第13話

ひびきー、ハンガーとかないー?」

 まだ制服姿のままのがリビングに顔を覗かせる。ぼくはハッと体を起こして、そちらに向き直った。

「ハンガー? なんで?」

「制服掛けておきたいんだけど」

「ああそうか……ちょっと待って」

 一度寝室に向かい、コートを脱いでクローゼットに入れ、今着ているワイシャツが掛かっていたハンガーを手に取る。後ろを振り返ると、亜矢が至近距離にいた。

「うわ、びっくりした」

「あ、響もびっくりはするんだ」亜矢は言いながら、値踏みするように室内を見渡している。「おっきいベッドだねー。キングサイズ?」

「さあ。人が選んだからわからない」

「しかし、ベッドとクローゼット以外は何もないんだね。殺風景というか、無機質というか……」亜矢はぼくからハンガーを奪い取りつつ、他人の寝室を評価している。「私、初めて会う人でも、その人がどういう人間か割とすぐわかるタイプだから——超能力ありきだけど、感じ取れるタイプだから、なんとなくこの人はこういうタイプだなって分類出来るんだけど……響はあれだね、すごく、特殊だね。つまり……今までのタイプでは分類出来ない」

「そうかもしれないね」

 悪口なのかもしれなかったが、だからと言って別段、なんとも思わない。

 寝室のドアを閉めて、亜矢はハンガーを手にしたままバスルームに消えた。ぼくは再び、リビングに戻ってソファに腰掛ける。特に何の感慨もなく、ルーチンワークのようにリモコンに手を伸ばし、テレビを付けた。うるうるにニュースくらいは見ろと言われているので、ニュースくらいは見るようにしている。ほとんど習慣のようなものだ。バラエティ番組を見たり、ドラマを見ることはほとんどない。社会人として、ニュースくらいは目を通しておけと言われているから、ニュースを見るようにしているに過ぎない。

 そこで——ぼくはそう、ようやくそこで、思い出した。というより、繋がった。むしろ、今まで自分は、ニュースくらいは見ているつもりだったのに、本当はニュースなんて見ていなかったんじゃないかという衝撃を受けたほどだった。

 画面に映るニュースは、数時間前、夕飯を食べていた定食屋で流れていたものとほとんど同じ内容だった。『あかさか医院』が映され、『赤坂』という名前と——『行方不明』という文字が表示されている。だが、行方不明の対象者は『赤坂香奈』ではなく、今まさに、ぼくの家で呑気にシャワーを浴びているであろう——『』その人だった。

 つまり、この『赤坂香奈』こそが、彼女の母親の名前なのだろう。ぼくは多少興奮気味に、前傾姿勢になって、ニュースの内容を読み取る。不審死を遂げた『赤坂香奈』の葬儀後しばらくして、娘である『赤坂亜矢』は行方不明となっており、警察は捜索を続けているのだそうだ。彼女は数時間前、三ヶ月ほど家出をしていると言っていたが——実際には、約一ヶ月間、行方がわからなくなっていると報道されている。

 話が噛み合わない。

 嘘か?

 彼女は赤坂とは関係ない?

 やっぱりぼくは、騙されているのか?

 いや——ニュースは確かに、について報道していた。事実として、彼女の顔写真が堂々と表示されている。超能力者である彼女が行方不明であることを、こんな、全国的に報道して大丈夫なのかと心配すらしてしまうレベルで、堂々と。

 どうなっているのか。

 画面が切り替わり、閏流と同じくらいの歳の男性が映る。『赤坂雅哉まさや』という名前が表示される。現『赤坂医院』の院長らしい。つまり、亜矢の父親か。彼への直接のインタビューではなさそうだったが、彼の顔を映した状態で、アナウンサーが彼の心境を読み上げていた。妻が亡くなり、ほどなくして娘が行方不明になってしまったことに対する戸惑い、また、娘の安否を心配するコメントが読み上げられる。結びに、情報を持っている者は全国の警察、あるいは松野まつの警察署へ連絡するようアナウンサーから呼びかけがあり、次のニュースへと移った。

 ぼ……ぼくだ。

 その情報とやらをこの世で一番多く持っている者は、おそらく、ぼくだ。

 むしろ、これだけ大々的に報道されていながら、何故誰も亜矢のことを通報していないのか? と不思議に思う。不思議に思ってすぐに、それこそが亜矢の能力のせいではないかという考えに至った。そうか——直接的に会った人間であれば、意識を操作してしまうことなど容易いことなのだ。そして、基本的には潜伏し、隠密活動をしていれば、存在が認識されることはないのかもしれない。木を隠すなら森——というわけでもないだろうが、行方不明となっている少女が、まさか普通に、むしろ堂々と、制服を着て市内をうろついているとは誰も思わないだろう。

 ましてやその少女が、普通に誰かと接していれば、誰も行方不明の少女だとは気付かない。

 彼女にはそれが出来るのだ。隣にいる相手をほとんど洗脳するような形で、友好的な関係を築き、あるいは車に乗せてもらって、行動することが出来る。ぼくがそうしたように。

 今更になって、自分はやはり、危険な状態にあるのではないか? という恐れが生まれてくる。そしてすぐに、どちらの方が危険が少ないか? どちらの方が安全か——という思考が芽生えた。それはやはり、自分で認めるのも憚られるけれど、反射的な思考なのだろう。自分がどうしたいか、という意志の介在しない、悲しい理論だ。それでもぼくは、考える。

 亜矢の言う通り、亜矢の都合の良い存在になって、守ってもらうべきか。

 それとも、超能力とかいうふざけた存在のことは綺麗サッパリ忘れて、日常に戻った方が危険が少ないのか。

 ——いや、ぼくの日常なんてそもそも、非日常かもしれないが。

「客人なので短めに済ませました」

 と言って、亜矢はパジャマを着た状態でリビングに戻ってくる。短めとは言っても、優に三十分は経過していた。一瞬のように感じたが、考え事をしていたせいで、それなりに時間が経っていたらしい。

 彼女はボリュームのある髪をバスタオルで包み、それを上から揉み込んでいる。

「今、赤坂医院についてのニュースがやってた」

「あー、行方不明のやつ。毎日飽きないね」

 亜矢はローテーブルに置きっぱなしだったコップを手に取ると、勝手に蛇口を捻って水を汲み、豪快に飲み干した。他人の家だというのに、あまりに豪胆すぎる振る舞いだ。別にどうでもいいけれど。

「行方不明になってから、約一ヶ月と出てたけど——三ヶ月家出してたんじゃ?」

「本格的に姿を消したのは一ヶ月前くらいかな。流石に、お母さんの四十九日くらいは出たいじゃん。だから、家出は三ヶ月だけど、音信不通は一ヶ月、みたいな?」と、ぼくにはわからない感覚を語る。いや、そもそも家出する感覚自体、わからないのだけれど。「お父さんだって——お父さんが犯人だって決まったわけじゃないけど——お母さんが死んですぐに私も殺すとは思えないから、しばらくは安心してた。もし私もすぐに殺す気だったら、お母さんと一緒に殺すはずだしね。あとはほら、お金を持ってるのはお父さんだけど、お母さんだって財産は持ってたから。遺産の分配があって、それを受けてから、私は家を出たの」

「遺産——ああ、お小遣いって言ってたやつか」

「そ」

 あまりに当然のように言う亜矢に、再びいくつかの疑問が湧き起こる。ぼくは、彼女の真意とか、決意とか、そういうものにはあまり興味がなかったけれど——少なくとも、自分の身の安全のために、いくつか聞いておかなければならなかった。

「お金を使ったら、足が付くんじゃないか?」

「響にしては鋭い意見」と亜矢は言ってから、「いや……響は意志薄弱なだけで、鋭くはあるか」と、意見を翻す。

「まあ、ぼくへの評価はどっちでも良いけど」

「私もそれは考えたよ。だから、全部現金にしたし、電子マネーとか、クレカは使ってない」

 亜矢はそう言うが、その身軽な装備の中に大金が含まれているようには思えなかった。少なくとも——廃墟のパチンコ屋で、彼女は荷物のほとんどを床に散乱させていた。ぼくがスマートフォンをそこから拾い上げたのも、ペンケースを拾い上げたのも、記憶にある。

「お金はしまわせたの、あの人に。だから実際には、鞄の底には大金が入ってる」

「俄には信じがたい」

「それ、私のじゃない?」言いながら、亜矢はローテーブルに広がる一万円を指差す。「それとも、響が回収したお金?」

「これはぼくが回収したものだよ。亜矢の鞄には触れてもいない」

「紳士的ですなぁ」

 亜矢はもう一杯、水を飲み干すと、リビングに放ってあった鞄に手を入れて、そこから——本当に、生の札束を取り出した。生じゃない札束が何かと言われると答えに困るが、なんというか、生々しい——そう、ただただ生々しいだけの札束が、三つ出て来た。

「大体、三百万円」と、亜矢は言った。「実際にはいくらか使ってるけどね。紙幣って、どうして一万円が上限なんだろうね? こういう生活してると、百万円札とかあれば便利なのになー、って思うんだけど」

「百万円札があったらインフレだろうから、結局持ち歩く枚数は変わらないんじゃないか」

「確かに」亜矢はぼくの発言に笑いながら、ローテーブルに置かれた札束を叩く。「とにかく、軍資金はたっぷりあるから、安心して。ここから足が付くことはないから」

「でも……よく考えたら、スマートフォンは持ってるんだよな。利用履歴とか、例えば通信量とか——そういうところから、特定されたりしないのか。最後にどの位置にあったか、なんてことは簡単に割り出せるはずだ」

「ああこれ。これはね、私のじゃないの。ちょっと前に泊まった家で借りたやつ。二台持ちしてる人だったから、一個借りても大丈夫かなーって」

「止められるだろ、普通」

「かもね。一応別れる時、二台目のことは気にしないように意識させたんだけど——もう結構経ってるから、もしかしたらもう、止められてるかも?」亜矢は言いながら、今度はスマートフォンを取り出す。「んー……でもまだ圏外表示にはなってないから、使えそう。もっとも、ほとんど使わないけどね。自分のネット記事読むか、マップアプリ使う程度で、電話を掛けることはないし、SNSにログインするわけでもないし。緊急用? みたいな感じ。Z世代のお守り的な」

「でもさっき、ぼくが拘束を解いてすぐ、二秒くらい、スマートフォンを確認してたような気がする」

「よく覚えてるねー、響」

「幸か不幸か、記憶力は良いんだよ」

「あれは、録音とか、録画とかがされてないか確認しただけ」と、亜矢は何でもないように言った。「あるいは誰かと通話中じゃないか? とか。証拠を残されると困るから、それを確認しただけでした」

 言われてみれば、確かにその程度の確認しか出来ない時間だっただろう。あの当時はまだ、亜矢は本性を曝け出していなかったから、ここまで用心深いとは思いもしなかったけれど——意外にも、いや、境遇のせいか、生まれのせいか——知恵の回る少女らしい。

「でも、ぼくが録音機材を持ち込んでいる可能性はあった。取引現場に、通話しながら入ってくるかもしれない——そういう可能性も、もちろん考えていたということ? ぼくが持ち物検査された覚えはないけど」

「まあ、ある程度は安全性と引き換えだよね。あんまり考えすぎても行動出来ないから、可能性の低いところはぶっつけ本番っていう部分ももちろんあるよ」と、亜矢は意外にもあっさりと、計画性のなさを認めた。「私だって、全知全能の神様ってわけじゃないし——超能力は使えるけど、地頭とか、そういう部分は、普通以下だろうから」

「わかった、ありがとう。別に君を責めたかったわけじゃないんだけど、ある程度知っておきたかった。幸い、報道はまだされていて——まだ見つかっていなくて、情報も出ていなくて……個人の特定に繋がるようなルートはない、と考えるのが良さそうだね」

「ああ、そっか。響は、自分が危険な状態にあるか? を確認したかったんだ」

「まあ、そういうことになる」

「今さら別に、響のそういう性格? 考え方というか、生き方を否定するつもりも、罵倒するつもりもないんだけど……やっぱり、響って珍しいタイプだね」

 と、亜矢は——おそらく、ぼく以外の、ぼくと同じ年代の男が、女子高生からは絶対日向けられたくないであろう——諦念と哀れみを多量に含んだ視線を向けて、言った。

「よく言われる」

 結局のところ、ぼくの行動理念というか、全ての動機は、死への恐怖に繋がっているんだろう。多分……ぼくが裏社会で生活しているのも、金払いが良くて、どちらかと言えば、支配する側——危険が少ない側——に近い存在に身を寄せられるからなのかもしれない。今更になって、ぼくは自分をそんな風に分析していた。

 これは悲しいんだろうな、と、客観視してみる。

 普通なら、こんな性格、耐えられないんだろう。普通の感性を持っていたら、自分が惨めになって、自分が悲しくなって、変わりたくなるんだろう。でも——ぼくは、自分のことばかり考えている。亜矢がどうなろうと、その願いが達成出来ようが出来まいが、あまり関係ないと考えている。

 結局、自分がどうなるか——ぼくはそんなことばかり考えている。

 最低で、悲しい性格だと、そういう風に考えることは出来る。客観視の客観視をした上で、そういう評価を得ることは出来る。

 でもぼくは悲しくなくて、惨めでもない。

 安全地帯にいることを、微笑んでいる。

「とにかく……今夜と、明日一日はここにいて良い。その間に、亜矢が行動を起こすつもりなら、それでもいい。勝手に出て行ってくれても良いし、そのまま居続けてくれても、どっちでもいい。ぼくを守ってくれるなら、好きにしていいよ」

 ぼくがそう言って、ソファから立ち上がると、亜矢はなんとも言えない——やはり、ぼくの同年代が嫌いそうな——表情でぼくを見つめていた。大人への失望とか、手応えのない人間に対する絶望とか、そんな要素の含まれた表情だった。よく向けられる視線だ。

「ありがとう」

 亜矢は、遅れて返事をした。ぼくはシャワーを浴びるために、リビングから出て行こうとする。

「……何か、強い想いが、自分の中に出来るといいね」

 哀れみみたいな言葉を、亜矢は口にした。

「そうしたら、ぼくは操られちゃうんだろ」

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