第17話

 麗々瀬れれせの家は、ぼくが住むアパートから、徒歩二十分程度の場所にあった。歩いて行くには少し遠いが、車で行くには近すぎる、というような距離と言える。もっとも、この辺りは入り組んだ地形が多いので、実際のところは車で移動しても、所要時間はほとんど変わらないかもしれない。閏流うるうるが「ニンゲンミチ」と呼ぶ、乗り物が乗り入れ出来ないような道が多いのだ。田舎特有の感覚だろう。

「住宅街って感じだね。コインパーキングなんてあるの?」

「あるから車で来てる」

「周り見ても、古いアパートか、日本家屋って感じの建物ばっかり。村ってほどじゃないけど、田舎って感じだね。ま、私の家も人のこと言えない感じだけど」

「村っぽさの残る住宅街だから、土地だけ余ってて、かと言って広い家を管理出来ない老人が多い。そういう土地を有効活用するために駐車場にしたり、自動販売機置き場にしたりしているんだよ」

「詳しいじゃん」

「そういう仕事もしてる」と、ぼくは言う。閏流が実際、そういった関係の仕事をしていた。もちろん、胸を張れる仕事ではない。すねに傷のある家庭を脅して土地を奪い、駐車場にして、利益は閏流が独り占めしている。「ぼくは直接は絡んでないけど」

「ま、響がどんな悪事に手を染めてても関係ないけどね。私だって犯罪者だし」

「犯罪者なのか」

「うーん、撤回。そもそも法が整備されてないもんね。超能力を使って、例えば殺人とかしたら、犯罪なのかな? ってところから考えないとだし。まあでも犯罪者って言うなら——生まれたことが罪、って感じ?」

 その自虐に対して、ぼくは何か言うことが出来なかった。

 住宅街の中心に存在する、非常に不似合いなコインパーキングに車を入れる。既に二台の車が停まっていた。この周辺にはスーパーが一件、コインランドリーが一件、不動産屋が一軒、神社がひとつあるくらいで、他には何もない。少し外れて大通りに出ればもちろんコンビニもあるし飲食店もあるが、この一帯は本当にただの住宅街だった。老人ばかりが住んでいた土地だが、今は多少人の流れが増えてきて、新築物件がちらほらと見える。

「結構車あるんだ。平日なのに」

「価格が安いから、ほとんど月極つきぎめみたいな使い方をされてるらしい」

「うわ本当だ、一日上限五百円って安いね。……ん、安いの?」と、亜矢はよくわからないと言った風に聞いてくる。「一ヶ月放置したら、一万五千円?」

「駐車場を借りたり、駐車場スペースのある家を借りるよりは多少安いかもしれない」

 エンジンを切って、後部座席に転がしておいた麗々瀬の腕を持ち、肩に背負った。眠っているというより、昏睡状態に近い。普通の人間なら、体を揺らせば起きるはずだろうに。

「死んでないってことでいいのかな」と、ぼくは不安になって尋ねる。

「心配?」

「死体を運んでたら、流石に通報される」

「そっちの心配か」と、亜矢は呆れたように言って「生きてるよ。私も慌ててたからさ、この人の怒りのパワー? みたいなものを、全部眠いっていう感情に置き換えたの。だからめちゃくちゃ寝てるんだと思う」

「そういうものか」

「意志がない人間は動かせない。響みたいなね」

 本当にぼくには意志がないんだろうか、と、今更ながらに疑問を抱く。麗々瀬を担いだときに感じたぼくの不安は、ぼくの意志によるものではないということか。条件反射とか、そういった類ものもの。であれば、意志とはなんだろう。人は、怒りたいと思って怒るのだろうか。意志を持って怒っているのだとしたら、それは冷静だということじゃないのか。

「うーん、ちょっと違うかな。もちろん、私も人の感情のスペシャリストなわけじゃないからちゃんとしたことは言えないけど……その発信源によるんだと思う。人のために怒るのか、自分のために怒るのか、みたいな。いやぁ、それも違うかも。とにかくひとつ言えることは、響は自分の意志で何かを考えているわけじゃないってことだけ」

 匙を投げられたような気持ちだったが、悲しいことに——悲しくなかった。

 麗々瀬を担いだまま、コインパーキングから五分ほど歩いた。麗々瀬の部屋の鍵は、亜矢が麗々瀬の鞄から抜き取って、手に持っている。制服姿の失踪した少女と、昏睡状態の女を担いだサラリーマン。絵面としてはちょっと……いや、かなり噂になりそうな組み合わせだったが、不幸中の幸いだったのは、そんなぼくたちの存在がかすれてしまうほど、麗々瀬はこの一帯で〝危険人物〟としての評価を得ていたことだ。あの女性は危ないから——どころではなく、、というレベルだ。誰も麗々瀬のことを噂しない、ほとんど禁忌きんきのような存在になっている。だから、誰もぼくたちのことを噂しないだろうという確信があった。実際、過去に麗々瀬の振る舞いについて噂話をしていた連中は、謎の嫌がらせにい、引っ越しを余儀よぎなくされているという事例がある。バックに誰がついているかという事実は、現代社会で生きる上でとても重要なことだ。

 麗々瀬の家は日本家屋然とした家々が立ち並ぶ住宅街にあって、北欧風の小洒落た一軒家だった。これだけでもかなり特殊な環境と言える。

「うわー……すご。めちゃくちゃ土地に似合ってない家だね。頭おかしそう」

「実際に頭はおかしいと思う」ぼくは言って、玄関の前まで麗々瀬を運ぶ。「開けて欲しい」

「はいはい」

 鍵を差し込み、亜矢は玄関を開ける。仕事柄、肉体労働には慣れている方だったが、流石に意識のない一般女性を移動させるのは疲れる。ぼくは麗々瀬を家に入れると、そのまま上がりかまちに腰を下ろす。亜矢も室内に入って、内鍵を閉めた。

「中もめちゃくちゃ洋風」

「少し休憩する。流石に疲れた」

「流石に家主に了解を得る前に服を物色するのは良くないかなー」亜矢は言って、着直した制服の汚れをチェックする。「室内に入ると、途端に気になるね」

「まあ、麗々瀬と良好な関係を保つ必要はあるから、起きてからの方がいいかもしれない。もっとも、麗々瀬はそんなことを気にする女じゃないが」

「女同士だと気にするところもあるかもだし」

 言いながら、亜矢は靴を脱いで、家の中に入る。あまり、遠慮という言葉には縁がない少女なのかもしれない。ぼくも一分ほど深呼吸をしてから、靴を脱いで立ち上がる。

「うーわ、きたな」

 麗々瀬の家は二階建ての一軒家で、そこに一人で暮らしている。四人家族でも平気で暮らせるだけの広さと部屋数のある家だったが、一人暮らしだ。そのせいか、麗々瀬の家のダイニングは、ほとんど汚部屋と言って良かった。スーパーやコンビニで買った簡易的な食事を、そのままレジ袋にまとめている。そういう、いびつな形をした白い球体が、あちこちに転がっている。

「今日は比較的、綺麗な方だ」

「これで?」

 いわゆるお姫様抱っこの状態で麗々瀬をダイニングに連れてきたぼくは、そのままソファの上に麗々瀬を寝かせた。とりあえず、これで問題の一部は解決した。あとは麗々瀬が起き上がるのを待つだけだ。疲れていたので、ダイニングテーブルの椅子を引いて、その上に乗っているレジ袋をテーブルの上にあげ、腰掛ける。ぼくにとっては慣れた光景だった。

「最低。汚すぎる。汚部屋じゃん」

「月に一回、ゴミ捨てをするらしい。麗々瀬は基本、この空間で生活していないから、ここはほとんどゴミ箱みたいなものだ。自炊もしてないはずだし」

「この町って、まともな大人がいないの?」

「まともな大人なんてこの世にいないんじゃないか」

 亜矢は呆れたように首を振って、ぼくと同じように椅子の上に置かれたゴミをテーブルの上に載せ、椅子に腰掛けた。人差し指でテーブルの上をなぞり、汚れを確かめている。視覚的に汚さを確認するという行為は、ぼくには無意味に思えた。

「うーん……体感的に、女の人の家にかくまわれる方がいい、と思ってたけど、響の家の方がいい気がしてきた。物はないけど清潔だし」

「ぼくの家は危険すぎる。平日は空けることになるし、そもそも物資が少ない。麗々瀬はほとんど家から出ないから、こっちの方がまだ安全だ。外に出る回数を増やすのはリスクがある。あるいは、当初の目的通り、麗々瀬を操って住み着いても構わない」

「響の大事な人じゃないの? この人」

 と、亜矢はソファに視線を向ける。大事な人かと問われると、答えにくい。大事な人の、大事な人ではある。が、ぼく本人にとって、麗々瀬が大事かというと、そうでもない。

 我ながら薄情だとは思うが——それが事実だ。麗々瀬が死んでも、ぼくは多分、涙を流さないだろう。あるいは、音園おとぞのが死んでも、閏流が死んでも、涙を流す未来が想像できない。

「まあ、生きていてもらった方が都合はいい」

「ま、いいか。いっそのこと、この人の意識を改竄かいざんして、綺麗好きにしちゃおうかな。ね、どう思う? 今思いついたんだけど、私のこの能力って、人を正しく導ける能力でもあるのかも。汚部屋に住んでるより、綺麗な部屋で暮らした方が絶対にいいし。これは正しい力の使い方、って感じじゃない?」

「正しいかどうかって、誰が決めるの」

 ぼくが言うと、亜矢は困ったように顔を曇らせ、唇を尖らせる。

「私が決める——なんて言ったら、それこそ神様まがいだね」

「そう思う」だけど別に、ぼくは亜矢を責めているわけじゃない。「ぼくのような人間からすれば、正しさを導いてくれる人間がいるならありがたいけどね。自分じゃ何も決められないから、正しいという保証が——生存確率の高い保証があるなら、それにこしたことはない」

「やっぱやめやめ。これ、完全に宗教と同じだ」亜矢は言って、両手を顔の前で振った。「私の目的は、人類の棲み分けじゃないし、人類を進化させることでもない。超能力を持った人間が、普通に暮らせる社会の実現。〝正しい選択〟とか〝世界をより良く〟とかって、響の言う通り、誰が決めるのって話だね。忘れて」

「別にぼくは責めてるわけじゃない」

「私も責められたつもりじゃない。ただ、そうだなって思っただけ。やっぱりさあ、響には私のパートナーでいて欲しいよ。そういう一般的な視点から来る意見、貴重だし。私のストッパー的な?」

 それもいいかもしれない、とは思っている。昨日の夜から、その選択肢は捨てたわけではなかった。ぼくに指示を与えてくれる、強大な力を持った人間——今までぼくは、そういう人間に寄り添って生きてきた。だったら、宿主を変える選択は必ずしも間違ったものではない。

 ただ、やはり義理はある。閏流に対して、音園に対して、家族に対して——それはぼくの意志ではないと亜矢は言うが、少なくとも自分の人生から生み落とされたものだ。それに、その義理を軽んじれば、危険に近付く。

 それを押してまで、超能力少女につくべきか。

 あるいは、彼女のことはギリギリまで譲歩して救って、恩義を売っておいて、やはりぼくは閏流の下で動くべきか。

 まだ、決めるべきときじゃない。

「さて、今更思い出したんだけど、お昼ご飯買わなかったね」亜矢が言って、椅子から立ち上がる。「勝手に料理したら怒るかな〜……と思ったけど、この人自炊しないんだっけ」

「カップ麺くらいならあるんじゃないか」

「ちょっと物色しちゃお。お腹空いちゃった」

 着信がないことは分かっていたが、ぼくは社用携帯を開いてみる。着信もメールもない。指示待ち人間であるぼくは、指示がない状態を不安がっているのではないか、と考えてみる。何もせずに生きているぼくに対して、神様もどきが罰を下すのではないか——という恐怖とは違う類の恐怖だ。普段は考えもしないことだ。

 やるべきことが明確化されていない、と言うか——自分が決断しなければならない状況というものが、ぼくには恐ろしいのかもしれない。

 他者に責任を押しつけたいためなのか、それとも、自分が責任を負いたくないだけなのか。結果的には同じことだが、そこには考え方の違いがある。ぼくは誰かを責めたいわけじゃない。同時に、誰にも責められたくないだけなのかもしれない。

 亜矢との出会いで、自分の立ち位置というか、存在自体が揺らぎ始めているような気がした。それがぼくにとって有益なのか害悪なのかは、わからない。

 それも、まだ決めるときではないのだろう。

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