第39話 変態じゃない!


 午後九時頃にお祭りは終了。

 神社前で一条先輩と別れ、猫屋敷さんと竜ヶ峰さんを駅まで送って行き、俺と先輩だけが残された。


「帰る前に、ホームセンターかペットショップに寄っていいですか? 水槽とか諸々、買い揃えたいので」


 俺の手には、金魚が泳ぐ袋が三つ。

 二、三匹なら飼う用意はあったが、まさか十匹以上とれてしまうとは。

 どうやら一条先輩の息がかかった店だったらしく、あまりにも多いため返却を希望したところ「お嬢に叱られてしまいます!」と頑なに受け取って貰えなかった。


「その数の金魚を飼うには、結構な大きさの水槽が必要ですよ。糸守君の部屋にそのようなスペースがあるとは思えませんが」

「あ、そうなんですか? じゃあどうしようかな……」

「うちで引き取ります。ちょうど空の水槽がありますし、置き場にも困らないので。カルキ抜き剤も残っていたと思うので、今日中には水槽に移せるかと」

「ありがとうございます。助かります」


 ……と、お礼を言ったはいいが。

 そうなると、どうすればいいんだ。先輩はこのまま家に帰るのか?


「行きますよ、糸守君」


 先輩はタクシーを拾い、早く乗るように促した。

 俺が乗り込むなり、先輩は運転手に行き先を指定。行ったことのない住所、知らない建物の名前である。


「あの、今からどこへ……」

「私の家です。今日中に水槽に移すと、さっき話したでしょう?」


 何を言っているんだお前は、と言いたげな顔で返された。

 そりゃそうだよな。俺の質問がバカだった。


 ……にしても、先輩の家か。


 家族と住んでるっぽいけど、俺も中に入って大丈夫なのか?

 誕生日会であんなことしたから謝罪したいと思ってたが、金魚のついでに会うみたいになって失礼かな。っていうか、心の準備もできてないし、今日は外で待っといた方がいいかも……。


 うん、それがいい。

 今日みたいなTシャツにズボンにサンダルなんて姿じゃ、絶対に印象悪いし。ちょっと背伸びして、オーダースーツとか作ってからにしよう。


「糸守君」

「はい?」

「今日は私の家に泊ってください。もう遅い時間なので」

「……は、はい?」




 ◆




 駅から徒歩五分以内の好立地。

 高級マンションが並ぶ場所に、それは建っていた。


「こんなところに住む人って、マジで実在するんだ……」


 見上げるほどに高いピカピカなマンション。


 ……これ、家賃だけで月に何百万とかいくやつだろ。

 大丈夫かな、俺みたいな貧乏人が入って。高級レストランみたいに、ちゃんとした格好じゃないと入れて貰えなかったりするんじゃないか?


「行きますよ、糸守君」

「あっ、はい!」


 あり得ないほど綺麗なエントランスを抜け、百貨店並みに高級感が漂うエレベーターで五十階へ。ホテルのような廊下を抜けて扉を開くと、広々とした玄関に迎えられた。


「……あれ?」


 激しく脈打っていた心臓が、少しずつ落ち着いてゆく。

 人の気配がない。俺と先輩以外に誰もいない。


「あのー先輩、ご家族は?」

「家族? 私は一人暮らしですよ?」

「えっ……?」


 案内されたリビングは二十畳ほどの広さで、大きなテレビにテーブルにソファなど、最低限の家具しか置かれていない。ソファに座ると、うちにあるものとは段違いの座り心地で声が漏れそうになる。

 

「何か吞みますか? ウイスキーにビール、チューハイに日本酒と、大抵のものは用意していますが」

「水槽の準備が終わったら一緒に呑みましょう。……って、それより家族がいないってどういうことです? 俺の家で初めて呑んだ時、『昨日は家に着くの遅過ぎてちょっと怒られた』って言ってましたよね? 一人暮らしなら、誰に怒られたんですか?」


 その質問に、先輩は無表情を崩して明らかに動揺した。

 数秒黙ってから「あはは……」と笑って誤魔化し、金魚を持ってリビングを出て行く。


 ……え? な、何だ今の?


 俺、悪くないよな? 地雷踏んだ、とかじゃないよな?

 まあいいか。言いたくないなら、こっちも追及するのはやめよう。家族と住んでるかどうかなんて、別にどうでもいいことだし。


「にしても、本当にすごいな……」


 壁の一面がガラス張り。

 夜の街が一望でき、大小様々な光が景色を彩る。あの光一つ一つが誰かの生活の一部かと思うと、気が遠くなりそうだ。


「ん?」


 ふと、棚の上の写真立てに目が行った。

 古い写真で、金髪金眼の女性と同じく金髪金眼の子供が写っている。


 も、もしかして、これって……!


「子供の頃の先輩だ! うわっ、何だこれ可愛い! すげー可愛い!」


 ウサギのぬいぐるみを片手に、お日様のような笑顔を浮かべる五歳ほどの先輩。

 可愛くて、可愛過ぎて、つい声が抑えられなかった。

 

 やばいだろ、流石に。

 ロリコンじゃなくても見惚れるぞ。

 

 子供の頃からこんなに可愛かったら、そりゃ大人になっても可愛いよな。

 

「もしかして、こっちは先輩のお母さんかな?」


 どこの国の人かはわからないが、恐ろしいほどに美しい白人女性が先輩を抱いて微笑んでいた。


 彫刻や絵画のような、芸術の域に足を踏み入れている美しさだ。写真越しだというのに、思わず息を呑んでしまう。こんな人が母親なら、先輩の卓越した容姿にも納得がいく。


 ……でも、もういないんだよな。この人。

 自分の母親の顔が脳裏を過ぎり、どっとため息が漏れる。


 あー、ダメだダメだ。

 やめろ、暗いことを考えるな。せっかく初めて先輩の家に来たんだから。


 一度ソファに戻り、ピッとテレビを点けた。

 ニュース、バラエティー、ドキュメンタリー。適当にチャンネルを回して時間を潰していると、ふと、ソファの隅に打ち捨てられた白い布に目が行く。


「何だこれ?」


 手に取って広げてみると……。


 あれ? これ、俺のTシャツじゃないか?


 うん、そうだ。間違いない。

 洗濯しようと思ってカゴに入れていたのに、いつの間にかなくなってて結構探したんだよな。


 それがどうして、こんなところに。


「金魚、水槽に移し終わりま――」


 リビングに戻って来た先輩は、俺を見るなりピタリと口を噤んで硬直した。

 雪化粧をしたように白い顔が、下から上へみるみる紅潮してゆく。てちてちと危うい足取りでこちらに近づき、俺の手から乱暴にTシャツを奪い取る。


「はて、どうしてこんなところに糸守君の服が?」

「あ、あのー……先輩?」

「私の荷物に引っかかって、持って帰って来てしまったのでしょうか。ええ、きっとそうです」

「引っかかるって、いやいや……」

「仕方ないので、洗濯してお返しします。少々お待ちください」

「……わざと持って帰ったでしょ、先輩」


 ジトッとした目を向けると、図星だったようで先輩は激しく身体を震わせた。

 俺のTシャツを抱き締めて唇を噛み、「だって」と弱々しい声を漏らす。若干涙目になりながら、フンスと鼻息を荒げる。


「……寂しい時、糸守君の匂い嗅ぐと落ち着くんだもん。好き! ってなるんだもん……! 私、悪くない! 変態じゃない! こんなに好きにした糸守君が悪いの! ばか! ばーか!」


 メチャクチャな理屈を並べて、「髪、解いて来る!」と再びリビングを出て行った。Tシャツを固く握りしめたまま。


 ……あぁ、結局返さない感じなのか。別にいいけど。 

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