第47話 あとで可愛がってあげるから


 住み込みのバイト――もとい、同棲生活が始まって三日が経った。 


 朝起きて、パンを焼いて、朱日先輩と一緒に食べて。

 彼女が仕事を始めたら、俺も掃除や洗濯をして、ひと段落したら二人で昼食をとって。

 適当なところで仕事に戻り、お腹が空いたら夕飯を食べに出かけ、帰ったらB級映画を肴に晩酌して寝る。


 まだ日が経っていないのもあるが、俺の生活にこれといった変化はない。

 ありがたいことに、この上ないほど充実している。


「それで、今日は何を買うんでしたっけ?」


 マンションのエレベーターの中で、隣に立つ朱日先輩に視線を流した。

 亜麻色のフレアスカートに涼しげな白のブラウス。今日もモデル顔負けの着こなしで見惚れてしまう。


「一つは食器類です。現状うちには食器の数が乏しく、要君の家から持って来てもいいのですが、どうせなら新しいものにしましょう。あと、ダイニングテーブルとイスを買おうかと」

「えっ? ソファーの前のテーブルでよくないですか?」

「一人ならあれで事足りていましたが、あのテーブルは本来、食事をとる用のものではないので。……それに」

「それに?」


 陽の光を反射して、キラキラと輝く黄金の髪。

 さらりと零れた横髪を耳の後ろにかけながら、朱日先輩はこちらを見てニッと白い歯を覗かせる。


「ソファに並んで食べるより、イスに座って向かい合って食べた方が……何かその、一緒に暮らしてる感じ出るじゃん。えへへっ」


 照れ臭そうに言って、肘で軽く俺を小突いた。

 一緒に暮らしてる感じを出したいがために、テーブルとイスを買うのか。朱日先輩ぽいなとやや呆れつつ、俺との生活を楽しみにしてくれていることが単純に嬉しい。


「それと、新しい水着を買います。要君の今日の一番の仕事は、私に似合う水着を選ぶことですよ。心して臨んでください」

「は、はい。わかりました、頑張りますっ」


 一週間後、前にお祭りに行ったメンバーでプールに行く。

 俺も水着、買っとかないとな。肌とかちゃんと隠せるやつ。


 ……にしても、一条先輩も来るのか。

 きっと今頃、朱日先輩の水着を想像して鼻血とか垂らしてるんだろうな。容易に想像ができる。


「要君」


 エアコンが効いたエントランスを抜けると、外は炎天下の真昼間。


 朱日先輩に呼ばれて意図を察し、そっと彼女と手を繋いだ。

 指と指を絡めた、恋人同士の繋ぎ方。固く結ばれた繋ぎ目を見て、彼女は満足そうに鼻を鳴らす。


「まずはテーブルを見に行きましょう。終わったら水着、食器は重いので最後で」

「わかりました」




 ◆




 テーブルとイスを購入し、あとは家に届くのを待つだけ。

 店を出た俺と朱日先輩は、水着選びに繰り出す前に喫茶店で休憩をしようという話になった。


「要君、大丈夫ですか?」


 良さそうな店を探して、あてもなく二人で歩く。

 ふと俺の横顔を見て、朱日先輩は眉を寄せた。熱中症を心配しているのだろう。


「別に体調が悪いわけじゃないですよ! ……いやぁ、覚悟はしてたんですけどね。さっきの店、場違い感がすごすぎてちょっと疲れました……」


 俺のような庶民からすれば、家具といったらニトリかホームセンター、もしくはリサイクルショップで買うもの。しかし朱日先輩がそのような場所に行くはずがなく、連れて来られたのは高級家具屋だった。


 展示のソファでくつろぐオッサンも、ベッドで遊ぶ子供もいない。

 落ち着いたBGMと静かな空気が流れ、スーツを着こなす賢そうな店員が丁寧に接客してくれる。


 よくわからない長々とした説明が書かれたテーブルが五十万円以上。桁が一つ多いのではと目を擦ったが、そのすぐ隣で百万円のテーブルが販売されており喉から変な音が漏れた。

 イスも安くて五万程度。「座ってみてください」と言われたが、触るのも怖くて座り心地を確かめる余裕などない。


 言うまでもないが、朱日先輩は一切動じていなかった。

 さも当然のようにあれこれ触って、値札も見ずに「これにしましょう」と言った時は、あぁ本当に住む世界が違うんだなと思った。


「食器は俺がお金出しますよ。た、高いのは無理ですけど……」

「よろしいのですか? 二人で使うものですし、私が出しますよ」

「二人で使うものだから、俺もちゃんと負担したいんです。まったく手持ちがないわけじゃないんで、心配しないでください」


 テーブルとイスは高過ぎて、俺が一万二万出したところで焼け石に水なため黙っていたが、食器くらいは何とかしなければ。無意味なことだとわかりつつ、それでも甲斐性のない男だと思われたくない。


「ん?」


 前から歩いて来る四人組。

 その中に見知った顔があり、俺は首を傾げた。


「あっ!」


 向こうも俺たちに気づいたらしい。

 パッと明るく笑って、他の三人を置き去りにして駆け出した。ここで朱日先輩も走って来る人物の正体がわかったようで、仕方ないなぁと呆れ気味に微笑する。

 

「やぁやぁ! 天王寺さんに糸守クン、久しぶり! 会いたかったよー!」


 紺色のショートパンツに、だぼっとしたオーバーサイズの黒いTシャツ。ジャラジャラと耳を飾る無骨なシルバーアクセサリー。そしてブランド物のキャップにサングラス。


 一見男性のような見た目だが、この声は間違いなく一条先輩のものだ。


「いきなりどうしたのよ、晶。その二人、友達なの?」

「うわっ、綺麗過ぎ。ちょっと待って、やばくない?」

「……もしかして、モデルさんとかですか?」


 遅れてやって来た同年代くらいの女性三人が、俺を押しのけて朱日先輩を囲った。

 除け者にされたのはちょっと悔しいが、自分の彼女が他人からもてはやされているのを見るのは楽しい。……わかってたことだけど、やっぱりこの人って同性から見ても度を越して美人なんだな。


「うわぁ! 離れろ離れろっ! 天王寺さんは、僕と糸守クンのなんだからな!」

「そうそう――って、何でそこに一条先輩が入ってるんですか!?」

「そうです。私は要君のものですよ」

「……っ! あ、朱日先輩……あの、知らない人がいる前でそういうこと言われると、すごく恥ずかしいので、ちょっと……」


 相変わらずの微動だにしない顔で言った朱日先輩。

 あまりのストレート具合に三人は苦笑いをして、一条先輩は「いいなぁ!」と本気で羨ましがっている。本当にブレないな、この人は。


「んで、二人はどうしたの? デート中?」

「はい。今から要君に、今度のプールで着る水着を選んでいただこうかと」

「み、水着!? 天王寺さんの!? それを糸守クンが選ぶなんて……くそぉ! 何て羨ましいんだー!」

「外でデカい声出さないでくださいよ! ……あとわかってると思いますけど、一条先輩を連れて行ったりしませんからね」


 一条先輩のことだ。僕も天王寺さんの水着を選びたい! と言い出しかねない。

 一応釘を打っておくと、彼女は「わかってるよ」と爽やかに笑った。


「それで、何を差し出したら一緒に行ってもいいのかな? あぁそうだ、僕を一週間好きにできる権利とか!」

「だから、連れて行かねえって言ってるだろ!」

「よしわかった! 大盤振る舞いの一ヵ月だ!」

「期間の問題じゃねえからな!?」

「ちょ、ちょっと待っておくれよ。そうなるともう、僕の一生を差し出すしか……! 天王寺さんと結婚するしかなくなっちゃうけど、それでいいのかな?」

「何をさらっと俺から朱日先輩を奪ってんだ! そこはせめて俺じゃないのか!?」

「……今のはプロポーズかい? うん、いいよ。糸守クンだったら」

「だぁーっ! 違う違う! そういうことじゃない!」


 いつもの一条先輩のペースに乗せられ、頭上から降り注ぐ熱光線も相まって二人してゼェゼェと息を切らす。三人はそんな俺たちに対しバカを見る目を向けて、朱日先輩は小さく嘆息する。


「わかりました。一条さんも一緒に行きましょう」

「えっ……いいんですか?」

「一条さんがいると賑やかですし。……要君と一条さん、どちらがセンスのある水着を選ぶか興味があります」


 ほんのわずか、瞬きほどの間に、朱日先輩はニタリと黒い笑みを浮かべた。


 なるほど、わかったぞ。

 この人は、俺を困らせて悩ませたいんだ。一条先輩と競わせることで。


「やったやったー! わーい!」


 ぴょこぴょこと跳ねながら、子供のようにはしゃぐ一条先輩。


 ふと俺は、彼女が連れていた三人に目をやった。

 一条先輩を連れて行くってことは、この人たちもついて来るのか? 別にいいけど、退屈させたりしないかな。


 ――と、思っていると。


 三人の前に立った一条先輩。

 おもむろに一人の肩に手を置いて、ちゅっと唇を交わす。

 俺や通行人の目などお構いなしで残り二人ともキスをして、中性的な顔立ちを極限まで活かした凄まじいイケメンフェイスを作る。


「ごめんね、予定が入っちゃった。あとで可愛がってあげるから、先に帰って待ってて」


 三人は一様に頬を染め、桃色の笑みを滲ませながら去って行った。

 その背中に「愛してるよー!」と手を振って、何事もなかったように俺たちに向き直る。


「よしっ! じゃあ行こうか!」

「……一条先輩のこと、色んな意味で尊敬しちゃいますよ」

「この人は出会った当初からこんな感じです。尊敬するのはいいですが、真似しないでくださいね」

「わ、わかってますよ! 大体、真似したくたってできませんし!」

「ん? どうしたの? 僕のこと褒めてる?」

「「褒めてません」」


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