世を笑い、己を驕れ
一夜明けて再び晴れ上がった空の下、龍虎比武杯は再開された。対戦するのは飛雕と知廃生、賭けるのはもちろん栄光と名声、そして英雄の称号だ。
飛雕は縄で区切られた中を歩き回りながら、左手に巻き付けた布を直し、右手の親指に嵌めた革の
「始め!」
林信君の合図が飛ぶ。飛雕は間髪入れずに腰の矢筒から矢を一本引き抜き、目にも留まらぬ速さでつがえて射た。知廃生は真っ直ぐ飛んできた矢を閉じた扇子で叩き落すと、車椅子の肘掛けを後ろ手に押して前に飛び出した。飛雕は後方に飛び退きながらすぐさま二箭目を放ち、知廃生はそれを片手で受け止めると体を一回転させる。勢いのまま打ち返された矢は一直線に飛雕を襲い、飛雕は横に避けてから次の一本に手を伸ばした。その間にも知廃生が追いすがり、鍵爪のように曲げた指で飛雕の頭を狙ってきた。飛雕は左手に持った弓で知廃生の一撃を防ぐと、下腹を狙った隠された一手を矢を握った手で跳ね返した。反動を使って距離を取り、飛雕は持ったままの矢をつがえて狙いを定める。
そのとき、知廃生が片足を引いて腰の横で両手を構えた。あっと思ったときにはその姿が眼前にまで迫っており、飛雕は慌てて後退する。自らも息を吐いて内功を運用し、矢をつがえる指先に気を集めて放てば、内功の乗った矢は流星の如く赤々と輝き、空を切り裂いて飛んでいった――しかし知廃生はそれを受け流すと、間髪入れずに飛雕を強襲した。
一部の手加減もない、本気の一招だった。肩口を立て続けに打たれ、受け身も取れないうちに胸にドンと衝撃が走る。突き飛ばされ、たたらを踏んだ飛雕だったが、小さく舌打ちすると空高く飛び上がった。矢を三本一息につがえ、弦を引き絞る指に内功を集めて放てば、矢の形を取った気が幾筋にも分裂して知廃生に襲いかかる。さらに飛雕は、地面に降りてくるまでの間にそれを三度してのけた。流星が降り注ぐような一撃にはさすがに知廃生も顔色を変え、数歩下がると腕を大きく動かした。矢そのものは避けられずとも、内功が変化した分を吸収して次の一手に変換しようとしたのだ。果たしてこの目論見は成功し、知廃生は手の中に集めた気を地面に降り立ったばかりの飛雕に向けて放った。入れ違いに最後の一矢がその頬をかすり、赤い筋を残していく。一方の飛雕は横っ飛びに飛んで反撃を避けたが、衝撃の余波で地面に転がされてしまった。それでも、起き上がるなりつがえて放った矢が狙いをは外すことはない。知廃生は袖を振るって矢を絡めとろうとしたものの、矢は布を突き破って向こう側へと飛んでいってしまった。
知廃生は勢いに圧されて数歩よろめいた。ここまでで二招、先ほどの反撃も含めれば三招を使っている――体力の限界が迫る中、知廃生はもう一度丹田の気を全身に巡らせた。飛雕も一連の攻防で消耗しているらしく、呼吸が明らかに乱れている。勝負に出るなら今しかない、その直感に従って、知廃生は上下に重ねた掌の間にありったけの気を集めた。その仕草に、飛雕は矢筒に残った最後の矢をつがえると、姿勢を思い切り落として空を睨み、弦を極限まで引き絞った。
弓弦が高らかに鳴り、知廃生が地面を抉るように蹴る。空中で幾筋もの気に分裂し、雨と降り注いでくる一撃を知廃生は全てかわして飛雕に迫り、伸ばされた腕の下に掌をねじ込んで左の胸を打った。
砂埃とともに飛雕の体が吹き飛び、背中から地面に落下する。飛雕はよろめきながらもすぐに起き上がり、矢筒をまさぐってからはっとしたように目を見開いた。そこに追い打ちをかけるように、戦いの中で負った傷が一丸となって飛雕に牙を剥く――くぐもった咳とともに口いっぱいの悪血を吐き出すと、飛雕はふらりとよろめいて倒れてしまった。
成り行きを見守っていた全員がどよめき、張正鵠と林信君、汪頑笑、江玲が一斉に競技場に向かって駆けだした。横から見ていた岳伯都たちも目を見開いた。如竹が、次いで簫九珠が縄を乗り越えて飛んでいく。両膝に手をついて肩で息をしていた知廃生がついに倒れるのと、如竹がその体を抱きかかえるのが同時だった。
「先生、座ってください」
如竹に支えられて知廃生は地面に座り込む。その間に簫九珠は首をめぐらせ、激闘の間に競技場の隅にまで飛ばされていた車椅子を見つけてそちらに向かって走っていった。
「あの子……飛雕は……」
上がった息の間から知廃生が尋ねる。二人は大人たちに囲まれて姿の見えない飛雕の方を見やった。
次の瞬間、わっと泣き出す声がして二人はびくりと肩を震わせた――張正鵠たちも驚いたのだろう、後ずさった彼らの隙間から仰向けに寝転がって地面を叩く手がちらりと見える。
「泣くな、馬鹿野郎!」
汪頑笑の罵声が響く。飛雕はそれに構わずわんわん声を上げて泣いていた。
「相手は五招妙手なのよ。よくやったわ、鳴鶴」
その横では江玲がなだめるように声をかけている。張正鵠と林信君は顔を見合わせると、一家からそっと離れて知廃生の方に歩いていった。
「やりすぎたかと懸念していたのですが、大丈夫そうですね」
知廃生が声をかけると、張正鵠があごひげを撫でながら頷いた。
「まさしく江湖の若者ですな。しかも十七であれだけの技があるとは、天賦の才に他ならない」
「全くです。私もひやりとしましたよ」
知廃生は林信君と如竹に支えられ、簫九珠が持ってきた車椅子に収まって競技場を後にした。飛雕もようやく立ち上がり、しかし差し伸べられた両親の手は振りほどいて、ふらつきながら競技場から出ていった。
飛雕は内傷を癒すために三日間衡山に留まり、その後汪頑笑・江玲夫妻とともに下山した。その後も試合が行われ、ある者は勝ち、ある者は負けたのだが、それはまた別の話である。
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