第58話 ここでシちゃお

「かんぱーい!」


 カンとジョッキを鳴らして、本日三杯目のビールを胃袋へ流し込む。

 前に行ったホテルほどではないがルームサービスが充実しており、酒やつまみを頼むことができた。部屋に入って早々に注文し、二人掛けのソファに並んで座り二次会に興じる。


 結局こうなるなら、真っ直ぐ家に帰ってもよかったのではないか。……と思わなくもないが、口にはしない。朱日先輩にとっては、家の外でお酒を呑むこと自体に意義があるのだろう。


「こういうとこって初めて来たけど、案外綺麗だね。ベッドも広いし、テレビも大きいし!」


 言いながらテレビをつけて操作すると、AVを再生するページに飛んだ。いかにもなタイトルと情欲を掻き立てるパッケージが並び、朱日先輩は気まずそうに閉口してテレビを消す。俺も居心地が悪くなり、視線を泳がせながらビールを呑む。


「……要君も、あ、ああいうの観るの?」

「へっ!?」


 想定外の質問に、自分でもわけが分からないほどの大声が出た。


 朱日先輩は俺の膝の上に手を置いて、興味半分、悪戯心半分といった表情で、こちらの顔を下から舐めるように見つめる。


「朱日先輩と付き合う前は観てましたよ。今はないです……ほ、本当に、まったく!」


 嘘をついてもどうせバレる気がしたので、包み隠さず正直に話した。彼女は「ふーん」と呟いて、スッと目を細める。


「どういうジャンル観てたの?」

「ど、どうって、普通ですよ」

「普通って?」

「……あの、か、勘弁してください……」


 観ているか否かなら抵抗感なく答えられるが、それ以上となると気が引けた。特殊性癖を抱えているわけではないが、それでも嫌われるのではと考えてしまう。


「そ、それより、お風呂見に行きません? さっきチラッと覗いたんですけど、何かすごい感じでしたよ!」


 話題の逸らし方としては無理やりだなと自覚しているが、それでも今の話を続けたくなかった。

 朱日先輩は不満そうに唸るも、直後にニヤリといやらしい笑みを浮かべる。


「ふーん、そっか。困ったさんだなぁ、要君は。そういうことをするために、ここに来たわけじゃないのにさ」

「な、何の話ですか……?」

「とぼけちゃって。お風呂見に行って、そのまま一緒に入ろうって誘う流れでしょ? お姉さんにはわかっちゃうんだから」

「ち、違いますよ! そんなこと全然思ってもな――」

「思ってもない? 私の裸なんて見慣れちゃったから、別に興味ないってこと?」

「いや、そんなこと一言もいってないじゃないですか!」

「じゃあ、やっぱり一緒に入りたいんだ。要君のすけべー!」

「……もうそういうことでいいです。俺、お風呂にお湯張って来ます」


 勝手に話を転がしておいてすけべもくそもないのでは、と思いつつ。

 せっかく来たのだから、お風呂くらい一緒に入りたいと思っている自分もいるわけで。


 ……やっぱりこの人は強い。一生勝てる気がしない。


 俺は形容し難い敗北感を引きずりながら、一人バスルームへ向かった。




 ◆




「うちもこんな感じにリフォームしようかな」

「家の風呂場がラブホテルと一緒とか嫌ですよ、俺……」


 黒い木目調の壁に白いタイルの床。

 浴槽は二人で入っても余りあるほど広く、なぜか淡く発光する機能付き。天井の照明を切って浴槽の明かりを点けると、何ともいやらしいムードが完成する。


「お酒入ってますし、気持ち悪くなったらすぐに言ってくださいね」

「うん、ありがと」


 俺の股の間にお尻を入れて、そのままこちらに背中を預ける朱日先輩。頭の上で一纏めにした髪が顔に当たってくすぐったく、同時にいい匂いがして、身体の感触も相まり変な気分になる。

 それをどうにか押し殺すため、全力全開で父親の裸を妄想する。しかし現実の破壊力が尋常ではなく、負けるのも時間の問題だろう。


「……ねえ、要君」

「何ですか?」


 返事はなく、代わりに浴槽のフチに置いていた俺の腕を撫でた。

 その意図を察し、俺は腕を持ち上げてそっと彼女を抱き締める。彼女は首に回した腕に触れて、満足そうに鼻息を漏らす。……俺はといえば、密着度が上がったことで妄想だけでは足りなくなり、口の内側を噛んでどうにか耐える。


「そういえば、下の名前を呼び捨てにして欲しいって話、どうなったんですか?」


 少しでも気を紛らわせようと、忘れかけていた本題を引っ張り出した。


「呼んで、今ここで。……あっ、敬語も禁止ね。タメ口で話して」

「……いや、それは無理です。あれ本当に体力使うんで、せめて呼び捨てだけにさせてください」

「そう? わざわざ敬語使う方が疲れない?」

「本気で尊敬してる人だから、馴れ馴れしく話し掛けることに抵抗があるんですよ」

「ふ、ふーん……そっか、そうなんだ……」


 朱日先輩は不服そうにしつつも、しかし悪い気はしていないようだ。

 もうタメ口にしろとは言わず、代わりに「わかった」と返す。


「でも格好いいこと言っといて、こっちは随分と馴れ馴れしいみたいだけど」

「おわぁっ! ちょ、ちょっと!?」


 腕を後ろへ回して、長い爪で優しく鼠径部を掻いた。

 彼女はふっと振り向いて、舌を少しだけ見せて妖し気に笑う。妙な期待をさせられ、そして裏切られた俺は、嬉しいのか悔しいのか自分でもわからず混乱する。


「……あんまり悪戯が過ぎると、呼び捨てしてあげませんよ」

「えっ、やだやだ! いい子にするから!」

「本当ですか? ジッとしてられます?」

「要君の頼みだったら……私、何されてもジッとしてるよ? 何でもしてくれていいんだよ?」

「……あ、あの、そういう話をしているわけじゃ……」


 主導権を握ろうとしたが結局返り討ちに遭い、彼女はコロコロと笑って俺の腕に唇を落とした。

 お湯とは違う温もりに心臓が跳ね、隠しようがないほど身体が反応する。


「誘惑するのも程々にしてくださいよ……あ、あけっ……朱日っ」


 一層強く抱き締めながら耳元でその名を囁くと、彼女はビクッと身体を震わせた。

 はふぅーっと息を漏らして、湯気で湿った頬を俺の頬に擦り付ける。


「……朱日の今日の水着、すごく可愛かったです。プールも楽しくて、朱日と遊べて幸せでした」

「私もすごく楽しかった。……あと要君、すごかった。飛んできたテーブルを蹴っちゃうんだもん。映画のアクションみたいだった」

「キャッチすればいいってわかってたんですけど、あいつにやり返したくなっちゃって。すみません、血とか見たくなかったですよね……」

「私もスカッとしたし気にしないで。格好よかったよ、とっても。……でも、怪我するようなことはしないでね。約束だよ?」

「わかりました」


 子供の頃にしたように、小指と小指を絡めて。

 懐かしいなと笑みを交換し、そのまま軽く唇を重ねてふっと離れ、もう一度笑い合ってから熱く交わった。湯船の中では汚れることを気にする必要がなく、彼女は唾液たっぷりに舌を絡める。


「……好きです、朱日。いつもそばにいてくれて、ありがとうございます」

「私もありがと、一緒にいてくれて。……ずっとずっと、そばにいてね」

「朱日が許してくれるなら、いつまでもいますよ」


 抱き寄せて更に激しく交わり、お互いがそこにいることを確かめ合った。

 合図もなく同時に瞼を開く。黄金の瞳は相変わらずため息が出るほどに美しく、手放したくない、自分だけのものにしたいと強く思う。……一緒にいる許しを請いておいて独占欲が駄々漏れな自分に、内心苦笑する。


「あ、朱日……?」


 いきなり立ち上がった朱日先輩。

 どうしたのだろうかと困惑していると、彼女はくるりと身体をこちらに向けて腰を下ろした。


「……こっちの方が私の身体、ちゃんと見えるから嬉しいでしょ」

「あっ、えっと……ありがとう、ございます」

「いいよ、いっぱい見て。……私も要君のこと、ちゃんと見たいし」


 視線を朱日先輩の顔から少し落として、本能的に求めてしまうそれに頬が緩み、格好悪い顔はいけないと自分を律し正面を向いた。


 俺が何を見ていたのか彼女はお見通しなようで、「気にしなくていいよ」と白い歯を覗かせる。


 彼女は親指の腹で古傷をなぞり、ぐにぐにと遊び始めた。

 次いでいつかと同じように舌を這わせて、俺の表情を見上げて楽しむ。


 この人はよくこれをやる。

 俺の嬉しいような申し訳ないような顔が好きらしい。


「要君も……したいこと、していいんだよ……?」


 そう言われては流石に我慢もできず、朱日先輩の首筋に唇を落とし痕をつけた。身体に触れて感触を貪るたび、ちゃぷちゃぷと湯船が揺れてお湯が零れ落ちる。彼女は人形のように抵抗せず、しかし俺の行為を肯定するように艶やかに反応する。


「へへっ……えへへっ……♡」


 蕩け切った笑みを浮かべて、今度は彼女がこちらに抱き着いてきた。

 俺も背中に手を回して、そっと抱き寄せる。


「ねえ――」


 腰をグッとこちらに押し付けて、吐息混じりの声を耳たぶに吹きかけた。


「ここでシちゃお、


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