第11話
「出来れば後部座席で寝ていて欲しいんだけど」
ハザードが
「隣に、お嬢様学校の制服を着た女子高生を乗せるのは、困るってこと?」
「それもあるけど、本筋はグローブボックスが銃の隠し場所になっているから、そこに座られると物理的に邪魔なんだ」
「へえー」言いながら、彼女はグローブボックスを開ける。「ここに入れてるんだ。すぐバレちゃうんじゃない?」
「二重構造になってるから、普通はバレない」
「私が隠そうか?」
「いや、銃は渡せない」
「だよね。
ぼくを仲間に引き入れた——という宣言をしてから、彼女はぼくに対して敬語を使わなくなった。完全なる立場の明確化だった。ぼくを下僕にしたような態度と言える。まあ、ぼくは年下からタメ口を利かれようが、不遜な態度を取られようが、別にどうでもいい。自分が目上の人間に敬語を使えないと嫌だが(彼女なりに言うなら、安全じゃなくなるからだろうが)他人が自分に対してどういう振る舞いをするかは、どうでもいい。
「じゃあもう助手席でもいいから、シートベルトはしてね。あと、銃はしまうから、脚をもうちょっと避けてくれる?」
「はーい」
ギアを「N」に入れて、グローブボックスの隠し蓋を開け、グロックをしまう。その光景を見られた時点で危ないか? とも考えたが、普通に車を走らせている間にギアが「N」に入ることは有り得ないので、彼女に奪取される可能性は少ないだろう。
「響は、女子高生の生膝に触れて、変な気を起こしたりしないの?」
「生膝にそこまで
「いやーん」
「キャラが変わってる」
「元々、
「どうだろうね」
サイドミラー越しに後続車の有無を確認し、とりあえず、車を走らせた。
「で、どこまで送ればいい? とりあえず、何も考えずに『赤坂医院』方面に向かおうとしてるんだけど」
「響は、お金をどこかに届けなくていいの?」
「ああ、ぼくの根城に来ようとしているのか。流石に身内に迷惑は掛けたくないな」
「ざーんねん。まあ言ってみただけなんだけど」
「とにかく、どこに降ろせばいい? ……ぼくは君から情報を聞いてしまって、確かに危険な立場になったかもしれないけれど、その事実を知るのは君だけだから、ぼくがこの秘密を一生胸に秘めていれば、狙われることもないわけだし、今日を限りにお互い、関わり合いを持たなくなれば、ぼくとしてはそれが一番ありがたい」
「響は、まだ私の
「それをするメリットが思い浮かばない」
「そう? だって、私の力が及ばない相手って、今のところ響が初めてだから——危険な相手は消しちゃった方が良い、でしょ?」
「なるほど。流石は『赤坂医院』の一人娘だ。思想まで似ているとはね」
悪意のあるニュアンスではなかったつもりだったけれど、思うところがあったのか、彼女は少しだけ沈黙した後、「優生思想かもねー」と呟いていた。別に、傷付けたかったわけではないのだけれど、まあ、今更悩んでも仕方がない。
「とにかく行き先を聞きたい。ぼくは根城に寄るつもりはないから、君を家に帰したら、そのまま自宅に戻るよ」
「あー、そっか、そっか……なんか話がかみ合わないなと思ってたけど、私、家に帰るつもりないんだよね」
「でもさっき、拘束を解いた後、家に送ってって言ってなかった?」
「うん、響の家にね」と、彼女は自己申告通り、天真爛漫な態度で言った。「だってそうでしょ? お父さんがお母さんを殺したのかもしれないんだよ? 犯人は別にいるとしても、そういう指示を下したのはお父さんかも。だったら、そんな家にいられるわけないし」
「でも、口ぶりからすると、お母さんが亡くなったのは随分前なんじゃないの?」
「大体、三ヶ月前。明後日で、百日目かな」
「その間は、だって、家にいたんじゃないのか」
「ううん、ほとんどいないよ。色々なところを転々としてた」
「危なすぎる」
「命が?
「どっちでもいいけど」
「だからー、響は私の脅威を理解してなさすぎるんだって。私が突然、『今日、家に泊めてください!』って言うとするでしょ。で、なんだこいつ……ってみんな思う。嫌だ、泊めたくない、警察に通報しなきゃ! って思ったとして……その意識を
「でも、女子高生が大好きな物好きがいれば、疑いもせず泊めてくれて、何か要求されるんじゃない?」
「そういうパターンももちろんあるかもね。でも、そういう時は、要求された欲求を満足させちゃえばそれで済むから。だから何も問題なく、私はここまで家出を続けているわけ。あ、着替えたりはしてるよ? 制服もクリーニングに出したり。流石にその辺は、お小遣いの範囲で」
「別にどっちでもいいけど」
沖の峠を抜けて、
「あーん…………響がまだ私の能力の便利さに気付いてくれない…………」
「何が便利さだ」
「私が響の家に行っても、何の問題もないんだって。だって、もしお隣さんと鉢合わせしたとしても、その人が不審な気持ちを抱いた時点で、それをどうにかしちゃえば済むだけの話でしょ」
「いまいち発動条件がわからないから、なんとも。この世の全ての人間の意志を、無差別に操作出来るわけじゃないんだろ」
「まーそれはそう。お互いが認識してないといけないからね。要するに、意識? 意志とか、意思とか、自覚とか、色々似たようなこと言ってるけど……お互いがお互いを認識あってないと、届かないね。だから、
「そう聞くと、確かに命を狙われても不思議じゃないか。仮に君の推論通り、君の父親が君を狙っているとして——まあ
「そ。まあ、この日本で狙撃なんて、よっぽどじゃない限り有り得ないだろうけど」
「それは確かに」とは言え、絶対に有り得ない話でもない。「あるいは毒殺とか」
「だから響の家に行きたいの。現状、響ほど安全な人っていないし。だって私に興味がなくて、私に殺意がなくて——私が響に危害を加えない限り、響も私に何かすることはないわけでしょ。で、私の思惑も全部伝えちゃった。パートナーとしては適任」
「何のパートナーだ」
「一緒に、組織を破壊しよう! っていうパートナー」
いやいや……勘弁して欲しい。
それこそ、ぼくの生活は安全じゃなくなってしまう。ぼくはだから、言われた通りに生活したいだけなんだ。自分の意思がなくても、やるべきタスクが目の前にあって、それをこなしていればただ生活が出来るような、安定した人生を送りたい。言われるがまま、使われるがまま、ただ生きる。こんなことを言うと、大抵の人間は「つまらない人間だ」と思うらしいけれど、そういう気持ちが持てないのだから仕方がない。
「ん、それこそ私と一緒にいた方が良くない?」と、彼女はぼくの独白に対して応じる。「言われた通りに生活したいだけなら、私が指示を与えてあげる。響はそれ通りに動く。指示系統が変わるだけだから、別にそれで良くない?」
「よくないよ。ぼくにだって、義理はある。不本意ながら変な生き方をしているけれど、ぼくの生活の世話をしてくれた上司や、ぼくに生き方を教えてくれた先輩や、産んでくれた両親に感謝の気持ちはある。そういう平穏無事な世界を壊そうとしている君の片棒を担ぐような真似は、流石に出来ない」
「その、義理ってよくわかんないんだけどなー……義理に意思は介在しないの?」
「さあ。むしろ、意思を無視出来る関係性を、義理って呼ぶんじゃないの?」
「あー、本当は逆らいたいけど、義理があるから逆らえない、的な? いやでも、義理の手前には意思があるわけだから、無関係でもないか」と、彼女は後半、ぶつぶつと独りごちる。「人間の行動原理については、もっと深く知る必要があるなー……」
「とにかく、お小遣いを持ってるなら、ホテルでもどこでも泊まってくれ。ぼくの家には連れて行けない」
「お願い! そこをなんとか! 迷惑は掛けないから」
「もう掛かってるよ」多分。自覚はないけれど、相当な迷惑を被っているはずだ。「それに、大して広い家じゃない」
「ソファで寝るから! あ、床でも大丈夫」
「断る」
「うー……でも、多分大丈夫だろうなって、私はなんとなく思ってるんだよね」
「絶対に断る」
「って、口では言ってるけど、絶対に断る強い意志がないわけじゃん、響には。私にはわかるんだよね、超能力者だから」と、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべる。「そして、本当に断るっていう強い意志があれば、私はそれを手玉に取れるから——たとえば響の家が物理的に破壊されているとか、そういうことがない限り、大丈夫なの」
「……ああ、なるほど」
そうか、さっきも感じたことだけれど——彼女がぼくには絶対に殺されないという自信を持っていたのと同じように、ぼくがなんだかんだ流されて、彼女を泊めるのだという確信があるのか。筋道立てて説明されると、納得せざるを得ない。実際、建前というか、一般的な常識というか——普通ならそうする、という行動理念からぼくは彼女を家には泊められないと言っているだけで、それがどうして嫌なのか、絶対に断るに足る強い理由があるのかと問われると、答えに
だってそんなもの、ぼくの中にはないからだ。
あくまでも一般論として、ほんの少しの面倒臭さを伴って、嫌だなぁ……と思っているだけで、強い意志があるわけではないのだ。
「……なるほど、なるほど」
「理解出来た?」
「理解出来た」素直に答える。「確かに、こんなに強大な力を持った人間を野放しにしておくのは、普通の人間にとって恐ろしいことだという、組織とやらの思想も、ある程度理解出来た」
「だよねー……やっぱり私、危ないよねー」と、どこか他人事のように彼女は言う。「でもそれって、使い方次第だとも思うんだよね」
「使い方か」
「響が持ってる拳銃だって、使い方次第だよね。抑止力? としての使い方もあれば、一方的に命を奪う使い方も出来るわけで。でも、拳銃は普通は手に入れられないし、使えないよね」
「法律があるからな」
「そう! だからね、法律を作りたいの、私は。そのために、組織を破壊しなきゃなの」
またスケールのでかい話になってきた。が、興味がないわけでもないので、ぼくは否定的な言葉は口にせず、「法律か」と合いの手を入れるに留める。
「そう。超能力をね、銃刀法みたいな扱いにしたいの。そうすれば、超能力を持って生まれただけじゃ殺されなくなるし、もし超能力を使ったら罰されるようにしたいの。そうすればみんな生きられる。平等になれる。今は超能力に対する法整備がないから、一律殺すしかないんだよ」
「でも、もし超能力を使ったら罰されるとしたって——相手が超能力者だっていう判断を誰がするのか、使ったか使ってないかを誰が判断するのかっていうのは、難しいんじゃないか。実際、君が超能力を使っても、証拠は残らない」
「あー、話の腰を折ってごめんなさいなんだけど」彼女は顔の前で両手を振りながら、申し訳なさそうに笑う。「君っていうの、やめてほしいな」
「君は、君だろ」
「名前がいいの。パートナーとして適任なんだから、他人行儀なのは嫌」
「わかった。じゃあ、赤坂君が——」
「名字も嫌いっ」彼女は子どものような——実際子どもだが——わがままを言う。「あと、赤坂君ってなくない? 女子に対して」
「もともと君って呼んでるんだから、赤坂君だろ」
「亜矢ちゃん、とか。亜矢っぺとか?」
「わかった、男女平等の風潮に基づいて、君のことはこれから亜矢と呼ぶ」実際、響と呼び捨てにされているのだから、問題はないはずだ。「君が超能力を使った証拠は残らないわけだろ」
「はい君って言ったー、減点」
「百パーセントそう呼ばないといけないのか? タイミングによって呼び方が変わることだってあるだろ。漫画のキャラクターの呼び方相関図じゃあるまいし」
「あはは……いや、今のは過剰な反応でした。でも、出来れば、ね? もっと仲良くしたいし、響とは。長い付き合いになりそうだから」
「こちらとしてはごめん被りたいけど」
とにかく——と、ぼくは会話に区切りを付けて、大通りを脇道に逸れながら続ける。車はすっかり、自宅に向けて走行していた。
「ぼくらが思っているほど、昔の人もばかじゃない。国家だって、大衆が文句を言ってるほどはばかじゃない。ばかじゃないから、
「うーん、まあ……別に、私にも明確なビジョンがあるわけじゃないから、そうかもね。実際、私が超能力を使ったことを第三者が判断出来るかって言われたら、出来ないわけだし。超能力と一口に言っても、色んな種類があるし。そうだね、響の言う通り、問題は山積みだと思うよ」
「まあ、だから全員殺すっていう乱暴な意見に賛成するわけでもないけど」
「そうなんだよ。言わばさ、公園の遊具は危険だから全部撤去しましょうって言っているのと同じことなわけ。危険なものは全部排除しましょう。規制しましょう。禁止しましょう——じゃあ、何が残るの? 肉も魚も、尊い命が奪われるのだから食べるのをやめましょう。インターネットは危険だから禁止しましょう。ぶつかっても安全なやわらか素材で出来た家に住んで、外部とのコミュニケーションはせず、認可された教育だけを受けて、健康的な食事だけして生きて————それ、何が楽しいのかって、思わない?」
「まあ……楽しくはないかもね」
とは言うものの、別にそれでも大丈夫だろうな、と思うぼくがいるのも確かだった。あるいは、ぼくこそが、そうした思想によって作り出された人間なのかもしれない。言われた通りに生きて、してはいけないと言われたことはしないで育ち——だからこそ、今のような生活をしている。事実、犯罪だとわかっていながら、違法だとわかっていながら、今のような生活をしているのも——その入り口で、止まらなかったせいだ。悪いものを見ずに育てられてきたから、危険なことに近付かないように生きてきたから、自分の中に経験もないし、嗅覚も鈍っている。
そして、もう後戻りの出来ない場所にいる。
「疑わしきは罰せず——ってよく聞くけど、超能力者に関しては、疑わしきは罰する——でいいと思うんだよね、私。少しでも怪しい動きをした人がいれば、その人物が超能力者なら、罰していいと思う。そのくらい過激な法整備をしても、全員を殺しちゃうよりはマシだと思うし、私も死にたくない」
「まるで本当に魔女狩りだな。
「かもね。その辺はでも、うん、頭の良い人たちに任せたいな。とにかく、動き出さなきゃって思ってる。私が生きている間に法整備が間に合わないとしても、百年後にそれが叶えば、それでいいって思う」
「今時の若者にしては、随分先を見てるんだな、亜矢は」
「あ、名前で呼んでくれた」と、亜矢は嬉しそうな表情を見せた。「でも、うん……割とそうだよ、最近の子は。だって、このままじゃ良くないって、肌で感じてるし。別に、響とか、もっと上の人たちをばかにするわけじゃないけどさ……用意された環境でなんとなく、言われた通りに生きて、で、失敗してるわけじゃない。良い学校に行って、良い会社に入れば、人生安泰——なんて言われて真面目に努力してたのに、いつの間にか学力社会じゃなくなってて、良い会社だと思って入社したのに業績が落ちて倒産して、かと思えば真面目に生きてなかった人たちが活躍して、評価されて、たくさんお金を稼いでいて……そういう、たった十数年しか適用されなかった常識を信じた人たちが、割を食ってるわけでしょ」
「まあ確かにそうかもね。今時の若者とは思えないような口ぶりだけど」
「意外とそんなもんだよ。だって、今ってネットでみんなそういう話をしてるもん。大人になった人たちが、あれは意味がなかった、頑張る必要なかった、勉強しなくても成功した、とかさ……もちろん成功者だけじゃなくてね。人生どん底、って感じの人も、言われた通りに生きてきたけど、別に大して幸せじゃなかった。今、稼げなくても好きなことをやっている方が幸せだー、なんて言ってるわけで。だったら、自分にしか出来ないことをしなくちゃって、やっぱり思うんだよ。私たちは。お気楽主義なだけじゃないの」
「なるほどね」
ぼくにはわからない感情だった。もちろん、理解は出来る。その思想に寄り添うことはできる。ぼくたちが、真面目に生きていれば評価された——という親世代の成功体験を模倣したように、逆に亜矢たちは、真面目に生きていても評価されない——という失敗談を、反面教師にして生きているのだろう。
やりたいことをやって、自分の人生を精一杯生きて——輝きたい、命を燃やし尽くしたいと思う気持ちは、そうやって生まれたのだろう。でも、ぼくの内側から、そうした感情は生まれてこない。眩しくはあるけれど、憧れはしない。
多分、ぼくは、もうそうなれないように、育ってしまったんだろう。
悲しいわけじゃないけれど、悔しいわけでもないけれど——そう思えないことさえ、悲しくもなれないし、悔しくもなれないのだけれど。
ああ、なんというか、もどかしい気持ちだった。
喪失感——でさえない。
ぼくはもう、そうはなれないんだろうな、という、他人事じみた気持ち。
自分にはもうその機能は備わっていないのだ、と思うことへの、傍観的思想。
悲しくないのが、悲しい。悲しい気がする。気がするだけで、悲しくなんてない。
ただ、亜矢のように、未来に対して身勝手な責任を持った存在を、眩しく思うだけだった。
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