第64話 俺と結婚してくれー!


 午後九時過ぎ。

 私のスマホに、お姉様から連絡が来た。


 どうやら要君と一緒に呑んでいたらしく、今から家に連れて帰るという。


 それを聞いた時、ここは一つ、要君にガツンと言ってやろうと決めた。

 お姉様が接触したのだ。きっと何かゴタゴタがあったのだろう。そのせいで私に連絡できなかったのだろう。


 でも二人で酒を酌み交わしたということは、和解が成立したはず。


 だったら、どうしてもっと早く私に追加の連絡を寄越さなかったのか。

 一度無事だというメッセージを受け取ったが、以降はまったくなし。私がとんでもなく心配していたのに、あの男は楽しく呑んでいたなんて。


「怒鳴ってやる……! わーって、大きい声出してやるんだから……!」


 そう心に決めて、玄関の扉を開いた。

 直後、そんな決心は崩れ去る。


「あ、あはは……久しぶり、あーちゃん……」


 苦笑いをするお姉様と、彼女の肩を借りてどうにか立つ要君。


「ただいま帰りました! へ、へへっ、朱日先輩だぁ。本物だぁ……!」


 ゆっくりと上げたその顔は真っ赤に焼けており、声は炎天下に放置されたソフトクリームのように蕩け切っていた。べろべろのでろでろで、ここまで酔った彼は初めて見る。


「いやぁ、あの……ほ、本当にごめん。糸守と呑みながらあーちゃんの話したら、大盛り上がりしちゃってさ。私、ちょっと呑ませ過ぎたみたいで、途中から朱日先輩がとられるって泣き始めて……」

「泣き……!? 要君が、ですか? と、とられるとは一体……」

「そしたら今度は爆睡して、しばらくして起きたと思ったらまた泣き始めて、すぐに寝落ちして。……もうくたくたよ、早いとこベッドに放り込んであげて」

「会いたかったですー! 朱日先輩ー!」

「ちょ、ちょっと!? うわぁー!」


 ずるりと床に倒れ込んだ要君は、そのまま私の腰にしがみついた。

 ここまで連れて来るのに、相当苦労したのだろう。お姉様は久しぶりの再会だというのに、「じゃあまたね!」と足早に去って行った。


「あの……か、要君、大丈夫ですか? 自分で立てますか?」

「よゆーですよ! もう超よゆーなんで! はははっ!」

「全然足に力入ってないじゃないですか。はぁ、まったく……」


 彼の腕を肩に回し、半ば引きずるようにリビングへと運ぶ。

 もう既にかなりの重労働だが、不思議と悪い気はしない。


 私の方がお姉さんなのに、要君は頼り甲斐があり過ぎだ。

 仮に世界が滅ぶほどの大災害に見舞われたところで、彼は生き延びるだろう。


 でも今の要君は、私がいないと何もできない。

 自分で歩けないし、飲み水一つ用意できない。

 私に甘やかされる他ない彼を見ていると、心の底の黒い部分がチリチリと熱くなる。


 ……私、性格悪いのかな。


「寝る前にお水、飲めるだけ飲んでおきましょう。トイレに行きたくなったら、すぐに教えてください」

「大丈夫ですよー! それくらい全然、自分で行けますから! ほら、よいしょっと!」

「あっ! ちょ、ちょっと、危ないですって!」


 勢いよく立ち上がるも、すぐにふらついてソファに倒れ込んだ。

 そばに駆け寄ると、要君と目が合う。薄く張った涙の膜が揺れて、おもむろに私を抱き寄せる。


「どうかしましたか?」

「……と、とられる、と思って……」


 涙声で言いながら、ギュッと腕の力を強める。

 さっきまでニコニコ笑っていたのに忙しい人だ。酔うと情緒不安定になるのは知っていたが、度を越して呑むとここまで酷くなるのか。……まあ、可愛いからいいけど。


「何ですか、とられるって。私は誰にもとられませんよ」


 そっと背中を撫でるが、要君は首を横に振った。


「……俺、雪乃さんに言ったんです。朱日先輩をもっと笑わせられるように頑張るって」

「それは……はい、ありがとうございます」

「でも、もし朱日先輩が誰彼構わず笑顔を振り撒くようになっちゃったら……俺だけの特別じゃなくなっちゃうじゃないですかぁ!」

「……は、はい?」


 予想だにしない発言に、私は頭上に無数の疑問符が浮かんだ。

 どうしてわかってくれないんだとばかりに、要君は一層強く私を抱き締める。


「わかってるんです! 朱日先輩が昔みたいにいっぱい笑ってくれた方がいいってことは! そうなれるように頑張りたいって、俺も本気で思ってます! でも同じくらい、俺だけの特別を誰にもとられたくないんですよぉ!」


 とられたくないとは、そういう意味だったのか。

 要君が私を独占したいと思っていることは知っている。……いやしかし、まさか泣くほどとは。何だこの可愛い生き物。


「笑顔以外にも、要君には沢山の特別を渡していますよ。それだけでは満足できませんか?」

「できませぇーん!」


 即答だった。

 あまりの早さに、思わず笑ってしまう。


「では、どうしましょう。これ以上どう特別扱いすれば、要君は泣き止んでくださいますか?」

「…………ん、とか」

「えっ?」

「けっ……こ、結婚、とか、ですかね」

「……」


 今要君の口を動かしているのは、脳みそではなくお酒だということは理解している。

 ここで何をどれだけ言ったところで、きっと明日には忘れてしまっているだろう。


 それならば、と私はスマホに手を伸ばす。


 録音機能をオン。

 マイクを要君に向けて、今一度尋ねる。


「要君は、誰と結婚したいんですか?」

「朱日先輩です!」

「よ、呼び捨てで。あとタメ口で、プロポーズっぽく言ってください……!」

「朱日ー! 俺と結婚してくれー!」

「……ふへっ、うへへっ」


 その後、ありとあらゆるシチュエーションでプロポーズボイスを収録したところで、彼は糸が切れた操り人形のようにパタリと眠りに落ちた。

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