第22話

「やばぁ……」

 亜矢あや音園おとぞのの説明を聞き、眉間にしわを寄せ、口をぽっかり開けていた。

「やばいんだよ、音園は」

「いや……なんか、その人っていうか……え? 日本大丈夫? って感じなんだけど……ていうか捕まらないの? その、音園さんって……」

 いつの間にか三人とも、テーブルに座って顔を付き合わせていた。ぼくの前には、亜矢と寧々ねねが並んで座っている。その奥では、誰も見ていないテレビが流れっぱなしになっていた。

「事務所を襲った犯人は逃走中で、見つかっていないということに。まあ、閏流うるうる——ぼくの上司だけど、その人がなんとか処理したんだろうね」

「国家を操っちゃってるじゃん!」

「実際そうだ。警察とも、政治家とも……もちろん懇意こんいだからね。『赤坂あかさか医院』も例外じゃない。当然、一般人を撃ってたら流石に事件になっただろうけど——裏社会同士の揉め事だからギリギリ処理出来たんだろうね。そういう風に、横の繋がりがあるんだよ。多分、ぼくの上司や音園に聞けば、『赤坂医院』の関係筋の知り合いのひとりやふたり、いるかもしれない。そういうことにうといぼくの方がおかしいんだよ。普通はそういう会合には顔を出すものだから」

「なんでひびきは行かないわけ?」

「ぼくは、自分の仕事をして、お金がもらえればそれでいいし、特に呼ばれないから」

「うーわ響っぽい」

「とにかく、そういう人がこの世界にはいて、ぼくと寧々ねねの知り合いだ。つまり、さっき話した亜矢の話——お母さんが超能力者で、何者かに殺された……という話が音園の耳に入ると、嘘がばれると思った。音園は『赤坂医院』に詳しい、はずだ。松野まつの市で仕事をする以上、避けては通れない」

「最低だね、うちって」

 と、亜矢は感傷的に言った。

「どこもそんなもんだよ」

 寧々が言う。気を遣っているわけではなく、素直に思ったことを口にしたのだろう。

「で、じゃあ今度は亜矢の話になるけど——どうしよう、亜矢に話してもらった方がいいかな」

「ううん、響が説明して。淡々としてて聞きやすい」

 褒められているのか貶されているのかわからなかったが、どちらでもよかった。褒められようが貶されようが、ぼくのすることに変化はない。むしろ、やることが明確になるのでぼくとしては都合が良かった。

「寧々向けの説明になるけど……さっきも言ったけど、亜矢は超能力者らしい。他人の感情や行動をコントロール出来るそうだ」

「最強じゃん。お母さんとは違うんだ」

「ほとんど同じです。むしろお母さんの方が、私より広範囲かな……やれることは同じだと思いますよ。まあそもそも、超能力者は日常的に超能力は使わないですから——そういう意味だと、自動的に他人の意識を感じてしまうというだけですね」

「使えばいいじゃん」と、寧々が考えなしに言う。「せっかく持って生まれたんだから」

 亜矢がぼくを見たので、その後の説明を続けることにした。

「本来、超能力者というのは、産まれてすぐ——あるいは子どものうちに、処分されているらしい。松野市で言えば、『赤坂医院』がその仕事を担っているんだそうだ。だけど、亜矢の母親は自分の能力をひた隠しにして生き延びて、且つ、超能力者にとっては処刑所とも言える『赤坂医院』にとついだ。そして、亜矢が産まれた。亜矢も超能力を持って生まれたが、『赤坂医院』の娘だったから、今日まで生きてこられたというわけだ」

「なんで処分なんかすんの」

「超能力があると困る人がいるんだよ。さっきもそんな話しなかったか」

「あーね。要は自分らより有能な人間がいたら困るっていう、政治的思想か」と、寧々は分かってるんだか適当を言っているんだか、そんな風にまとめた。「要するに法律とかいう、頑張って作り上げたもので制御出来ない才能が怖いわけだ、お偉いさんたちは。だから殺すわけね。はいはい。理解理解」

「理解力やば」と、亜矢が言う。「ニュアンスはちょっと違うけど、ほぼ正しい……ですね。寧々さんって実は頭いい……?」

「悪くはないと思う」

「いいって言えよ」

「とにかく、『赤坂医院』という後ろ盾があったはずの、亜矢の母親が何者かによって殺害された——というのが今回の事件の発端ほったんだ。そうすると、亜矢としても実家にいるのが安全ではないように思えてくる。で、やられる前にこっちからやろうという気持ちで、裏社会に自ら足を踏み入れた。それが、ぼくと出会った、沖の峠にある廃墟での一件」

「いや殺されてたかもしんなーい。やばすぎー」

「もちろん、亜矢も超能力を持っているからこそそんな行動に出たんだろう。他人の感情や行動をコントロール出来るから、ある程度の危険は避けられる。つまり亜矢は、。そうすることで、多分、わらしべ長者的に、裏社会のもっと上の人間と接触しようとしたんだろう。最初は不良みたいな少年。それをたばねる、少し歳のいった大学生くらいの若者。その若者に指示を出す、怪しい大人。そんな風に段階を踏んで、ようやくに接触したのが、昨日」

「あれ、私、そんなこと言ったっけ?」と亜矢が言う。「いや、当たってはいるんだけど……」

「確か、政治家に取り入るにもそんな方法を採れば可能だ、みたいなことを言っていた気がする。で、そこから発展して、今回も同じ手法を採ったんだと、ぼくなりに想像した」

「げえ、響も頭いいこと言ってる」

「こいつも悪くはないと思うよ」

 と寧々が言った。意趣返しのつもりだろう。

「だから多分、昨日ぼくと取引をした相手は、わらしべ長者的に駒を進めた何人目かだったんだろう。で、亜矢は今度は、ぼくに乗り換えることにした。想像だけど、薬物の購入者と販売者では、販売側の方が立場が上だと思ったんじゃないかな」

 ぼくは思っていたけれど言わずにいたことを、ここぞとばかりに説明した。もちろん、黙っていたわけではない。この考えは、午前中に会社でマインスイーパーをしながら考えついた思考だった。そして、ここまで話すタイミングを逸していただけだった。

「えー……人に気持ち読まれるのってこんな気分なんだ?」

「ぼくは別に心を読んだわけじゃないけどね。とは言え、亜矢の読みは当たっていて、立場上、松野市に限った話ではあるけど——ぼくらはそれなりに高い地位にいる。ぼくらというか、上司の閏流がね。いわゆるおろせる立場というのは、相当上にいる。町の不良と比べると、天と地ほどの差がある。買い手を選べるくらいにはね。で、亜矢はぼくに乗り換えた後、同じようにぼくを洗脳——とは言えないか。うまく利用しようとした。だけど、ぼくにはそれが通用しなかった」

「なんでよ」

「ぼくにはコントロールすべき、意志や感情がないから、ということらしい」

「怖すぎー」寧々が茶化した。

「いやでも本当、響っておかしいですよ。理解出来ない。行動原理が、欲求じゃなくて、安全なんですよ、多分。何か買いたいとか、いい暮らしがしたいとか、美味しいものが食べたいとか、そういう欲求がない——ていうか、意志がなくて。でも、安全性は一丁前に求めてるわけですよ。だからコントロールすべき感情の起伏っていうのが、ないんです」

「ないんだ。でも確かに、響が自発的に何かするとこ見たことないかも」

「不気味じゃありません……?」

「付き合いやすくて楽だよ」

 と、寧々はあっけらかんとした様子で言った。寧々らしい意見だ。

「まあとにかく、そういうことらしい。気持ちは理解出来るし、そうありたいとも思うけど、残念なことにぼくにはそういう自発的な機能が備わっていないようだ」

「残念なんて思ってないくせに」

「そうだね」ぼくはすぐにそれを認めた。「そうして亜矢は、自分の能力が効かない人間がいるのであれば、それを引き込んだ方が得策だと考えた。ぼくみたいな人間がどれくらい世の中にいるのかはわからないけど、要するに亜矢の天敵なわけだからね。一方で、超能力者の存在を知った人間——つまりはまあ、ぼくや寧々のことだけど——こういう人物もまた、『赤坂医院』の標的となる。この世に〝超能力〟なんてものが実在するという話は、どうやらしてはいけないらしい。テレビ特番とか、動画サイトの企画とか、そういうので曖昧あいまいなパフォーマンスをする程度に納めたいというのが、裏社会——よりもっと奥に存在する、多分、政界とか、〝国〟とか、そういうものの意志なんだろうね。だからぼくも亜矢の存在と、亜矢の能力を知ってしまったが故に、危険な立場になった。であれば、亜矢に身を守ってもらう方が安全だと考えて、一緒に行動している」

「おっけー、理解理解」と、寧々は両手でOKのハンドサインを作って、飄々ひょうひょうと言った。「理解なんだけど、うーん、亜矢ちゃんが超能力者というのが納得出来ないな。それ、証拠見せられない? 信用に値しないんだけど」

 寧々の言い分はもっともだった。というか、誰だってそういう反応をするだろう。これは寧々に限った反応ではない。むしろ、ぼくがおかしいのかもしれなかった。とは言え、ぼくは取引相手が、亜矢の命を奪うのを、という場面に出くわしているので、半ば信用しているようなところはある。

「証拠は見せられるんですけど……今はちょっと無理かもですね」

「なんでよ」と、寧々はあからさまに不機嫌そうに言う。

「だって、響は操れないんですよ、私は。となると、寧々さんを操るしかないんですけど……操られた寧々さんには、、という意識はなくなっちゃうんです。例えばですね、今、寧々さんは座っていますよね」

「座ってるね」

「今すぐ外に出て下さい、と私が言うとします。寧々さんは面倒くさい、立ちたくない、外に出たくない、と思います」

「思うね」

「今度はそれを書き換えます。すると——寧々さんは外に出るんです」

「じゃあそれやってよ」

「ここが問題なんですけど……寧々さんの中では、外に出たことになっちゃうんです。満たされるというか、意識の改竄かいざんが行われちゃうので。今ここで、私が散々前置きして、寧々さんは絶対に外になんか出たくないんだということを話し合ったとしても——数分後、外に出た寧々さんは、外に出たな、と思うんです。だから、証明しようがないんです」

「うーん?」寧々はいぶかしげな視線を、ぼくに向けた。「てことは、響が私の行動を見て証明するしかない?」

「ぼくは亜矢の能力についてはあんまり疑ってないし、二度もやる必要はない」

「どういう意味よ」

「寧々がぼくの家で寝てるのを見たから」

「えっ、あれが超能力だったってこと……?」

 と、寧々が今更になって言う。まあ寧々的には、今更でもないのだろう。亜矢の言い分を信じるなら、寧々は突然、眠くなったということなのだ。

「普通は疑うよ、急に眠くなったら」

「でもそれを言ったらさ、響に超能力が効かないっていうの、嘘なんじゃない?」

 何を言っているんだこいつは、という、いつも通りの寧々への感想を抱いたが——なるほど、寧々は相変わらずというか、寧々のくせにというか、まあ鋭いことをぽんぽんと考えつくものだと感心した。

「嘘じゃないですよ?」と、亜矢が困り顔で言う。

「いやでも、寧々の言うことはもっともだ。亜矢の言葉を借りれば——ぼくは動いていることになる。今この瞬間も亜矢がぼくを操っていて、ぼくは自分の本来の自分の意志とは関係なく、亜矢の騒動に巻き込まれているという風にも考えられる。しかしぼくはそれを自覚することが出来ない」

「うーん……確かに?」と、亜矢は腕を組んでみせる。「そこはもう、信用してもらうしかないかも」

「いやー、無理っしょ」

「無理だね」ぼくも賛同する。「これについては、証拠の見せようがないか」

「え、もしかして信用失ってます? 私……」

「超能力者がこの世にいたらヤバイ、ってことは理解出来た」

 寧々が言うと、亜矢は困っているのか、悲しんでいるのか、なんとも言えない表情を作った。可哀想、とまでは思わないが、これで暴走されても困るな、という危機察知能力のようなものが、ぼくの中で発生する。亜矢の能力がぼくには効かないとしても、ぼくにとって、世界にとって、亜矢が優位であることに変わりはない。

「まあそこは——亜矢の現状のリターンの少なさから信用するしかないだろうね。少なくとも亜矢がぼくを完全に操れるなら、昨日の時点でぼくの拠点——つまり会社に着いてきて、さらに上の立場である閏流と接触することも出来たはずだ。今だって出来るかもしれない。でも、それをしていない。単身で行動をしようともしない。何故なら会社の場所を知らないから。寧々の家についてきているのも、今こうして、超能力というものを信じるなら、不用意な行為だ。このポーズによって何かが有利に働くかといえば、そんなことはなさそうに思える」

「まあ、それはそう」と、寧々は納得した様子だった。「でもいよいよアレだね、亜矢ちゃんの存在はヤバそう。国家転覆とか出来そうだし」

「そう……ですね。実際、出来るかもしれません。本当、、自然と、自分の中から発生した感情だと思っちゃうんです。私自身、自分の力を知っているから——お母さんが殺されたことで、超能力者狩りが起きてるんだろうって、疑っているんです。そうでもなければこんな能力、自分事ながら、気持ち悪くて使いたくないですし」

「ちょっと信用出来てきたかも?」

「ちなみに——こういう説明をすると怪しいので先に断っておきますけど、私はこの家に入ってから、その手の能力は使っていません。響の手前、寧々さんには怪しいことはしていません。もちろん、響には効かないので、当然使っていません」

「うーん……やばい、聞けば聞くほど、亜矢ちゃんのこと信用出来なくなってきた」

「信用してくださいよー……」

「信用したからこそ、信用出来なくなったんじゃないか」とぼくが補足した。「いずれにせよ、この先で亜矢の超能力とやらを見る機会はあるだろうし、ざんてい的に信用してもいいと思う。その上で——この話に巻き込まれるか、下りるかは、寧々が決めればいい」

「……んー、確認なんだけど、響は元々、大小心こころに相談するつもりだったんだよね。で、大小心に相談するってことは、私も関係者になる。だから私の家に来た……で合ってる?」

 寧々は今度は、ぼくの行動原理について確認をすることにしたようだ。それが、ぼくが超能力の餌食になっていることの確認なのか、単に気になっているだけなのかは不明だが——話を整理する上で、こうも疑問点が次々と挙がる相手というのは、話していて助かる。

「そういう要素も少なからずあるけど、それは一要素にしか過ぎない。単に、女の知り合いが寧々しかいなかっただけだ。ぼくの家に置いておくのは危険、と判断しただけだ」

「響の行動原理は、安全だもんね」と亜矢が補足する。

「うーん」

 寧々は椅子で船漕ぎしながら、頭の後ろに手を回した。フローリングが傷付く心配をしたが、寧々の家だから別にいいか、とも思い直した。

「ある程度は、納得した。でも、ってことは、亜矢ちゃんのかたき? はまだ誰かわかってないってことだよね。探してる最中なわけで」

「ですね。響的に言うなら、わらしべ長者の途中だったので」

「だったらそれこそ、真っ先に大小心に聞くのが、一番手っ取り早いんじゃない? それか、閏流さんとか。狭い町なんだからさ、『誰か赤坂医院の奥さん殺しましたか?』って聞けば、知ってそうじゃない?」

 あまりにフラットなトーンで言うから日常会話かと錯覚さっかくするが、実際にはとんでもないことを言っている。秘密ひみつおこなわれて、いんぺいされた殺人事件について尋ねるなど、正気の沙汰ではない。

 まあ、そういう狂気の世界に、ぼくは身を潜めているわけだけれど。

「私はそのつもりです。響よりももっと上の立場の人がいるなら、その人たちと会って、色々聞き出したい。もちろん、能力ありきですけれど」

「——じゃあ、一旦、話の整理はついたという前提で、ここからは先の話をしよう」と、ぼくは共通意識を持つためにも、話を区切った。「亜矢の能力や、音園、寧々、ぼくという存在について、みんな同じ認識を持てた。そして、亜矢の目的も、ある程度わかった。つまり前置きは終わり——ここからは、亜矢に話をしてもらう番ということだ」

「はいはーい、なんでも共有します。次なる目的について話せばいい?」

「亜矢の最終目的を知りたい。亜矢は——最終的に、?」

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『インクリネイションの錯角』 福岡辰弥 @oieueo

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