ただいま辰煌台

 五岳ほどではないにせよ辰煌台もそれなりに険しい山の上には立っている。そのために正面には山道が設けられ、入口には目印として石造りの牌坊が作られている。欧陽丙によれば、堂々と門戸を叩くならこの山道を行き、秘密裏に侵入するなら西側に伸びる獣道を通って裏の道に回るのが「常套手段」だという。

「秘密裏に山を下りたいときに教徒がよく使う道が山の裏側を通っていて、実はそちらの方が道としてはなだらかだ。攻め込まれることを考慮して険しい方に山道を作ったからそうなっているというのがひとつ、もうひとつは山の裏手に底なし沼があって往来が難しいからだ」

「だから教徒でも迂回して山の裏を目指すのですね」

 欧陽丙の言葉に素懐忠は頷いた。

「ここからは分かれましょう。欧陽壮士には正面から頂上を目指していただいて、あとの者を裏の道から回る組とここで待機して往来を見張る組に分けたいのですが……」

「ねえ、正面から忍び込むのは無理なの?」

 素懐忠を遮って令狐珊が声を上げた。

「例えば誰か一人欧陽丙について正面から上って、適当なところから忍び込むとか。どうせ防壁か何かあるんでしょうし」

「防壁はない。それにリス以上の大きさのものが山道以外の場所から忍び込んだらすぐに護りの陣が反応する」

 欧陽丙はすげなく令狐珊の案を却下した。

「でも、それだったら裏道から回り込んでも護りの陣でばれるんじゃないのか?」

 飛雕が首をかしげると、欧陽丙は「それはない」と即座に言い切った。

「教主が韓凌白に裏道も陣をすり抜けられるようにさせているから大丈夫だ」

「ちょっと待てよ、秘密の道なのに教主公認なのか⁉」

 思わず大声を上げ、飛び上がりかけた飛雕の頭を欧陽丙が押さえ込む。

「声を落とせ、馬鹿! 教主が秘密裏に下山して悪い道理がどこにある!」

 ささやき声で詰め寄られ、飛雕は抗議するように欧陽丙の手を叩く。そのとき、道の向こうから笑いさざめく声が近付いてきた。

 一行は示し合わせたように静まり返った。今いるのは道の脇の草むらの中で、隣には木が何本か連なって生えている。素文真がそっと首を伸ばして声の主を確かめると、彼は飛雕に木の上に上るよう指示した。

「奴らが来た。韓凌白、何仁力、胡廉、藍蝶蝶、それに岳伯都と敖東海も一緒だ」

 その一言で全員の間に緊張が走った――飛雕は言われた通りに枝の上に飛び乗って、腰の矢筒から静かに矢を抜き取った。あとの者は草むらに潜んだまま、欧陽丙は判官筆を取り出し、簫九珠と令狐珊は各々剣の柄に手をかける。

「……あの娘は誰だ?」

 ふと、素懐忠は敖東海の隣を跳ねるように歩いている娘に目を留めた。敖東海と雰囲気が似ているように見えなくもないが、かの邪龍海王に子どもがいたという話は聞いたことがない。

「どうする、素領袖。このまま毒使いを捕らえるか」

 簫九珠が低い声で尋ねる。素懐忠は近付きつつある藍蝶蝶に目を移すと「そうですね」と答えた。

「私が後ろから彼らを足止めします。話して分かる相手ではないことは分かっていますから、皆さんは機を見て攻撃し、彼女を捕らえてください」



 敖小鯉が敖東海と藍蝶蝶の間を跳ねるように行き来し、あとの男たちはその後ろに付き従う。曖昧な隊列がいよいよ山の入口に差し掛かろうとしたとき、ふいに後ろから彼らを呼び止める声がした。

「お待ちを!」

 清らかな声が木々の間に反響する。振り返ると、白い法衣に身を包んだ素懐忠が単身彼らの後ろに立っていた。

「敖教主、どうかお待ちを。少し話をさせていただけますか」

「良かろう。素領袖、この敖東海めに何用かな」

 敖東海が気前よく応じる――その後ろで、韓凌白と何仁力は藍蝶蝶を自分たちの間に押し込んだ。敖小鯉には胡廉が付き、岳伯都は一人ぽつんと立ち尽くす。

「何をしている」

 韓凌白が小声で岳伯都を手招きした。

「来い、岳伯都。これは奴らの罠だ」

 何仁力も鋭く言う。岳伯都はとりあえず二人の傍に移動したものの、

「どういうこと?」

 と尋ねずにはいられなかった。

「敖教主。あなたの配下の藍蝶蝶殿が撒かれた蠱毒によって、こちらでは多くの者が害されております」

 岳伯都の疑問に答えるように素懐忠が言った。

「事は一刻を争うのです。我々としても好ましくない手段ではありますが、ここは貴教のお知恵をお貸しいただけないものでしょうか」

「素領袖よ。そちらの者らがどれだけ欠けようと私は痛くもかゆくもないのだが、正道の諸英雄はそれを知った上で今の決断に達し、私に頭を下げに来たということか?」

 敖東海が冷ややかに言い返す。素懐忠は迷うことなく「もちろんです」と答えた。

「では具体的に、どのような知恵が欲しいのかな」

「藍殿の蠱毒の知恵をお借りしたく。こちらには蠱毒に詳しい者がおりませんので」

「毒についてであれば、金四缼先生もある程度お知恵をお持ちだろう。何故我らの助けを得ようとする?」

「その金先生が、蠱毒についてはお手上げだとお認めになったのです」

 敖東海のひとつひとつの返答に、素懐忠は怯むことなく言葉を返す。

 すると、韓凌白の背後から藍蝶蝶が口を挟んできた。

「へえ。そいつは光栄だね。じゃあ、あたしが絶対に手を貸さないと……」

 調子よくしゃべり出した藍蝶蝶はしかし、最後の「言ったらどうする」を言えないまま倒れてきた何仁力にぶつかられた。その肩口に刺さった矢を認める暇もなく、続いて飛んできた矢が藍蝶蝶の肩に命中する。ギャッと叫んで倒れた藍蝶蝶を岳伯都はとっさに受け止めたが、息つく間もなくギラリと光る剣が眉間を狙って迫りくる。


 素懐忠が偽りの交渉を続ける間、木の上ではを待って飛雕が弓弦を引き絞っていた。藍蝶蝶を一発で射貫きたいところだが、何仁力が石壁のように彼女の背中を守っていてどきそうにない。彼は藍蝶蝶の顔を全く知らなかったのだが、苗族の女という情報と明らかに漢の女ものではない装いをすり合わせ、きっと彼女がそうだろうと当たりをつけていたのだ。

 そんな彼が「絶対に手を貸さない」という言葉を聞いたのは、弦を引き絞る指が限界に近付きつつあるときだった。今だと直感した飛雕は迷わず矢を射かけ、間を開けずに次の一矢も放った。それを合図に今度は令狐珊が飛び出して、矢を受けて倒れた藍蝶蝶を狙って斬りかかったのだ。

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