第57話 ちょっと休憩するだけだから!
一時間ほど食事と雑談を楽しんだところで、俺は一旦夜風に当たろうと店を出た。
外はこの時間帯でも暑いが、アルコールで火照った身体には新鮮な空気がよく染みる。
深呼吸して身体を反り、大きな月を見上げる。
「そんなデカいため息ついとったら幸せが逃げてくで」
後ろから声をかけられ振り向くと、猫屋敷さんが立っていた。
ため息じゃないのだが、まあそれはいいか。
「今日はありがとな、竜ちゃんの頼み聞いてくれて」
「いいよ、あれくらい全然。……一応確認するけど、二人って付き合ってるわけじゃないんだよな?」
「んー……何やろ、ムズイな。ウチは彼氏やと思ってるけど、向こうは男の意地っちゅーか、ちゃんと告白するって決めとるらしくて。せやからウチも、一応友達扱いしとる感じ」
窓から店内を覗くと、ちょうど竜ヶ峰さんの横顔が見えた。
猫屋敷さんはそれを見つめ、愛おしそうに目を細める。
「朱日ちゃんのとこには負けるけど、ウチの家も結構デカいんよ。変な男もわんさか寄って来るけど、ほら、ウチって見ての通りちんちくりんやろ? 朱日ちゃんと違って、近づいて来るやつ全員金目当てに決まってるやん。せやからずっと男嫌いで、告白とかされるのもウザくてしゃーなかった」
彼に意識を配ったままコツコツと語り、言い切ったところでふっと俺に顔を向けた。
「高校入ってすぐやったかな、竜ちゃんがウチに告りに来たのは。まあでも、その時のウチはそういうの心底いらんかったから、向こうが喋る前に『ウチは可愛いもんしか興味ないから、告りたかったら女装でも何でもして出直せやボケ!』って言ったんよ。今考えたらめちゃ失礼やな」
「えっ? じゃ、じゃあ、竜ヶ峰さんがゴスロリ着てるのって……」
「いやぁ、ほんまにビックリしたで。あの恰好で学校来たんやからな」
「あれで登校したのか!?」
「私服での登校は認められとらんし、よりにもよってゴスロリやしで、結構な騒ぎになったわ。……そこまで腹括られたら、こっちもウザがるわけにはいかんやろ? まあ結局、告白はされてへんけど」
学校の制服があるにも関わらず、そのルールを破ってゴスロリを着て行く気合の入り方。
俺に同じことができるだろうか。休日に外で会うとかならともかく、学校へ行くのは無理な気がする。
すごいな、竜ヶ峰さん。
頼りない人だと勝手に思っていたが、訂正してあとで謝っておこう。俺では到達できないステージにいる立派な人だ。
「じゃあ何で、未だに女装してるんだ? 猫屋敷さん的には、もう十分向こうが本気だってわかってるんだろ?」
「半分は竜ちゃんの趣味やな。何か気に入ったらしくて、今じゃ服も全部自作しとるし」
「あれだけ美形だったら、ああいう服着るのも楽しいだろうな。……それで、もう半分は?」
「いや、そ、それは……えっと、ウチの頼みっていうか、女除けっていうか……」
頬をほんのりと染めて、視線を泳がせながら舌を回す。
「だって竜ちゃん、普通にジャケパン着たらアホみたいにカッコええし。そういうの、ウチ以外のやつに見せたないねん。……も、もう! 恥ずいこと言わせんなやーっ!」
ゲシゲシと俺の足を蹴る猫屋敷さん。
その様は遊び盛りの子猫のようで、俺は微笑ましい気持ちでいっぱいになった。
◆
食事が終わり、酔ってぐでぐでの一条先輩をタクシーへ押し込み、猫屋敷さんと竜ヶ峰さんを駅まで送った。
「じゃあ、俺たちも帰りましょうか」
いつもなら朱日先輩が迎えの車を呼んでいる。
そう思って声をかけたのだが、彼女はふっと俺を見上げて、瞳に張った薄い膜を震わせた。小さく開いた朱色の唇から熱い吐息をこぼして、ぼふっと俺の胸を軽く叩く。
「あの、どうしました……?」
思い返すと、食事中も彼女の様子はおかしかった。
チラリとこっちを見ては俯いて、皆と談笑中もふと黙っては俺の様子をうかがって。
……もしかして、朱日先輩も酒を呑みたかったのか?
そうか。そうだよな。
この人は酒好き。しかし人前で酔えないせいで、さっきはずっとオレンジジュースを飲んでいた。
俺はといえば、遠慮せずガバガバとハイボールを呑んで……。
配慮が足りなかった。そりゃ羨ましくもなるよな。
「今からでよければ、二人で二次会します?」
外で呑むのは彼女にとってリスクだが、ちょっと探せば近くに個室の居酒屋くらいあるだろう。
見つからなくても、別にカラオケとかでいいわけだし。
「……いいの?」
「いいですよ。二人っきりになれるとこに行きましょう」
そう言うと、朱日先輩はほんのりと頬を赤らめて俺から視線を逸らし、数秒置いてこっちを見て白い歯を覗かせた。
「……へへっ、やったぁ」
俺の手を取って歩き出し、時折スマホの画面に目を落としては何かを探す。
どこかいいお店を知っているのだろうか。それなら任せた方がいいだろう。
にしても、朱日先輩と外呑みか。
付き合う少し前に高級ホテルのルームサービスで呑んだが、ちゃんとしたお店で呑んだことは一度もない。いつものようにバカ騒ぎはできないと思うが、二人で初めてのことをするのは純粋に嬉しい。
楽しみだなぁ。どんなお店だろう。
十分後。
「あのー……あ、朱日先輩?」
煌びやかな光を放つ建物、
看板には〝ご休憩〟の三文字と料金が書かれており。
ここがどこかわからないほど、俺は世間知らずではない。
「誘ってくれてるのはすごく嬉しいんですけど、別に家に帰ってからでもいいような……」
「ち、違います。そういうことではなくて、その、もっと下の名前で呼んでいただきたくて。家までは遠いですし……わ、私、我慢できなくて……!」
だからといって、わざわざラブホテルを利用するのはどうなのか。
まあさっきはかなり照れてたし、第三者にあんな顔と声が漏れるのが嫌なのだろう。その点、ここならその心配はない。
「安心して! 変なことはしないから! ちょっと休憩するだけだから!」
「……それ、本来なら男の俺が言う台詞じゃないですか?」
「えっ? よ、よく一条さんに言われるから、普通に女の人が使ってもいいものだと思ってた……」
……別に悪くはないけど。
それはさておき、今度あの人とはしっかりと話し合わなければ。これ以上、余計な言葉を教えていないかどうか。
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