嵐を呼んだ家出少年(二)

 男女の闖入者は陰険な目つきで群衆を睨みつけ、我が物顔で広場の中央まで歩いてくる。張正鵠は長袍の裾を払って立ち上がり、二人と対峙した。

「止まれ! 我が衡山派に何の用だ!」

 張正鵠は先ほどのだみ声にも勝る声量で呼ばわった。内功で倍増された声音は空気を揺るがし、聞く者の耳を揺さぶる。その数歩後ろには林信君が駆けつけ、今やこちらが一触即発だ。岳伯都たちは皆先ほどまでの騒ぎを忘れ、この二人の闖入者に見入っていた――唯一、飛雕だけが顔色を変えて、まるで逃げる隙を窺うように目を泳がせている。それを目ざとく見つけた令狐珊はいきなり飛雕の背中を鞘の先端で打った。呻き声と共に地面に倒れた飛雕に令狐珊はのしかかり、

「この隙に逃げようたって無駄よ!」

 と高らかに宣言する。

 その瞬間、地面に押し付けられた飛雕と闖入者の目線がかち合った。女が目を丸くし、男が怒りに顔をゆがめるのと裏腹に飛雕はふいと目を逸らし、「退け」と唸るように言う。令狐珊は言い返そうと口を開いたが、言葉を発する前に男の怒号が雷のごとく響き渡った。

「この馬鹿野郎! 勝手に出ていった挙句こんな小娘の下敷きになりやがって!」

 たび重なる轟音に痛む耳を押さえつつ、皆が先の声の主を思い知った――壊れた銅鑼を出鱈目に叩いたようなあのだみ声は、この男の喉から出されたものだったのだ。先ほどは内功を使って増幅させていたようだったが、怒りに任せて怒鳴り散らす声はそれ以上の威力で以て全員を圧倒した。令狐珊でさえも驚きのあまり飛雕の上から飛び退いた。

「失礼だが、まず貴殿のご尊名をお聞かせ願えるか」

 それでも張正鵠は一切動じる素振りを見せず、凛と張った声で男に呼びかけた。

 男は黙って立っている女人に目配せすると、背中の矢筒から一本引き抜いて地面に投げつけ、見事突き刺してみせた。

「俺は一世笑傲いっせいしょうごう汪頑笑おうがんしょう傲世会ごうせいかいの棟梁よ。そこの間抜けは俺の倅だ」



***



 傲世会は、その名を聞いて知らぬ者はないと言われる義賊の一団だ。正体不明、神出鬼没の彼らの中で唯一知られている名が「一世笑傲・汪頑笑」だったが、それすらも荒らした現場に常に一本の矢とともにこの名が残されているだけで、その素性はようとして知れない。それが今、同じ年頃の女人を引き連れ、倅だという青年のために龍虎比武杯に現れた——張正鵠は林信君に試合の進行を任せると、汪頑笑と女人を連れて行ってしまった。林信君の手配ですぐに試合は再開したものの、飛雕は先ほどまでの威勢はどこへやら、すっかり萎縮してしまっている。


 次に戦うのは常秋水と呉松公だった。呉松公は張正鵠と同世代の五岳派の弟子で嵩山派を取り締まる掌門だが、その生気あふれる顔は彼を五歳は若く見せている。彼は嵩山派一の剣客と名高く、常秋水とともに剣術を修めた者同士の対決となった。

 常秋水は波打つ黒髪をなびかせながら天幕から出てくると、早くも競技場に入っている呉松公を見つけてふっと口角を上げた。常秋水は歩きながら袖を一振りして閃光とともに長剣を取り出し、背中に構えて縄の中に入る——中央で向かい合った二人はちらりと会釈し、そのままじっと睨み合い始めた。林信君が合図を出す前から二人の試合は始まっていたのだ。

 林信君はそれを見て取ると、即座に「始め!」と叫んだ。途端に常秋水の手から長剣が飛び出し、呉松公が腰の剣を抜き放つ。一拍を置いて二人は衝突し、高らかに剣戟の音を響かせながら打ち合いを始めた。ふたつの切先が空を裂き、地面を削り、青白い軌道を描きながら複雑に絡み合う。互いに剣を弾きあった二人は同時に手を伸ばし、掌がぶつかり合った衝撃とともに同じ距離を後退した。

「良い手だ!」

 呉松公が叫ぶ。純粋な高揚に満ち満ちた一言に、常秋水も不敵に笑って言い返す。

「まだまだ!」

 常秋水は剣を空高く掲げると、その刃を剣指でなぞる。白銀の光が閃いた刹那、常秋水は剣を勢いよく振り抜いた。剣に込められた気が放出され、呉松公をまっすぐ狙う。呉松公はとっさに剣を地面に突き立て、剣気を操って防壁に変えた。常秋水の一撃は防壁に激突し、双方の剣気が轟音とともに爆ぜる。呉松公は反動で剣ごと後方に飛ばされたが、口元に垂れる血を拭うとすぐさま剣を構えて斬りかかった。



「……すごい」

 鬼気迫る戦いに岳伯都は思わず感嘆の声を漏らした。やはりここまで勝ち残っただけあって、二人ともおいそれと倒れるような手合いではないのだ。飛雕と令狐珊でさえ、ぽかんと口を開けたまま目の前の戦いに見入っていた。

 しかし、

「そろそろ限界か」

「そうですね。呉掌門が崩れかけている」

 知廃生と簫九珠が呟く声に、岳伯都は驚いて二人の方を見た。どういうことかと岳伯都が首をかしげた刹那、一際激しい轟音とともに群衆がどよめき、視界の端で何かが飛んでいく――慌てて競技場に視線を戻すと、呉松公が空中で体をひねってどうにか着地したところだった。呉松公は数歩よろめいたかと思うと杖のように剣を地面に突き立て、肩で息をしながら膝から崩れ落ちた。

「そこまで!」

 林信君の声とともに歓声が響き渡り、衡山派の弟子が呉松公に駆け寄る。

「勝者、常秋水!」

 呉松公は手を振って衡山派の弟子を下がらせると、自力で立ち上がって拱手した。

「流石の一言ですな。三尺掃塵の剣技、しかと学ばせていただきましたぞ」

 呉松公は掌門であるにもかかわらず、門派の管理よりも剣術の上達に執念を燃やしている。常秋水もその気概が気に入っているのだろう、一礼を返して返答とする姿には清々しいものがあった。

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