第3話 エイリアンVSジャイアントオクトパス
「……はい?」
「ですから、糸守君のことが好きになってしまいました」
同じ台詞を繰り返されたが、頭は理解することを拒否した。
脳内に宇宙が広がり、意識がふわふわとどこかへ流れてゆく。
数十秒の沈黙。
先輩は何かに気づいたのか、「あっ、違います」と訂正を始める。
「好きと言っても、ラブではなくライクです」
「ら、ライク?」
「はい。人間として、と言いますか……そのような感じ、です。とにかく、深い意味はございません」
ライクだのラブだのと言われても、どちらも好きを意味することには変わりない。
しかもそれを口にするのは、俺が見てきた中で間違いなく最も綺麗な人。あまりに自分にとって嬉しい事態に混乱するが、ふと冷静になり首を捻る。
「いや……俺、先輩に好かれるようなことしましたっけ?」
そう尋ねると、先輩は本気で言っているのかと目を丸くした。
「危ないところを助けられて、本当の私を受け入れてくださいました。これで好感度が上がらないなど、あり得ないと思いますが?」
「は、はあ……」
「私、他人から仲良くしましょうとお声掛けをいただくことはあっても、自分から行ったことはなくて。……ですが、糸守君とはどうしても仲良くなりたくて今日は来ました」
皆の前では絵に描いたようなお嬢様。
でも実際は、フツーの女の子。
――などというのは間違いであると、俺は今になって気づく。
仲良くなりたいと思った瞬間、そいつの家へ直行する人間をフツーとは呼ばない。
彼女は絶世の美女な上に金持ちだ。自分と同じ庶民の感性を期待したのが間違いだった。
「俺のことを過大評価してくれてるのは嬉しいですけど、天王寺先輩が男に捕まってたら、俺じゃなくても助けに入る人はいましたよ。演技のことだって、俺以外にも受け入れてくれる人は――」
「ですが、助けてくださったのは糸守君です」
先輩の声が、俺の言葉を遮った。
いつも通りの無表情だが、どことなく温和な雰囲気を感じる。
「私の演技のことも、糸守君が初めて受け入れてくださいました」
「だ、だからって……」
言い淀む俺の服の袖を、先輩は強く引っ張った。
宝石のような双眸が輝いて、俺を真っすぐに映す。その美しさに、力強さに、ぐちゃぐちゃになっていた脳内は一気に彼女の色に染まる。
「『もし』とか『たら』とか『れば』とか、仮定の話はどうでもいいのです。それは糸守君が、私にとって誰よりも格好いいことと何の関係もございません」
格好いい。
単純な褒め言葉だが、そのような言葉を他人から投げかけられたのは小学生以来で、俺にとっては凄まじい衝撃だった。
まして相手は、あの天王寺朱日だだ。
顔中に熱がぐるぐると回り、それを逃がすように咳払いを繰り返す。
「……だから、その。私の友達になっていただければと……お、思うのですが」
弱々しい瞳でこちらをうかがう。
行動力が異次元なだけで、こういったところは世間一般と同じ。
大学入りたての頃、必死に馴染もうと四苦八苦していた自分を思い出す。去年の自分のように、先輩は先輩なりに勇気を振り絞ってやって来たのに、その気持ちをむげにできるわけがない。
「……先輩の気持ちはわかりました。でも俺、小学生以来、一度も友達なんてできたことないんです。それでもいいんですか?」
別に断るつもりはない。
だが、こちらは人付き合いスキルが最底辺。
一緒にいて、必ずしも面白おかしい時間を提供できる保証などない。むしろ不快な思いをさせてしまう可能性すらある。
「それのどこに問題が?」
質問に質問で返して、先輩は心底意味がわからないと言いたそうに眉を寄せた。
「糸守君の友達が私だけ、ということは、私に得しかないと思いますが。ずっと一緒にいてもよいということでしょう?」
嘘でもお世辞でもない、本気の目だった。
ここまで強く求められたのは初めてで、顔に血が回り過ぎて軽い眩暈に襲われた。それでもどうにか平静を保ち、「え、ええ」と声を絞り出す。
「ということは、もう私たちは友達?」
「そう……なるんですか、ね……?」
疑問形ながら一応返答すると、先輩は「ありがとうございます」とお手本のようなお辞儀をした。
「では、友達になった記念に乾杯しましょう」
「いいんですか? 酔ったら素が出るとか言ってたのに」
「糸守君の前であれば大丈夫ですし。それに私も、羽を伸ばしたいと思ってましたので。この演技、板につき過ぎて自分の意思では中々解けないのです」
「顔がカチコチで全然動きません」と頬を抓って見せて、困ったように少しだけ眉を寄せる。
かなりシュールな光景だが、映画や舞台の世界には、役に入り込み過ぎて抜け出せなくなる役者がいるらしい。それに近いものだろう。
「じゃあ、お酒用意しますよ。コークハイでいいですか?」
「はい。お願いします」
先輩の分のコップも用意し、ウイスキーとコーラを注いでコークハイを作った。
それを彼女の前に出して、俺は元居た場所に戻る。すると彼女は、ここに座れとばかりにぽふぽふと自分の隣を叩く。
ずっと一人で使っていた、二人掛けのソファ。
緊張しながら彼女の隣に腰を下ろすと、若干の窮屈さと、すぐそこに体温を感じることでの心地よさがあった。
「えっと、じゃあ、乾杯」
「乾杯」
カンと高い音を鳴らして、コップに口をつけた。
状況のせいか、コークハイの味がイマイチわからない。
「初めて呑みましたが美味しいですね。甘くて、しゅわしゅわしてて」
コップを両手で持ってゆっくりと呑む様はお姫様のようで、思わず見惚れてしまった。
余程舌に合ったのか、一分と経たず一杯目が終了。すぐに二杯目を作って出すと、彼女は一口で半分近くを胃に収めた。
……にしても、大丈夫かこれ。
コークハイの度数は大体十度前後。一般的なビールの二倍近いアルコール量だ。それをかなり早いペースで呑んでいる。
既に先輩の頬はほんのりと赤みがかっており、瞳からは力が抜けかけていた。
心配して顔を覗き込むと、彼女はにへらぁと溶けかけのアイスのように甘い笑みを浮かべる。
やっべぇ。
し、心臓止まるかと思った。可愛過ぎて……。
俺が悶絶していることなど気にも留めず、先輩はコップに口をつけてコクコクと喉を鳴らす。
「ところで、先程から流れているこれ、何の映画ですか?」
「これですか? 『エイリアンVSジャイアントオクトパス』っていうB級映画ですね」
「え、エイリアン……? それは面白いのでしょうか?」
「面白くはないですよ。お酒吞みながら観ると、やけに笑えますけど」
「えぇ……そ、そのような映画があるのですか……」
動物の糞でも見るような目で、しげしげと画面を凝視する先輩。
この類の映画は、基本的に一般受けしない。
まして先輩のようなお嬢様とは、無縁のエンタメ作品だろう。
……ってのはわかるけど、もうちょっと優しい目で見てあげて。
俺からしたら、すごく面白い作品なんだから。
「別の映画にしましょうか? アニメとかドラマとか、バラエティ番組もありますけど」
「い、いえ。糸守君がどういうものを好むのか知りたいので。友達ですし」
明らかに嫌がりつつも、それを誤魔化すように酒をあおる。
これ、普通に俺と趣味が合わなくて幻滅するとかあり得そうだな。
ここで嫌われたり、何か違うなと思われたなら、それはもう仕方のないこと。
無理なすり合わせは、お互いのためによくない。向こうもそんなことは望まないだろう。
「じゃあ途中から観るのもあれなんで、最初から再生しますよ」
一応確認を取ると、先輩は微妙な表情を作るも拒絶はせず、嫌々ながらも頷いた。
◆
二時間後。
「ははっ、あははは! やばいって、何だよそれ!」
「ちょ、ちょっと待って! ふひひっ! お腹痛いっ、もうダメだよぉ……!」
「うわ先輩、オクトパスが勝ちましたよ! やったー!」
「だめっ、だめだめだめぇ!! もう笑わせないでっ……ふぐっ、あははははっ!!」
酔いが回りお嬢様モードが解除された先輩と、同じく泥酔して顔が真っ赤な俺。
死ぬほど気の合うことが判明した俺たちは、酒を片手に画面を指差してゲラゲラと笑っていた。
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