第59話 落とし前
「……んっ、あれ」
目を覚まして最初に視界に飛び込んできたのは、知らない天井だった。
あぁ、そうだ。結局ラブホテルに泊まったんだった。
隣を見ると、朱日先輩が気持ちよさそうに寝息を立てている。
子供のようなあどけない顔。ほっこりとした気分になり、自然と頬が綻ぶ。
優しく頭を撫でると、彼女はパッと瞼を開いた。
まさか起こしてしまうとは思わず、すぐに謝罪するが向こうはそれに対し笑みで返す。
「おはよ。よく眠れた?」
「え、えぇ、はい。朱日先輩はどうでした?」
「んー……何かちょっと身体が怠いかな。やっぱりうちのベッドが一番だね」
眠たそうな瞳に俺を映し、ふわふわとした声で言葉を並べた。
大きな欠伸を一つ落として、「それより」とやや不機嫌そうに眉を寄せる。
「朱日先輩じゃなくて、朱日ね。しっかりしてよ、もう」
そう言って、俺の鼻をツンと人差し指で突っついた。
昨夜は散々朱日と呼んだ。今もう一度、同じことをしようと思えばできる。だが少し思うところがあり、俺はふむと考え込む。
「……すみません。もう少しだけ、朱日先輩って呼ばせてください」
「え、何で?」
「まだ気をつけてないと呼び捨てにできませんし、やっぱり体力を使うんです。自然と出るようになるまで、ちょっと待ってくれませんか?」
「……待つって、どれくらい?」
「わかりませんけど、いつか絶対に呼び捨てにするので。……朱日先輩だって、人前で呼び捨てにされたら顔が緩んじゃうわけですし、もうちょっと慣れが必要なんじゃないですか?」
昨夜、皆で食事をした時はかなり危なかった。
同じことが起こった時、今度は誤魔化せないかもしれない。
朱日先輩もそれは不安なようで、残念そうにしながらも「わかった」と頷く。
「時間はいっぱいありますし、ちょっとずつ前に進みましょうよ。焦らなくても、俺は朱日先輩の前からいなくなったりしませんから」
「……そうだね」
ふっと口元に笑みを灯して、ギュッと俺に抱き着いて胸に顔を押し付けた。
黄金の髪を撫でると、彼女は嬉しそうに鼻を鳴らして一層強く抱き着く。大きな犬を飼っているような気分になる。
「今日はこのあと一旦帰るとして、それからどうしましょう。どこ出かけます?」
「うーん、ちょっと休みたいかな。さっきも言ったけど、ちょっとベッドが合わなかったっぽくて。気が済むまで家でゴロゴロして、体力回復したら出かけよっか」
「わかりました。どこか行きたいところがあるなら、俺、先に色々と調べておきますよ」
「うーんっと、行きたいところかー……あっ、あれだ! ジロウケイ、だっけ? 前に要君が倒れて行きそびれたとこ!」
「じ、二郎系ですか? 別にいいですけど、ちょっとしたアトラクションなんで覚悟してくださいよ」
朱日先輩はジャンクフードが好きだ。きっと二郎系も気に入るだろう。
あんな男の世界みたいなとこに、この人が飛び込むのか。ただでさえ女性客がいると変な空気になるのに、それが彼女だったら周りからとんでもない顔をされそうだな。
「もう少しギュッてしてていい? 満タンになったら迎え呼ぶから」
「満タンって、昨日あれだけしておいてまだ足りてないんですか?」
「足りないよ。要君がいっぱいくれるから、私、どんどんワガママになっちゃってるの」
そう言って身体を持ち上げ、俺の上にうつ伏せに倒れた。
「へへっ……こっちのベッドの方が寝心地よさそう」
悪戯っぽく白い歯を見せて、胸に頬を当てて瞼を落とす。
◆
帰宅してすぐ、朱日先輩は寝室で眠りについた。
俺も最初は一緒に横になっていたが、一時間ほどで目が覚め家事に取り掛かる。
途中、トイレ用の洗剤がないことに気づいた。
他にも牛乳が切れていたり、お菓子が少なくなっていたので、朱日先輩のスマホに出掛ける旨のメッセージを残して買い物へ出かける。
……それにしても、今日も今日とて酷い暑さだ。
もうそろそろ九月になろうというのに、一切気温が下がらない。蝉の大合唱も止まらず、あまりの煩さにこっちも叫びたくなってくる。
「要君」
スーパーへと向かう俺の背中に、聞き知った声が投げかけられた。
振り返ると、そこには家で寝ているはずの朱日先輩がいる。
「ど、どうしたんですか。さっきまで家にいましたよね?」
「要君からの連絡を見て、すぐに飛んできました。私もご一緒しようと思いまして」
「……別に構いませんけど、ただの買い物なんで楽しくないですよ? しかもメチャクチャ暑いですし」
「ご心配なく。向こうに車を停めてあるので、そちらを使いましょう」
と言って身を翻し、黄金の髪を揺らしながら歩き出す。
案内された駐車場には、見慣れない高級車が停まっていた。いつもの運転手はおらず、彼女は当たり前のように運転席に座る。
「えっ、朱日先輩が運転するんですか?」
「はい。たまにはいいかな、と。これでも私、運転の腕には自信があるので」
俺が助手席に乗り込むと、エンジンをかけ慣れた手つきで車を動かし車道へ出た。
「せっかくなので、このままドライブをしましょう。構いませんよね、要君」
「いいですね。そうしましょう」
二人っきりでドライブか。こういうの初めてだな。
運転する朱日先輩はとても格好よくて、俺の視線に気づいたのか、彼女はふふっと微笑んだ。つられて俺も笑って、ふっと横の窓に目をやり外の景色を眺める。
――さて、と。
誰だ、こいつ。
一応話に乗ってやったが、まったく見当がつかない。
顔も声は限りなく本物に近いが、髪はカツラで目はカラコンだ。
何より歩幅が違うし、利き足が違うし、足音から推測するに体重も違う。耳の形も若干異なり、声のトーンも僅かに低い。
こいつは朱日先輩じゃない。
まあ、誰だっていい。
ここまで手の込んだことをしている以上、何か重大な理由があるのだろう。しばらくこのまま話に乗って、俺への用を聞き出して、それで――。
事としだいによっては、あの人を騙った落とし前をつけさせなければ。
あとがき
第二章も終盤に入りしました。
カクヨムコン用に書いたこの作品ですが、皆さんから多数の支持を頂き、当初は十万字で完結する予定でしたが早くも十八万字に迫ろうとしています。
そんなカクヨムコンも今日で終了。
プロ部門のランキングで一週間以上一位に立てたりと、とてもいい思いができました。これもひとえに皆さんのおかげです。ありがとうございます。
物語はまだまだ続くので、作品&作者フォロー、レビューのほどよろしくお願いします。
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