7/14 Thu. 這いよる混沌

「碓氷くん、ごはんいってらー」


 今日も川辺さんに見送られての出張だ。部室までは急いで3分。ゆっくりで5分くらいになる。3階から1階まで降りて渡り廊下を通ったら技術科棟。そっからスリッパを履き替えて2階に上がったらもうほとんどゴールだ。


 階段を飛び降りて全力ダッシュしたら2分を切れそうな気がする。機会があれば浅井にでもRTAをさせてみるか。あいつのルックスなら多少は変人っぽい行動を見せても許されるだろ。


 そんなことを考えながら渡り廊下を歩いてたら背後から足音が聞こえてきた。こらこら。渡り廊下も一応は廊下ですぜ。走っちゃいけませんぞ。


 足音が急に止まった。そして肩を掴まれた。おいおい。またこのパターンかよ。つり革感覚で気軽に掴んでんじゃねえよ。俺の肩ってそんなに掴みやすいんかね。


 過去の下手人は、宿理先輩、川辺さん、水谷さん。あれ、美少女ばかりじゃね?


 ここの渡り廊下に良い思い出がなかったが、イメージを覆すチャンスが到来か?


 俺は少しどきどきしながら振り返り、目を白黒させてしまった。


 まず、女子だ。あとクラスメイトってのは分かる。けど名前は何だっけか。たぶんクラス全員の名前は分かるが、顔と一致しないんだよな。


 特徴って言える特徴もないしなぁ。天野さんみたいに高身長だったり、大岡さんみたいに腰巾着ってイメージがあったりしたら話は変わるんだが。


 黒髪ストレートを肩甲骨くらいまで落とし、内炭さんと同様に可愛いか可愛くないかと問われたら普通って答えるくらいのルックス。身長も同じくらいか。胸はこの子の方が露骨にあるな。と言っても、あってCくらいかね。


 ところで、どうしようか。俺は仮に街中で同じ中学出身っぽいやつに話し掛けられても、割と平気で「あんた誰だっけ?」って返すんだよ。


 当然、憶えてたらそれらしい反応はするけど。あっちは憶えてるのにこっちは憶えてない相手って大体の場合で勘違い野郎なんだよな。


 例えばカースト上位の金魚の糞とか。カースト上位の威を借りて大勢と話してるからあっちは覚えてるが、こっちはカースト上位にしか目を向けてないからそいつの存在が記憶に残ってないって理屈。あるあるだと思う。


 しかしこの子はクラスメイトなんだよな。テキトーに追っ払うと後が恐い。


「何かご用でしょうか?」


 初見相手には敬語で対応。これは基本だね。


「うん、あっ、ごめ、ちょっと、汗が」


 全力ダッシュしてきたのか。そんなに急ぎの用なのかね。なんか申し訳ないから手にぶら下げてる通学用のリュックからジャスミン茶を引っ張って差し出してみる。


「よかったらどうぞ。未開封なので」


 ハンカチで額を拭ってた彼女は目をパチパチと瞬かせて、


「え? いいの?」


 飲み物は部室に昨日の余りがあるからな。


「どうぞどうぞ」


「ありがとう」


 彼女は照れ臭そうに笑って、ペットボトルの蓋を開け、開け、開けられない。


「貸して」


 1本60円もしない安物だからたまにこういうハズレがあるんだよな。


「ほい」


「ありがとう」


 小さなことにも感謝を言える子のようだ。こういうのって当たり前のようで当たり前じゃないから好感度が上がるね。


 彼女はごきゅごきゅジャスミン茶を飲み、ぷはっと息を小さく吐いた。それから俺の目を見て、すぐに視線をやや下げる。分かるよ。異性と目を合わせてしゃべるのってなんか恥ずかしいってか無駄に照れるよね。


「碓氷くんって土曜日に名古屋のお店でアルバイトしてたよね?」


 妙な言い方をするね。まるで見てたかのような。あっ、そういやこの子だ。


「高木さんもリフィマに来てたの?」


 久保田が秘密結社プレイを始める前に川辺さんがモニターで見つけてた子だ。さすがに一方的に観察してたことは隠した方がいいと思うからそのていでいく。


「うん。あっ、ハンバーグ美味しかった!」


 イートイン勢だったか。


「俺が作ってるのバレてたのか」


「やどりんがいたからもしかしてって思ったら厨房にいてびっくりしたよ」


「あれはピンチヒッターでさ。食事担当の人が風邪でお休みって聞いて、あっこの副店長が俺らの知り合いだから協力することになったんだよ」


「えっ。じゃあいきなり厨房を任されたってこと? すごくない?」


「凄いとしたら素人に厨房を任せようとした副店長の度胸の方だよ。店長ともどもちょっと頭がおかしいんだよね」


 ふむ。なんだこの会話。主題が見えない立ち話って嫌いなんだけど。


「ならもうリフィスマーチで働くことはないってこと?」


「第2第4の土曜と夏休みの間は何日かヘルプに行くことになってるね」


「……次はいつとか決まってたりは?」


 あぁ、少し分かってきたわ。ファンは大変だね。


「23だね。第4土曜だし。けど宿理先輩は来るか分からないよ」


 高木さんがキョトンとした。


「そうなんだ」


 あれ? 俺を通して宿理先輩の予定を把握しようとしてる訳じゃないのか。


 そうなると第2候補か。第1候補と比べると可能性が小さすぎるんだが。


「俺の料理に興味がある感じ?」


 ハンバーグを褒めてくれたし、ナスなめろうの下僕と化した弥生さんの例もあるから一概には否定できん。確率的には5%もないと思うんだけど。


「うん、そんな感じ」


 当たってんのかよ。弥生さんとリフィスから土曜日に出てた料理についての質問が数件あったって聞きはしたが、その1件が高木さんってことかね。


 料理担当の石附さんがショックを受けてるって話も聞くし、きっちりレシピ通りに作ればよかったなってちょっと後悔してんだけど。いくつかのレシピを俺のものに変えるって話も出てるみたいだからなぁ。


 23日も石附さんに俺のレシピで作ったものを食べて貰って、納得の上で変更をするか、お互いの良いとこを抽出してさらに上を目指すかって内容になるみたいだし。


 てか料理に興味があるって話ならわざわざ名古屋まで行かなくてよくね?


「明日の放課後でよければ家庭科室で料理を振る舞えるけど」


「そうなの?」


 あれ? 想定より食いつきが弱い。ケーキも欲しいとかそんなんかね。


「俺、料理研究会のメンバーでね。テスト期間が終わったから明日にでも実習をしようかって話になってるんだ。リクエストを貰えたら準備しとくけど」


「……料理研究会」


 高木さんはボソっと呟いて、俺の目を見て、また視線を落とした。忙しいね。


「部員って募集してるのかな?」


 あぁ、そっちか。食べたいってより店の味を再現したい的なやつか。


「してるよ。今から部室でご飯を食べるけど来てみる?」


「……人ってたくさんいる?」


 警戒されてるのかね。女子にそういう態度をされると地味にへこむんだけど。


「全体で言えば8人いる。俺以外の全員が女子で、1年が5人の2年が3人。昼休みは基本的に俺と女子が1人いるだけだけど」


 急にそわそわし始めた。ちらちらと俺の方を見てきて、


「そういえば前に川辺さんとそんな話してたね。邪魔じゃない? 」


「その手の誤解をぶち壊すために招待したいくらいだね」


 俺にとっても内炭さんにとってもデメリットしかない噂になるからな。


「じゃあ。お言葉に甘えて。あっ、でもご飯は教室にあるんだけど」


「先に行って女子に説明しとく。家庭科準備室だから勝手に入ってきて」


「分かった。じゃあ、また後で!」


 ダッシュで去って行った。元気だね。


 俺はそのまま部室に向かい、既に食べ終えてた内炭さんに一部始終を報告した。


「しまった。これって高木さんが来ないと俺がメシを食えないパターンじゃね?」


「言われてみればそうかも。そういうのって経験が乏しいから判断に困るわね」


「仕方ない。安全策を取るか」


 卓上にある2リットルウーロン茶のペットボトルを取って、これまた卓上にある紙コップに注いだ。内炭さんの紙コップも空に近かったからペットボトルの口を差し出してみる。なんでこんなので照れるかな。嬉し気に紙コップを前に出してきた。


「こういうのって漫画かドラマの中でしか知らなかったから楽しい」


 俺は悲しくなったけどね。もうちょっと青春を謳歌していこうか。昨日は自分で注いでたのかな。油野も久保田も気が利かないね。


 それから程なくしてドアがノックされた。勝手に入っていいって言ったのに。


「どうぞ」


「失礼します」


 ランチバッグを持った高木さんが登場。ドアを閉じた後になぜか動かない。内炭さんと俺を交互に見てる。なんだろ。脳内で品評会でもしてんのかな。内炭さんもどこか落ち着かない様子だし、ちょっと勘弁してほしいな。


「ねぇ」


 高木トークが始まっちゃったよ。


「どうした?」


「私ってどこに座ればいいかな」


 あぁ、そういうことか。顔見知りの異性と初見の同性。どっちの隣の方が無難かって話だな。これは俺らの察しが悪かったわ。


「お誕生日席を作ろうか」


 余ったパイプ椅子を長机の短辺に置いてあげた。これで俺の隣でもあり、内炭さんの隣でもある。実にフェアな状況だ。


 全員が席に着いたら最低限の自己紹介をした。1年8組。高木望結みゆ。出身中学は市外らしい。料理研究会に興味を持った理由も聞いた。


「いま『俺の料理が世界を救った。2000年続いた聖魔大戦がハンバーグを作っただけで終わってしまったんだが?』ってラノベにハマってて」


 えぇ。それハマれるの? タイトルでネタバレされちゃってるじゃん。


 どうせプロの料理人が異世界に転生だか転移だかして、そこがメシマズの世界で、知識チートを全力で行った結果、もうお前の料理がないと生きていけねえよって人類やら魔族やら神様やら魔王やらをデレさせるんだろ。その上で俺のメシを食いたかったら戦争をやめるんだなって主人公もイキりちらすんだろ。


「あっ、私も持ってます」


 まじかよ。筆者の文章力がハンパないパターンなのか?


「ほんと? あっ、敬語はいいよ? 私ら同志じゃん!」


 同志? そのキーワードは聞き捨てならんな。2人が盛り上がりを見せたところで俺はグーグル先生に問い合わせてみる。そして愕然とした。


 なんでだよ。どう考えてもグルメ系のラノベなのに。表紙が半裸の男だよ。6巻まで出てるみたいだが、1巻以外の表紙は上半身裸の男だった。あざとすぎだろ。


 作品のレビューはどれもこれも腐臭を感じるから読む気にならんが、これはたぶんあれだ。中学の時に久保田がハマってた、料理の美味しさをなぜか脱衣によって表現するタイプの少年漫画の女子向け版なんだと思う。


 俺は食欲と性欲を混同させるのはなんか気持ち悪くて受け付けなかったんだが、趣旨自体は分かってたつもりだ。何せ男子向けの方は男性が女性を脱がせてたからな。シチュエーションが普通にエロいし、下着や身体の輪郭もよく描写されるから普通にエロいし、出版社による少年からの搾取って構図が見て取れる。


 けどこれはどうなんだ。男性が男性を脱がすって。百歩譲って女性が男性を脱がせよ。あぁ、でも例えばお姉さんがショタを脱がす展開だと男性向けになるのか? おねショタの解釈は難しいってネット仲間も言ってたからよく分からんな。下手に口を出すとそれはショタおねだろってキレるやつもいるみたいだし。


 とにかくあれだな。ここは踏み絵の出番だ。


「高木さん」


「ん? なに?」


「攻めの反対は?」


「受け」


 守りって言えよ。やっぱこいつ腐ってるわ。


 ワンチャンで将棋とか囲碁とかを嗜んでる可能性もあるっちゃあるが、攻守って日本語はあっても攻受って日本語はねえんだよ。


「実は先日に素晴らしい本を手に入れたんだけど」


 内炭さん、初対面の人を相手に生き生きしてんな。


「え、どんな? くわしく」


「オリジンさまがプライマルさまを攻め立てるやつで」


「え!? プラオリじゃなくてオリプラなの!? まさかのヘタレ攻め!?」


 よし、今日は違う場所でメシを食おう。そして久保田を殴ろう。その素晴らしい本とやらの入手経路に間違いなくあいつが関与してるからな。


 そういや前に内炭さんが言ってたな。


「空気が美味しいとご飯も美味しいとか、外で食べるご飯は格別とか、お花見をしながらの飲み会は最高とか。そんなの全部プラシーボ効果だから。思い込んでるだけだから。絶景を見たところで食べるもののグルタミン酸もイノシン酸も増えないから」


 これ、当時は納得したが、今は半分くらい否定したい。


 この腐臭に満ちた部室でメシを食っても美味くないどころかきっと不味い。思い込みじゃなくて絶対に不味い。100%。確実にだ。


「用事を思い出したから先に戻るわ」


 2人とも快く送り出してくれた。きっと男の前では話しづらいこともあるからだろね。もう10年来の親友かってくらい和気あいあいとしてるし。


 部室から脱出し、盛大に溜息を吐く。内炭さんに友人ができることは歓迎すべきことだが、やったな! って言う気になれんのがつらいね。


 明日も部室で腐った花を咲かせるようだったら昼休みの居場所を探さないとなぁ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る