6/23 Thu. ステラライト
昼休みを告げるチャイムが鳴り、今日も部室で弁当を食おうと思ったのに、家から1本税込み48円のほうじ茶を持ってくるのを忘れてることに気付いた。
予定外の出費は痛いが仕方ない。お茶なしで弁当を食う方がもっときついからな。
という訳で技術科棟の前に体育館の方に向かった。購買とか一部の渡り廊下の脇にも自販機はあるが、そっちは人がいっぱいで買うのに時間が掛かる。
ほらね、体育館前の自販機には10人くらいしかいない。もう少し経ったら体育系の連中が集まってくるから早くしないとだ。
100均で買ったがま口から硬貨を1枚出して最後尾に並ぶ。全員が俺と同じで下準備をしてるから回転が早い早い。たまに自販機の前に立ってから財布を出すやつとか、どれを買うかを迷うやつとかがいるが、あいつらなんなのかね。自分のことしか考えられないやつなのかね。駆逐されたらいいのに。
おっと。ヘイトを高めていたらいつの間にやら次が俺の番だ。気が合うことに俺の前の生徒はほうじ茶のボタンを押した。だよな。時代はほうじ茶だよな。
この人とは仲良くなれそうだ。そう思ったのに、
「碓氷?」
油野だった。はぁ。白けるわー。
「はよどけや」
「悪い」
油野が一歩横にずれた。ずれるだけでどこかに行こうとしない。なんだこいつ。
まあいい。俺の背後には既に何人もの生徒がいるんだ。早く買わねば。
そして硬貨を投入して戦慄した。ほうじ茶を買うとこのボケとお揃いになっちゃうじゃん。てか見てんじゃねえよ。買いづらいだろ。ってこれ周囲からしたら自販機の前に来てから買う品を選ぼうとするKYに見えるんじゃないのか。KYは圭介油野だけで充分だっての。そんなとこまでお揃いだなんて最悪だ。
断腸の思いでほうじ茶を選択。すぐにペットボトルを拾い上げて列から脱した。
「何か用でもあんのか?」
油野が付いてきてる。こいつと一緒にいると女子の視線が気になるから嫌なんだよな。こいつにとってはただの背景なんだろうけどさ。
「せっかくだし、一緒にメシでもどうかと思った訳だが」
意味が分からない。半年前から碌に喋ってないのに、急にどうしたんだ。
「水谷さんと食えばいいだろ」
「一緒に食うのは月水金って決まっててな。今日の千早は川辺達と一緒だ」
千早。千早ときたよ。この学校で水谷を名前で呼べるのは俺だけだ感満載だよ。
「火曜と木曜は久保田と食べることにしてるんだが、今日は委員会でいなくてな」
「それでぼっちめしを覚悟してたら俺がいたもんで声を掛けたと」
「おう」
おう、じゃねえわ。都合の良い時だけ話し掛けてきやがって。
「そういやこないだのLINEって何だったんだ? 正面の部屋が佳乃か紀紗かってやつだが」
そんなこともあったな。俺が都合の良い時だけ話し掛けたやつな。HAHAHA。
仕方ない。ブーメランの詫びで1回くらい付き合うか。
「立ち話もなんだから移動すっか」
勝手に歩きだしたら油野が隣にきた。肩を並べて歩くのは中学の修学旅行以来だ。
「碓氷はいつもどこで食ってるんだ?」
「部室」
「部活に入ってたのか」
「料理研究会な。リフィっさんの加護の元で前時代的な思考から脱却しようかと」
「なるほど。リフィスと言えば最近になってボイチャを始めたぞ」
「まじで?」
思わず顔を向けてしまった。あらやだ、イケメンがいるわ。超仏頂面だけど。
「男だった? 女だった?」
我々の業界で言うリフィス七不思議の1つだ。ガチで性別が分からんかった。
「男だった」
「読みが外れたな。ってことは久保田が失恋か。今度菓子でもやろう」
「俺は菓子パンを2個やった」
自然と笑いが零れた。油野も笑ってやがる。思ったよか普通に話せるもんだな。
「てかリフィっさんが男ってことは宿理先輩の初恋って」
「そういうことになる。最近は2人でよくボイチャをしてるみたいだが」
「うまくいきそうなのか?」
油野が難色を示した。相手はあのリフィスだからな。どう転ぶか分からんか。
そうして世間話をしてたら部室に到着した。ドアをスライドさせ、いつものように身体を窓に向けてぼけーっとしてる内炭さんが目に入った時に気付いた。
あっ、油野を連れてくって言うの忘れてたわ。
内炭さん、油野のことが好きなんだけど! って状況だな。いや、今の文脈だと俺が油野を好きみたいに聞こえてキモいわ。
ともあれ部室に連れてきたからには俺がホストで、油野がゲストだ。特に何もないがもてなせるだけもてなそう。主にプチトマトとかブロッコリーとかでな。
俺はいつものように内炭さんから長机を2個挟んだ場所に、油野は俺の左隣、内炭さんから見て右手の後方に座らせた。
それにしても。内炭さんって俺が無言で入ってきても外を見続けるんだよな。俺を空気扱いするのは構わないが、もしも入室したのが暗殺者だったら余裕でバックスタブされてるぞ。仮にも女子なんだから気を付けろよ。
という訳で弁当箱とほうじ茶を長机に置いて、
「ねぇ」
いただきますくらいさせろや。てか内炭トークの導入シーンを知らない油野がキョドってんぞ。
「どうした?」
「三河弁って恥ずかしいの?」
油野と顔を見合わせる。思えばそれほど使わなくなったな。たまに出てるが。
「今日ね。2限の休憩の時にクラスの女子2人が自販機に行こうとして、片方の女子が教室から出るタイミングで財布を持ってないことに気付いたみたいなのよ。そしてそれを知ったもう片方の女子が笑いながら言ったの」
内炭さんは遠い目を窓の外に向けて呟いた。
「かばんさばくってきりん」
「……あー」
カバンの中を探してきなさい。の意だが、さばくるという動詞を知らない人からすると「鯖食うの?」ってなっちゃうよな。しかも麒麟もいるし。
「別にその女子が誰かに笑われたってことじゃないの。みんな通じるし、ただ、その女子が言った後に自分の口を両手で塞ぎながら顔を真っ赤にしてね」
「本人が恥ずかしがってたのか」
「そう。それで思ったのよ。私も無意識で恥ずかしいことを言ってるのかなって」
フッと内炭さんは自嘲気味に笑って、身体をこっちに向けた。正確には向ける途中で固まった。見開いた目で油野を凝視している。軽くホラーな絵面だな。
「……え?」
心底驚いた人ってこんな反応するんだな。ためになるわー。という訳でご飯ご飯。
「油野の弁当は自分の手作りか?」
「いや、これは母さんが作った。弁当って構成を考えるのが難しくないか?」
「んなもん全部肉か揚げ物でいいんだよ。赤緑黄白黒だか茶の5色を揃えると彩り的に美味しそうに見えるとかどうでもいいんだよ。見えてもしょうがないんだよ。食って美味くないと意味がないんだよ。プチトマトもブロッコリーもいらないんだよ」
「一部の野菜がヘイトを稼いでるようだが、俺はオムライスを作る時にパセリがなかったらブロッコリーを添えるぞ」
「やっぱお前とは分かり合えねえわ。ネトゲもステをバランスにするよか2極くらいで特化した方が強いだろ。玉子の黄とケチャップの赤が最強ビルドなんだよ」
てか内炭さんはいつまで固まってるんだろ。油野もよくここまで凝視されてスルーできるな。やっぱ背景なのか。水谷さん本体と川辺さんの巨乳以外は背景なのか。
まあいいや。久々にマイペースで弁当を食える。チッ、今日は半月切りのプチトマトがある。予定通り油野に食わせるか。こいつは基本的に何でも食うからな。
「……ねぇ」
卵焼きを半分に割って口の中に入れたくらいで内炭さんが再起動した。と言っても体勢も表情もそのままだ。ハードは動いたがソフトはフリーズしてる感じかね。
「どうした?」
「油野くんの幻影みたいなのが見えるんだけど」
油野の箸が止まった。眉根を寄せてるのはなんで本体じゃなくて幻影だと思われたのかが分からないからかねぇ。
「俺は油野本人だが」
油野が内炭さんの凝視に視線を合わせる。おー、1秒、2秒と時間の経過に伴って顔色が変化していく。10秒も経てば熟れたトマトのようになった。
「え、なんで?」
やっとこっちを見た。これ以上は目を合わせられないらしい。
「油野がぼっちめしつらいって言うから俺のプチトマトを食う条件で連れてきた」
「プチトマトの件は初耳だが、概ね間違ってないな」
空気を読めよ。だからお前は生まれながらのKYって言われるんだよ。
「大丈夫です! 私が食べますから! いつも食べてますから!」
これが内炭流の女子力アピールなのかね。俺は無言で弁当箱を差し出してみる。
なんと、プチトマトが一瞬で消滅した。けど素手で食ったのはどうかと思うよ? ワイルドな一面を見せてもキュンとするってことはないだろ。
内炭さんは動物柄のハンカチで手を拭き、ペットボトルの緑茶をごくごく飲んで、
「は、初めまして! 5組の内炭朱里と言います!」
は?
「内炭さんと油野って面識なかったのか?」
そんな関係で部屋にお招きされる妄想をしてたとか夢を見るにも限度があるだろ。
「いや、面識はあるぞ」
「え?」
「え?」
なんで内炭さんまで驚いてんだよ。記憶喪失設定でもあんのか。
「ゴールデンウィークの時に本屋で会ったよな?」
トクン。って内炭さんの心音が聞こえた気がした。なんか感激してるみたいで目尻にうっすらと涙が浮かんでる。トゥンクトゥンクしてるようだ。
「詳しく」
蚊帳の外はつまらんから一応は尋ねてみる。
「ラノベを買うために本屋に行ったら、この子が高い場所の本を見上げてたから、どれかを聞いて取ってあげただけだな」
少女漫画みたいな展開だな。その自分だけの大切な思い出のはずの出来事を相手が覚えてるとか、それはトゥンクもしますわ。嬉し泣きもしますわ。
「それだけのことでよく覚えてたな」
俺は出先で内炭さんを視界に入れても気付かない自信があるのに。
「取ってあげた本の表紙が、半裸の男同士が見つめ合ってるやつだったからなぁ」
あっ、だめだこれ。少女漫画になれない展開だわ。さっきの初めましてもその件を滅却するための策謀に思えてきたし、涙を浮かべてるのも感激じゃなくて絶望のやつっぽい。てか男になんてもんを取らせてんだ。特殊なプレイにしか見えんぞ。
「違うの」
おっと。犯人が供述を始めましたよ。
「あの巻はたまたまそんな表紙だっただけで、他の巻はもっと普通っていうか」
「へぇ。内容も?」
「な、内容も」
「なるほどなるほど。タイトルを述べよ」
俺はスマホを手に取って、グーグル先生を叩き起こした。
「……くっ」
お? くっころか? くっころなのか? 内炭さんはわなわなと震えて、
「違うの」
今のストーリーでは逃れられないと判断したようだ。さっきまでの話はなかったかのように内炭さんは語る。
「実はお姉ちゃんにおつかいを頼まれて」
「内炭さんって弟と2人姉弟じゃなかったっけか」
「え? なんで知ってるの?」
嘘だって自供しちゃったよ。
「優姫が言ってた」
そう、と内炭さんは俯いた。そして、
「違うの」
「タイムリープものじゃねえからな? 1回すらやり直せてねえからな?」
「……うぅ」
俯いたままスマホをいじってるようだ。まもなく俺のスマホが震えた。
『私、油野くんのことが好きなんだけど……』
内炭さんから初めてきたLINEがこんな内容とか。重いような、ギャグみたいなもんだから軽く感じるような。
『知ってる』
『どうにかして名誉挽回できませんか』
蓬莱の玉の枝を探し出す方がまだ望みがある気がする。というか、
『名誉は知らんけど、別に油野は引いてないと思うぞ』
実際に油野は黙々と弁当を食ってる。スマホをずっといじってる内炭さんをちらちら見てるが、その瞳に侮蔑や軽蔑と言ったものは窺えなかった。
「油野」
「ん?」
「内炭さんが引かれたかもって悩んでるんだが」
「なんで言っちゃうの!」
焦って立ち上がる内炭さん。それに対して油野は顔色一つ変えずに、
「急に黙ったと思ったら2人で密談してたのか」
「内炭さんは内気だからお前に直接聞けなかったんだよ」
俺は手の動きで内炭さんに着席を促す。渋々と言った感じで従ってくれた。
「別に引いてはいない。人の趣味にケチを付けれるほど高尚な人間じゃないしな」
内炭さんが胸を撫でおろした。いや、この表現は内炭さんにミスマッチか。
「じゃあどう思ったんだよ、内炭さんのこと」
安堵から一転、内炭さんがわたわたし始めた。恋心の確認じゃねえからな?
「面白いな」
「ふぇ。面白い?」
内炭さんが赤い顔で油野を見つめた。こいつ、一瞬だけ視線が胸にいったな。
「碓氷とのやり取りが面白い。漫才を見てるみたいだった」
「言われてみれば内炭さんがボケで俺がツッコミって感じだったなぁ」
「おう。それに最初のやつがインパクトあった。急に始まったし」
「あれいつもだぞ。何の脈絡もなく『ねぇ』って言われる」
「まじか」
油野が笑った。ふおおおおおおって感じで内炭さんが目を輝かせてる。
「俺も先週に三河弁で恥ずかしい思いをしてな。けったって言ったら爆笑された」
「えっ。けったって普通に言いますよね」
「俺は相手によって自転車とチャリとけったを使い分けてるな」
「チャリはなんかかっこつけてる感がないか?」
「分かる気がします!」
「分かんねえわ」
そんな感じでわいわい話しながら昼食は続き、油野も俺も弁当を食い終えたところで時間を見てみれば、5限の開始まで残り15分くらいだった。
「そろそろ行くか」
油野が席を立ち、内炭さんも合わせて立ち上がった。俺は5限開始ギリギリまで教室に戻らない派だからまだこのままだ。
「またぼっちになったら来てもいいか?」
それはちょっと。
「いつでもどうぞ! お待ちしてます!」
テンションたっかいなぁ。これに対抗するのもめんどいから受け入れてやるわ。
ついでに今後の森を効率的に処理するために一役買うかね。
「今日みたいに急だと内炭さんが困るかもだからグループを作っとくか」
返答は待たない。勝手に招待してやった。油野をぼっちから救う会(3)。
カースト上位を捕まえて何を言ってるんだってグループ名に、内炭さんが満面の笑みを見せてる。そこに油野が、
「内炭」
「え? ひゃ、ひゃいっ!」
初めて呼び掛けられたことで内炭さんが錯乱した。こいつ、誰でも呼び捨てだからなぁ。馴れ馴れしいんだよな。女子はその方が嬉しいかもだけど。
「友だち登録していいか?」
「はい! あ、え、いいんですか? その、水谷さんとか」
あのパーフェクトヒロインがモブ相手に嫉妬なんかする訳ないだろ。
「あいつはそういうの気にしないな」
「それじゃあ。お願いします」
一連の作業を終えたら油野は部室から去っていった。
内炭さんは夢でも見てるかのようなぼーっとした表情で突っ立っていて、
「碓氷くん!」
唐突に目の前まで駆けてきて、俺の両手を握ってきた。
「私! 油野くんのこともっと好きになっちゃったんだけど!」
破顔一笑ってこういうのを言うのかね。
不覚にも、不本意にも、少しだけ可愛いと思ってしまった。
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