第38話 どちゃくそにセックスがしたい


 運転手ともう一人の男はけたたましい悲鳴をあげ、急発進した車は電柱に激突。

 その間にどうにか一条先輩を回収すると、車はすぐにバックして体勢を立て直し走り去って行った。


 ……何だったんだ、今の。


 俺が引きずり出した男は、地面に横たわり気絶している。

 二十代後半か三十代か。見たこともない顔で、こんな奴に金属バッドで頭を殴られるほどの恨みを買った覚えはない。


「い、糸守クン、もう平気だよ。だからさ……その、離してもらっていいかな?」

「あっ! す、すみません!」


 これ以上何かあってはいけないと、一条先輩を抱き締めたままだった。

 ギブギブと背中をタップされ、すぐさま解放する。


「何だよ今の。事故ったのか?」

「っていうか、その前にあの子攫われそうになってたよね」

「誰か警察呼べよ!」


 ざわめく通行人。


 泥酔した先輩と夜道で会った日のことを思い出し、あの時とよく似た状況に肝が冷える。

 ……俺、逮捕されたりしないよな? 頭殴られた上に、一条先輩を助けるために仕方なくやったんだから、流石にノーカンだよな?


「糸守クン、早くここを離れよう」

「いいんですか、そんなことして? 一応俺たち、当事者ですけど……」

「残ってたって面倒なことになるだけだよ。早くコンビニに行って、天王寺さんたちに合流しないと。あとの処理はうちの人たちに任せるから」


 うちの人たちというのは、家族でも呼ぶのだろうか。

 疑問に思いつつも、再び一条先輩を背負って小走りで現場を離れる。


「頭平気なの? あと手は? 車の窓ガラスぶち破るとか、メチャクチャなことしてたけど」

「ええ、大丈夫ですよ。俺のことより、一条先輩こそ怪我とかしてませんか?」

「おかげ様で無傷だよ。……正直色々と覚悟してたんだけど、糸守クンのおかげで無駄になっちゃった。ありがとね」


 声音を弾ませながら、俺の首に回した腕にキュッと力を込めた。

 爽やかな香水の香りが鼻腔をくすぐり、体温や感触も相まって頬に熱が溜まる。


「さっきの奴ら何だったんですか? 警告もなしに金属バットで人の頭殴るとか、ちょっとどうかしてるでしょ」

「殴られて無傷な上に、素手で車を破壊しちゃう君もどうかしてると思うけど……まあ、それはいいや。何て説明したらいいかな。うちの父親が勤めてるとこの、敵対企業っていうか……」

「き、企業? いち企業が一条先輩を攫ってどうするんです?」

「……まあいいや、誤魔化すのはやめとくよ。話が余計にややこしくなりそうだし」


 一条先輩は俺の後頭部に額をつけ、ぐりぐりと軽く押し付けた。

 そして、ふっと浅く深呼吸し、手のひらをギュッと握り締める。



「僕の親父はさ、ヤクザなんだよ」



「えっ……?」

「東日本最大の暴力団、一星いっせい会の会長。デカい組織だから敵も多いってわけ。さっき襲ってきた奴らは、会長の娘を攫って交渉の材料にでもしたかったんだろ」


 年齢に不相応なスポーツカーや買い取ったという雑居ビルの一室。

 常に纏うどことないアングラな雰囲気。


 ただの金持ちではないと薄々勘づいてはいたが、まさか家がヤクザとは。

 しかも一星会なんて、俺でも知っている名前だ。


「もしかして、あのお祭りのくじ引き屋とか射的屋って、一条先輩の親父さんのとこの組員なんですか?」

「厳密には一星会の三次団体の組員だけど、その認識で間違ってないよ。昔から顔馴染みでさ、糸守クンが来たら接待するようにお願いしてたんだ」


 三次団体……親会社に対する子会社、みたいなものだろうか。

 何にしても、そういう事情なら納得だ。


「僕は血縁者ってだけで、親父の仕事とは何の関係もないんだけどね。だからちょっと油断してたな。あんな風に襲われる日が来るなんて思わなかった……」


 この暑さの中、一条先輩の手は真冬のように震えていた。

 アドレナリンが切れて、今になって恐怖の波が来たのだろう。


 ……そりゃそうだよな。

 あんなことされて、怖くないわけがない。


「今日はもう仕方ないけど、明日から天王寺さんとは距離を取るようにするよ。もちろん、糸守クンとも。ごめんよ、こんなことに巻き込んで」

「距離を取るって……あの、何を言ってるんですか?」

「だってそうだろ。もし今日、僕と一緒に歩いてるのが君じゃなくて天王寺さんだったら、下手したら死んでたかもしれない。……そんなことになったら、僕は立ち直れないよっ」


 弱く、脆く、今にも崩れ落ちそうな声音で吐き捨てた。


 一条先輩の気持ちは理解できる。同じ人を好きだから、余計に。

 だが同時に、身を引くことが本意ではないこともわかる。


 そしてきっと、先輩もそんなことは望まない。

 あの人もあの人で、家柄という自分では取り払えない環境のせいで、本来ならしなくてもいい苦労をしている。一条先輩が同じ苦労をすることを望むはずがない。


「わかりました」

「うん、ありがと。短い間だったけど、一緒にいられて楽しかっ――」

「先輩とは基本的に一緒にいるので、何か起こっても俺が対処します。なので、距離を取るとか言わないでください」

「……あ、あのさ、僕の話聞いてなかった? 危ないんだって、本当に!」

「そっちこそ、先輩との付き合いが三年とか言ってましたけど、距離なんか取られて先輩が悲しむことがわからないんですか? どれだけ離れたとしても、あの人は絶対に一条先輩を捕まえに行きますよ。地球の裏側まで逃げたって無駄です」


 友達が理由も告げずに自分の前から姿を消したら――いや仮に理由を告げられても、それに納得がいかなかったら先輩は確実に動く。金も権力も総動員して。

 先輩はそういう、強かな人だ。

 だから好きになったし、それは一条先輩も一緒だろう。きっとこの人も、腹の底では無駄だとわかっている。


「俺、先輩を幸せにするって約束したんです。その幸せの中には、一条先輩だって含まれてると思います。だったら、頭を殴られようが腕をもがれようが全力で守りますよ。……俺自身も、一条先輩のことが好きなので」


 その後コンビニに着くまで、一条先輩は何も話さなかった。


 何一つ、ただの一言も発さない。

 しかし、俺の首に回した腕だけは決して離さず。

 強く、強く、何があっても解けないよう力を込めていた。




 ◆




 絆創膏を使い何とか違和感なく歩けるようになったところで、僕たちは天王寺さんが待つお祭り会場に戻った。

 それからしばらく何事もなかったように遊び、騒ぎ、笑い。

 猫屋敷さんと竜ヶ峰さん、そして糸守クンが金魚すくいに夢中になっている間に、僕はそっと天王寺さんを連れて人ごみを抜けて襲われたことを話した。


「――ってことだから、糸守クンの様子がおかしかったら病院に連れて行ってあげて。本当に申し訳ないことをしちゃったよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 怒られるのでは、と思ったが、そんなことはなかった。

 僕の無事を喜んでくれているのか、ホッとした顔をしている。


「一条さんのお父様のご職業を聞いて、糸守君は何と?」

「別に何とも。全然気にしてないって風だった。……天王寺さんもそうだったけど、普通はもうちょっとリアクションするもんだよ? 隠してる僕がバカみたいじゃん」


 巨大な極道組織のボスが親というだけで、昔から気を遣われっぱなしの人生を送って来た。


 小学校も、中学校も、高校も、僕に文句を言う先生は一人もいない。

 同級生も保護者から何か言われているようで、誰も彼もが腫れものを扱うかのよう。


 本当の意味での友達なんて、一人もいなかった。


「僕、今でも覚えてるよ。天王寺さんの誕生日会でのこと」

「あれは今でも納得がいっていません。いずれどうにかしたいと思っています」


 大学一年生の夏。


 天王寺さんの誕生日会で、彼女は僕の親父について知った。

 出席者の中には警察関係者も多く、僕の名前を見てピンと来たらしい。


『ただの血縁者とはいえ、反社会的勢力と関わりのある汚れた人間を天王寺家の敷地に入れるべきじゃない』


 僕の目の前で天王寺さんに進言したその人に対し、彼女は無言で平手打ちをお見舞いした。


 パンッと、思い切り。

 あの時の音は、一生忘れられない。


 その後、小一時間ほど僕を入れるために周囲を説得してくれたが、最終的に僕の方から断った。

 あんなことをしてくれた人は、天王寺さんが初めてだった。僕にとっては誕生日会に出席するより、そっちの方がずっと価値がある。


 だから、この人に本気で惚れた。

 どちゃくそにセックスがしたい。


「……あのさ、糸守クンのことなんだけど」

「糸守君について、まだ何か?」

「いや、何ていうか……ちょっと違和感があってね」

「違和感?」


 言葉がまとまらないな。

 ちょっと深呼吸しよう。天王寺さんの匂いを吸って落ち着こう。


「僕の見間違いじゃなかったら……糸守クンさ、頭を殴られる瞬間に自分から地面に倒れてたんだよね。たぶん、衝撃を受け流すために」

「流石糸守君です」

「いやそうじゃなくて、ちょっと変だと思わないか? 世の中見渡したら素手で車の窓割る力自慢くらいいるだろうけど、いきなり金属バット振り下ろされて受け流すとか普通無理だから。……それに、彼が空手とか言って使ってる技、どう見ても空手じゃないし」


 そこまで言ったところで、つまり何が言いたいのかと天王寺さんは首を傾げた。


「だから、その……糸守クンにどういう秘密があったとしても、ちゃんと受け入れてあげて欲しいんだ。僕にしてくれたみたいに」

「当然です」


 心配はしていなかったが、あまりにも一瞬で返事が来たため驚いた。


 いいなぁ、糸守クン。

 愛され過ぎていて羨ましいし、それだけ他人に愛情を向ける天王寺さんに萌える。


「そうそう。実は私、一条さんにご相談がありまして」

「僕に? 別にいいけど、その相談に乗ったら『一条晶に身体を許すゲージ』はどれくらい貯まるのかな?」

「大体……二十、ほどでしょうか」

「そんなに!?」

「満タンまで残り五十億です」

「ってことは、あと二億五千万回相談に乗ったらヤれるってことじゃん! みなぎってきたぞー!」

「頑張って貯めてくださいね、一条さん」

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