6/24 Fri. 論理的思考力

 現国の教師が授業を5分も延長したせいで部室に来るのが遅れた。


 あの佐藤とかいうクソ教師、授業が下手な上にタイムキープも下手とか生徒にとって害悪でしかねえよ。現社の石川を見習え。どんだけ重要な解説の途中でも「はい、今日はここまで」って言えるようになれ。石川は終了5分前くらいでも「はい、今日はここまで」の呪文を唱えてくれるから生徒に大人気なんだぞ。


 腹を立てながらドアをスライドさせたら4つの目がこっちを見た。2つは言わずと知れた内炭さん。そしてもう2つは、


「やっほ」


 小さく手を振ってきたが、俺の目がまず向かったのは胸部の立派な膨らみだった。今月からEにランクアップしたらしいそれは隣に絶好の比較対象があるせいで特段に大きく感じる。明るい茶色で染めたゆるふわウェーブの横髪が乗っかっちゃってるのがそこはかとなくエロい。その双丘が長机に乗っちゃってるのも実にエロい。


「……どこを見てるのよ」


 内炭さんが軽蔑の眼差しを送ってきた。胸だよ。見れば分かるだろ。


「ふっ。我が胸は男子の目を奪い白昼夢を見せる術の媒介なのだ」


 一方の優姫は誇らしげに胸を両手で持ち上げた。内炭さんには無理な芸当だな。


「初手から幻術とは卑怯なやつめ。今日のところは甘んじて受け入れてやるわ」


 優姫の巨乳をガン見しながらいつもの席に着く。正面から不躾な視線を機関銃みたく乱射されてるが、俺は気にせず長机に弁当とほうじ茶を置いた。


「冗談はさておいて。なんで優姫がいるんだよ」


 優姫の方を見ずに言った。目を見て話すと視線が自然と下がってくんだよな。優姫はそんなの気にしないし、むしろ努力の成果を認められたって解釈で喜びもするが、胸に脳のリソースを奪われて論理的思考の精度が下がるから困る。


「油野クンがここでお昼を食べたって昨日の部活で言ってたでしょ?」


「言ってたな」


「今日も来るのかなって思って」


「ストーカーかよ」


「あはは」


「あははじゃねえわ」


 小5と中3の計2回も断られたのにこれだよ。てか油野視点で考えてみろや。2回ふった女が一緒にメシを食うために待ち伏せしてんだぞ。普通に恐いわ。サイコパスだわ。なんでこんなやつを好きなのか分からんくなってくるわ。


 そもそも油野が来るかどうかはLINEで分かるから無駄足を踏むこともない。もういっそのこと優姫もグループに入れるか。そしたら優姫は油野との距離感が縮まった気になれてハッピー。俺も油野の来る率がきっと下がってハッピーになる。


 そんな魂胆を読み取ったのか、内炭さんが首をぶんぶん振った。是が非でも既得権益を死守したいらしい。仕方ないなぁ。俺は弁当箱を開け、溜息と共に差し出す。


「内炭さん、ブロッコリー」


「はい喜んで!」


 光の速さで手掴みして口に入れた。その意気や良し。けどなるべく素手はやめような。衛生面も気になるし。


「カドくんと朱里ちゃんってそんなに仲良かったっけ?」


 優姫が首を傾げた。ついでに内炭さんも小首を傾げた。


「カドくん?」


 まじか。内炭さんに無関心な俺が言えたことじゃないが、内炭さんも俺に超無関心だったのか。態度でなんとなく想像はしてたけど、出会って3か月近く経つのに。


「碓氷才良かどよしクン。部活だとみんなに合わせて碓氷クンってあたしも呼んでるけど、プライベートだとカドくんって呼んでるの」


「はい。才能が良いって書いて才良です。名前負け超つらいっす」


 内炭さんが何とも言えない表情を見せた。いいんだよ。笑っても。


「小1の担任の先生にサラって読まれてしばらくあだ名がサラちゃんでした」


「人の黒歴史を簡単に暴露するんじゃねえよ」


「サラちゃんって」


 ここで笑うんかい。サラちゃん、傷ついちゃうよ。


「ところでカドくん」


 優姫は人差し指を頬に添えて言った。これ、優姫の姉もよくやる仕草だな。


「どうしてあたしの正面に座らないの?」


 室内の空気が凍った。


 これはあれだ。遠回しなクレームってやつだ。


「あたしを内炭さんより下に見てるの?」って言いたいんだと思う。胸と一緒に女としてのプライドも膨らませてしまったことによる弊害だな。


 巨乳にあらずんば女子にあらず。姉にそう洗脳されてる優姫はいかに好きじゃない男とはいえ、巨乳と貧乳、どっちの正面も空いてるのに、自分が選ばれないことに納得がいかないらしい。さすがは修羅の道を往く者だ。


 しかし貧乳は貧乳のプライドがある。内炭さんはほうじ茶を一口飲み、ってほうじ茶? あんたずっと緑茶だったろ。あっ、昨日の昼に油野がほうじ茶を飲んでたから乗り換えやがったな。クソが。自宅のほうじ茶のストックが底をついたらジャスミン茶にするわ。最近、茉莉花ジャスミンってキャラが主人公のラノベを読んでるし。


 それはともかく、内炭さんは左手で頬杖をついて優姫を見遣った。


「碓氷くんはいつもそこの席でお昼を食べてるから」


「そうなんだ。でもそれはいつもカドくんと朱里ちゃんの2人しかいないから仕方なく向き合える場所に座ってただけでしょ?」


 仕方なく。その言葉が出た時に内炭さんの眉根がピクっとした。どうしよう。こええよ。女子こええよ。俺のために争わないで! ってテンプレの冗談を言える雰囲気でもないよ。2人とも俺のことを好きでもないから反応にも困っちゃうよ。


「相山さんは昨日のことを知らないからしょうがないと思うけど、油野くんが来たときも碓氷くんは私の正面に座ってたわ。だから2人とか3人とか関係ないの。まあ、相山さんは昨日のことを知らないからしょうがないと思うけど」


 優姫の右の頬が引きつった。内炭さんによる重要なことだから2回言った攻撃の効果はばつぐんだ! そのイベントに参加したかったからこそ今日ここに来てるのに、そんなに煽られたら優しい姫じゃなくなっちゃうよ。幽鬼になっちゃうよ。


「でもそれって女子が1人しかいない状況じゃん。今日は2人いるじゃんか。昨日のことは確かに知らないけどさ。一般論で言っても絶景を眺めながら食べる方が見所のない景色を眺めながら食べるより美味しいに決まってるでしょ?」


 無言で昼飯を食おうとしてたのにそんなこと言われたら食えんわ。あぁ、なんか胃が重くなってきた。


「空気が美味しいとご飯も美味しいとか、外で食べるご飯は格別とか、お花見をしながらの飲み会は最高とか。そんなの全部プラシーボ効果だから。思い込んでるだけだから。絶景を見たところで食べるもののグルタミン酸もイノシン酸も増えないから」


「あっれー? 朱里ちゃんはこれを絶景とは認めるんだ?」


 優姫がこれ見よがしに胸を揺らした。内炭さんの目が鋭くなる。


「まぁ。山や谷は絶景の1つとして数えられやすいとは思うけど」


「そうでしょうそうでしょう。平原とは違って見所があるもんね」


「ところで碓氷くん」


 おいおい。まじでやめてくれよ。巻き込まないでくれよ。


「……どうした?」


「日本で1番高い山と言えば?」


 唐突なクイズの意図が分からん。優姫も首を傾げてる。


「富士山だろ」


「正解。じゃあ2番目に高い山は?」


 あれ? どこだろ。聞いたことがないかもしれん。


「分からん」


「北岳よ」


「初耳だな。どこにあるのかも分からんわ」


「南アルプスね。山梨県よ。じゃあ3番目は?」


「2番が分からんのに3番が分かる訳ないだろ」


「奥穂高岳と間ノ岳がどっちも標高3190メートルで3番なの。だから日本で4番目に高い山は? ってクイズは意地悪になるわね。厳密に言うと間ノ岳は小数第一位を四捨五入した数字だから実質的に4位とも言えるけど、国土地理院の発表では同率3位になってるわ」


「ほう。その手の情報は好きだぞ。今度リフィスにでもこれで知識マウントを取ってみようかね。山だけに」


「そして5番目は槍ヶ岳よ」


「や、山だけに、マウントを……」


「つまりね碓氷くん」


 自分はいつも持ちネタのギャグを言ってくるくせに酷くない?


「2番でも3番でも魅力的じゃなかったらみんな知らないの。無価値なの」


 ※個人の感想です。って付けろ。無価値は言い過ぎだわ。


「そこでよ碓氷くん」


「なんすか」


「今年の1年で巨乳の女子と言えば?」


 あぁ。察した。これは我々の業界で言うリフィス論法だ。昨日の昼休みにもリフィスの話題が少し出て、夜に油野がテキストファイルのまとめをグループに貼ってたからそれを読んで勉強したのかもしれないな。


 いいだろう。学年4位の知力のお手並み拝見といこうか。


「川辺美月」


 優姫が睨んできた。いやいやこれ常識だから。男子はみんなそう答えるから。それこそ女子の内炭さんが論理に組み込むくらい正当性のある回答だから。


「でも川辺さんは学年一の胸囲ってわけじゃないわよね。たぶん学年一は私と同じクラスの安田やすださんだし。ならどうして川辺さんの名前が1番に挙がるのかしら。不思議よね?」


 優姫は不思議に思ってない。思ってないからこそ苦虫を噛み潰す。


「私が思うに、川辺さんが魅力的な女子だからじゃないかしら」


「……そうかもね」


「要するに、川辺さんこそ魅力的な、すなわち絶景と呼べるものだと思うの。一方の相山さんは巨乳女子ランキングで何位になるのかしらね。そもそも名前が挙がるのかしら? いえ、失礼だったわね。挙がるわよ。だって絶景らしいし?」


「……」


「もしも、仮に、万が一に挙がらないとしたらなぜかしら。たぶん、男子がソレに魅力を感じてないからよね。果たしてそれを絶景と評して良いのかしら」


「…………」


「相山さん、私の言いたいことが分かる?」


 内炭さんが超上から目線で言った。お世辞にも頭が良いと言えない優姫は悔しそうだ。


「私は確かに見所のない平原かもしれない。でも相山さんも『あんなとこに山があったんだね』ってちょっと興味を持たられるくらいの、絶景とは程遠いものなんじゃない? ということよ」


 優姫は黙ったままだ。ちなみに俺は70点くらいかなって思ってる。


 論理の組み上げ方は悪くないし、内炭さんが自らを貶めることで団栗の背比べに近い状態に持っていけたのは実質的に勝利と言える。いくら絶景とは程遠くても推定Aと推定Eでは何もかもが違うからな。この彼我の戦力差で高慢ちきな優姫の鼻っ柱をへし折ったのは見事としか言いようがない。


 ただ、リフィスならもっと上を行ったってのは分かる。これだとただ賢い内炭さんが優姫の自尊心を論理と言葉で傷つけてるだけだし。


 そう、例えば。


「だから油野に名前を挙げて貰えるくらいもっと励もうねって話か」


 内炭さんがハッとしたような仕草を見せた。そして苦笑する。


「そうね。まずは油野くんの興味を誘えるようにならないと」


 優姫も優姫で反省したらしい。小さく息を吐いて、


「そうだね。あたしも朱里ちゃんみたいにトーク力? 話術って言うの? それを磨かないとだめかなーって思った。やっぱ勉強できる人は違うなって。だって言い返せなかったし。油野クンも勉強できる人だから、朱里ちゃんみたく色々な知識を持った子と話をする方が楽しいんだろなって」


「まあ優姫は普通にヴァカだからな」


 中間の順位が320人の中で304位だったし。


「ヴァって言わないで。ヴァって」


 やっと空気が柔らかくなった。さてさて弁当を食いますかね。


 俺がもぐもぐしてる間も女子陣はきゃっきゃと話してる。さっきはちょっと面倒なことになったが、2人の仲は別に悪くない。良い方とも言える。女子ってなんか急にどうでもいいことで衝突するよな。心臓に悪いわ。


「あれ? 結局カドくんはどうしてあたしの正面に座らなかったの?」


 おおぅ。気付いてしまったか。俺が無回答だったことに。


「碓氷くんのことだからきっと何も考えてないと思うわ」


「あー、カドくん、そういうとこあるー」


 仲良しかよ。まあそれは良いことだが、ここは1つ、リフィスを見習おう。


「俺がここに座るとだな。油野が来た時にあいつが座るのは優姫の正面になる」


「っ! カドくんっ! あたしのためだったんだねっ!」


 理屈と膏薬はどこへでもつく。チョロい優姫が潤んだ瞳で俺を見てきた。


「それは後付けの理屈でしょ。だって相山さんがいる理由を知ったのは席に着いた後だったじゃない」


「あっ! カドくん! どういうこと!」


 チッ、これだから論理的思考のやつは厄介なんだ。可愛げがない。仕方ないから第二弾の膏薬を用意しよう。


「バレたか。まあいい。優姫、ちょっとこっちこい」


 手招きするとぷんすかしながらも長机のこっち側にやってくる。って近! 内緒話でもするのかと勘違いしたみたいで顔を思いっきり寄せてきた。


「違う。そこに座れ」


 優姫が眉根を寄せながらも従った。俺は心音を抑えるのに必死だ。


「座ったよ?」


「内炭さんを見てみな」


 女子2人が見つめ合う。これには内炭さんも首を傾げた。


「見たよ?」


「俺が何を言いたいか分かるか?」


「……平原?」


「また戦争したいの?」


 内炭さんは血の気が多いなぁ。


「良い景色だと思わないか?」


 優姫は本当に分からないらしい。内炭さんも俺の思考を読もうとしてか腕組みをした。俺の読みでは内炭さんに答えがバレると優姫の満足度が下がるから、少しどきどきするが、優姫の耳元まで口を寄せて囁く。


「それ。昨日の油野が見てた景色だぞ」


「っ! なんて絶景なのっ!」


 優姫さん、ご満悦の様子。しばらく眺めていたいが、今は花より団子だな。蚊帳の外になってる内炭さんはしかめっ面だ。


 鼻歌まじりでガキみたいに足をバタバタさせてる優姫の隣で弁当を食べ続け、もう少しで完食と言ったところで、


「あっ!」


 内炭さんが立ち上がった。ダッシュでこっち側にやってくる。


「ちょっと! 朱里ちゃんは席に座っててよ!」


「絶対に嫌! これって昨日の油野くんの疑似体験をしてるんでしょ!?」


「えっへへー。油野くんと一体化したみたいで幸せ! もう絶景の称号は朱里ちゃんに譲るから元の席に座ってよ。見所アリアリだよぉ?」


 すぐ近くで騒がれるのは困ったもんだが、上手くいって良かった。今回のこれも俺がこの席に座った理由と全く関係がないのに、内炭さんはそこに気付けない。リフィス直伝の感情を突いて思考力を奪う戦術だ。


 俺は1手目で失敗したから2手目でこうしたが、リフィスは1手目の失敗を前提とした上で2手目をもっと丁寧に打つんだろうな。うーん、難しい。


 やがて食事を終え、ほうじ茶で喉を潤したら不意に聞き慣れた言葉が耳に届く。


「私! 油野くんのことが好きなんだけど!」


 えぇ。この人、恋のライバルにもこれ言ってんの?


「知ってまーす」


「だから席を代わってよ! 私も油野くんごっこしたい!」


「だめでーす」


 姦しい部活仲間を横目に俺は溜息を吐いた。ほんと、仲が良いな。これは収拾が付くのは5限開始の予鈴が鳴るくらいになりそうだ。


 この景色は嫌いじゃない。俺からすれば絶景みたいなもんだ。いつまでも見ていたいとも思うが、そういう訳にもいかない。だから折衷案として心中で呟く。


 はい、今日はここまで。


 

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