第19話
落ち着いて話をするにしたって、
45リットルのゴミ袋に、片っ端からレジ袋で作られた球体を詰める仕事を、ぼくひとりですることになった。
何が言いたいかというと、亜矢と寧々は現在、二階の風呂に入っていて(寧々は案内をしているだけだろうが)、一階にはぼくしかいない、ということだった。亜矢はぼくの家でも何度も風呂に入っていたはずだが、また入っている。なんでも、ぼくの家にあるような薬品の類では、身体の洗浄に対して多いに不満があったらしい。これについては、寧々も同意していた。ぼくの家は、文化的な生活をするのに不足しているものが多すぎるのだそうだ。
別に好きにすればいいと思うが。
なんとか45リットルのゴミ袋ひとつで収まったので、残りの時間でテーブルを拭き、勝手に棚を漁って、ぎりぎり賞味期限の切れていない紅茶のティーバッグを発見した。備え付けの食器棚にはティーセットがあったが、不安だったので一度洗うことにした。カップラーメンを作る際にも利用した電気ケトルでお湯を沸かし、紅茶の準備が整った頃にようやく、亜矢と寧々が二階から降りてきた。
亜矢は着替えていて、ゆったりとしたサイズのパーカーを着ていた。下はジーンズを
「すげー、ぴかぴか」寧々が言う。「これから響に家に来てもらおうかな。なんか、気付いたらゴミまみれになるんだよね、一階って」
「来たくない」と、ぼくは反射的に言う。
寧々はテーブルではなく、ソファに座った。テーブルの上には紅茶を準備したというのに、である。だが、自分勝手な女だということはわかっているので、別に気にならない。ぼくは椅子に座る。と、亜矢がぼくに近付いてきて、耳打ちするように、
「寧々さんって、響と真逆の性格なんだね」
と言った。やはり、亜矢にはわかるらしい。つまり亜矢にとって、寧々ほど動かしやすい人間はいないということなのだろう。
「寧々に何か、能力を使ったのか?」
「ううん、全然。話しただけでもわかるよ。むしろ、寧々さんほど超能力がいらない相手って、いないんじゃない? だって……話せば全部伝わるし、全部伝えてくれるし。楽だよねー」
「まあ確かに、そうかもしれない」
「おかげで久しぶりにちゃんとした服。一階はゴミ屋敷なのに、服はいい匂い」と言って、亜矢はパーカーの袖を顔に近付ける。「ちょっとサイズは大きいけどね。あと、髪もサラッサラ。色々揃ってるんだよね。寧々さんって実はお金持ち?」
「さあ。年収は知らない。聞けば?」
「流石に失礼でしょ」
「寧々は失礼という言葉をまだ覚えてないと思うよ」
それこそ失礼でしょ、と亜矢は言いながら、しかし寧々の方に近付いていき、「寧々さんって年収いくらですかー?」と聞いていた。「えー、教えたくない」とすぐに断られていた。つまり、寧々はそういう人間だ。善悪や、良い悪いの判断は寧々自身がするから——こちらが変に気を揉む必要はないということである。
だからこそ、ぼくはここに亜矢を連れてきたのだが。
無理なら無理と、はっきり言われると思ったからだ。迷惑を掛けることに対して、気負わずに済む。貸し借りというか——何かを依頼しても、
「とにかく、今後について話したい」
ぼくが言うと、ソファに並んで座っていたふたりがこちらを向く。
椅子に座るつもりはないらしい。
「……せっかくテーブルを綺麗にしたんだけどな」
「あー、ありがとう」
やはり、立ち上がる気はないらしい。
別に構わないのだけれど。
「……まあいいや。とにかく、亜矢をここに匿うのは無理だというのはわかった。寧々の心情的に、やるべきタスクがある人間が滞留するのは望ましくない、という意味だと受け取った。ここは、全員、認識は合ってるかな」
「難しい言葉きらーい」と寧々が言う。「でも意味はわかる。そうだね、もったいなくない? 未来ある若者の行動を制限して、匿うとか。ていうか、その上から目線な言い方がすごいムカつくんだけど」
「私も異論なし」と、亜矢が続ける。
「うん、じゃあ……ここからは亜矢への確認になるけど、寧々の言い分は裏を返せば、亜矢自身がどこかに身を隠したいと思っているなら、寧々はそれを受け入れる、ということにもなる。全面的に受け入れるつもりがなくとも、協力はしてくれそうだ」
「響の友達だしねー。あと可愛いし」と、寧々は身も蓋もないことを言う。
「となると、亜矢は今後どうしたいのか、というのを確認しておこう」
「んー……昨日の時点ではしばらく拠点を作って、作戦を練ろうかなと思ってたんだけど……実際、作戦って言っても、出来ることって限られてるし、寧々さんの言う通り、まあ多少は準備するとしても、すぐに行動を起こした方がいいかも? って気がしてる。待つ意味って、あんまりないしね」
「寧々に感化されてないか」
「心配してくれるんだ?」
「いや、ぼくに迷惑が掛かるような暴走は控えて欲しい、と思ってるだけだ」
「だろうね」亜矢はなんとも言えない、海外ドラマでしか見ないような変な顔をした。「でもまあ、実際、これからやることってほぼ決まってるし……匿って欲しいとは思わないけど、最終的な逃げ場は欲しいかも。そんな感じ?」
寧々は話を聞いているのかいないのか、またテレビのスイッチを入れた。午後のニュースが流れている。
「だからそういう意味だと、やっぱり拠点というか、逃げ込める場所は欲しいかな? そうだ、寧々さん、合鍵ちょうだい」
「やーだ」寧々はテレビを向いたままで言う。「響の友達ってのはわかったから、私だって少しは協力しようと思うけど、突然来られたら困る。仕事してるかもしれないし」
「ですよねぇ……」亜矢は諦めたように言う。「インターフォン鳴らしたら、出てくれます?」
「事前に連絡くれて、私が寝てなかったり、仕事中じゃなきゃ出るけど。うーん、じゃあ連絡先だけでも交換しておこうか? LINEなら見る」
「あー……ごめんなさい、私、スマホ持ってないんです」
「え、昭和生まれ?」
なんだかどこかで聞いたようなやりとりだった。亜矢といい寧々といい、昭和生まれを馬鹿にしすぎだ。昭和生まれどころか、大正生まれだってまだ現存しているのに。いや、明治生まれだって生きている可能性がある。
「家出中なので、自分のスマホ持ってなくて。あと、すぐ足がついちゃうし……公衆電話くらいなら、ワンチャン……」
「ああ、そうなんだ。じゃあ出ないかも。電話嫌いなんだよね」
亜矢は困ったような視線をぼくに向ける。困っているのか、「この人、超能力でなんとかしていい?」と確認をしているのか……とにかく、亜矢も寧々の扱いに困っている様子だった。
「あ、ほんとだ」
と、突然寧々が言う。寧々が突拍子もないことを言うのはいつものことなのでぼくは別段驚かなかったが——というか、僕はあんまり、驚かないタイプなのだが——その偶然には、多少なり、運命的な要素を感じざるを得なかった。タイミングがいいというのか。とにかく、寧々が見ていたテレビには、『赤坂医院』の一人娘が失踪中というニュースが流れてきていた。町の名士の娘が行方不明というのはそれなりにセンセーショナルなのか、それとも他に流すべきニュースがないのかはわからないが、かなりの頻度で放映していることになる。
「亜矢じゃん」寧々は隣の女子高生の顔を眺めて言う。「えー、本当なんだ」
「本当なんです」
「あー、本当だ、お母さん死んじゃったんだね。可哀想」
寧々はそう言って、亜矢の頭に手を置き、数回なでた。粗雑で乱暴であまり共感性が豊かではない寧々だが——そうした、人付き合いの妙みたいなものには敏感である。亜矢は少しだけ、複雑な表情をしていた。確かに、考えてみれば、彼女は母親を失って間もない子どもなのだ。いくら超能力を持っているとは言え、そこに変わりはない。
「んで、亜矢の目的って何なの?」
と、寧々は
逆に、寧々の性格を知っていれば——よくここまで本題に入るのを待ったものだ、と思えなくもない。わからないことはすぐに知りたがるし、納得出来ないことは理解出来るまで何度も聞き返す人間である。それでも流石に、亜矢の置かれた状況であるとか、その前提である、
自由奔放で、傍若無人で、超絶身勝手人間ではあるが——寧々は決して、バカではない。
ただのバカなら、ぼくも一目は置いていないだろう。
「あー……その……なんて言えばいいんだろう」亜矢はぼくに視線を寄越しながら、言葉を選んでいる。「その、うーん……簡単に言えば、復讐? みたいな」
「お母さんの?」と、すぐに寧々は反応する。
「です」
「お母さん、事故死って書いてあったけど……殺されたの?」
「多分。いや、ほぼ確実に、そうです」
「なんでそう思うの?」
何故なら超能力者だから——とは、流石に亜矢も言えないだろう。
だがそこで、唐突に、ぼくも同種の疑問を抱く羽目になった。
昨日の夜、あの廃墟で、ぼくは亜矢の説明を聞いて——なんとなく、理解したつもりになっていた。亜矢の母親である『赤坂
しかし亜矢は昨日、いくら超能力者と言えど、突発的な事故、あるいは知覚外からの攻撃には無力だというようなことも言っていたはずだ。であれば、亜矢の母親は——殺されたとは限らないのではないか。本当の事故死だった、という可能性は多いにある。いや、むしろそう考えた方が納得がいくことが多い。赤坂香奈は、事故死した。そして亜矢は、謎の失踪を遂げた。同時に発生したニュースとして捉えるから事件性を感じるだけで——この話は、単に母親が事故死して、それを何らかの陰謀であると早とちりした娘が勝手に家出をしている、と考えた方が、まとまりが良いようにすら思える。
「そう言えばそうだ。なんで亜矢はそう思ったんだ?」
ぼくが言うと、亜矢は「裏切られた!」とでも言うような
少なくとも、ぼくはその被害を受けていないのだから。
状況証拠的に——それこそ、取引相手が亜矢を殺さなかったとか、ぼくの家で寧々が昏睡状態に陥っていたとか、超能力があった方が辻褄が合う場面はいくつもあったけれど、それらが全て、超能力以外によって発生しない状況かというと、そうでもない。
「ちょ……ちょっとタイムアウト」
亜矢は両手でアルファベットのTみたいな形を作って、ソファを立ち、ぼくの元にやってくる。普通、三者での会話中に席を立たれたら気分を害しそうなものだが、寧々はそんなことで気分を害したりはしない。良くも悪くも、他人の意志を尊重する人間である。自分の意志を優先するあまり、他人の意志を尊重してしまうのだ。意志人間である。
「今更疑ってるわけ?」と、ぼくの耳元で亜矢が言う。
「ぼくも急に違和感を覚えた」ぼくも小声で返す。「亜矢はお母さんが殺されたって思っているみたいだけど、突発的な事故から逃れられるほど、超能力は万能じゃないわけだろ。となると、お母さんは殺されたんじゃなくて——」急に、母親の死をまるで単なる事実のひとつとして扱っていることに対して、申し訳なさみたいなものを覚える。もちろん、申し訳ないと思っているわけじゃない。人としてどうだろう、みたいな、防御策として。「いや——まあとにかく、亜矢が感傷的になってそういう想像をしているだけという可能性もあるんじゃないか、と思ったわけだ」
「お母さんはただの事故死で、誰も私の命なんて狙ってない? ってこと?」
「まあ、そう」
亜矢は姿勢を正すと、ぼくの前で腕を組み、仁王立ちする。
そして数秒の時間をおいてから、
「確かに?」
と言った。
「だろ?」
「ううん、そうかもって思ったわけじゃなくて、響がそう思うのも仕方ない、ということがわかったって意味ね」と、亜矢はぼくの理解を訂正する。「そうか……うーん、これを説明するためには、超能力の個人差とか、そういうことについて説明しないと理解してもらえないかもな……」
「個人差」
「お母さんはかなり……なんて言うんだろう、自動的って言えばわかりやすいかな。とにかく事故の状況とお母さんのことを考えると、そんなことあり得ないだろって思うわけ。うーん……事故自体の説明もした方がいいかな……」
亜矢は多分、ぼくの性格を考慮した上で、どのようにして筋道立てて話せばいいかを考えているのだろう。腕を組み、表情を曇らせ、面倒くさいけれどここで信用を得なければ協力も得られない——というようなことを、考えているように見えた。ぼくは別に、そうして悩む亜矢を面白がって見ていたわけではないけれど、会話をする上で、話している相手をちゃんと見る、というマナーみたいなものを重んじていたので、会話中、亜矢をずっと眺めていた。
「超能力? 誰が?」
だから気付けていなかった。いつの間にか——音もなくぼくらに近付いてきていた寧々が、いつも通りのテンションで、そう言った。
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