私に三重か四重の意味を込めて木曜のお昼に油野くんと相山さんを部室に寄越してくれたのよね」


 そこは気付かなくても良かったな。どうにか白を切れないものか。


「碓氷くんに用事があるから私を1人にしないため。私に油野くんとの接点を作るため。相山さんを呼んだのは2人きりだと間が持てないかもしれないため。もしかしたら相山さんとの仲も深めるきっかけを作るため」


 無理っぽいね。


「油野くんのお宅での勉強会も。リフィスマーチの試食会も。碓氷くんの厚意で誘って貰えたことだし。名古屋で同人誌を一緒に探したり、帰りに牛丼屋さんに入ってくれたり、わざわざ家まで送ってくれたり。私ってお世話になってばっかだなって」


 内炭さんはプチトマトを刺してた爪楊枝を見ながら溜め息を吐いた。


「私がしてることってこれくらいだし。なのに高圧的な態度を取っちゃって……」


「まあそこはどうでもいいわ」


 内炭さんの表情から不安は消えない。けどまじでそこはどうでもいいんだわ。


「メランコリックになるのはまた今度にしてくれ。話を戻すけど、俺以外とさっきみたいなやり取りってできるの?」


「できないわ。というか碓氷くん相手にもするのがちょっと恐い」


「俺は嬉しかったって言っただろ。そこはどうでもいいんだよ」


 大事なのは一点。


「俺以外でさっきみたいなやり取りができる友人を欲しいって思ってる?」


「……思ってはいるけど」


「なら話は早い。前に内炭さんって俺のことを友達だと思ってるって言ったよな」


「言ったわ。碓氷くんは私を友達だと思ってないって件よね」


「調子が出てきたじゃん」


「だってその方が嬉しいんでしょ?」


「まあね。で、あれから一緒にリフィマに行って、メロンやアニメイトにも行った。言ってしまえば一緒にどっかに行ったり遊んだりしたってことだな」


「それって私は碓氷くんの友達になれたってこと?」


「だな。定義で言えば油野家の勉強会の時点でクリア判定を付けてもよかったんだけど、名古屋の方が色々と分かりやすいからそう言ってみた」


「……友達」


 にへらって笑った。今のは友達視点でちょっと気持ち悪かったね。


「という訳で昨日の権利を行使しようと思う」


「え。友達に命令をするの?」


 おいこら。


「調子に乗ってみたわ。だってその方が嬉しいんでしょ?」


「……まあね。次に同じことをしたら泥船に乗せてやるけどね」


「私は何をすればいいの?」


 逃げたよ。なかったことにしやがったよ。


「リフィスによると明日の7月13日って川辺さんの誕生日らしいんだよ」


「……日曜の電話はそのためだったのね」


「知ると誕生日プレゼントを用意しなきゃいけなくなるから黙ってたんだけど。知りたかったって後で言われても困るもんでとりあえずの暴露です」


「どうせ知るならもっと早く知りたかったです」


「昨日の昼に言おうとしたら優姫がいたからな。あいつと川辺さんって相性が悪そうってか、あいつが一方的に川辺さんをライバル視してるとこがあるから今回はとりあえず除外したくてね。まあ、面識がないし、構わんだろ」


「除外って。何人かで何かをするってこと?」


「ご明察。3限の休憩中に決まったんだが、明日の昼休みにここで誕生会をやるつもり。参加者はリフィマのバイトメンバー。夜は夜で水谷さんとかリフィスとか例の高橋華凛さんとかでパーティーをやるそうだ」


「参加者予定の私に何の連絡も来てない件について」


「むしろ俺とリフィスしか知らんし」


 内炭さんが唖然とした。突発的な考えだからしょうがないでしょうよ。俺だって誕生日を知ったのは3日前なんだぜ?


「それ。決まってないって言うんじゃないの? 当日の川辺さんのスケジュールとか大丈夫なの?」


「そこはご安心を。まずリフィスが水谷さんを操作します。その水谷さんが高橋さんを操作することで川辺さんをも操作します。同時に俺がリフィスの名前を使って宿理先輩を操作し、久保田は話せば分かると思うけど卑屈なとこがあるからやっぱ操作します。それで今は内炭さんを操作しようとしてるところ」


「……機械もない場所でこんなに操作って言葉を聞くことってある?」


「あるんじゃね。知らんけど」


「雑すぎ」


「とにかく内炭さんに関しては命令権があるからな」


 内炭さんがゴクリと唾を飲み込んだ。


「何をすれば……」


 言わなくても分かるだろ。


「パーティーの準備だよ」



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