第五章 雌雄を決するとき
日月翳って光は一縷
張正鵠は知廃生と飛雕を林信君に任せると試合の継続を宣言した。興奮冷めやらぬ中、次に対戦を控えているのは欧陽丙と李宣だ。
「良いか、天曜日月教と敖教主の面子にかけて必ず勝つのだぞ。どんな手を使ってもとは言わぬが、お前にはあの書生に勝てるだけの技量が備わっている」
衡山派の弟子が競技場を整えている間に韓凌白は欧陽丙を天幕の脇に連れ込み、早口に耳打ちした。しかし欧陽丙は億劫そうに眉をしかめるばかりで、
「あなたの目的は岳伯都を勝たせることでしょう。私を鼓舞してどうするのですか」
と言い返す。
「李宣が岳伯都に挑戦を叩きつけたことが気になっているのでしょう? 私が勝てば岳伯都が李宣と勝負せずに済むから私を応援しているのですか」
「そういうわけではない。結果次第で厄介ごとの数が変わるのは事実だが……」
欧陽丙はため息をつくと、しつこく言いつのる韓凌白を振り払った。
「良いですか。私が戦うのは南宮赫の脚をへし折るためです。それ以上でもそれ以下でもないし、天曜日月教の威信は関係ない」
欧陽丙はそっけなく言い放つと、「では行ってきます」とだけ告げて競技場へと出ていった。
李宣も欧陽丙も暗器を用いた白兵戦を展開する。それ故に二人は試合が始まった瞬間から至近距離での応酬を繰り返し、互いの隙を突こうと鋭い攻撃を仕掛け続けた。特に狙うのは人体の要所となる穴道で、これを突いて塞ぐことを点穴と言う。突く場所によっては生死に直結するが、一方で動きを封じ込めるだけの穴道もあり、二人はこれを狙って布一枚を隔てた攻防を繰り広げたのである。
身軽さも威力も二人とも互角、その中で意表をつく点があるとすれば欧陽丙の奇怪な身のこなしだ。引きずった右脚を棒のように振り回し、また不自由を補うために地面に手をついてから獣のように飛び出す動きは観衆を大いに驚かせたが、李宣も李宣で堅牢な守りと迅速かつ凶悪な攻撃を両立して少しのほころびも見せることがない。二人の操る内功は滴る墨のように黒い光を伴って飛び交い、また二人の距離があまりに近かったため、不意に動きを止めた欧陽丙から李宣が離れたとき、呆気にとられたような空気が一面に満ち満ちた。
「そこまで!」
林信君でさえ反応が遅れた――彼は張正鵠に耳打ちされて初めて勝敗が決していたことに気付き、他の者は結果を告げる彼の声によってそれを知った。
「勝者、李宣!」
その言葉が発せられると、李宣は不自然な姿勢で固まったまま唸っている欧陽丙に歩み寄って体の数か所を突いた。途端に欧陽丙がつんのめり、転びかけたところを李宣に支えられて立ち上がる。彼は李宣に点穴を施され、動きを封じられていたのだ。
次いで対戦するのは岳伯都と
今までの相手はこちらが押せば押し返してくるか、押し切られて飛んでいくかのどちらかだった。しかし虞鴛は四肢をなだらかに動かして全ての攻撃を真正面から受け、幾度となく岳伯都に跳ね返してきたのである。一度など、完全に隙を突かれた岳伯都は彼女の反撃を胸に食らってしまった――胸に掌と内功を叩き込まれた衝撃と痛み、口元にせり上がる鉄錆の味で岳伯都は完全に頭が白紙になってしまった。がむしゃらに両腕を繰って猛攻を繰り返し、最後に「虎掌山河滅」を打ち込んで勝ったはいいものの、ついにこらえきれずに吐き出したものを見て岳伯都は卒倒してしまった。
気が付いたときに見えたのは色味の飛んだ空と、呆れ果てた顔の胡廉だった。
「ちょっと内傷を負っただけですよ。休めば問題ありません」
きっと林信君あたりに呼び出されて駆けつけたのだろう、胡廉は弱々しくまばたきを繰り返す岳伯都を見下ろしたまま声を張って告げた。
「全くもう、これぐらいで倒れてどうするんですか。ほら立って、次の試合もあるんですから行きましょう」
「……待って……まだくらくらする……」
「ちょっと吐血しただけでしょう! これくらいの内傷は日常茶飯事なんですからいちいち騒がないでください。それに血がだめなんて言わないでくださいよ。ここにいる皆がどれだけ血を見てきたと思ってるんですか」
胡廉はそう言い放つと、顔をしかめる岳伯都の腕を無理やり引っ張って起き上がらせ、さらに脇の下に体を入れて立ち上がらせた。
***
その日の夜遅く、岳伯都は胡廉に渡された薬酒を飲んでようやく回復した。酒そのものの豊かな味わいと体を芯から燃やすような酔いの感覚に薬の苦味が合わさって目が回りそうな代物だったが、ひと息に飲み干せば急激に視界が晴れ渡り、全ての不調が消し飛んだかのように頭がすっきりする。
「意外と行ける。もう一杯もらってもいい?」
「良いですけど、あんまり飲みすぎないでくださいよ。明日の朝一番にあの酒鬼に飲ませてやらなきゃいけないんですから」
胡廉は呆れたようにかぶりを振り振り、小ぶりな壺からもう一杯注いで岳伯都に渡した――そのとき、別の部屋からガチャンと陶器の割れる音が響いてきた。次いでべろんべろんに酔っているらしい韓凌白が何やら喚く声が聞こえてくる。岳伯都は音のした方を指さすと、「どうしたの?」と尋ねた。
「負けたんですよ。
胡廉がため息とともに答えた。
「そのときはまだ堂々としてたんですけど、帰ってくるなりこのザマですよ。全く、衡山派の厨房からどれだけ酒をもらってきたことか」
胡廉が言うと、再び何かが壊れる音がする。何仁力が隣でなだめているようだったが、彼の低い声が何か言うたびに韓凌白がそれを上回る大声で喚くものだから何を言われているのかさっぱり聞こえなかった。最後には韓凌白はおかしな叫び声を漏らして黙り込み、それきり静かになった――
「気が付いたか。気分はどうだ、岳伯都」
ぐったりと動かない韓凌白を引きずりながら何仁力が寝室の前を通りがかった。岳伯都は無言のまま頷いたが、何仁力はそれ以上のことを言うでもなく、韓凌白を引きずったまま行ってしまった。
しかし、たしかなことがひとつある――岳伯都が寝込んでいた間に、天曜日月教からの他の出場者が全員敗退してしまったということだ。残る試合は明日に催され、出場者はいよいよ八人に絞られる。ここまで来たのか、岳伯都は酒で軽くなった頭でぼんやりと考えた。
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