第31話 おいで
「ははっ、あははは! やばいって、何だよそれ!」
「ちょ、ちょっと待って! ふひひっ! お腹痛いっ、もうダメだよぉ……!」
「うわ先輩、ジャイアントシャークが勝ちましたよ! やったー!」
「だめっ、だめだめだめぇ!! もう笑わせないでっ……ふぐっ、あははははっ!!」
午後十一時過ぎ。
途中コンビニに寄ってから俺の家に到着。その後、いつものようにB級映画を肴に酒盛りを開始した。
先輩の格好は、誕生日会と同じ真紅のドレスのまま。
物語のお姫様みたいに綺麗な人が安いハイボールを片手に爆笑する様は、かなりシュールで正直映画より面白い。
「糸守君、あれ食べよ。私、お腹空いちゃった」
「いいですね。そうしましょうか」
台所へ行き、コンビニで買った二ピース入りで五百円のショートケーキを冷蔵庫から出した。皿とフォークを持って居間に戻る。
「……誕生日会であんな豪華なケーキ見たあとだと、格落ち感が半端じゃないですね」
先輩のために用意されたケーキは、ウエディングケーキかというほどのサイズで、フルーツも飾りもふんだんに使われており宝石のようだった。
「そんなことないよ。私はこっちの方が好きだけどなぁ」
「いや、コンビニのケーキですよ? そりゃまあ、不味くはないですけど」
「味とか見た目とか、別に何でもいいし。糸守君と……か、彼氏と食べることに意味があるんだよっ」
照れ臭そうに言って、それでも年上の威厳を保ちたいのか、無理に笑って白い歯を覗かせた。
彼氏。その言葉が嬉しくて、恥ずかしくて、俺はニヤつく顔を誤魔化すようにケーキを頬張る。
「糸守君って、いつ私と付き合いたいって思ったの? どの時点から好きだった?」
「……初めてキスした時、ですかね。でもそれは好意を自覚したってだけで、もっと前から好きだったと思います。それこそ、出会った時から好きだったかもしれません」
俺の言葉が嬉しかったのだろう。「一目惚れされちゃったかぁ」と、先輩はこれ以上ないほどニヨニヨと笑う。……別に一目惚れなんて言っていないのだが、この人が上機嫌ならそれでいいか。
「先輩も……その、俺のこと、す、好きなんですよね? 付き合ってもいいって、思うくらいには。どういうところを気に入ったんですか。俺別に、先輩から異性として好かれるようなことしてないと思うんですけど……」
何言ってんだこいつと言いたげな目で、先輩は俺を見た。
ケーキを一口食べてため息をつく。身体の中の空気が全部抜けてしまいそうなほど、特大なやつを。
「……何か私、心配になってきたよ。これから糸守君が、無自覚に女の子落としまくっていくんじゃないかって」
「えぇ!? いや、何でそうなるんですか!」
「浮気しちゃ嫌だからね。……もしそんなことしたら、私、怒るだけじゃ済ませないから」
初めて一緒に呑んだ日の夜を思い出す。
『誰かに友達をとられるとか、経験したことないからさ。もしそうなったら、私……何しちゃうかわかんないもん』
あの時と同じ、ライオンの咆哮の如き迫力。
常勝の星の下に生まれた者の表情に、恐怖に似た憧れを覚える。
「沖縄での夜のこと覚えてる? 私が足怪我して、糸守君がコンビニに行ってくれたでしょ」
「はい、覚えてます」
「あの時だよ、糸守君のこと好きになったの。私とママのために、嵐の中に突っ込んで行っちゃうんだもん。好きにならないとか無理だから。この人なら間違いないなって、私じゃなくても思うもん」
別にあれは、うちの母さんのこともあって動いただけだ。好かれようなどという企みはない。
ただ、そういう風に感じてくれたことは素直に嬉しいし、多少なりとも無茶をして良かったと思う。
「……今だから言えることだけど、あの夜のことがなくても、糸守君に恋するのは時間の問題だった気がするなぁ」
「どういうことですか?」
「説明しろって言われると困っちゃうんだけどね。……生まれ変わっても、糸守君に出会ってたらもう一回好きになってると思う。それくらい私にとっては魅力的ってことだから、自信持ちなよ!」
ベシッと俺の二の腕を叩いて、得意そうに鼻を鳴らした。
きっとお世辞だろう――と思いかけて、ちょっと前に自信を持てと怒られた記憶がフラッシュバックする。……俺に対してそんなことで怒ってくれる人だから、きっと俺も、生まれ変わっても彼女に恋をするだろう。
「先輩、口の端にクリームついてますよ」
「あ、ほんと? じゃあ、糸守君がとってよ」
「はい? いやまあ、別にいいですけど……」
「唇でね」
「っ!?」
「お酒呑んでるけど、これはノーカンじゃないから」
クリームを指差して、「恋人っぽいことしよ?」と悪戯っぽく八重歯を覗かせた。
それはつまり、キスをしろという意味だ。
お酒に責任を押し付けず、恋人として。
ずっとアルコールを理由にしたくないと思っていたが、いざ直面すると恥ずかしさで身体が動かない。
それでも一応、どうにか要望に応えようと唇を近づけてみたが、最後には根性が足りず指先でクリームを拭った。
「ぶぅーぶぅー! 糸守君のあほー! へたれー!」
「ご、ごめんなさい! でも、無理ですって! もう少し段階を踏んで――」
言い切るよりも先に、先輩は人差し指で自分のケーキからクリームを掬い上げ、子供が泥遊びでもするように俺の唇に擦りつけた。
いきなりのことに動揺していると、先輩は俺の肩に手を置いて身体を持ち上げた。ぐいっと顔を近づけて唇を落とし、控えめに覗かせた舌先でクリームを舐め取る。
「ど、どどっ、どう? かかか簡単でしょ? 私たち恋人同士なわけだし、こ、これくらい当然だよねっ!」
俺と同様、恋人としてのキスが相当恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしてこれ以上ないほど挙動不審になっていた。それでもふふんと豊満な胸を張って、お姉さんとして意地を見せつける。……何だこの可愛い生き物。
「じゃあ次、糸守君ね。ちょっとずつ練習させてあげるから」
「練習って……えっ?」
先ほど同様、指先でクリームを掬い取った。
それをどこへ擦りつけるわけでもなく、そっと俺の口元へ差し出す。
「あ、あの、えっと……」
「舐めて」
「……」
「汚れちゃった。綺麗にして、ほら早く」
「……は、はい」
言われた通り、指の腹に舌を這わせてクリームを舐め取った。
先輩は満足そうに口角を上げ、「いい子だね」と妖しい声音で呟く。暴力的なまでに美しい黄金の瞳は、ジッと俺を見つめて離さない。
まるで犬扱いされているようで……何ていうか、その、正直悪くない。
「じゃあ次、ここ。お願い、糸守君」
「はい。わ、わかりましたっ」
手の甲、手首、腕と、少しずつ上にのぼってゆく。
空いた手で金の髪を掻き上げて、露出した首筋にクリームをつけた。蠱惑的な熱を宿した双眸に俺を映し、二ッと白い歯を見せる。
「おいで」
ギシッとソファが軋む。
そっと先輩の肩に触れて引き寄せ、首筋に舌を這わせた。
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