第63話 泣かなくて偉いね
「あぁーもう本当に可愛いなぁ! 何で俺、この頃に朱日先輩と出会えなかったんだろ……」
「そんなこと言っても仕方ないでしょ。特別に……本当に今回だけ、このフォルダの中から好きな写真を一枚あげるわ」
「ほ、本当ですか!? えーっと……じゃあ、どれにしようかな」
「私のオススメはこれよ。ほら、このひまわり畑にいるあーちゃん! 可愛いでしょう!」
「やべえ……か、可愛過ぎる……!!」
色々と写真を吟味していく中で、違和感を覚えた。
ある一定の年代を境に、写真が一枚もない。騒いでいたせいで気にも留めていなかったが、ついさっき雪乃さんが見せてくれた朱日先輩は五歳以下ばかり。
「……写真って、これだけですか?」
ジョッキに残ったビールを飲み干した雪乃さんは、その言葉にムッと眉をひそめた。
スマホを返却と何やら操作をして、すぐにまた俺に渡す。
画面に並んでいたのは、少し成長した朱日先輩。
どれもこれも無表情な、いつもの彼女がそこにいた。
『ウチ、何でも協力するで。糸守先輩やったら、朱日ちゃんをあの頃に戻せるかもしれんし』
ふと、お祭りに行った際に猫屋敷さんから言われた台詞を思い出した。
小学校に入るまでの朱日先輩は、天真爛漫を絵に描いたような女の子だった。それなのに、ここに並ぶ彼女は無一色。……猫屋敷さんが言っていたあの頃とは、こういうことだったのか。
「朱日先輩に何があったんですか? 俺が前に聞いた時は、周りからそう求められたら理想のお嬢様を演じてるって言ってましたけど、実際のところどうなんです?」
「……それは正解とも言えるし、間違いでもあるわね。勘違いとお節介の積み重ねっていうか……まあ、色々と難しいのよ」
重々しいため息を漏らして、ビールのおかわりを注文した。
軟骨の唐揚げを口へ放り込み、スッと足を組み直す。
「あーちゃんは生まれた時から、皆に好かれてたわ。兄妹の中で一番お母さんに似てるし、感情表現が下手なお母さんと違ってよく笑うし、しかもずば抜けて賢い。うちに媚びを売ろうって連中も、あの子にばっかり群がってた」
吐き捨てるように言って、フンと鼻を鳴らす。
俺も誕生日会でのゴタゴタを思い出し、少しだけ暗い気持ちが再燃する。
「そんなある時、お母さんが亡くなったの。あーちゃんの六歳の誕生日だったわ。葬式で私、身体中の水分が全部無くなるんじゃないかってくらい泣いたんだけど、あーちゃんは一滴も涙を流さなかった」
「ど、どうしてですか?」
「もう泣くとか、そんな次元の話じゃなかったんでしょ。……でもね、あんたも知ってると思うけど、あの子はただ無表情で突っ立ってるだけでも雰囲気が出るの。それこそ、余計にお母さんにそっくりでね」
届いたおかわりのビールを半分ほど一気に呑み、げふっと遠慮なく曖気を漏らす。
口の周りの泡を手の甲で拭い、忌々しそうに目を細める。
「それを見た葬式の参列者の一人が言ったのよ。……朱日ちゃんは泣かなくて偉いねって。雪乃ちゃんよりもお姉ちゃんしてるねって」
「……葬式の場でも、あ、朱日先輩のご機嫌取りをしようとしたやつがいたんですか?」
「ご機嫌取りなのか、本当にそう思ったから口に出しただけなのかはわからないけど、あれが全部のきっかけだったと思うわ。その人がそう言ってから、何人かが同じように褒めたのよ。大人だとか、そうしてるとお母さんみたいだとか……泣いちゃダメなんだって、あーちゃんに刷り込んでいった」
もう半分のビールを一息で胃袋へ流し込み、更におかわりを注文した。
若干虚ろな目をしながら、苛立ちたっぷりに舌打ちをする。
「もちろん、そういうことを言うのはやめろって何人かが注意したわ。……でも、葬式が終わってからもあーちゃんは落ち込んだままで、誰かに会うたびそれを褒められて。私も兄もお父さんも何とかできないか手を尽くしたんだけど、どうにもならなかった。それで今のあーちゃんが完成したってわけ」
何だそれ、というのが素直な感想だった。
子供の気持ちを汲み取らず、それがどういう結果を招くかも想像せず、寄ってたかって担ぎ上げて。
あの人の深層心理に余計な勘違いを植え付けた。
あんなに魅力的な素の表情を、隠さざるを得なくしてしまった。
パキッと鋭い音が走り、水が入っていたコップを握り潰していたことに気づく。
ズボンがびしょ濡れになったことで我に返り、店員さんに謝り倒しながら片付けてもらう。
「……どんな握力してるのよ。ってかあんた、さっき銃弾避けてたけど、どういう身体してるわけ?」
「あれはただ、銃口の向きと指の動きを見てれば避けられるってうちの父親が言ってたんで、ちょっと試しただけですよ」
「……ごめん。酔ってるせいか、メチャクチャなこと言ってるように聞こえるんだけど……」
程なくして片付けが終了し、雪乃さんが注文したビールのおかわりも届き、気を取り直して再度乾杯した。
「もうこの際だからぶっちゃけ言うけど、私ね、糸守には感謝してるの」
「……は? えっ?」
つい数時間前に俺を殺そうとしていた人の口から、思わぬ言葉が飛び出した。
俺が目を剥くと、彼女は鬱陶しそうにこっちを見て嘆息する。
「この前、プールに行ってたでしょ。一条さんとかと一緒に」
「は、はい。……何で知ってるんですか?」
「そりゃあ私もいたからよ。隙があったらあんたを刺そうと思って。当然でしょ?」
当然? 当然って何だ?
「でも、やめたわ。糸守といる時のあーちゃん、本当に楽しそうなんだもの。変なのに声掛けられてた時も、あんたがキッチリ身体張って対応してたし。……お似合いだなって思っちゃった」
寂しそうに呟いて、その感情をビールと一緒に身体へ流し込む。
「そのあと、皆で食事に行ったでしょ? そこにもいたのよ、私」
「……怖過ぎますよ。スパイか何かですか」
「下の名前を呼び捨てにしながらタメ口で告白とかやってて、あぁもうここで殺そうって思ったわ。……だけど、できなかった。あんなにちゃんと笑ったあーちゃんを、久しぶりに見たから」
一条先輩と猫屋敷さんは見間違いだと思ったらしいが、雪乃さんの目は誤魔化せなかったらしい。
朱日先輩の笑顔を思い出しているのか、心の底から嬉しそうに微笑んでテーブルを見つめる。
「あの子を笑わせてくれるなら、糸守にあーちゃんを任せようって思った。だってそれは、私や家族がどれだけ頑張ってもできなかったことですもの」
「……そういう風に思ってくれたのはありがたいんですけど、じゃあ何で昨日の今日でこんなことしたんですか?」
「店を出た後、あんたたちホテルに入ったでしょ。それで朝まで出てこなかった。……あーちゃんがどんな風に汚されてるのか想像したら、頭の血管が全部千切れるくらい殺意が沸騰したのよ」
……一晩中、ホテルの近くで見張ってたのか。
朱日先輩への愛情が歪み過ぎてて、一周回って尊敬できるかもしれない。
「そんなに朱日先輩のことが好きなら、何で誕生日会の時は俺を見逃したんですか? 告白してオッケーされた時点で、刺しに来てもおかしくないですよね?」
「聞いてないの? 私、あーちゃんに近づかないようお父さんから言われてるのよ」
「えっ? か、家族なのに?」
「何年か前の誕生日会で、とある議員があーちゃんの身体に触ってるのを見て、私プッツンしちゃって。後ろからアイスピックで――」
「刺したんですか!?」
「刺そうとしたけど、他の参加者に止められたの。文句言ったらその人、素手で殴った方が気分がいいって言って、議員を殴り飛ばしちゃったのよ。十メートルくらい飛んだわね」
「十メートル? ば、化け物じゃないですか……」
「あんたがそれ言うの?」
雪乃さんは半眼で俺を見て、ビールで唇を濡らした。
「でもそれじゃあ、雪乃さんは悪くないですよね? 殴ったのはその人なわけですし」
「議員にまだ意識があったから、私がボコボコにしちゃったのよ。まあ確かに、素手の方が気分はよかったわね」
「あー……しっかり手、出してたんですね」
「それまでも私、あーちゃん絡みでのやらかしが多くてね。ちょうど海外の全寮制の高校に行くことになってたし、ついでに接近禁止になっちゃった」
やれやれと肩をすくめるが、そりゃそうだろうとしか言えない。
昨日今日で、朱日先輩を想って相当数の罪を犯している。やらかしなどとマイルドな言葉を使っているが、その実態は想像を絶するものだろう。
「……あんたにはまだちょっと苛つくけど、とりあえずは彼氏として認めてあげる。言っとくけど、あーちゃんを泣かしたら生まれてきたことを後悔させるから」
前に似たようなことを猫屋敷さんに言われたが、雪乃さんの場合は本当にやるのだろうという凄みを感じる。だからというわけではないが、朱日先輩とはしっかり付き合っていこうと改めて思う。
「んで、写真どれにするの?」
話題を引き戻され、俺は改めてスマホの画面に目を落とした。
どの朱日先輩も本当に可憐で、この中から一枚を選ぶのはかなり難しい。悩んで、悩みあぐねて、ようやく一枚を指定し雪乃さんに見せる。
「……これにするの? よりにもよって、これ?」
「はい。俺のスマホに送ってください」
「あんたがいいならいいけど」と難しそうな顔で了承し、俺のスマホにデータが送られてきた。
それは可愛く笑う彼女ではなく、お母さんが亡くなってそう日が経っていない頃の写真。どこか寂しそうに無表情でランドセルと向き合う朱日先輩。
「彼女、俺の前では遠慮なく笑ってくれるんです。……でも、それが普通だと思うのは違うのかなって。もっともっと笑わせられるように、間違ってもこの写真の頃には戻らないように、頑張りたいと思います」
「……あっそ。まあ、うん……応援してるわ。困ったことがあったら、いつでも頼りなさい」
本来ならお礼を言うべき場面だと思うが、正直反応に困る。
この人は過激すぎて、下手に頼ると簡単に法を犯しそうで怖い。
「っていうかあんた、もっと吞みなさいよ! 私の奢りなんだから!」
「えっ? あぁ……は、はい。じゃあ、いただきます」
「……ビールじゃチェイサー代わりにしかならないわね。すみませーん、ウイスキーをストレートで二つお願いしまーす!」
雪乃さんは超が付くほどアルコールに耐性があった。
そして、先に結論を言おう。
この人のペースに乗せられ、一緒になってガンガン呑み続けていた俺は――。
今日初めて、酒で潰れるというものを経験した。
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