第12話

 松野まつの市は県内で見ればどちらかと言えば都会だが、全国から見れば地方都市だ。その上、車社会であるから、繁華街から離れた——実際、一番賑わっている松野駅からは車で二十分ほどの距離がある——場所に建っているアパートは、月八万円という家賃の割には十分すぎる広さが合った。土地が余っているから、こうした無茶な価格設定が可能なのだ。

 アパートの駐車場に車を駐め、さりげなく周囲を覗う。気付けば、時刻は午後十時前になっていた。流石にまだ人目のある時間帯だが、幸いにしてぼくの部屋は一階にあったので、住民に見られることなく、亜矢あやを招き入れることが出来そうだった。

「結局、家まで来たわけだけど」

「お邪魔しまーす」助手席に座ったまま、亜矢が言う。「大丈夫、変なことしないから」

「ぼくのセリフだ」

 ぼくのセリフなのか?

「とにかくまあ……亜矢の言う通り、君をぼくの目の届く範囲に置いておいた方が、安全らしいということはわかった。これからどういう行動を取るつもりか、あえて聞きたくないけれど——もし何か行動を起こす時は、それを知っておいた方が、どうやらぼくは安全らしい」

「だね。実際、ひびきがいる組織のことなんて何にも知らないけど——もしかすると、響は超能力者の排除とは無縁の組織なのかもしれないけど、そもそもにおいて、私がしようとしていることは世界を巻き込む話だから、無関係の人間なんて一人もいない」

「ってことになるね」ぼくは素直に賛同した。「で、家に泊めるにあたって、一つ約束して欲しいことがある」

「ん、いいよ。家のもの勝手に触らない、とか?」

「ぼくを守ってくれ」

 情けない——とも思わない。ぼくは思ったことを、素直に口にした。

 年下の、しかもまだ学生の女の子に、二十八歳の男が「守ってくれ」だなんて、客観視するとあまりに情けない発言だったけれど——幸いにして、ぼくは自分のことを恥じるような性格ではなかった。そういう感覚は理解出来るけれど、自分の中には存在しない。

「守ってくれ……というのは?」

 呆れた様子で、亜矢が言う。そりゃ無理もないだろう。意味がわからなさすぎる。

「運転しながら、ぼくなりに色々考えた。超能力者という存在がいて——まあそれは事実だと仮定したとき、超能力者である亜矢と一緒にいるのは、危険と言えば危険だ。でも同時に、強大な力が身近にいるというのは、安全と言えば安全とも言える」

「抑止力だ」

「そういうことになる。超能力という存在を知ってしまったぼくは、もしかすると、誰かから命を狙われるかもしれない。命を狙われるとまでは行かなくても、生活は一変するだろう。だから、ぼくを守って欲しい」

「なるほどね。本当に響って、自分の命というか、安全にしか興味ないんだね」

「興味すらないよ。ただ、死にたくないだけで」

「ん、でもわかった。簡潔でいいね。その、死にたくないっていう気持ちさえ、強い動機じゃないところが——もういっそのこと怖いけど。でもわかった。いいよ、守ってあげる」

 本来なら、年下の女子に「守ってあげる」などと言われたら、ふざけるな、とでも一喝するのかもしれないけれど、ぼくは実際のところ、安堵あんどしていた。そう、この関係は、ほとんどいちれんたくしょうみたいなものだ。共存関係というか。お互い、生きていたい。力関係で言えば、亜矢の方がぼくの何十倍、何百倍も強いのだろう。しかし、唯一なのかどうなのか、少なくとも亜矢が生きてきた中で唯一、自分の超能力の効果が及ばないぼくという存在を手元に置いておく利点はあって、同時にぼくも、強大な力のにいられるのは、利点がある。

 お互いにウィンウィン、というか。

「あとはまあ、常識として、家のものには勝手に触らないように」一応釘を刺して、ぼくはドアを開ける。「じゃあ、降りて」

「あれ、銃はいいの?」

「車の中の方が安全だから」

 亜矢も車を降り、二人で一緒に、ぼくの部屋である一○三号室に入る。一フロアに三部屋しかないので、三号室でありながら角部屋だった。一階の角部屋は、上と左右どちらかへの騒音にだけ気を付ければ他人に迷惑を掛けずに済むから、過ごしやすい。他人に迷惑を掛けない生活は、安全だ。少なくとも、他人に迷惑を掛けられるより、よっぽど安定した生活を送れると言える。自分の機嫌は操作出来るが、他人の機嫌は操作するのが難しい。だから、不用意に他人に迷惑を掛ける生活は、ぼくには合っていない。

 鍵を開けて室内に入る。亜矢はてんしんらんまんだと自称していたが、流石に玄関先で大騒ぎするような人間ではなかった。そこはそれ、育ちが良いと評していいのか微妙だが、少なくとも金持ちの家に生まれてお嬢様学校に通っているだけあって、ある程度の常識は身に付けているようだった。

「うわーっ! しばらくここが私の拠点!」

 が、室内に入り、内鍵を掛けてすぐ、亜矢はドタドタと廊下を突き進み、勝手にリビングへのドアを開けて、ほとんどヘッドスライディングするような勢いでソファに飛び乗った。ぼくは呆気に取られながらも、まあ階下に迷惑が掛かるわけでもないし——と、その様を眺めていた。

「しばらく拠点にすると言ったつもりはない」

「え、でも、響は私に守ってもらわないと困るでしょ?」

「近しい間柄になるのはやぶさかではないけど、そもそもぼくはこう見えて普通の会社に通っている社会人で、平日は仕事がある。平日以外も、指令があれば仕事がある。だから、君をずっと家にかくまっていられるわけじゃないし、そのあいだ、好き放題されても困る」

「あれ、なんか思ってたのと違う展開……」

「女性の知り合いがいるから、もし隠れ家を探してるなら、そいつに頼もうと思う。今日は流石に時間が遅いから、泊める判断をしただけだ」

「えーっ! いやいや、話聞いてた? 超能力者の存在は、とくしないといけないんだって。他に誰かを巻き込むなんて出来ないって」

 じゃあぼくのことも巻き込むなよ、と思わず言い掛けたが、水掛け論になるだけだろう。

「別に巻き込む必要はないだろ。お得意の超能力で、そいつの家に居候いそうろうすればいい。ぼくは君がどこにいるのか把握出来るし、君もぼくの家を知っているから、いつでもコンタクトは取れる。お互いの住処がわかっているというのは、かなり重要だしね」

「コンタクト? LINEじゃダメなん?」

「スマートフォンは持ってない」

「じゃ、ガラケー」

「社用携帯しかない」言って、ポケットから二つ折りの、いわゆるガラケーを取り出してみせる。「かと言って、ここに連絡されても困る」

「……響って、現代人だよね? 実は昭和生まれ?」

「平成六年生まれ。ていうか、昭和生まれでもスマホ持ってるし」うるうるがいい例だし、そもそもバカにしすぎな言い方だ。「とにかくまあ、君が……亜矢がどれだけ強い力を持っているとしても、いくら共存関係だとしても、男女が同じ部屋で暮らすというのは、ていさいが良くない。明日は流石に無理だとしても……明後日かな。週末に知り合いに連絡して、そこに移動してもらうことにする」

「あんまり関係者増やしたくないんだけどな……絶対にだめ?」

「絶対にだめ」

「とか言って、絶対にだめじゃないんだよね」

 と、亜矢は笑う。ぼくも自分で言っておきながら、絶対にだめじゃないんだろうな、とは思っていた。自分のことながら。

「まーでも、そこはそれ、その知り合いって人に会ってから決めようかな。実際、女の人の家の方が都合が良いことって多いしね。どうせこの家、洗濯ネットとかないんでしょ」

「何?」

「洗濯ネット。存在自体知らない?」

「知らない」素直に答える。「そもそも洗濯機がない」

「あっ……なるほど? じゃあ、ここは拠点にしない方が良いかも」と、亜矢はぽかんとした表情で頷きながら言う。「え、スーツはまだしも、ワイシャツは?」

「クリーニングに出してる」

「下着は?」

「週一でコインランドリー」

「あー……そうか……言われてみれば、家具らしい家具、ほとんどないね、この家」

 亜矢はソファに腰掛けたまま、ぼくの部屋をぐるりと見渡した。一応、閏流が仕事の都合で泊まったり、先輩のおとぞのが遊びに来ることもあるので、割と広くて、防音もしっかりしている鉄筋コンクリート造りのアパートだ。いや、もしかすると感覚的にはマンションと呼ぶべきなのかもしれないが、聞いた話ではどれだけ造りがしっかりしていても三階以下の建造物はアパートと呼ぶそうなので、アパートで良いのだろう。

 2LDKの家で、玄関を入ると真っ直ぐ廊下があり、廊下の右手にはトイレとバスルームのドアがそれぞれ個別に存在している。左手側には部屋がふたつ。突き当たりのドアを開けると、対面式のキッチンを有したリビングがあり、現在、ぼくと亜矢はそこにいた。リビングはキッチン部分を除くと四畳ほどのスペースがあるが、音園に言われて買ったテレビと、ローテーブル、そしてソファがあるくらいで、あとはさっぷうけいなものだった。

「冷蔵庫はさすがにあるんだ」

「普通あるだろ」

「普通は洗濯機もあるのよ」と、亜矢は呆れたように言う。「テレビと、洗濯機と、冷蔵庫……三種の神器って聞いたことない?」

「知ってる。八咫鏡やたのかがみとかだろ」

「あー、知らないやつ。家電の三種の神器ってのがあるの。まあでも、響、オシャレっぽくないもんね……服とかも、必要最低限しか持ってなさそうだし」

「必要ないからね」

「まあいっか。あれ? でも、シャワー浴びたあとにバスタオルとか使わないの? もしかして、綺麗な体を拭くだけだから、使ったあと乾かして再利用する派?」

「バスタオルは二十枚くらいあるから、それも、気が向いた時にコインランドリーで洗濯してる。基本的には一回使ったら、洗濯してる。週末まで、カゴに入れてる」

「洗濯機買いなよ。それもう、洗濯機買った方が良いよ」

「まあ……そうだな、買ってもいいかもしれない」

 と、ぼくは素直に答える。そもそも、誰からも「洗濯機を買え」と言われないから買っていなかっただけで、欲しくないわけじゃないのだ。欲しいとも思わないけれど、絶対に欲しくないわけでもない。ただ、必要にも駆られていなかったし、なんとかなってしまっていたから、なんとかしていただけに過ぎない。

 そういうところが、意思がないということなのだろうけれど。

「とにかく、あー……シャワー借りていいですか? あと、出来れば服も借りたいんですけど、この様子だと、パジャマとか余ってるわけないよね。今から車出して、ドンキとかに買い物に行くっていうのも……なし?」

「出来れば外には出たくないかな。遅くても、零時前には寝るようにしてる」

「うわー……機械人間だこりゃ」亜矢は大げさに額に手を当てる。「まあ、仕方ないか。受け入れますよ。無理を言ってるのは私なわけだし」

「ああでも、パジャマはある」

「ぶかぶかでしょ? どうせ」

「いや、どうだろう……さっき言ってた知り合いが来る時に使う用のやつが置いてある。パジャマに男女の差があるのか知らないけど、サイズはそれなりなんじゃないか」

「えー、意外。女の人連れ込むことがあるんだ」

「連れ込むというか、勝手に来るから、中に入れてる」

ぼくねんじんだ」亜矢は割と、難しい言葉を知っているらしい。「じゃあとりあえず、それ貸して下さい。あと、すごーく喉が渇いてるので、何か飲み物をください」

「水しかないけど」

「大丈夫でーす」

 言われた通り、ぼくはほとんど食器類の入っていない棚からコップを取り出し、水を汲んで亜矢に差し出す。その流れで、寝室にあるクローゼットから、ほとんど使われることのないパジャマを取り出して、ローテーブルの上に置いた。記憶にある限り、三回しか使われていないはずだ。

「ジェラピケだ!」

「じぇら……何?」

「ブランドです。へー、ああでも、サイズ感は悪くないかな?」自分の体にあてがいながら、亜矢が言う。「じゃあ、この流れでシャワーも借りちゃいますね。先に入ります?」

「いや、別にどっちでもいい」

「でしょうね」

 亜矢は呆れたように言うと、ソファから立ち上がる。「出てすぐ左」とだけ言うと、亜矢は答えもせずに、リビングから出て行った。

 ぼくは入れ替わるようにソファに腰掛けて、全体重を背もたれに預ける。ああ、気付けばコートも脱がずにいたらしい。どっと疲れを感じる。疲れなのか、睡魔なのかは判別が着かない。が、少なくとも——濃い数時間だったことには変わりがない。

 左腹部に違和感を感じ、コートのポケットに手を入れる。ああ、回収した百万円がそのままだった。茶封筒を取り出し、中身を抜いてローテーブルに広げる。百万円の束。福沢諭吉が百人。これを明日、また出社して、閏流に渡さなければならない。明日もまた、言われた通りの仕事をするのだろう。もしかすると、明日は仕事がないかもしれない。金曜日というのは、とかく裏の仕事が少ない傾向にある。多分、会合が多いからだろう。裏社会の人間とは言え、ほとんどが一般的な会社を隠れみのにして生きている。だから、週末の金曜夜は、普通に飲み会があったり、あるいは談合があったり、はたまた大仕事のための打ち合わせがあるので、下っ端の人間は暇なことが多くある。明日もぼくは出社して、閏流に金を渡して報告をし、会社でマインスイーパーをするか、家に帰って昼寝をするか、そんなところだろう。

 そんな生活、楽しいのだろうか。

 亜矢が言っていた、全てを禁止され、言われた通りに生活するだけの未来を想像してみる。

 多分、楽しくはないだろうが、つまらないわけでもないだろう。

 ぼくはそう思う。少なくともぼくは、そんな退屈な人生を否定はしない。

 でも——じゃあ、人間は、なんのために生きているんだろう。

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