第60話 神や仏やゾロアスターやラブクラフト
「……やばっ。結構寝ちゃったな」
どうやら相当疲労が溜まっていたらしい。目を覚ますと、午後四時を過ぎていた。
「要君は買い物か……」
スマホを見ると、三時間ほど前に彼から買い物へ行く旨の連絡が入っていた。
流石にもう帰って来ているだろう。そう思ってリビングへ向かうが、彼の姿はない。
「……どこまで出かけたんだろ」
一人呟いて、ソファに寝転がった。
事故にでも遭ったのではないか。そう思ってメッセージを送りしばらく待つが、一向に既読がつかない。
心配のし過ぎかもしれないが、念のため電話をかけてみた。
あれ、おかしいな。
電波が届かないとか、電源が入ってないとか言ってるんだけど。
スマホの充電切れた?
それとも、山奥でも行ってるの?
「……え?」
ブーッとスマホが震え、思わぬ人物からメッセージが届いた。
要君の妹、霞さんだ。
【霞:さっきからずっと兄貴に連絡してるのに繋がらなくて……。天王寺さん、何か知りませんか?】
【朱日:こちらも同じ状況です。お力になれず申し訳ございません。要君にご用なら、私から伝えておきますが】
【霞:あー……うーん……用っていうか、ちょっと話したいことがあって】
【朱日:でしたら、帰宅するまでうちでお待ちください】
【霞:うちって、わたし今、兄貴の家の前にいますよ?】
【朱日:少し前から、彼は私の家で暮らしています。ではすぐに、そちらへ迎えの車を手配しますね】
【霞:えぇ!? も、もう同棲してるんですか!? いやもう、ほとんどわたしのお姉ちゃんじゃん!】
ポコンポコンポコンと驚き顔のスタンプが送られてきて、それが霞さんの顔にそっくりで笑ってしまった。
にしても、お姉ちゃんか。
末っ子の私に妹ができる。……うん、悪くない。
っと、それより車の手配をしないと。
「要君、どこ行ったんだろ……」
スマホをテーブルに放って、ソファに顔をうずめた。
大きなため息をこぼしながら。
◆
朱日先輩のようで朱日先輩ではない何かと他愛もない会話をしながら、ひたすらに車を飛ばすこと数時間。海沿いの道の脇に設けられたちょっとしたスペースに入り、ようやく車は停まった。
ここがどこか調べようとスマホを開くが、圏外になっており使い物にならない。
車に乗った時からずっとこうだ。彼女は故障でもしたのだろうと言うが、電波ジャミング的なものを使用しているとしか思えない。
「どこですか、ここは?」
「私のお気に入りの場所です。どうです、いい景色でしょう?」
「あぁ、まあ確かに……」
車の外へ目をやれば、遥か彼方まで海が続いていた。
ドアを開けて外に出ると、心地のいい風が身体を撫でて通り過ぎてゆく。身体全体で潮の香りを楽しみながら、俺の後ろで静かに佇む彼女を一瞥する。
「あのー……もういい加減にしませんか?」
「何がですか?」
「しらを切らないで、胸にしまってるナイフ、出すなら出してくださいよ。俺、自分から暴力振るうの嫌なんです。刺そうとしてくれないと、反撃できないじゃないですか」
そう言うと、彼女の顔にピキッと動揺が走り、二歩三歩と後退った。
もはやそこに朱日先輩のトレードマークである無表情はなく、こちらを睨みながらコンバットナイフを取り出す。
「……いつから気づいてたの?」
怒っている時の朱日先輩のような、冷ややかな声音。
こっちが本当の声なのだろう。
「その質問は、あんたが朱日先輩じゃないってことについてですか? ナイフを隠し持ってたことについてですか?」
「いつから私が、あの子じゃないって気づいてたのよ! へ、変装は完璧だったのに!」
「最初からですよ。歩幅とか利き足とか体重とか、判断材料はいくらでもあります。……それに朱日先輩は、一度だって俺に殺気を向けたことなんてない」
「……わかった上でついて来るなんて、変な男ね。何がしたいわけ?」
「もし朱日先輩を脅かす敵だったら、排除しておこうと思って。……んで、誰なんですかあんたは。俺も質問に答えたんですから、そっちも答えてくださいよ」
彼女はため息をつきながらカツラを放り捨てると、艶やかな黒髪のショートヘアが現れた。
それだけで随分と雰囲気が変わり、朱日先輩が持つ陽だまりのような魅力からは程遠い、氷河期のような途方もない冷たさを感じる。
「私は天王寺雪乃。あの子の……あーちゃんの姉よっ!!」
そう言い放ち、ナイフの切っ先を俺に向けた。
「……えっ? て、天王寺、雪乃? あーちゃんって……あ、朱日先輩のことですか?」
「そうよ! 私の可愛い可愛いあーちゃん! あんたが汚してキズモノにし散らかした、大事な妹! 他に誰がいるっていうのよ!」
完全に予想外の展開に、頭の中が真っ白になった。
お、落ち着け。こういう時こそクールにならないと。
最初から血縁者の可能性を疑うべきだった。これだけ顔も声も似ているのだ。十分に予想できた事態だろう。
……それにしても、朱日先輩のお姉さんか。
言われて見ると、尋常じゃないくらいの美人だな。
って、いや、今そんなことはどうでもよくて!
どうしよう。この人を叩きのめすつもりでいたけど、姉となると話が変わってくるぞ。
「あーちゃんの処女は私が貰うはずだったのに……! お前なんかが……うわぁああああ!! お前なんかがぁああああ!!」
明らかに理性を失った顔で叫びながら、ナイフを手に襲い掛かって来た。
どうにか腕を掴んで制止するが、朱日先輩のお姉さんということで本気を出すわけにもいかず、何より向こうの力が凄まじく気を抜けば本当に刺されそうだ。
「ちょ、ちょっと待ってください! 一旦深呼吸! 落ち着きま――」
「うるさい死ねぇ! お前を殺して私は生きる! あーちゃんと一緒に生きるんだぁああああ!」
「冷静に話し合いましょう! こんなことしても、朱日先輩が悲しむだけですよ!」
「私があーちゃんを悲しませるって言いたいわけ!? こ、この腐れチンポコ野郎!! 私とあーちゃんの絆を舐めやがってぇええええ!!」
若干、言葉遣いが酔っている時の朱日先輩と似ている。
こっちの方がかなり汚いけど。
「だから、落ち着いてください!!」
どうにか地面に組み敷き、手から離れたナイフを遠くへ蹴り飛ばした。
何だこの人。妹のこと好き過ぎだろ。……いや、気持ちは痛いほどわかるんだけどさ。
にしても、雪乃さんだったっけ。もしかして、前に一条先輩の言ってた〝あの人〟って雪乃さんのことじゃないのか。きっとそうだ、そうに違いない。
「離せっ! 離しなさいっ! ひとの大事な妹をネチョネチョのグチョグチョに犯して、何て羨ましい!! 神や仏やゾロアスターやラブクラフトが許したって、この私は許さないわよ!!」
「い、いやあの、別にネチョネチョのグチョグチョとかはしてない――」
「ビチャビチャのゲチョゲチョはやったってこと!? うがぁああああ!! 殺す!! 殺させろぉおおおお!!」
「……」
一条先輩にてんこ盛りの殺意を足して、理性を抜いたような人だ。
ごめんなさい、一条先輩。
俺、あなたのことをろくでもない人だと思っていたけど、上には上がいました。
「ふ、ふん! いいわよ、別に! そうやって余裕な顔してなさいよ!」
「ま、まだ何かあるんですか?」
「ふふふっ! どうしてこんなひと気のない場所まで来たと思ってるの! ほら来たわ、援軍が!」
黒い車が路肩に停まり、二人の男が現れた。
「そいつをボコればいいんですか、お姉さん」
「この仕事が終わったら、俺らを海外に逃がしてくれるって嘘じゃないよな? 一星会の連中に捕まったら、どんな目に遭わされるかわかんねぇ」
「うだうだ言ってないで、あんたらは自分の仕事しなさい! とにかくこいつを大人しくさせて! 大人しくさせるだけでいいから!」
男二人は気怠そうに返事をして――俺の顔を見るなり、ピタリと固まった。
何か見覚えのある奴らだ。えっと、誰だっけ。
「「「あっ!!」」」
三人の声が重なり、各々ハッと目を剥く。
そうだ、思い出した。一条先輩を攫おうとした連中だ。
一人は俺が車から引きずり出したが、残りの二人は逃げてしまった。
一条先輩の父親の
「い、一星会の殺し屋が、何でここにいるんだ……!?」
「殺し屋? 俺が?」
「オレたちハメられたんだよ! どうするんだこれ! きっとあの女もグルだぞ!」
「グル? 私が?」
俺と雪乃さんは顔を見合わせ、お互いに首を傾げた。
「くっそぉ! 回りくどいことしやがって! オレたちをここに誘き出して、そこの殺し屋に始末させようってはらだろう!?」
「ちょっとごめんなさい。言っている意味が全然わからな――」
「とぼけんな腐れアマァ!」
ダン、とけたたましい音が響く。
男の一人が胸ポケットから取り出した、一丁のピストル。
射出された弾丸は、雪乃さんが乗って来た車を掠って海の方へ飛んでゆく。
「こうなりゃここで二人とも始末してやる! ヤクザを舐めんじゃねえぞ!」
男は俺に銃口を向けて、啖呵を切った。
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