第18話

「いやー、無理っしょ」

 というのが、目が覚めて、ぼくから一通りの説明を聞かされた麗々瀬れれせが放った第一声である。

 ぼくと亜矢あやは、麗々瀬の家にあったカップラーメンを勝手に食べたあと、勝手にテレビを付けて、勝手に休憩していた。亜矢の超能力とやらによって昏睡状態に陥った麗々瀬が自然と目覚めない限り、話を先に進められないという判断をしていたのだ。そして、約一時間経ってから、麗々瀬はようやく目覚めた。

 起きるなり亜矢の姿を視認し、今にも怒鳴り散らしそうな空気を察知して、ぼくは速やかに、説明のフェーズへと誘導することにした。こんな言い方もなんだけれど、ぼくは麗々瀬の扱いに長けていたので、亜矢と麗々瀬という一触即発の関係である二人を前にしながら、そのような冷静な対応を取ることが出来た。

 これは麗々瀬という人間に対して、かなり失礼な評価になるかもしれないけれど——実際問題、ぼくにとって麗々瀬という人間は、扱いやすい部類に入る。そして同時に、ぼくよりも麗々瀬の扱いに長けた人間はこの世にいないだろうと思う。

 麗々瀬寧々ねねという人間は、簡単に言えば、「好き放題やっているのに、なんとなく人生が上手く回っている人間」である。

 どういうことかと言えば、麗々瀬という人間は、好き放題に生きて、身勝手な言動を繰り返し、努力や勤勉さとは無縁な生き方をしているのに——なんとなく、人生が上手く運んでしまった人間なのだ。だから、社会性というものとは無縁だし、他人を思いやる気持ちというものが欠如している。自分主体で、有り体に言えばわがままなのだ。だから他人とは衝突するし、すぐに誰とでも喧嘩をする。が、一方で、なんとなく人生は上手くいっている。二十代後半にして(麗々瀬とぼくは同い年だ)、謎に一軒家など持っているし、在宅で完結する職にも就いているし、音園おとぞのという、味方に付ければこれ以上なく安全な恋人も有している。傍若無人で、悪魔みたいな人間だ。いや、悪魔よりも身勝手かもしれない。多分、畜生とか餓鬼とか、そっちの類だろうと思う。

 だから、人生は上手くいっているが、友達は少ない。

 普通の感性を持っていれば、麗々瀬と友達になろうなんて思う人間はいない。

 何故なら麗々瀬は身勝手で、傍若無人で、暴風雨のような存在だからだ。

「うん、無理だろうね」

 しかしながら、そういう——自分勝手な理論を展開し、他人の苦労も、立場も理解せず、ずけずけと正しそうなことを宣って、あまつさえ「お前が今苦しんでいるのは、お前の努力が足りないからだ」とか、心ないことを平気で言うような麗々瀬を、ぼくは扱える。

 扱えてしまう。

 何故なら、ぼくは麗々瀬からどんなことを言われても、怒るということがない。

 怒ることもないし、悲しくなることもない。

 だから、仲良くすることが出来る。表面上は。

「亜矢、無理だったらしい。帰ろうか」

「いやいやいやいや……もうちょっと頑張ってくださいってば」

 麗々瀬に対し、ぼくは——まず、亜矢がぼくの家で、麗々瀬のパジャマを着て過ごしていたことに対する説明をした。簡潔に。もちろん、超能力がどうのという話は出さなかった。そこを除外して、なんとか説明をした。麗々瀬は傍若無人で、暴動のような性格をしているが——だから逆に言えば、そういう突拍子もないような説明をそのまましても、意外とあっさり聞いてくれる。常識がないから、非常識も存在しない。

 故にぼくは、ほとんど事実を麗々瀬に伝えた。昨日、で沖の峠にある廃墟のパチンコ店で薬物の取引をしていたら、女子高生が拘束されていた。顔を見られたから一旦こちらに引き入れたが、実は彼女は自らの意志で家出をしている。利害が一致したので家に置いていたが、そこに麗々瀬が来た。パニック状態になった亜矢は、自分の身を守るために麗々瀬に攻撃し(超能力も、攻撃と解釈は出来るだろう。そこは適当に誤魔化した)、麗々瀬は昏睡状態に陥った。そこにぼくが帰宅し、状況を把握したため、ぼくの家にいるよりも麗々瀬の家の方が都合が良いと判断し、ここへ来た——という、事実を伝えた。

 そして、何故麗々瀬の家に来たかと言えば、実は明日にでも、この亜矢という女子高生を麗々瀬の家で匿ってもらうよう頼むつもりだったのだ、と伝えた。これも事実だ。どうして麗々瀬の家が良いと思ったかについては、単に、ぼくの家には物が少なく籠城ろうじょうには不向きで、かつ、女同士の方が世間から見た時の違和感が少ないから、という程度の考えだった。少なくとも、ぼくが女子高生を匿っているより安全そうに思える。ついでに、ぼくの家には洗濯機がないことも理由のひとつとして付け加えてみた。だから、亜矢の処遇が決まるまで、匿ってくれないか、と頼んだ。

「いやー、無理っしょ」

 そして冒頭に戻り、麗々瀬からは拒絶の意を示された。ぼくも「うん、無理だろうね」と理解を示し、帰ることにした。椅子から立ち上がり、「亜矢、無理だったらしい。帰ろうか」と言いながら玄関へ向かおうとすると、亜矢がぼくの服を引っつかんで、「いやいやいやいや……もうちょっと頑張ってくださいってば」と必死の懇願こんがんをしたのである。亜矢はさっきまで、ぼくの家の方が良さそうなことを言っていたはずだけれども——こうもあっさり受け入れると、流石にもうちょっと頑張ってほしいという気持ちが働くのかもしれない。人間の心情は複雑だ。

「でも、麗々瀬は無理だと言っているし」

「理由くらい聞いてください」亜矢は何故か敬語だった。「あの、お二人の会話……おかしいですよ? 人間味がなさすぎて……」

「そんなことはないと思うけど」

「ありますって!」

「ていうかあんたさあ」

 いつの間にか麗々瀬はソファから立ち上がって、テーブル横にやってきて、亜矢を見ていた。ぼくも亜矢も立ち上がっていたので、何故だか三人とも立って顔を合わせる状況になった。

「はい……なんでしょう」

「レイプされなかったわけ?」と、麗々瀬は亜矢の全身を見ながら尋ねる。「ちゃんと病院行った? 廃墟で拘束されて襲われないって、無理あるっしょ」

「あー……」

 言いながら、亜矢はぼくを見る。この人間にはどのような説明をすれば納得してもらえるのか? というような、助けを求める視線だった。確かに、麗々瀬はいつも怒っているような喋り方をするし、一触即発の爆弾みたいな性格に。だが、見えるだけで、そういう人間というわけではない。もちろんたまに爆発もするが、いつもじゃない。

「そこはちゃんと確認していなかったな」と、ここでもぼくは事実を口にする。「もちろん、広義の意味では襲われていたけど、最後の一線は越えていなかったように思う。ぼくの見た限りでは。その行為が行われるより前に、取引の時間が来たからね。流石に、趣味の陵辱と仕事を天秤に掛ければ、取引を優先するのが筋だ」

 ここにも嘘はなかった。ぼくは、自分で言うのもなんだけれど——嘘をつくのが苦手だ。今朝、社長に音園のことを尋ねられた際にも、完璧な嘘はつけなかった。嘘をつくと、人間性が下がる、というような勘違いをしているのかもしれない。実際には、ぼくはただ生きているだけで、人間性を下げ続けているのだと思うけれど。

「確かに拘束はされましたけど、変なことはされてません」

 と、亜矢は言った。まあ実際、そんな雰囲気は見られなかったし。

「有り得る?」と、麗々瀬は不審そうにぼくに問い掛ける。「こんなに可愛いのに?」

「えぁ……ありがとうございます」

「それにこの制服さあ」と言いながら、麗々瀬は亜矢の制服に触れる。「本物だよね? コスじゃなくて」つまり、顔立ちが良くて、一部に需要のある学校の制服を着ているのに無傷なのはおかしい、と言いたいのだろう。

 これ以上の説得は無理かもしれない、とぼくが考えていると、制服をべたべたと触られていた亜矢はふいに、「えっと……ニュースとか、あんまり見られませんか」と、麗々瀬に尋ねる。

「んー、全然見ないけど。トレンドに入ってたら見るくらい?」

「あ、そうなんですね……全国区じゃないから、トレンドには入ってないかも……あのう、多分、その……私が誰かというのを、廃墟で私を襲った人が知っていたみたいで、それでその……多分、襲われなかったんだと思います」

「誰? あんた」

 亜矢は不安げに、ぼくに助けを求める視線を送った。本来の亜矢であれば——つまり、超能力を使えば、現在の麗々瀬を相手取るのは容易いのだろうけれど、冷静な話し合いの末に協力を仰ぐ、という方針を固めている以上、安易に超能力を使うわけには行かないのだろう。

 可哀想な気もしたが——当然、ぼくは全然、そんなことは思っていなかった。

 もちろん、愉快だとも思えていないのだけれど。

「言ってみれば、有名人ってとこだね。亜矢はどうやら『赤坂医院』の一人娘らしい。つい最近、母親が亡くなって、その上娘が行方不明中だから、ニュースでは結構騒いでる。『赤坂医院』と言えば、有名な病院だしね。それに裏社会と医者は繋がりが多い。医者の娘を襲うのは都合が悪いと思ったんじゃないかな。まあ、拘束はしていたけどね……」

「あ、ちょっと待って。そこも気になってた」

 麗々瀬は亜矢から手を離すと、今度はぼくに向き直り、め上げるような体勢を取った。

 麗々瀬は百七十センチ程度と背が高いので、ほとんど交戦状態に近かった。

「響は、なんでこの子のこと、名前で呼んでんの?」

「なんでって……亜矢に名前で呼べって言われたから」

「はあ?」

 麗々瀬は、今度は亜矢を睨み付けた。亜矢はぼくに、必死に「そんなこと言うな」という無言の圧を送ってきている。だが、自分のことを名前で呼べと言ったのは亜矢だ。ぼくに責任を押しつけないでほしい。

「私はいまだに、麗々瀬とか、君、なんだけど」

「音園の恋人を名前で呼ぶわけにもいかない」

大小心こころはいいって言ってるじゃん」と、麗々瀬は音園の下の名前を口にする。「よし決まった。これから寧々って呼ぶように」

「嫌だよ」

 ぼくが断ると、麗々瀬は舌打ちをして僕を睨み付ける。

 麗々瀬は身勝手で傲慢で暴力的だが、他人が嫌と言ったことを無理矢理通そうとするほど、他人の気持ちを尊重しない人間ではない。

 あくまでも言動が暴力的なだけで、意外と人間らしさがある。

 ぼくとは対照的に。

「あのー……その人、口では嫌とかすぐに言いますけど、実は心の底ではそれほど嫌がってないですよ。だから、押せば行けるんじゃないでしょうか……」

 と、あろうことか、今度は亜矢がぼくの敵に回った。いや、どちらかと言えば、麗々瀬に付け入ろうとしているのか。麗々瀬も麗々瀬で単純なので、「え、そうなの?」などと言っている。亜矢をここに連れてきたのは間違いだったかもしれない、と、ぼくは今更ながらに思い始めていた。まあこれはぼくの責任なので、甘んじて受け入れるしかない。

「じゃあ、寧々って呼ぶように。今、これから。よろしく響」

 麗々瀬は笑顔を見せて、ぼくの肩をぽんと叩く。実際、ぼくが麗々瀬を下の名前で呼んでいなかったのは、世話になった先輩の彼女を呼び捨てにするのは、なんとなく歯がゆいというただそれだけの理由だった。ぼくが、先輩や上司に敬語を使わなければ落ち着かないというのと同じ——つまり、自分の身の安全を守るための、防御策のひとつであった。

 しかし、現状、これを受け入れた方がより安全かもしれない、という局面になると、そうも言っていられない。今はまず、麗々瀬に協力してもらうのが一番だ。

 少なくとも、交渉材料にはなる。

「……まあ、いいか」

「いいの? やったぁー」麗々瀬は嬉しそうに言って、「ていうかなんでこの子は響の性格をそんなこと分かってんだよ。昨日の今日だろ」と、すぐに不機嫌そうな表情に切り替わる。

「名前で呼ぶのは、わかった。今後はそうするよ」ぼくはその質問を無視する。「ただその代わり、もう一度考え直してくれないか。つまり、亜矢をここに匿って欲しい。麗々瀬——寧々なら基本的に家にいるし、何かあったときに安全だろ」

「いやー、だから、それは無理っしょ」

 と、麗々瀬は——いや、寧々は、ぼくと交渉する気などないようなことを言う。

「そうか……やっぱり無理らしい。帰ろう、亜矢」

「いやだから、交渉してくださいって」

「交渉は決裂した」

「理由くらい聞いてください、と言っているんです、私は」

 亜矢は敬語でありながら、かなり苛立っている様子だった。彼女の今までの人生など想像することしか出来ないけれど、それでも、こんなに自分の思い通りにならない状況というのは、今まであり得なかったのだろう。気持ちはわからないけれど、想像はつく。

「あの、寧々さん、すみませんが……どうして無理なんでしょうか」

「なんであんたが勝手に名前で呼んでんの?」

「ひぃっ……す、すみません」

「嘘だよ」寧々は子どもっぽく笑う。「え、ていうか……だから、無理っていうのは、この子はさ、なんか理由があって家出してるわけでしょ? それを私たちが勝手に止める理由なんてないんだから、匿うとか無理でしょって言ってるわけ。それこそ、誘拐じゃん」

 言われてみると、なるほど、筋の通った理論だった。なるほどすぎて、ぼくは思わず「なるほど」と声にまで出した。一方で、亜矢の方は分かっていないらしく、不思議そうな視線をぼくに向けている。寧々の性格を知らなければ、こいつは何を言っているんだ、と思うのも無理はない。

「亜矢向けに説明すると、麗々瀬……いや、寧々は、目的があって家出をしている亜矢の行動を妨げるようなことをしたくない、と言っているわけだ。つまり、亜矢の目的は、家にいたくない、ではなくて、家出をしてまでやりたいことがある、なわけだろう」

「まあ……そういうことになりますか」

「だから、やりたいことがあるなら今すぐやれ、というのが、寧々の言っている『無理っしょ』に掛かってくるわけだ。そんな、悠長にしているほど人生は長くない、みたいな教訓を、こいつは言っている」

「こいつ?」

「ごめんなさい」ぼくは素直に謝る。

「あの、でも、それでも——拠点? というか、ええと……そう、実は一ヶ月ほど、色んな所を転々としていて、だから少し落ち着ける場所が欲しいというのは事実なんです。確かに寧々さんの言う通り、休んでいる場合ではないんですけれど……」

「ああだから、そういうのは助けてあげるよ。響の知り合いなんだから、手は貸すけど、家に匿うってのは、無理でしょ。そんなに人生短くないんだから」と、寧々は言う。

 そういう女なのである。

 常に最短ルートを驀進ばくしんするタイプの、思い立ったら即行動、あるいは、感情に全てを振り切った——ぼくとは真反対とも言えるような、自由意志のみで構成されたような女が、麗々瀬寧々なのだ。

「あー……な、なるほど? 少しだけ、寧々さんのことがわかってきました」と、亜矢はぼくをうかがいながら言う。「とは言え、逆に、昨日の今日で響と知り合ったばかりの私に、どうして寧々さんが協力してくれるのか、不思議に思えてきたんですが……」

「普通、響が自分から誰かの世話をするなんてあり得ないんだから。友達なんでしょ? だったら最低限手は貸すけど、匿うとかは無理だよ。それに、私にも普通に生活はあるし」

 寧々の発言に、ぼくと亜矢は顔を合わせる。自分で自分を客観視するのも変な話だけれど——そうか、ぼくという人間の本質を完全には理解出来ない人間からしてみれば、ぼくの現在の行動は——そういう風にも、見て取れるのか。

 亜矢みたいに、超能力によってぼくの本質——つまり、ぼくにことを体感的に知っている人からすればそうは思えないのだろうけれど……超能力を持たない、普通の人間からすれば、ぼくの現在の行動は、、あるいは、それに準じた、なんらかの意識の改革があったのだと考えるのが普通なのだろう。

 例えば、昨日今日に出会ったばかりの女子高生を助けたい、と思ったとか。

 そういう、前向きな性格が発露はつろしたと考えられないこともない。

「昨日の今日会ったばかりなので、友達ではないと思いますが……」

「いや、友達って別に期間とかないじゃん」

 あまりにも麗々瀬寧々らしい言葉を聞いて、ぼくは少しだけ、胸をなで下ろすことになった。もちろんそれは、ぼくが危険から少しだけ距離を置けた——という、生命の安全に対する安堵だったのだけれど、心が穏やかになったのは事実だった。ほっとして、思わずぼくは椅子に座り直し、「じゃあ、今後についてもう少し、詳しく話し合おう」と言った。

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