報復への長い道

 一人は敬愛していた父親を殺され、一人は右脚の自由を奪われた。報復という目的のもと二人は出会い、一人を追いながら旅をして、ついに龍虎比武杯にまでたどり着いたのだが。


 欧陽丙が負けたことで賭けの行く末にも翳りが見えだした翌日、令狐珊は簫九珠と対峙した。欧陽丙か令狐珊のどちらかが南宮赫よりも上の順位まで勝ち進めば令狐珊は南宮赫の胸を刺し、欧陽丙は南宮赫の右脚を折るという賭けに勝つには、ここで彼女が勝たなければならないのだ。令狐珊は深呼吸をすると、背中の剣に手をかける素振りすら見せない簫九珠を睨みつけた。

 試合開始の合図が発せられると同時に、まず飛び出したのは令狐珊だった。走りながら剣を抜き、勢いに任せて斬りかかる。簫九珠は右に左に数手をかわすとふいに右手を伸ばして令狐珊の剣を捕らえた。令狐珊が剣気を放ってその手を離させたのも束の間、簫九珠は剣指をひねって背中の剣を抜き放った。勢いよく飛び出した断剣は令狐珊めがけて一直線に飛び、それを剣で受けた令狐珊は後方に大きく飛ばされた。

 落ちてきた断剣の柄を簫九珠が握り、空いた手の剣指で刃をなぞる。一方の令狐珊は砂地に爪先が触れたその瞬間に再び地面を蹴って簫九珠に突進した。剣指からそのまま放たれた剣気を飛んで避け、喉元を狙って刺突を繰り出す。簫九珠は顔色を変えることなくそれを受け止めると、切っ先をぽんと指で弾いた。再び後方に飛ばされた令狐珊を簫九珠は追いかけ、体勢が定まらないうちにその間合いに入り込んだ。令狐珊が耐えられたのはそこから数手、気が付けば背後を取られて白銀の刃を首筋に当てられていた。

「勝者、簫九珠!」

 林信君の宣言に歓声がどっと湧きあがる。何仁力、胡廉とともにこの様子を見守っていた欧陽丙は、苦虫を嚙み潰したような顔で数度手を叩いたきりかぶりを振った。

「残念だったな」

 何仁力が声をかけると、欧陽丙はそれでも「仕方ありません」と答えた。

「強い者が勝ち、力及ばぬ者は負ける。もとよりこの法則が如実に出る龍虎比武杯です、例外は求めますまい」

「でも、南宮赫が負ければ引き分けになりますよね。負けろとは思わないんですか?」

 胡廉が尋ねると、しかし欧陽丙は即座に「いいえ」と答える。

「あれを負かすのは俺たちです。ここで他の輩に負かされるような男ではない」

「だが奴とやり合うのは燕南帰だ。彼の強靭さを鑑みて、貧僧としては我が朋友の勝ちを願いたい」

「何法師、俺たちに余計な期待をさせないでください。あいつは勝ちます。岳伯都あたりが相手でない限り、誰にも負けない」

 何仁力と胡廉は顔を見合わせた。どうも欧陽丙は、仇だ何だと言いながら南宮赫の強さに入れ込んでいるらしい。


 果たして二人の対戦は、文字通り地をも揺るがす一大対決となった。槍が唸りを上げ、掌が風を切り裂き、内功の込められた一撃一撃がぶつかり合うごとに衝撃の余波が観衆を襲う。燕南帰が槍を突き出せば南宮赫がその柄を掴んで自分の方に引き寄せて頭突きを食らわせ、南宮赫が肉薄すれば燕南帰が槍の礎で南宮赫を突き飛ばし、また穂先で地面を抉るように足元を追い詰める。南宮赫は時々強かに打たれつつも燕南帰の攻撃を全て受け流した末、最後には踏みつけた穂先を足掛かりに飛び上がり、空中から拳をお見舞いして勝ちをもぎ取った――その間競技場にはちょっとした突風が吹き荒れ、皆の髪や服を滅茶苦茶に巻き上げていった。

 南宮赫は林信君が彼の勝利を宣言すると、その場の全員の耳を聾するほどの大音声で笑った。

「令狐珊! 欧陽丙! 賭けはお前らの負けだ! また一から俺様を追い回すことだな!」

 突然の宣言に、事情を知らない者たちが一斉に首をかしげて言葉を交わす。それに呼応するように、「煩いわね! 今に見てなさい!」と怒鳴り返す声がどこからか聞こえてきた。どうやら令狐珊が内功を使って言い返したようだったが、同じく内功を使って宣言したであろう南宮赫よりも小さく張りのない声だ――欧陽丙は頭を抱えると、次の瞬間には自棄になったように自らも怒鳴り返した。

「望むところだ! 覚悟しておけ!」



***



 激戦を勝ち抜き、次に進んだのは素文真、常秋水、知廃生、李宣、岳伯都、雪月影、簫九珠、そして南宮赫の八人だ。その日の午後には対戦の組み合わせが告知され、翌朝から試合が始まった。

 一戦目に戦うのは素文真と知廃生だった。ここに来て、ついに達人同士が対決する時が訪れたのである。


 このような戦いにおいては、通常の進行が役に立たないことは張正鵠も林信君もよく分かっている。微風が吹き、皆が息をひそめて双方の出方を見守る中、二人もまたじっと対峙して互いを窺っていた。素文真は片手を背中に回して直立し、知廃生は車椅子に座ったまま扇子をもてあそんでいる。

「お体はもう障りないのですか、知先生」

「ええ。かの四針神手ししんしんしゅが診てくれたおかげで、この通り回復しましたよ」

 知廃生はそう言って扇子を帯に差し、おどけたように何度か拳を突き出してみせる。素文真は微笑すると、

「ではお互い、気兼ねなく戦うとしましょう」

 と言って片足をぐっと引き、次の瞬間には知廃生の眼前に迫っていた。

 ついに試合開始である。知廃生は上半身を横に倒して伸ばされた掌を避け、その腕と頭の隙間に手を入れてパンと叩いた。四本の腕が交差する中、知廃生は素文真の体を蹴りつけて距離を取った。後退する車椅子から飛び出して自ら打って出、再び迫ってきた素文真と打ち合うこと数手、知廃生は逆手にした左手で素文真の下腹部を打った。しかしそれを見落とす素文真ではなく、知廃生の手首を掴んでひねり上げ、逆に自ら掌を打ち込んだ。知廃生も掌を出して攻撃を受け、二人はもう一度距離を取る。ここで二人は同時に一招を打った――素文真が両の掌の間に集めた内功を放ち、知廃生は地面を蹴って素文真を討ち取りにいく。途中で飛び上がって内功の一撃を避けた知廃生は、空中で体をひねって素文真に迫った。素文真も両腕を空中に突き出し、阻まれた知廃生は一回転してから地面に降り立つ。知廃生が間髪入れずに打って出ると、素文真はそれを受けると見せかけて懐に入り込み、彼の胸を強かに打った。

 知廃生が後退し、素文真はもう一度両腕を動かして内功を運用する。知廃生は鋭く息を吐いて片手をゆるやかに動かすと、迫ってきた素文真の一撃をそのまま受け止めた。全身に叩きつけられた内功を逆に集めて素文真に叩き返し、さらに空いた手で追い打ちをかける。しかし素文真は半身になってそれを避けると、伸ばされた腕を掴んで逆に引き倒そうとした。知廃生は地面に手をついたのも束の間、その手で地面を押して飛び上がり、再び立ち上がって構えを取る。そこに攻め込んできた素文真の一手を防ぎ、足を固め、次の一招を叩き込む。素文真の体は後方に飛ばされ、倒れこそしなかったが口元には血が滲んでいた。

 これで最後とばかりに、知廃生は両手を腰で構えてぐっと足を引いた。残った内功をかき集め、地面を蹴って飛びかかる。素文真も両腕を大きく動かして内功を動かし、渾身の一招を受け止めた。


 風塵とともに衝撃が四方に放たれ、一時的に観衆の目を塞ぐ。皆の視界が戻ったとき、知廃生は拳を素文真の掌に突き付けたまま肩で息をしていたが、やがて糸が切れたようにふらりと倒れ込んだ。素文真が知廃生の五招に耐えきったのだ。

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