子どもたちのための組曲

増田朋美

子どもたちのための組曲

大変暑かった夏がやっと終わり、涼しい季節がやってきた。すずしくなって、今まで塞がれていたなにかが明るみに出る季節でもある。そんななかで、また、新しい事を始めたくなる人も居るし、出会う人、別れる人、人は色々何だなと思うのである。

そのなかで、杉ちゃんたちは、いつもと変わらず着物を縫ったり、ピアノを弾いたり、あるいは、お手伝いという名目で、製鉄所で作曲の作業をさせてもらっている、植松淳もいた。

しばらくして、製鉄所に設置されていた柱時計が、11時を鳴らした。製鉄所と言っても鉄を作る場所ではなく、ただ居場所がない人たちが、勉強したり仕事したりする場を提供している施設である。たまに抱えている事情が重たすぎて、一人で対応できない人がやってくるときもあるが、最近は、家庭事情というよりも、うつ病などで居場所をなくしている女性たちが来訪することが多かった。

「あ、もうこんな時間だ。お昼を作らなきゃ。」

製鉄所の利用者たちのお昼ごはんを作るのは、だいたい杉ちゃんに任されている。夕食時刻になると、家に帰ってしまう利用者が多いので、夕食を作る仕事はさほど負担にならないのだが、お昼は、利用者の人数も多いし、それに、利用者たちが、好き嫌いなく食べられる料理を提供するというのはかなりの重労働であることは疑いない。だからこそ、料理に生きがいを持っている杉ちゃんのような人でないと、料理の仕事はこなせないのであった。

「杉ちゃん今日のお昼何?」

「焼きそばだよ。」

利用者に聞かれて杉ちゃんは、即答した。利用者たちは、

「やった!焼きそば!」

と喜んでいるが、実は、この喜ぶ料理を選び出すのは、かなり難しい作業でもあった。杉ちゃんが鼻歌を歌いながら、野菜を切ったり、蒸し麺を痛めたりしている間、利用者たちは、ああ美味しそうとか、早く食べたいとか、そういう事を言っている。実は、これが結構大事なことだったりする。うつ病などになってしまうと、料理どころか、ご飯の湯気も気持ち悪いとか、言い出す人が居るからだ。それをさせないで、食べたいという気持ちにさせることも、ある意味杉ちゃんの才能だと思われる。

「ほら、できたぜ。今日も、しっかり食べろ。」

杉ちゃんが、焼きそばのはいった大皿を食堂のテーブルの上に置いた。利用者たちは、それの周りに集まって、思い思いに焼きそばを取って、むしゃむしゃと食べ始めた。彼女たちが美味しいとか、もっと食べたいとか、そういう事を言っている間、杉ちゃんにはもう一つ仕事があった。それは、小麦を食べられない水穂さんに、おかゆを作って食べさせることである。本来、病人食をつくる女中さんを雇うなどして、役割を分担しても良いと思われるが、女中さんを雇っても、みんな水穂さんに音を上げてやめてしまうので、結局、杉ちゃんが彼の食事を作ることになった。それまでして、杉ちゃんが不平不満を言うのがまったくないというのが、なんだか不思議なところでもあるのだ。

「さあ食べろ食べろ。今日は、大豆入りのおかゆだよ。」

杉ちゃんにそう言われて、水穂さんは布団の上に起きた。布団の上に起きられればできる限り自分で食べてもらうようにしているのであるが、それでもどういうわけか、水穂さんは、食べられずに途中ではきだしてしまうことが多かった。それは柳沢先生は、本人の精神的な問題で、食べ物を受け付けないと言った。けれど、食べ物を食べないというのは、深刻な問題である。今日も、水穂さんは、杉ちゃんから渡させれたおかゆを口にするが、咳き込んで吐き出してしまった。

「あーあ、またやるう。もういい加減にしてくれよ。そうなっちまったらな、治りたくても治らないよ。」

杉ちゃんが呆れた顔してそう言うと、

「まだ、食べれないのですか?」

いつの間にか、作曲の作業をしていた植松淳が、四畳半にやってきた。

「全くだ。」

杉ちゃんはぶっきらぼうに言った。

「無理やり食べさせるというわけにも行かないし、かと言って、何も食べさせないわけにも行かないし、あーあどうしよう。」

「そうですね。利用者さんたちは、旺盛な食欲を見せているようですが。」

杉ちゃんと植松がそう話していると、いきなり玄関の引き戸がガラッと開いた。

「失礼いたします。こちらに、植松さんという作曲家の方がいらっしゃると言うことですが、彼にお話がありまして、こちらに伺いました。」

「花村さんだ。」

杉ちゃんはすぐに言った。

「おう。今水穂さんのことで、手が離せないだよ。上がってきてくれる?」

と、杉ちゃんが急いでいうと、

「わかりました。それでは上がらせていただきます。」

花村さんは、草履を脱いで、四畳半にやってきた。

「花村さん?」

植松がそう言うと、

「そう。琴の世界では結構な有名人だよ。最近は、お琴を気軽に習えるようにって言うことでさ、お家でお教室をやっている。」

と、杉ちゃんが説明した。

「ええ、正しく、私が、お琴を演奏している花村義久です。」

花村さんは、四畳半にはいってきた。

「花村さんどうしたんだよ。一体何があった?」

花村さんに対して対等に話をできる人物は杉ちゃんだけだった。花村義久といえば、結構な著名人であることに疑いなかった。

「あなたが植松淳さんですか?杉ちゃんから、左腕がかけていると聞きましたので、すぐに分かりました。」

と、花村さんはいった。

「そうそう。正しくこいつだよ。僕達は、腕の無い悪役に例えて、フック船長と呼んでいる。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「杉ちゃん、あんまり悪役と一緒にしてはいけませんよ。それより、植松さん、あなたにお願いがございまして、こさせていただきました。ご自宅にも伺いましたが、奥様に聞いたところ、こちらに来ていると言われましたので。」

花村さんは、にこやかに言った。

「実は、植松さん、あなたにお願いがあります。実は、のんびり村保育園で演奏することになりましたので、子供さん向きのお琴の組曲を書いてほしいのです。もちろん、出版してくれて結構ですし、他の誰かに演奏させてもらってもいいです。著作権はあなたにあるわけですから、後で改定してくれても結構です。それはおまかせしますから、とにかく、あなたに、子供のための組曲を書いていただきたいのです。」

「はあ、こいつがお琴の楽譜を書くのか。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「む、無理ですよ。花村先生。僕は琴なんて演奏したことないですし、それに譜面がどうなっているのかもわかりません。お琴の作品を書くということは、できないと思います。」

フックこと、植松は驚いてそういったのであるが、

「ええ、それは承知しています。五線譜で書いていただいて、その音符の下に番号をつけるという形でも結構です。その場合、私が、多少改作するかもしれませんが。」

花村さんはにこやかに笑った。

「それは構いませんけど、ことのための組曲なんて、本当に書けるかどうか。それに、僕は、クラシック音楽しか触れたことがありません。そんな人間が、お琴の作品なんか書いてもいいのでしょうか?」

フックはちょっと心配そうに言った。

「ええ、大丈夫です。最近は、洋楽の先生が、邦楽器のための作品を書くことが多いです。ですから、邦楽では無いのではないかと思われる音楽が、そこら中に溢れています。」

「まあ確かに、そうだけどねえ。牧野由多可とか、洋楽の作曲家だけど、邦楽をたくさん書いているからな。だけど、そいつらと、フックが、肩を並べることはできるかな?他の作曲家には両手があるよ。片手で曲を書くだなんて、無茶すぎると思うけどね。絶対なにか批判が出るぜ。片腕の人間が両手用の作品を書くのは生意気だとか。」

花村さんがそう言うと、杉ちゃんがすぐに反論した。

「いえ、僕はやってみてもいいと思いますけどね。」

と、水穂さんがいきなりそういう事をいった。

「水穂さん、自分のできないことを願望として他人に託すのはよくないことだぜ。」

と、杉ちゃんが言った。

「いえ、そういうことじゃありません。少なくとも、僕と違って、たしかに片腕であることは事実ですが、批判を受けなければ行けない身分では無いわけですからね。それなら、挑戦してもいいのではないでしょうか。少なくとも今は何でもありの世の中ですし。洋楽をやる人間が、邦楽の作品を書いてもなんにもおかしなことではありませんよ。」

水穂さんは優しく言った。

「うーんそうだけど、、、。」

と杉ちゃんは言った。

「わかりました。それならやって見ます。琴の音楽なんて何もわかりませんが、花村先生に言われたのなら、やらなければならないと思わなければ行けないと思います。」

いきなり、フックがそういう事を言った。まあ確かに、花村さんという人は大変権威がある人だから、物事を動かすのは簡単ではあるけれど、ちょっと強引な気もするのだった。

「ぜひお願いします。五分程度の短い曲を数曲集めた、組曲にしていただきたいです。それに、単独でも演奏できるような、起承転結がある組曲がいい。ピアノと違って、単旋律で書ける楽器ですから、そう難しくないはずです。」

花村さんがそう言うと、フックはわかりましたといった。

「とりあえず、五線譜で書いて提出してください。私が、少し手を入れるかもしれませんが、了承していただけますね。」

「わかりました。」

「おめでとう!契約成立!」

杉ちゃんが、二人に、手をたたいて拍手をした。

「花村さんが進歩させてくれたんだから、水穂さんもちゃんとご飯を食べようね。」

と杉ちゃんは負け惜しみを忘れず、ご飯の皿を水穂さんに見せた。今度は、見ている人の人数が多いせいか、水穂さんもご飯を口に入れてくれたのであるが、やっぱり吐き出してしまうのであった。

「うーん、こればかりは気持ちの問題かなあ。」

杉ちゃんがそう言っていると、

「杉ちゃんお昼ごちそうさま。」

「焼きそばとても美味しかった。」

と、利用者が、杉ちゃんに声をかけてきた。全く食欲の秋とはよく言ったもので、皆さん焼きそばをきれいに平らげてしまった。いつまでも食べられないで吐き出してしまう水穂さんを、杉ちゃんも、フックも恨めしそうに見た。

利用者たちは、昼食を食べ終えて、皆思い思いの活動を再開した。勉強をしているものも居るし、仕事をしているもの、または、文藝賞に応募するんだと言って、小説ばかり描いている利用者もいた。製鉄所は泊まり込みでも利用できるが、大体のものは、夕方には自宅に帰る。水穂さんだけは、製鉄所の部屋を間借りしているので、夕食を食べなければならなかった。夕食を作るのも杉ちゃんのしごとであるが、やっぱり、何も食べてくれないのだった。なんでそうなってしまうんだろうなと杉ちゃんは頭を捻るが、どうしても水穂さんは、食べ物を受け付けないのだ。一体どうして、そうなってしまうんだろうか。こればっかりは、本人の問題だけでは無いような気がしてしまうのであるが、非常に困ってしまう。水穂さんにご飯を食べさせて、杉ちゃんの製鉄所での仕事は終了するのであるが、その日は大きなため息を着いて、帰っていったのであった。

その翌日。杉ちゃんは製鉄所の利用者の一人と一緒に影浦医院に行った。女性の利用者で、何でも、何をするにもやる気がです、寝てばかりいるという女性だった。親御さんは彼女が早く外へ出てはたらいてほしいと思っているようであるが、それは今の状態の彼女にはできそうも無いことであった。とりあえず杉ちゃんと一緒に影浦医院に行き、診断書を書いてもらおうということになったのである。

影浦医院は完全予約制だったので、あまり待たなかった。外科とか、内科でもないから、急な患者がはいってくることも少ない。なので、数分待たされて、すぐに呼ばれた。杉ちゃんたちは、急いで診察室にはいって、影浦にとにかくやる気が出なくなってしまったと、話した。その女性利用者の話によると、彼女は、重い帯状疱疹になったということだ。それは幸い軽度であり、すぐに治療することができたそうだが、心のほうが、治らなかったらしい。なんで自分がそんな病気になったのかわからなくなって、自分とはそんな小さな存在でしかないと彼女は、落ち込んでしまったという。確かに、名門の進学校に行って、四年生の大学を出て、有名な企業にはいった彼女は、病気なんて一度も経験したことがなかったので、そうなってしまったのだと杉ちゃんが説明すると、影浦は、わかりましたと彼女に言った。

「わかりました。それではうつ病ですね、まあ、たしかに治りにくい病気ではあるんですけど、もしかしたら、別のあなたを知るためのステップなのかもしれないです。抗うつ薬出しておきますから、それで様子を見てください。その時、恥ずかしいとか、悪いことをしたとか思わないでくださいね。もし、誰かがあなたを批判しても気にしないでくださいね。」

と、影浦は優しく彼女にそう言うと、利用者は、はい、わかりましたと涙ながらに言った。影浦にもう帰ってよろしいと言われて、彼女は診察室を出た。受付から処方箋を渡されて、隣にある薬局で、薬を頂いて、彼女は製鉄所に帰っていった。

「まあ良かったじゃないか。病名が着いたら、大丈夫だよ。そのとき大事なことは、お前さんが悪いわけではなく病気が悪いんだと、お前さんの意識の中から切り離して考えることだよ。」

製鉄所に帰るバスのなかで杉ちゃんはカラカラと笑っていった。そうやって笑って片付けられることなのであれば、素晴らしいことなのだろうが、大体の人は、そんなふうに明るく楽しく解釈することはできないと思われる。

「人間だもん、誰だって人に迷惑はかけるし、それはいけないことじゃない。僕も歩けないから、たくさん迷惑をかけている。だから、それとおんなじだと思えばいい。変えることができることとできないことをしっかり線引して、それで生活すれば大丈夫。」

「そうねえ。杉ちゃん見たいに、なんでも明るく解釈できれば、意外に強いのかもね。」

利用者は、にこやかに笑った。

それから数日後。再び花村さんが製鉄所にやってきた。先日依頼した箏曲ができたというのだ。

「一応、琴の音を意識して書きましたが、もしかしたら、全然違うかもしれません。」

と、花村さんにフックは、楽譜を見せた。確かに五線譜で書いてあるのだが、しっかり日本の情緒を表現するかのように、短調で書いたものであった。花村さんはその五線譜を確認して、

「いい曲じゃないですか。これならことで表現しても良いとも思いますよ。それで、お代はいくら払ったらよろしいのでしょうか?」

と彼に言った。

「いや、そんなこと、僕が決めてしまうことはできないですよ。報酬なんて、僕は必要ありません。そんなこと、気にしないでください。」

フックは花村さんにそういったのであるが、

「大丈夫です。どんな人であれ、曲を作ってくれたのですから、ちゃんとお礼をしなければなりませんよ。」

と、花村さんは言った。

「そういうことなら、1000円でいいです。」

フックはそう言うが、花村さんは、一万円札を渡した。こんなものとびっくりしていたフックだが、花村さんは受け取ってくださいといった。フックは、ありがとうございますと言って、それを受け取った。

「ただいまあ。帰ってきたよ!」

と、杉ちゃんのでかい声が玄関先から聞こえてきた。一緒に来た利用者も、只今戻りましたという声が聞こえてきた。

「どうでした?」

と他の利用者が彼に聞くと、

「はい。まぐれもなく、うつ病だった。まあ、それでいいじゃないか。そうしたら、うつ病の薬飲んで、ちょっと、生き方を変えて見ればそれでいいことだ。」

と、杉ちゃんはでかい声で言った。利用者たちも良かったねといった。それは病名が着いたということは、かえって対処法がつきやすくなるということを知っていることによる。

「そうか。大丈夫よ。頑張って、一緒に治していこうね。」

利用者たちはそう話し合いながら、お茶を飲んで、病気のことなど話し始めた。仲間の存在を忘れないというのも大事なことだった。人間は、一人では絶対生きていかれないのだから、仲間を作るということは、しっかり考えておく必要がある。この仲間を見つけるということは、非常に難しい作業でもあるのだけれど、それをするのとしないのとでは、今後の伸展に大きく左右されるのである。

「いいですね。こちらは、人間は一人では生きていかれないということを教えてくれますね。」

と、花村さんが、小さな声で言った。

「ええ。僕も声をかけてもらえるので、嬉しいです。僕も片腕ですし、一人で何でもできるわけじゃないですから。きっと彼女はうつ病であっても、すぐに治ると思いますよ。そうして、仲間が居るんですから。」

フックが思わず本音をぽろりと漏らしたのである。

「そうですか。それなら、私と植松さんが仲間になるということは、できませんか?」

と、花村さんは言った。

「ちょっとまってください。花村先生と、自分みたいなちっぽけな人間では釣り合いが取れません。」

フックこと植松は、急いでそう返したが、

「いいえ、同じ、音楽を作るということでは、同じ立場ですよ。それにあなたは、曲を作ることができるじゃないですか。」

と、花村さんは言った。

「私も同じことですよ。偉くなればなるほど、みんな遠ざかっていって、誰も来なくなってしまうんです。だから、音楽はそれをかろうじて繋いでくれる、大事な道具ですよ。寂しい一面も誰だってあります。それは、ちゃんと一人ひとりが認めていかないとね。」

「そうですか、、、。」

植松は、花村さんに向かって小さな声で言ったのであるが、とてもこんな偉い人とくっつくことはできないだろうなと思った。なんでそうなってしまうのかわからないけど、一生懸命誰かが二人をくっつけようとしているのかもしれない。

「この曲はちゃんと演奏させていただきますね。私は、ずっと忘れませんよ。あなたが、この曲を書いてくれたこと。」

花村さんはにこやかに笑って、楽譜をもう一度見た。楽譜には、子どもたちのための組曲と書かれていた。


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子どもたちのための組曲 増田朋美 @masubuchi4996

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