第40話 黙って甘やかされててください


「くふっ、ぶっ、あははは! それはない! 無理があるよぉ!」

「CG雑過ぎでしょ! ははっ、あははは! やば過ぎますって!」

「すごいよ糸守君! チェンソーがでっかくなった! やっぱりサメにはチェンソーだ!」

「そこだぁ!! いっけぇええええええ!!」


 お酒とB級映画。

 せっかく先輩の家に来たというのに、やることはいつもと同じ。六月に行った沖縄の別荘でもこんな感じだったなと、懐かしさに笑みが灯る。


「ふぅー……やっぱりサメ映画はいいね。サメが出てくるだけで笑えるもん」

「今度は一周回って、サメが出てこないサメ映画でも観ましょうか」

「え、なに? そんなのあるの?」

「ありますよ。サメが出て来る映画だけがサメ映画じゃないんです」

「もうそれ哲学じゃん」


 エンドロールを肴にビールを一口呑み、大笑いしたあとの気怠さごとソファに体重を預けた。

 お互いにボーッと天井を眺めて、不意に目が合って、少しだけ笑う。間接照明の暗いオレンジ色の光に照らされた先輩は、いつにも増して色っぽく見える。


「糸守君、明日空いてる? お昼までうちでダラダラして、それから映画でも観に行こうよ」

「すみません。明日は昼過ぎからバイトの面接があって……」


 単発バイトで誤魔化して来たが、いい加減に腰を据えて働こうと家から程近いコンビニのバイトに応募した。受かるかどうかはわからないが、何にしてもこの夏中にバイト先を決めたいとは思っている。


「んー……っていうかさ、別にバイトなんてしなくてもよくない? 私、生活費くらい全然出すけど?」

「だ、ダメですよ! そういうのは絶対にダメです!」

「男のプライド的なやつ?」

「そういうことじゃなくて……必要最低限なお金まで先輩に出して貰い始めたら、俺、絶対にダメになると思うので。何でも先輩に甘えれば大丈夫だとか思っちゃう、ゲスには成り下がりたくないんです」

「糸守君がそんな風になるとは思えないけど……まあ、嫌なら無理強いはしないよ。ごめんね、変なこと言って」


 とは言いつつも。

 先輩は納得していないらしく、不服そうに横髪を弄る。


「でもさ、専業主夫っているでしょ? 旦那さんが家事して、奥さんが仕事するやつ。糸守君的にはあれもダメなの?」

「それは別にいいんじゃないですか? 家事っていう仕事をしてるわけですし、何の問題もないと思いますけど」

「じゃあ糸守君、それになればいいよ! 私、バリバリ稼いじゃうから!」

「……ん? え、えっと、あの、それってどういう意味ですか……?」


 先輩は顔を前に向けたまま視線をこちらへ流し、二ッと白い歯を覗かせた。

 そこに言葉はなく、すぐに視線を正面に戻して酒を一口煽る。


「じゃあ、明日はお昼でバイバイしちゃうのか。寂しいなぁ」

「面接が終わったら単発のバイト入れてますけど、夜には時間作れるので。それからでもよかったら、一緒に映画観に行きましょうよ」

「……うん、わかった。そうしよっか」


 リモコンを手に取って、ピッと電源を落とした。

 真っ黒な画面に俺と先輩が反射して映り、テレビ越しに視線が絡む。


 酒を一口呑んでもう一度画面に目を向けると、先輩の顔がこちらに向いているのがわかった。視線だけを隣へ流すと、彼女は両の瞳をとろんとさせて、甘ったるい笑みを浮かべている。黒い革のソファには、先輩の黄金色の髪がよく映える。


「もう寝たい?」

「……は、はい?」

「眠い?」

「いや、まあ……寝ようと思ったら、すぐに寝られますよ」

「ふーん、でも残念! 糸守君はまだ寝られませーん!」


 おどけた声音で言って、ソファの上で四つん這いになった。

 お祭りの最中はキッチリと着こなしていた浴衣もだいぶ崩れており、一歩前に進んだだけで肩と下着の黒い紐が露わになる。


 先輩は手早くそれを直して、俺の視線に気づいていたのか「もーっ」と唇を尖らせた。

 この状況で見るなという方が無理だと思うのだが、そんな口答えをする前に先輩の手が俺の太ももに触れ、喉まで出かかった言葉が胃袋まで下がる。


「今日、待ち合わせ場所で会った時に言ったよね。可愛いって、もっといっぱい言ってって」

「あっ、はい。言ってましたね」

「私が満足するまで、だよ? できる?」

「できますよ。任せてください」

「ぎゅってしながらね」

「はいはい」

「なでなでも欠かしちゃやだよ」

「わかっています」

「あとね……えっと、それから……」


 先輩が次の言葉を紡ぐより先に、ぐいっとやや強引に抱き寄せた。

 一瞬小さな悲鳴を漏らすも、特に暴れることもなく胸に顔を埋め、しばらくしてから視線を上げる。得も言われぬほどに美しいその双眸は、何かを期待するように薄い涙の膜を張り淡く輝く。


「……俺、一応彼氏なんで。わざわざ全部言わなくても、ちゃんとできます。黙って甘やかされててください」


 先輩の瞳がぱちりと瞬いて、小鳥がお辞儀をするように小さく頷いた。

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