第48話 興奮しましたか?


 百貨店の一角に、その店はあった。


 女性モノの水着専門店。

 様々な種類の水着が並び、その色も豊富で遠目から見るとモザイクアートのよう。

 当然、店員は全員女性。客の中にカップルか夫婦がいてくれればいくらか気楽なのだが、生憎今は女性しかおらず非常に肩身が狭い。


「よーし、選ぶぞー!」


 早速歩き出した一条先輩。

 朱日先輩に「頑張ってください」と背中を押され、俺は羞恥心を押し殺して店内を徘徊する。


 ……さて、どうしたものか。


 以前沖縄で見た、白のビキニ。あれは非情に似合っていたが、どうせ買うならまったく別のものがいいだろう。

 朱日先輩の見た目的に、大人っぽさが香るセクシーなもの。

 未だかつてないほど、じっくりと吟味する。一条先輩には負けたくない。


「糸守クン、ちょっと見てよ。これよくない?」

「ん?」


 ちょいちょいと肩を叩かれ振り返ると、一条先輩はグラビアかAVでしか見たことがないような際ど過ぎる黒のマイクロビキニを持っていた。噴き出しそうになるのを何とか堪え、「いいわけないでしょ」と冷静に突っぱねる。


「でも、想像してみなよ。これを着た天王寺さんが、ベッドで横になってる糸守クンに迫って来る様をさ。おっぱいが今にも零れ落ちそうで、糸守クンの目は釘付け! 隣で一緒に寝てる僕も、もう我慢できない!」

「隣で寝てるって、どっから湧いて来たんですか!? さらっとうちの寝室にいるのやめてくださいよ!」


 というか、これはプールに着ていく水着選びだ。

 想定する場が家の中では意味がない。


「……うちの寝室?」


 怪訝そうな目で俺を見る一条先輩。

 ずいっと大きく距離を詰めて、ニタニタといやらしい笑みを作る。


「下の名前で呼び合ってるから仲が深まったのはわかってたけど……もしかして君たち、一緒に暮らしてるの?」

「え、えぇ。まあ、ちょっと前から……」


 下手に誤魔化したり、嘘を言っても仕方がない。

 俺の言葉に、一条先輩はふっと真面目な顔で考え込んだ。その様はまるで難問に挑む数学者のようで、悔しいが少しだけ格好いい。


「……一つ、相談なんだけど」

「何ですか?」

「押し入れでいいから、住まわせてくれないかな。大丈夫、夜這いはしないから」

「いいわけねえだろ! ってか、絶対夜這いするし!」

「しないしない! 心配しなくても、ちゃんと起きてる時に襲うよ!」

「襲うな!!」


 一条先輩は不服そうに唇を尖らせて、マイクロビキニを俺に押し付け次を探しに行った。

 いや、何で俺に渡すんだよ。自分で返しに行け。


「……」


 しかし、改めて見ると本当にすごい水着だ。

 セクシーさだけなら、おそらくこの店の中で一番。こんなもの、どこの誰が買うのだろうか。


「要君が選んだ水着はそれですか?」


 ひょっこりと後ろから顔を出した朱日先輩。

 マイクロビキニをしげしげと眺める俺。


 最悪の瞬間を目撃されてしまい、「ち、違うんです!」と弁明するも朱日先輩はジトッとした目でこちらを見る。


「……それをプールに着ていけと? 大勢がいる前で、それを着て欲しいのですか?」

「一条先輩に押し付けられたんですよ! 俺が選んだわけじゃありません! ほ、本当です!」


 必死に言葉を並べると、朱日先輩は小さくため息を吐いて肩を落とす。

 さっと、俺からマイクロビキニを奪い取った。上から下までじっくりと観察し、金の双眸に不敵な光を宿して俺を見る。


「……これを着た私を想像して、興奮しましたか?」


 コショコショと、内緒話をするような声。

 一瞬だけ見せた小悪魔じみた笑みに、俺は思わず唾を飲む。


「だ、だからっ、一条先輩に押し付けられて――」

「では、妄想の一つもせず、何も感じなかったと?」

「そういうわけじゃ……! す、すごく似合うと思いますけど……!」

「どうしてもというのなら、着てもいいですよ。家の中で、要君のためだけに」


 表情のない顔。

 しかしその目には妖しい熱が灯っており、どうしようもなく体温が上がった。ぼーっとする頭で考えて、やけに渇く喉で「お願いします」と呟く。ここまで誘惑されて、勝てるわけがない。


「じゃあ今夜は、これ着てイイコトしようね……♡」


 耳元でそっと囁いて、白い歯を覗かせ身を翻し会計へ向かった。


 やばい。一旦冷静になろう。

 こんな心臓バクバクな状態で、水着選びなんてできない。


 ……棚から牡丹餅というか、何というか。


 別に感謝はしないけど、これで一条先輩の行為を咎められなくなってしまった。

 俺一人だったら、あんなものを朱日先輩の前に出すことなどできない。


「さてと……」


 もう一度店内を見て周ると、かなり真剣な表情で水着と向き合う一条先輩がいた。

 おふざけスイッチはオフになっているようで、俺がそばにいることに気づきもしない。


 本気で朱日先輩のことが好きだから、本気で選んでいるのだろう。

 ……まったくこの人は、何だかんだ言って恋には真面目だから嫌いになれない。


「それ、一条先輩に似合いそうですね」

「ひゃっ!? ちょ、ちょっと、ビックリするじゃないか! いきなり話し掛けないでくれよ!」


 一条先輩が持っていたのは、赤い花柄のオフショルダービキニ。

 トップ側を肩紐でとめず肩が出ており、女性らしさを強調するデザイン。ふわりとしたフレアがとても可愛らしい。


「似合いそうなんて、お世辞はよしてくれ。僕はこういうの柄じゃないから」

「浴衣着た時も似たようなこと言ってましたけど、一条先輩は人並み以上に可愛いですよ。この水着に関しては、朱日先輩より一条先輩の方が似合うと思います」

「ふーん……そうやって僕を揺さぶって、天王寺さんの水着選びを妨害する作戦だね?」


 しどろもどろになりながらも、無理やり顔に力を入れてキリッとクールな表情を作った。どうしてそこまで拒否するのかわからず、俺は首を傾げる。


「そんな狡いことしませんって。本気で言ってるんです」

「で、でも僕は、可愛いとか……そういう系、じゃないし。ち、違うから!」

「はい? 何が違うんです? さっきも言いましたけど、一条先輩は結構可愛いと思いますよ。一条先輩にお世辞使う義理とかありませんから」

「う、うわぁー! 何なんだよ君は! わかった買うよ! 買えばいいんだろう!?」


 華奢な身体を振り乱して目一杯感情を表現しながら、顔を真っ赤に染めた一条先輩。水着を手に会計に走って行き、その背中を見送って俺は商品に意識を戻した。

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