第44話 財力という名の四次元ポケット
「い、いやー! まさか兄貴の彼女さんだとは思わなくて! ごめんなさい、お騒がせしちゃいました!」
「気にしないでください。勘違いとはいえ、助けようとしていただきありがとうございます」
「先輩、こんなのにお礼とかいいですよ。もったいないので。……くそ、本気であちこち蹴りやがって。どうするんだよ、部屋がメチャクチャだぞ」
天井の照明は砕け、テレビは真っ二つに割れ、ベッドは半壊状態。
猛獣と猛獣が戦ったあとのような部屋で、私と糸守君は辛うじて原型を留めているソファに座り冷たい麦茶を飲んでいた。
床に座る妹さんは、こちらに興味津々だ。
やっぱり兄の彼女というのは気になるものなのだろう。……糸守君の顔に泥を塗らないよう、しっかりしないと。
「わたし、糸守
素早く立ち上がりピンと背筋を立て、深々と頭を下げてニッコリと笑った。
糸守君の妹、だからだろう。何だかすごく可愛い。見ているだけで、こっちまでニコニコしてしまう。……まあ、顔はまったく動かないわけだけど。
「天王寺朱日です。糸守君と同じ大学に通っていて、学年は一つ上です。こちらこそ、よろしくお願いします」
「う、うわぁ、すごい! お嬢様みたいな名前だ!」
「そりゃ本物のお嬢様だからな。……ってか霞、お前来るのは明日って話だっただろ? 早く来るなら連絡しろよ」
「いやー、ごめんごめん。練習が退屈でさ。コーチが俺を倒したらサボることを許可するって言うから、ぶん殴って抜けてきちゃった」
「本当にお前ってやつは……」
やれやれと肩をすくめる糸守君。
霞さんは悪戯っ子のように笑って頭を掻く。
「練習、というのは? 霞さんは何か部活動を?」
「わたし、空手部に入ってるんです。大学も空手の推薦で行く予定で、夏休み中はこっちに来て、大学の方で練習してるんですよ」
「聞いてくださいよ先輩。こいつ、インターハイ二連覇のくせに――」
「三連覇でーす! この前のインターハイでも優勝したんだー!」
「……さ、三連覇のくせに、全然その自覚がないんですよ? 昔から練習嫌いでよくサボるし、海外が嫌だからってユースオリンピックへの出場辞退するし、本当にメチャクチャなんです」
……なるほど。
この家に入って早々、糸守君と互角にやり合っていたが、あれはそういうことだったのか。
それにしても、ユースオリンピックとは。
糸守家の人って、戦闘民族だったりする?
「兄貴、コンビニで甘い物でも買ってきてよ。イチゴのアイスがいいなー」
「はぁ? ……まあいいけど、ちょっと時間かかるぞ」
「やったー! お兄ちゃん大好き!」
「猫撫で声出すなよ、気持ち悪い……」
ゆっくりと立ち上がり、大きなため息を漏らしながら家を出て行った。
現在糸守君は、家から一番近いコンビニを利用できない状況にある。そこのバイトの面接をすっぽかしたせいで、気分的に近づけないらしい。
そのため別のコンビニを利用しており、行って帰って来るまで徒歩で十五分はかかる。
「聞いてもよろしいでしょうか?」
「いいですよ! ってか、敬語やめてください。わたしの方が後輩ですし!」
「申し訳ございませんが、それはちょっと難しいです。そういう性分でして。……あの、本当に部活に行かなくて大丈夫なのですか? もしそれで大学進学がふいになったら……」
通常他人に余計な気を遣うことはないのだが、霞さんは糸守君の妹だ。お節介だと思うが、その将来をどうしても気にしてしまう。
「あっ、心配させちゃいました? ヘーキですよ、別に。推薦取り下げられたらついでに空手も辞めて、普通に受験して大学行くだけですし」
驚くほどに呆気らかんと言い放った。
若さ特有の強がりには見えない。
心の底からそう思っているのだと感じる。インターハイで三連覇までしておいて。
「わたし、好きで空手やってるわけじゃないんですよ。勝ったら気持ちいいからやってるだけで、ぶっちゃけ惰性です。絶対に勝てない相手が身近にいるのに、これ以上強くなろうとか思えません」
「絶対に勝てない相手……?」
その答えには何となく心当たりがありつつも一応尋ねた。
霞さんはふっと諦念のこもった笑みを滲ませ、大きなため息を漏らした。
「そりゃあ、お父さんと兄貴ですよ」
「いやしかし、男女では筋力に差があって当然だと思いますが……」
「そういう単純な話じゃないんです。ものが違うっていうか……どんな力自慢でも、ゴリラと殴り合ったりできませんよね? それと一緒ですよ」
糸守君がゴリラか……。
まあでも、ちょっとわかるな。
「……ずっと気になっていたのですが、糸守君が習っていたのは、本当に空手なのですか?」
「あー……うーんと……えぇ、はい! 空手です!」
「……」
嘘が下手なのは兄妹共通か。
しかし、どうして隠すのかわからない。父親が暗殺拳の使い手、とか? いや、そんな漫画みたいな話あるわけないか。
「それよりも天王寺さん、わたしとお話ししましょうよ! 何のために兄貴を追い出したと思ってるんですか!」
「アイスのためでは? お話?」
「兄貴がいたら、あいつの恥ずかしい話とか言いにくじゃないですか! 彼女さんならぜひ知っておいて、ムカついた時とかに出してやってください!」
「……ほぅ?」
この子とは仲良くできそうな気がする。
◆
アイスが溶けないよう駆け足で家に帰ると、二人は会話に花を咲かせていた。
楽しそうならよかった。霞のニヤニヤとした顔がちょっと怖いけど。
「ほら買ってきたぞ」
「お兄ちゃんありがとー!」
「いやだから、その声やめてくれ」
霞目掛けてポイとアイスを投げ、ソファに座り袋の中を先輩に見せる。
「先輩の分もあるんですけど、どっち食べますか?」
「では、こちらを。ありがとうございます」
三人揃ってアイスを頬張り、身体から夏を追い出した。
今日も懲りずにバカみたいな暑さだ。買いに行くなんて言わなきゃよかった。
「んで兄貴、インターハイ優勝のお祝いは? 三連覇もしたんだし、期待してもいいんだよね?」
「バカ言うな。今アイス食ってるだろ」
「これだけ!? ちぇっ、大学生でバイトしてて余裕あるくせにケチだなぁ」
「余裕なんかねえよ。……でも、焼肉くらいは奢ってやる。仕方なくな」
「やったー! 高いとこね! いい感じの雰囲気で、A5ランクのお肉とか食べられるとこ!」
「そんなの無理に決まって――」
「わかりました。せっかくのお祝いですから、私もお金を出しましょう」
先輩が割って入り、霞はバカみたいな声をあげながらガッツポーズを決めた。
「あ、あの先輩? 甘やかさなくて大丈夫なんですよ?」
「いいじゃないですか。インターハイ三連覇は快挙です。盛大にお祝いをしてもバチは当たらないと思います」
「そうそう! 天王寺さんはわかってるなー!」
「霞さん、他に何かして欲しいことはありますか?」
「えー? うーん……街を見てみたい、ですね。ヘリとかでビューンって!」
「おい霞、これ冗談じゃ済まな――」
「わかりました。他には?」
「豪華なトロフィーが欲しいです! 大会で優勝しても、金メッキのダサいやつしか貰えないんですよね」
「では、純金製のものをご用意しましょう。制作に時間がかかるので、後日ご実家の方へ郵送します」
「マジですか!? ありがとうございまーす!」
「他には?」
「そうですねー。えっと、んーっと……可愛い服がたくさん欲しいです! どーんと百万円分くらい!」
「わかりました」
その後も霞は、次々と先輩に願いをぶつけていった。
俺に無理難題を吹っ掛けて困らせる遊びの延長、くらいの感覚でやっているのだろう。どの願いも本気でないことは、兄だからこそすぐにわかる。
でもな、霞。
お前の目の前にいる人は、実質ドラえもんなんだ。
財力という名の四次元ポケットがあることを、この愚妹はわかっていない。
◆
「…………あ、あのー。て、天王寺、さん?」
「はい?」
「これは、い、一体……」
午後五時。
先輩に連れられ、俺たちはある場所に来ていた。
乗せられた車がリムジンだった時点で、霞は預けられた猫のように固まっていた。そして到着した場所でも、何が起こったのかわからないといった顔で目を白黒させている。
「ヘリを見るのは初めてですか?」
「い、いや、そういうことじゃなくて……」
「遊覧飛行のあとは百万円分の服を買いに行きましょう。夜にはご希望通り、高級焼肉店をとってあります。今日は、最高のお祝いにしましょうね」
「えっと、あの、あのっ……そんなわたしっ、違うくて……!」
あわあわと忙しなく口を開閉させながら、霞は俺に助けを求めた。
俺だって止めようとしたさ。
でも、先輩は聞く耳を持たなかったんだ。
お祝いだからって、これくらい安いって。
……あれこれ頼んだお前が悪いんだから、全部ありがたく受け取っとけ。
俺は知らないからな。
◆
ヘリに乗ったのは久しぶりだ。
霞さんは外を見つめたまま動かない。きっと喜んでくれているのだろう。
インターハイ三連覇は素直にすごい。
本人にあまりやる気はないようだが、それでも偉業であることに変わりはない。
それに。
……ふふっ。ふふふっ。
あの子は糸守君の妹。実の家族。
気に入られておけば、今後糸守君と関係が発展させていく上で、きっと助けになってくれるはず。
そのためなら、お金なんていくらかかっても構わない。
もう逃げられないからね、糸守君。
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