第50話 強欲


「え、ちょっと待って。この映画、普通にめちゃ面白いじゃん」

「いいでしょ、『タイガー・オブ・ウォールストリート』。これ、賞もたくさん獲ってますからね」

「前々から思ってたけど、要君って本当に色んな映画知ってるよね。大学卒業したら、そういう仕事につきたいの?」

「い、いや……ただ友達がいなくて、ずっと一人で時間潰すのに観まくってただけですよ。大学入ってからは時間もできたんで、余計に色々手を出し始めて……」


 諸々の買い物が終わり、食事も済ませてから帰宅。

 今夜はちゃんと面白い映画を観ようという話になり、俺のイチオシを肴に酒を呑む。そして三時間弱ほど経ち、エンドロールを眺めながらひと息漏らす。


「……突っ込むかどうか迷ってたんですけど、朱日先輩が着てるの、俺のパーカーですよね?」

「えっ? 今更?」


 春秋用に今年買った白のパーカー。

 俺でも若干だぶつくサイズ感なため、朱日先輩が着ると手が袖ですっぽり隠れており、裾はミニスカートのようになっていた。下はショーツしか穿いていないようで、艶めかしい太ももがどうしても視界に入る。


「帰ってから当たり前みたいにそれに着替えてたので、自分のなのかなって。……一緒に暮らしてるのに、わざわざ俺の服着る必要あります?」

「落ち着くんだよね、ずっとギュッてされてるみたいで」

「そういうことなら、服に頼らず俺に言ってくださいよ。朱日先輩が満足するまで抱き締めてますから」

「……もしかして、自分の服に嫉妬してる?」

「い、いや、別にそんなんじゃ……」


 ないこともない、が。


 ハッキリとは言わない。

 恥ずかしいから。


「要君はやきもち焼きさんだなぁ。そんなに言うなら、ほら、私のことギュッてしていいよ」

「……あ、ありがとうございます」


 何で俺が求めてるみたいになってるんだ、と思いつつ。

 ニヤニヤと笑いながら両腕を広げる朱日先輩のもとへ、ソファの上を這って向かう。我ながらバカップル丸出しだが、まあ別に誰が見ているわけでもないからよしとしよう。


「……んっ」


 背中に腕を回すと、朱日先輩は甘い吐息を漏らした。

 温かくて、やわらかくて、幸せな気持ちになる。


「イトモリン……でしたっけ。ちゃんと足りてますか?」

「うん、足りてる。平気だよ」

「……そうですか」

「そ、そんな残念そうな声出さないでよ。もう、可愛いなぁ」


 まったく意識していなかったが、そんな声を出していたらしい。


 ……いやだって、仕方ないだろ。

 朱日先輩が俺から求められたいのと同じくらい、俺だって朱日先輩から求められたいんだ。


「うそうそ、足りてないよ。私の中、要君でいっぱいにして?」


 幼稚園の先生が園児をあしらうように言って、俺の背中をぽんぽんと叩いた。

 バカにされているような気がしてならないが、それでも嬉しくなってしまうのだから、俺の頭は大概単純な作りをしている。


「……ねえ要君、変なお願いしていい?」

「いいですよ。何でも言ってください」

「前にさ、私の身体にたくさん痕つけたよね。自分のものだーって、マーキングしてたよね」

「え、えぇ……まあ……」


 理性がぶっ飛びやりたい放題してしまったことを思い出し、恥ずかしさと申し訳なさで顔に火が灯る。


「私もね、要君に痕つけたいなーって思うんだけど、ダメかな?」

「……ど、どうぞ」


 最初に好き勝手したのは俺だ。朱日先輩からの要望を、突っぱねることなどできない。

 彼女は俺の首筋に唇を当てて、ちゅっと強めに吸った。甘い痛みが走り、程なくして「ぷはっ」と顔を離す。


「どうです? つ、つきました?」

「……うん。要君が私のものになった」

「こんなことしなくても、俺は朱日先輩のものですよ」

「わかってるけど、何か実感湧くじゃん。要君も同じこと思ったから、私にあんなことしたんでしょ?」


 一ミクロも否定できず、俺はただ口を閉じて彼女を抱き締めた。

 ……何か俺も、充電されてる気がする。

 イトモリンならぬアケビミン、はちょっとネーミングセンスが終わってるな。口に出さなくてよかった。


「もっとしていい?」

「気が済むまでしてくれていいですよ」


 そう返すと、朱日先輩は何度も唇を落とし、キスマークをつけていった。

 僅かな痛みと、彼女の髪が首筋を撫でることでのくすぐったさ。体温と甘い息遣い。何もかもが気持ちよくて、心地よくて、どうしようもなく愛おしくなる。


「……ねっ、頭撫でて。好きっていっぱい言ってよ」


 要望通り頭を撫でて、耳元で繰り返し気持ちを綴った。


 好きだの何だのと口にするたび、どうして他にもっと言いようがないのかと悔しくなる。

 朱日先輩への感謝や愛情は、ありきたりな言葉で表現するには足りないほど大きなものなのに、俺の頭では手垢のついた言葉以外に何も捻り出せない。


 彼女のために死ねたらわかりやすく伝わるのに、と思わなくはないが。

 そんなことをしたら確実に泣かせてしまう。この人だけは泣かせたくない。


 それに最近、彼女とずっと生きていたいと思うようになった。

 ちょっと前まで朱日先輩に危機が迫ったら最悪肉壁にでもなろうと考えていたのに、同棲生活に入り俺は少しだけ強欲になってしまった。


 造作もなく朽ちて終わってもいいと思っていたのに、今は前よりずっと命が惜しい。


「うわぁ……すっごい。いっぱいつけちゃった……」


 満足そうに笑いながら、自分がつけた痕を指先でなぞる。

 次いで、アイスでも食べるようにチロリと舌を這わせた。まったく違う快感に声が漏れ、それが嬉しいのか朱日先輩は更に続ける。


「ちょ、ちょっと待ってください。何してるんですか?」

「痛いことしちゃったから、アフターケア的なやつ? こうすると要君、気持ちいいんだよね。お姉さん知ってるよ?」


 俺の首筋に顔を埋めているため表情はわからないが、きっと悪戯っ子のように笑っているのだろう。

 何度も舌を這わせて、時折キスを求めて交わって、また首筋を唾液で犯す。どうしようもなく身体が反応し、彼女はそれが楽しいのか上機嫌に喉を鳴らす。


「あーあ。一気にやらしい感じになっちゃったね」

「……誰のせいですか、誰のっ」

「私が悪いの? ふーん、じゃあもうやめちゃおっかな」

「あっ。いや、その……わ、悪いのは俺です」

「そうだね。要君が全部悪いんだもんね」

「……はい」


 強引に罪を被せられ、俺も抵抗せず嘘の自白をした。

 酷い冤罪だが、この状況では仕方がない。このまま終わるのは辛過ぎる。


「正直に白状してくれたから、いいもの見せてあげる」


 パーカーの裾を両手で摘まみたくし上げると、下に着ていたのは昼に購入した水着だった。


 黒のマイクロビキニ。

 上と下の大事なところを辛うじて隠すばかりで、ほとんど水着としての機能を果たしていない。

 その煽情的なデザインは当然のこと、それをずっと着て俺と過ごしていたという事実に、我ながら呆れてしまうほど顔がだらしなくなる。


「……要君は悪い子だから、もう我慢とかできないもんね。えへへっ」


 暗に触れと言われ、すぐに手を伸ばした。

 ちょっと強引だったのか、朱日先輩は小さな悲鳴を漏らすが無視する。


 悪い子だから。






 あとがき


 今回で50話に到達しました。

 ここまで続いたのは、日々応援してくださる皆さんのおかげです。今後ともよろしくお願いします。

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