第72話 まだ何もしてないんだぞ!


 トイレから帰ると、僕が必死の思いでセッティングした呑み会が糸守クンに乗っ取られていた。

 しばらくは彼の話題で持ち切り。質問攻めに次ぐ質問攻めで、三人からの視線を一身に浴びて困り顔。……何て羨ましい。


 だが、僕はへこたれない。


 そもそも糸守クンは、天王寺さん以外の異性になびくような男じゃない。でなければ、この僕がここまで攻略に手こずるものか。

 その証拠に彼は、自分が褒められ倒されている今の状況を何とか終わらせようと必死だ。適当に返事をして、明らかな愛想笑いをして、場を盛り下げることに尽力している。


 だから、僕はその時を待つ。三人が彼に飽きる時を、じっと。


「あっ、すみません。俺ちょっと、トイレ行ってきます」


 本当に用をたすためなのかどうかはわからないが、彼が席を立ったことで一気に空気が変わったことを肌で感じ取った。


 ナイスだよ、糸守クン。

 僕はキミを信じていた。これでようやく、この子たちの興味を僕に戻すことができる。


「あ……あ、あのっ……」


 トントンと肩を叩かれ振り返ると、目を見張るような長身のイケメンが立っていた。

 長い足を強調するデニムに、無地の黒インナー、ネイビーのテーラードジャケット。男性にしては伸ばし過ぎな黒髪を後頭部のあたりで一纏めにしており、端正な顔立ちなのも相まって非常にセクシーで見惚れてしまう。抱きたいと、魂が叫ぶ。


 ……えっ、誰? どちら様?


 三人は凄まじいイケメンの登場に、明らかに色めき立っている。

 これはまずい。とてもまずい。

 さっさとどっか行けよという意思を込め、僕はその男を睨みつけた。すると男はあたふたとし始め、急いでスマホを取り出し何かを打ち込む。


【遅れてしまってすみません。一度帰って着替える必要があったので】


 スマホの画面には、そんな文章が並んでいた。

 その会話方法にピンと来て、僕は今一度彼を見上げる。……ゴスロリを着ていないからわからなかったが、竜ヶ峰クンだ。


「その人も、一条さんが呼んだ人ですか?」

「……めっちゃ身長高いですね」

「芸能人……とかですか?」


 まずい。まずいまずいまずい。


 竜ヶ峰クンを呼んだのは、糸守クン同様に無害キャラだからだ。

 しかも彼の場合、ゴスロリを着ていたら女性にしか見えない。おまけに喋れないため、絶対に脅威にならないと思っていた。


 ……それなのに、何だこれ。


 男の子の格好してたら意味ないじゃん! 超絶イケメンがいたら僕の存在が霞むじゃん! これじゃあ天王寺さんがいるのと変わらないよ!


「りゅ、竜ヶ峰クン? あのー、い、いつもの格好は?」


 彼が席に座ったところで尋ねてみた。

 今更どうにもできないが、一応知っておきたい。


【就活の情報交換会とのことだったので、先輩たちからお話を聞く以上、しっかりとした格好がいいのかと思いまして! もしかして、スーツとかの方がよかったですか?】

「あぁー……い、いや、うん。今の格好で大丈夫だよ! すごく似合ってて格好いいから!」


 グッと親指を立てると、竜ヶ峰クンは照れ臭そうに笑った。……ちくしょー、興奮する。

 三人をおびき寄せるために真面目な会を装ったが、まさかこんなところで綻びが出るとは思わなかった。こういうのを、策士策に溺れるというのだろう。


「名前、何ていうんですか?」

「一条さんのセフレ……ぽくはないですよね」

「髪綺麗……! さ、触ってもいいですか!?」


 せっかく糸守クンのターンが終わったのに、今度は竜ヶ峰クンのターンがやって来た。


 もうやめてよ、僕が何をしたっていうのさ!

 まだ何もしてないんだぞ!




 ◆




「……ん?」


 要君が三人から離れて以降はこれといって特に何もなく、雑談を楽しみながら普通に食事をしていた。

 ふと、瑠璃さんが顔を上げた。その視線の先には、随分と顔の整った長身の男性がいる。


「あ、あれ……!」


 瑠璃さんは飄々とした性格で、見た目よりもずっと大人っぽく纏う空気には余裕がある。

 だがこの瞬間、彼女の周りから一切の余裕が失せた。顔には焦りが滲み、唇をパクパクと開閉する。


「何で竜ちゃんがここにおんの!? てか、何でゴスロリやないん!?」


 男性モノの水着姿は前に目撃したが、普通のメンズファッションに身を包む姿は初めて見た。

 話には聞いていたが、これは素直にすごい。街を歩けば、間違いなく何らかのスカウトを受けるレベル。身長や目つきの悪さも相まって、雰囲気が尋常ではない。


「瑠璃さん、落ち着いてください。私たちの存在がバレてしまいます」

「そんな悠長なこと言ってられるか! ホンマにあかんて! りゅ、竜ちゃんがとられる!」

「あっ。ちょ、ちょっと、瑠璃さん!」


 私の制止を振り切り、瑠璃さんは凄まじい勢いで走り去ってしまった。




 ◆




「はぁー……」


 便座の上に座り、ドッとため息を落とした。 

 注目されて、褒められて、持ち上げられて。ぶっちゃけ気分はいいが、小学生の頃を思い出して微妙な気持ちになる。


 やっぱり俺は、今の生活がいい。

 不特定多数の誰かより朱日先輩に褒めてもらいたいし、どうせ身体を張るなら彼女のためでありたい。


「……あれ?」


 トイレの壁紙を見て、デジャブに襲われた。

 何だったかなと首を捻り、スマホを開いて先ほど保存した画像を開いた。


 朱日先輩が送ってきた自撮り。

 そこに映る壁紙と、今俺を取り囲む壁紙が全く同じ柄だ。


「もしかして……っ」


 トイレを飛び出し、自分の席には戻らず店内を見て回った。すると、どこかで見たようなどぎついピンクの髪が視界に留まる。


「そんな悠長なこと言ってられるか! ホンマにあかんて! りゅ、竜ちゃんがとられる!」


 一条先輩たちがいる方へ駆けて行った小さな影。

 間違いない。猫屋敷さんだ。


「あのー……何してるんですか?」


 一人残された朱日先輩に声をかけた。

 彼女はビクッと身体を震わせ、帽子を目深にかぶってそっぽを向き、急にスマホをいじり始める。


「ど、どちら様ですか? 話しかけないでもらえます?」

「スマホ、上下逆ですよ」


 そう指摘すると、彼女はピタリと動きを止めて頬を薄らと染めた。もはや誤魔化しきれないと判断したのか、帽子とサングラスを取り肩を落とす。


「ちょっと糸守クン、何で猫屋敷さんがここにいるのさ! 僕、何も聞いて――」


 俺の姿を見て、事情を聞きに来た一条先輩。

 彼女の目に妖精のような金髪金眼の美女が留まり、一瞬硬直して「て、天王寺さん……?」とか細い声で呟く。


「この人も一条さんのお友達ですか!? うわぁ、すごい美人さんだー! 一緒に呑みましょうよ!」

「いや、あの、天王寺さんは――」

「ほらほら、こっちこっち!」


 三人のうちの一人が一条先輩を追いかけて来て、朱日先輩を見るなり黄色い声をあげ、強引に手を引いて連れて行ってしまった。


 一条先輩は必死に手を伸ばすが、二人の足が止まることはなく……。

 騒がしく熱気に満ちた店内で、一条先輩だけは真冬のように凍え切っていた。情けない顔で俺を見て、フッ小さく笑う。


「……糸守クン、僕さ、何か悪いことしたかな?」


 少なくとも、日頃の行いは良くないと思いますよ。……と言おうか悩んだが、喉元で止めた。こんな死んだ魚のような目をしている一条先輩に追い討ちをかけるのは、流石に良心が痛む。


「何だよこれ、聞いてないよ。ダメだ、ちょっと泣きそう……」

「だ、大丈夫ですか? 俺に何かできることがあったら言ってください」

「……糸守クンを抱かせてくれたら、涙も引っ込むかも。ついでに天王寺さんも誘って3Pしたい……」

「ぶっ飛ばすぞ」




 あとがき

 バレンタインSSを書こうかと思いましたが、それだと時系列がおかしくなるのでやめました。せっかく色々妄想したので共有しておくと、なんやかんやあってチョコを咥えながらキスをして、垂れたチョコが胸元に落ち、「舐めたいの?」と先輩に聞かれ糸守君が照れ散らかす――的な感じのものです。そんなバレンタインを経験したかった。

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