第33話 そういうのをロジハラっていうんだよ
先輩の誕生日から数日が経った今日、俺は一条先輩に呼び出されアルバイトをしていた。
「そうそう、いい感じ! うん、完璧だよ! 流石糸守クン!」
「これくらい全然。他に運ぶものありますか?」
「まだまだあるけど、一旦休憩にしよう。いやぁ、本当に助かるよ!」
以前来た、雑居ビルの一室。一条先輩の秘密基地。
元々飲食店だった設備を活かして本物のBARを開くことにしたらしく、今日は荷物の搬入やインテリアの配置のため俺が呼ばれた。
せっかくの秘密基地をどうして、と疑問に思ったのだが、最近ここに来る人がいなくなってしまったらしい。俺が一条先輩の
申し訳ないことをしたとか、可哀想とか、そういう気持ちは一切湧いてこない。
むしろそんな状況で「じゃあBARをやろう!」という考えに至り、開店作業に俺を巻き込む肝の強さに一周回って憧れてしまう。
皮肉でも何でもなく、本気で。
この人には色々と迷惑をかけられたが、それでも嫌いになれないのは、俺にないものを持っているからだろう。
「お疲れ様っ! 休憩にしようか。ほら、これ飲んで」
「ありがとうございます。……変な薬とか入れてませんよね?」
差し出された麦茶を受け取る前に、一応確認を取っておく。
この人は性欲の魔人だ。先輩のことが好きで、俺のことが好きで、口ぶりからして他にも沢山の男女と交流がある。二人っきりの今、何かしら仕掛けてきてもおかしくない。
「失礼だなー。僕がそんなことをする人間に見えるのかい?」
「見えないと思ってるんですか?」
「ははっ。眼科に行くことをオススメするよ」
「じゃあそれ、試しに一口飲んでみてください」
「……チッ」
「本当に何か入れてたのかよ!?」
油断も隙もない人だ。
次に持ってきたのは、何でもないペットボトルに入ったお茶。未開封なため、流石にこれは大丈夫だろう。
「そういえば聞いたよ。糸守クン、天王寺さんと付き合い始めたんだって?」
「ぼふっ! な、何で知ってるんですか!?」
「あの場には僕と天王寺さんの共通の友人もいたからね、もう情報は回ってるんだよ。他の男たちを蹴散らすために公開告白なんて、やることが臭いなぁ。……やばいくらい興奮する」
「彼女持ちってわかってるのに発情するのやめてくださいよ!? 俺、絶対に一条先輩とそういう関係になる気ないですからね!!」
「……やっぱり媚薬盛るしかないか」
「せめて聞こえないように言え!!」
もしかして、さっき出してきた麦茶に媚薬入れてたのか?
危なかった。飲まずに突っぱねて正解だった。
「しかもその夜、天王寺さんをお持ち帰りしたんだって? ひゅーっひゅーっ!」
「男子高校生みたいな茶化し方やめてくださいよ……」
「んで、どこまで進んだんだい? 流石にキスくらいはしてないとおかしいよね?」
「えっ、キス?」
俺が怪訝そうな顔で聞き返すと、一条先輩は途端に真面目な表情を作った。
これから戦地へ赴くような、鬼気迫りながらも酷く静かな顔だ。
「……ちょっと待ってくれ。今のは、キスって何ですか、というウブさからくる反応なのか? それとも、キスくらいとっくにしましたよ、という顔なのか?」
「い、いや、それは……」
「言い淀むってことは……! お、おいおい、ははっ、やってくれるな。キスは付き合う前からやっていて、付き合った当日にその先をやったってことか。……ヤッたってことか!?」
「何でわざわざ言い直したんだよ!!」
「できる子だなぁ、糸守クンは! 僕が惚れただけはあるよ!」
「うわすごい、全然嬉しくねえ!!」
「初めては天王寺さんに捧げたわけだし、もう僕とヤッてもいいよね?」
「いいわけあるか!!」
「はぁ!? ふざけたこと言うなよ!!」
「俺がキレられるのおかしくないか!?」
いつの間にか敬語が吹き飛んでいた。
しかし、まったく申し訳ないという気分にならない。むしろこの人に対し、そういった敬意を払うのがバカらしくすら感じる。
……もしかして、そういうテクニックなのか?
距離感を縮めるための人心掌握術、的な。この人ならあり得るな。
「はー……やれやれ、まったく。まあいっか、天王寺さんにも聞いてみよ。向こうは案外、オーケーって言ってくれるかもだし」
「……彼氏の前で彼女寝取る話するの、やめてもらっていいですか?」
「寝取ったりしないよ、失礼だな! ただちょっと、身体に興味があるだけだから!」
「あー、なるほど。じゃあ大丈夫です。……とか言うと思ってんのか!? いいわけないだろ!!」
「でもさ、僕の方が先に好きだったんだよ? キミ、まだ出会って半年も経ってないじゃん。天王寺さんを想い初めて三年目の僕に、ちょっとくらいつまみ食いさせるべきじゃない?」
「……マジな話すると、そりゃ先輩がいいって言うなら、俺は涙を呑んで黙ってますよ。でも一条先輩、絶対断られるでしょ?」
「そういうのをロジハラっていうんだよ」
「俺にセクハラしまくってる人がハラスメントを語るな」
一条先輩はやれやれと肩をすくめて、「ところでだけど」と途端に真剣な目を作った。
麦茶の入ったコップをテーブルに置いて、タバコを咥え火をつける。紫煙が換気扇の方へ流れていくのを見送って、すっとこちらに視線を戻す。
「天王寺さんの乳首って何色だった……?」
「あんた本当に一回ぶん殴るぞ!!」
「教えてくれたっていいじゃん! 減るもんじゃあるまいし!」
「少なくとも人間性は減りますよ! っていうか、一条先輩は一応女性なわけですし――」
「一応、は余計だね」
「先輩をお風呂とかに誘えばいいんじゃないですか? 銭湯とか、温泉とか。そこで好きなだけ見ればいいでしょ」
その提案に、一条先輩はタバコの煙を吐きながら肩をすくめた。何もわかってないなこいつ、と言いたげな目で。
「あれは大学一年生の時だったかな。皆で温泉旅館に泊まろうって話になってね。そりゃもう、僕は大興奮さ。つまりそれって、何をしてもいいってことだろう?」
「道徳の授業、受けたことあります?」
「いざお風呂に入るってなった時、あまりにも天王寺さんを凝視し過ぎて警戒させちゃってね。結局目隠しして入ることになったよ。……あの時は興奮したなぁ」
「本当に転んでもただじゃ起きないなあんた!?」
「あれ以降、裸を見れそうな場面になると視界を塞がれちゃうんだよ。まったく、困ったもんだ」
「……困ってるのは先輩だと思いますけど。よくそんな感じで、先輩から縁切られませんね」
「まったくだね。僕も不思議に思ってるよ」
ふふっと笑みを浮かべて、タバコの灰を灰皿に落とした。
空いた手で横髪を耳の後ろにかけ、ジャラジャラとしたピアスが光を反射する。
「天王寺さんは僕にとって、太陽みたいな人だから。あの人のためなら死んでもいいな。笑って死ねるよ」
冗談めかしく、しかしその目は真剣味を帯びていた。
俺は麦茶を一口飲んで、ゆっくりと首を縦に振る。
「……そうですね。俺も先輩のためなら死ねます。あとから泣かれそうなんで、そこがすごく怖いですけど」
一条先輩と目が合い、彼女は小さく笑った。「僕が死んだら泣いてくれるかなぁ」とどこか寂しそうに呟いてタバコをふかす。
「まあでも、糸守クンはこれから大変だね。天王寺家の皆々様の前で、娘さんを頂きますって堂々と宣言しちゃったんだからさ」
「……覚悟はしていますよ。誕生日会であんなことをした謝罪も兼ねて、先輩のお父さんには近いうちにお会いできたらなと思っています」
「お父さんの方はたぶん大丈夫だけど、あの人がなぁー……」
「えっ? あの人って誰ですか?」
「んー……まあ、頑張りなよ! 僕は応援してるから!」
「ちょ、ちょっと何なんですか!? 何ではぐらかしたんです!?」
「天王寺さんの乳首の色を教えてくれたら、口の滑りがよくなるんだけどなぁー」
「帰ります」
「わーっ、待って待って! まだ作業残ってるから! せめて給料分は働いてよー!」
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