7/11 Mon. 一夜漬けと浅漬け

 川辺さんの誕生日まであと2日。ここにきて問題が1つ生じた。


 碓氷くん、なんで美月の誕生日を知ってるの? 問題だ。教えてもいないのに、男子が急にプレゼントを渡してくるのって気持ち悪くないですかね。一応は生年月日って個人情報だし、保護法を無視しての蛮行ってことになるし、すべてリフィスのせいだって言い張るのは可能だが、気持ち悪いと思われるのがまず嫌だ。


 どうしよう。またロバを売りたくなってきた。そんなこんなで昼休みの到来。


 いっそのこと内炭さんを巻き込もうかなと思ったのに、今日は呼んでもないのに優姫が来てる。邪魔くせえなぁ。いくら好きな女子だからっていつでも会いたいと思う訳じゃねえんだよ。この劣化川辺さんがよぉ。


 心の中は荒れてるのに、胸の中はなんか温かいのが不思議。恋って理不尽だね。


 ちなみに優姫がなぜ油野の不在が確定してる月曜日に来たかと言うと、


「これもすべてみな皆さまのお陰でございます」


 優姫のクラスでは午前中に3科目のテストが返ってきたらしい。俺のクラスは2科目。内炭さんのクラスは4科目ってさっき言ってた。


 おヴァカな優姫さん、なんと3科目中で1科目も赤点がありませんでした。しかもそのうちの1科目は1番苦手と言ってた政治経済だ。後は数学Aと現国。油野家での勉強会では主に数Aを教えて貰ってたはず。これで次回の勉強会も期待できるね。


「政経と現国はどうやって勉強したの?」


 内炭さんは本当に不思議そうに言った。だってどっちも70点を越えてるから。


「カドくんが夜遅くまで付き合ってくれて!」


 優姫は長机を回り込んで俺の背中に抱き付いてきた。柔らかい。けど弁当を食ってるし、ここエアコンがないから暑いし、何より内炭さんの前だからやめて欲しい。


 きっと彼女の頭の中ではどうにかして優姫を俺に押し付けようと様々な策を巡らせてるに違いないからな。恋のライバルを蹴落とすチャンスだし。


 俺にとっては好都合っちゃ好都合なんだが、仮に優姫と付き合うとしたらこいつが完全に油野を諦めた後だ。選ばれるなら妥協じゃなくて本命でありたいからね。


 それにしても良い匂いだな。ファンデーションかな。白米には合わないからやっぱ離れて欲しいが、頬ずりをし始めたから無理だな。メイクが崩れますよ?


「一夜漬けでここまで取れるものなの?」


「政経の教師は分かりやすいからな。結果論だけど問題の予想は割と簡単だった。現国に関しては取れて半分くらいだと思ってたが、優姫が頑張ったんじゃね」


 ジャスミン茶を飲むために箸を置いたら優姫がその箸を取りやがった。たどたどしい動きで白米を持ち上げて俺の口元に寄せてくる。なにこのイージーモードの二人羽織みたいなやつ。てか俺はおかずの後に白米を投入するタイプなんだよ。先に白米を食わそうとするんじゃねえよ。まあ、食うけど。あーん。


「碓氷くんのクラスで返ってきてるのって政経と現社だっけ」


 頷く。ふざけたことに優姫がまたしても白米を持ち上げやがった。米をおかずに米を食えってか。江戸時代かよ。銀シャリが一番のご馳走って言いたいのかよ。まあ、食うけど。あーん。


「碓氷くんも一夜漬けよね。同じくらいの点数なの?」


 返事に迷う。テスト間近の土曜はずっとソシャゲしてたし、日曜は川辺さんと尾行してたし、テスト勉強を始めたのはどの科目もテストの5分前からで、後は毎晩、優姫の部屋で介護をしてたけど、帰ってからはゲームして寝てたしな。一夜も漬けてないからどうしたものかと。


 おっ。優姫がだし巻きを掴んだ。いいぞ。その調子だ。


「あーん」


 はい、あーん。ってお前が食うのかよ。


 口の中が空になってしまったわ。仕方ないから答えるか。


「どっちかって言うと俺は浅漬けだな」


「意味が。浅漬けも一夜漬けの一種でしょ?」


「浅はかという意味も込めた自虐です」


「なるほど。なかなか上手いことを言うわね」


 優姫がまたも白米を持ち上げる。ビタミンB1の欠乏で俺を江戸わずらいにしたいのか。ってそれもお前が食うのかよ。普通にランチしてんじゃねえぞ。


 内炭さんもツッコミを入れろや。いつまでくっついてるの、とか。お昼を2回も食べると太るよ、とか。優姫が離れてくれそうな呪文を唱えろや。


「ところで碓氷くん」


 だから俺じゃなくて優姫になんか言えって。


「どうした?」


「幼馴染みって間接キスとか気にならないの?」


 ああ、そんなの考えたこともなかったな。衛生面で言えば気になるけど。


 優姫はもぐもぐごくんとやって、


「カドくんなら直接キスでも気にならないかも」


 まじかよ。なんか嬉しいってより悲しいわ。俺とのキスはどきどきしないってことだもんな。


「小さい頃にしたこともあるし」


 そうなんですか?


「碓氷くんが、まじで? って顔をしてるわよ」


「あれ? 覚えてない?」


「記憶力にはそこそこ自信があるんだけどなぁ」


「まだオムツしてる時だよ」


「そんなもん覚えてる訳ないだろ」


「一緒にちっちゃい頃のアルバムを見たことあるじゃん」


 いつの話だよ。てかそんなこといいから箸を返せよ、腹が減ってんだよ。


「そのアルバムって相山さんのよね。碓氷くんのアルバムってないの?」


 内炭さんの問いは答える気にならんくらい意図がハッキリとしてる。


「ミニサイズの油野が見たいのか?」


 こくこく頷く内炭さん。優姫もこくこくしたせいで俺のほっぺたにファンデが移った気がする。

 

「だって油野くんはフリー素材なんでしょ?」


「そうっすね」


「だから私らに見せても何の問題もない!」


 優姫がまたファンデを擦り付けてきたから頭頂部を叩いてやった。


「もう! 叩かないでよ! 言いたいことは分かったから!」


 優姫が箸で白米を持ち上げた。まじでこいつヴァカだな。あーん。


 少しもぐもぐしたらジャスミン茶で流し込む。香りが強すぎてなんかいまいち。


「まあ見せなくても何の問題もないんだけどね」


 そもそもなんで見せて貰える前提で話してんだろね。甘やかし過ぎたかね。


「碓氷くん。分からないかな。そんなんだからモテないのよ」


「そうだよ、カドくん。そんなんだからモテないんだよ」


 急に仲良しだな、こいつら。まあ、意地悪をするなってことなんだろけど。モテたことなさそうなやつらに言われるとなんかイラっとするね。


「俺、昨日、人生で初めて彼女ができたんだけど」


「……は?」


「……え?」


 昨日、人生で初めて彼女と別れもしたんだけどね。


 内炭さんと優姫は10秒くらい唖然として、同じタイミングで頷いた。


「碓氷くん、自首するなら付き合うわよ」


「カドくん、あたしはカドくんが犯罪者でも好きなままだからね」


 真顔で言われるとショックだな。嘘でしょって笑われる方がマシだわ。弱みをチラつかせての脅迫をした結果だと思われてんのか。


「まあ別にどう思われようが構わんけど」


 あえて余裕な態度を見せてやったら2人の挙動がおかしくなった。そして30秒くらい経ったところで、今回も同じタイミングで頷いた。だから仲良しかよ。


「くわしく」


 内炭さんが前のめりになって聞いてくる。優姫も献上品って感じで鶏の唐揚げを口元に寄せてきた。まあそれ俺の弁当なんだけどね。あーん。


「相手が嫌がるかもだからお断り」


 こう言えばこの2人はこれ以上の踏み込みを躊躇う。俺単体にならいくらでも仕掛けられると思うが、誰かを不愉快にさせてまで知りたいとは思わんだろ。


 しかし俺の予想は半分しか当たらなかった。優姫は計算通り思いとどまったが、


「じゃあ勝負しましょうか」


 内炭さんは瞳に闘志を燃やして持ち掛けてきた。


「話の歯車が噛み合ってないと思うんだが」


「碓氷くんの政経と現社。わたしのどれか2科目。点数を教え合って高い方が勝ち。私が2勝したら詳しく教えて貰う。碓氷くんが2勝したら大人しく諦めるわ」


 豪族かよ。


「内炭さんに有利すぎるだろ。もう終わったテストなんだし」


「私の2科目は碓氷くんが決めていいわよ? なんならハンデもあげるわ」


「ハンデとな?」


「各科目5点付与してあげる」


「70点だったら75点にしてくれるってことか?」


「そういうこと」


 ふむ。それはなんか見下されてるってよりゲーム感覚みたいで面白いな。そうなると俺も色々と考えることが出てくる。まずは交渉という名の前哨戦だ。


「あっれー? 内炭さんってばそんなに自信ないのー? 浅漬け相手に5点しかくれないなんてー。学年4位が121位相手にびびってんのかなー? プークスクス」


 内炭さんの頬が引きつった。


「じゃあ10点あげるわよ」


「30点くれ」


「そんなの相山さんですら私に勝っちゃうじゃないの」


「……ですら」


 ショックを受けてる優姫は置いといて、


「じゃあ20点」


「10点だってば」


「俺、2科目とも90点台じゃないし、内炭さんが100点だったらどうすんだよ。てかこれそもそも俺的に受けてやる必要性がない勝負なんだが?」


「……12点」


 刻むね。20点を拒否したのと刻み方が細かいことからおそらく内炭さんの4科目の平均は95点前後で、俺を80点前後と想定してんだろね。しかも反応からして満点の科目もあると見て間違いなさそうだ。


「15点って言いたいとこだが、まあ細かく競り合うのもなんだし、間くらいを取って12点でいいけど。勝敗の結果に不満がある。現状だと俺に得がないじゃん。あと同点とか1勝1敗で終わったらどうすんだ」


「そうね。同点の場合は素直に引き分けにしましょう。そしてあくまで2勝が賞品を得る条件だから0勝2分け。1勝1敗の場合は何もなしってことで。ただし1勝1分けの場合は勝ち越しだから……」


 内炭さんが優姫と顔を見合わせた。やっぱり2人同時に頷く。通じ合ってるねぇ。


「さっき言ってたミニサイズの油野くんを見せて貰うわね」


「んー、まあ、いいだろ。どうせフリー素材だしな。俺が1勝1分けだった場合はどうすんだ?」


「初カノのことはもう追及しないってことでどう?」


「安くね?」


「フリー素材との天秤で高いも安いもないでしょ。それとも2人がかりで四六時中LINEを送られたり、川辺さんや弥生さんに情報を共有されたりしたいのかしら?」


 おいおい。内炭さんの癖にやり口が俺に似て卑怯だな。ぶっちゃけ構わんのだが、これをフェイクの弱みとしてチラつかせておくのも悪くないかもしれんね。


「じゃあそれでいいわ。で、俺が2勝した時はどうすんの?」


「私の秘蔵の一冊を差し上げようかしら」


 どうせBがLなやつだろ。いらねえわ。


「冗談よ。そうね。1つだけ言うことを聞くってことでどう?」


「大きくでたな。なんでもいいのか?」


「当然ながら性的なのはダメよ」


「当然ながら内炭さん相手にそんなこと考えもしなかったわ」


 胸を膨らませて出直してこい。きっと優姫も視線で語ってるぞ。身の程を知れと。


「まあいいや。俺はテストの点数をスマホで撮ってあるけど、そっちは?」


「私もスマホで撮ってあるわ」


「じゃあ表示した状態にして同時に出すか」


「OK。じゃあ私の科目だけど。数Ⅰ、古典、コミュ英、現社。どれがいい?」


 内炭さんは今の段階だと文理のどっちもいける。だからこその学年4位だ。このレベルだと得手不得手より中学になかった科目を選ぶ方がいいかね。


「古典と現社。出す順番は好きにしていいんだよな?」


「いいわ」


 内炭さんがスマホをいじってる間に俺も午前中に撮った写真を表示する。


「じゃあいくわよ?」


「あいよ」


「せーのっ」


「おおー!」


 優姫が唸った。内炭さんの古典98点。俺の政経87点。つまり98点対99点。


「ぐっ!」


「あっぶね。ふっかけてみるもんだな。あの2点がなければ負けてたわ」


「……30点とか20点とか欲しがるからもう少し低いと思ったのに」


「俺に心理戦で勝てるとでも思ってんの? プークスクス」


 こらこら。女の子がそんな憎しみに塗れた顔をしちゃいけませんよ。


「調子に乗らないことね」


 合図もなく内炭さんが次の画像を見せてきた。現社100点。


「87点以下なら私の勝ち。88点で同点。碓氷くんが勝つには89点しかない。だから碓氷くんは見せなくてもいいわよ。1勝1敗で決まりだから」


「勝手に俺の負けにしちゃダメだろ」


「あら? 気付いてないの? 自分の失言に」


 どや顔で言ってくる学年4位の才女。プークスクスって言いたげだな、おい。


「碓氷くんはどっちも90点台じゃないから10点のハンデじゃ足りないって言ったわよね。その上で私が12点付与を提案した際に15点が望ましかったって言ったでしょ? それで答えが出てるじゃない。どうせ高くて85点でしょ?」


「論理的ではあるな」


 俺はスマホをいじって現社の点数を表示させた。


「けど心理戦では大敗だね」


「なんですって?」


 見せてやる。この現社が目に入らぬかー。


「……は?」


 3桁の数字を目の当たりにして内炭さんが硬直した。優姫は興奮した様子で手をぱちぱち叩いてる。


「俺は2科目とも90点台じゃないって言っただけ。90点以上じゃないとは言ってない。内炭さんが勝手に俺を100点取れないやつって判断しただけ」


「……30点だの20点だの15点だのとハンデを要求しようとしてたのはただの煙幕ってこと?」


 内炭さんの表情は苦虫を100匹同時に噛み砕いたかのようだ。


「それは偏に内炭さんの点数に当たりを付けるためだな」


 内炭さんが眉根を寄せた。


「当たりを付ける意味は?」


「内炭さんの調子こいた態度からして2科目は100点かなって思ってたんだよ」


「……実際にコミュ英と現社が100点よ。古典が98点。数Ⅰが96点だけど」


 まさかの平均98点超え。それで5点しか寄越そうとしなかったとかどんだけケチだよ。ゲームバランスを考えろや。テストエアプかよ。


「5点貰えた時点で俺の現社は105点で1勝確定。内炭さんが両方100点でも1勝1敗になる訳だ。となると俺が目指すべきは1つだろ。片方が100点じゃないと仮定して、その片方に俺の政経をぶつけること。つまりは出す順番だ」


「あー、そっか。朱里ちゃんが現社、古典の順なら1勝1敗だったんだ」


 優姫がミートボールを口に運びながら感心する。まじでいい加減にしとけ?


「どうして私が100点を後に出すと思ったの?」


「性格と心理だな。内炭さんがハンデを10点から12点に刻んだ理由はなんだよ」


「そんなのそれ以上にしたら負けるかもって思ったからに決まってるでしょ?」


「そうだな。決まってる。要するに負けを意識してた訳だ。となるともう内炭さんの心理的に100点を後に出すのがほぼ決まる。勝ちの後の負け。負けの後の勝ち。勝敗は同じだが、心境はまったく違うからな」


「あぁ、そういうこと」


「どういうこと?」


 納得した内炭さんと違って優姫は不思議そうに白米を摘まみ上げた。もういいわ。


「勝ちの後の負けはどうしても負けの印象が残る。でも1勝1敗だしって事実を言っても負け惜しみに聞こえるだろ? 何より俺が煽るんだよ。あっれー? もしかして2連続で勝てると思った? ねえ、どんな気持ち? 4位が121位に負けちゃったのってどんな気持ち? プークスクスってな」


 内炭さんの頬がぴくぴくしてるね。煽り耐性がございませんなぁ。


「逆に負けの後の勝ちは煽るチャンスを得られる。2勝を阻止してやったぞ的な感じでな。実際に内炭さんは調子に乗るな的なことを言って先に点数を見せてきただろ。もう勝負は決まってる的な? 点数は見せなくてもいい的な? もう答えは出てる的な? そんな感じだったじゃん。実際は負け確だったんですけどねえええええ」


 おおぅ。内炭さんが長机をぶっ叩いたよ。プライドお高いっすね。


「要するに、内炭さんは保険を掛けちゃったってこと。事前に俺に煽られたことを思い出して、負けて煽られてもすぐに煽り返せるように切り札を残しちゃったんだ」


「はいはい。その通りよ。私の負け。なんでも命令したらいいじゃないの」


 やさぐれてますね。


 それはそうと、命令ねぇ。思い浮かぶものはあるが。


「はい、勝利の玉子焼きー」


 優姫がだし巻きを俺の口元に寄せてきた。あーん。


 まあ、今はメシを食おうか。このカードは明日にでも使おう。



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