嵐を呼んだ家出少年(一)

 ここまでの行程を勝ち上がった十六人が決勝を争う、その一日目が幕を開けた。それまではからりと晴れていた空は今日に限ってどんよりと曇っており、何刻かすれば一雨来そうな雰囲気だ。雨が降るまでという条件のもと開催された試合の一番手は、中原が誇る達人・素文真対天曜日月教の武術師範・何仁力だった。


 わずかな風が息を凝らして睨み合う二人の頬を撫ぜる。今までとは違う空気の張り詰め方に観衆もつれらて息をひそめ、下手につつけば割れてしまいそうな沈黙が場を支配していた。

 この極度の沈黙を打ち破るのは、林信君の合図に他ならない。

「始め!」

 いつもの声が響いた刹那、何仁力の手の中で棍がうなりを上げた。棍を振り回しながら突進する何仁力に突っ込むように素文真も地面を蹴り、降ってきた一手目を頭を屈めて避け、同時に伸ばした手首で受け止めた。途端に観衆がわっと声を上げ、いつもの喧噪と熱気が戻ってくる。素文真が手首を返せば何仁力もそれに合わせて棍をねじ込むように動かし、素文真は反対の手でそれを跳ね退けると反動を使ってぱっと後ろに退いた。何仁力も合わせて後退したが、距離が開いたのもつかの間、二人はすぐさま次の技を放った。互いの得物――素文真の掌と何仁力の棍が真ん中でぶつかり合い、二人は激しく打ち合った。

 棍や槍のような長兵器の使い手と空手の手合いが戦う場合、肝となるのは互いの間合いである。相手との距離により余裕があり、殺傷力にも優れる長兵器の方が空手よりも優勢に立てるが、一方で自分の間合いに入られると途端に崩れやすくなってしまう弱点がある――そして素文真は、数十手目にして何仁力の間合いに入り込むことに成功した。何仁力はとっさに空いた手を伸ばして素文真の掌を受けたが、轟々と流れる内功に圧されて後方に飛ばされた。

 歓声がにわかに大きくなる中、何仁力はもう一度棍を構えて素文真に突進した。素文真は片手を背中に回して凛と立ち、振り下ろされた棍を半身をずらして避けると何仁力の手首を手刀ではっしと打った。何仁力は腕の痺れに顔をしかめたが棍を握る手を解こうとはせず、むしろ手の節が白く浮かび上がるほどきつく握りしめる。素文真はその隙を利用して勝負を制した。

 横からの一手を何仁力は身をよじって避けたが、それに隠された次の一撃をかわすことはできなかった。両肩と胸を立て続けに打たれ、何仁力は勢いよく後方に飛ばされる。その後も何手か持ち堪えたものの、最終的に何仁力は棍を持つ手を背中に押さえつけられ、地面に片膝をついた。

「そこまで!」

 林信君の合図が響く。その瞬間、興奮で張り詰めた歓声がついに爆発し、うねりとなって皆の耳に押し寄せた。

「勝者、素文真!」

 林信君が宣言すると、素文真は何仁力を解放し、彼に片手を差し伸べた。

「良い一番でした。腕を上げられましたね、何先生」

「……何の。素殿のような達人と勝負できたこと、ひとえに貧僧の僥倖に過ぎませぬ」

 二人は言葉を交わすと、互いに拱手して一礼し、並んで競技場を後にした。



「そんなあ、仁力さん」

 一方、控えの天幕から――と言ってもこの段階になると皆天幕の外で成り行きを見守っており、南宮赫と常秋水だけが他の試合など見るに値しないと言わんばかりに中に留まっていたのだが――観戦していた岳伯都はがっくりと肩を落とした。

「勝負事とはこういうものだ」

 隣の韓凌白が渋い顔で答える。

「誰かが勝ち、誰かが負け、その結果として我らは今ここにいる。悔しい結果が待っていようと、笑って受け入れるのが豪傑というものだ」

 岳伯都はそうですねと答えると、はあとため息をついた。散々あの棍に威圧されてきた身としてはあっけない結果にも思えたが、自分も素文真のように誰かの仲間を倒してきたのだ。韓凌白の言には一理あったし、岳伯都自身がそれを否定できる身ではないことはよく分かっていた。

 ふと、岳伯都の隣でフンと鼻を鳴らす者がいた。

「邪教の輩が、随分とまともなことを言うじゃない」

 岳伯都と韓凌白がその方に首を向けると、岳伯都の肩までもない背丈の娘が彼らをきっと睨んでいた。組んだ腕には長剣を抱き、飾り気のない装いはまるで少年のようだ。その後ろでは欧陽丙が謝るように肩をすくめている――彼女が令狐珊れいこさん、欧陽丙とともに南宮赫に一矢報いようとしている華山派出身の剣客だった。

「ええと、あなたは」

 尋ねかけた岳伯都を遮るように、韓凌白が「令狐珊姑娘」と声を上げる。

「江湖の原理に邪教徒と正道の志士の別はないと存じていたが。違うのかね」

「たしかに殺し殺される摂理に正邪の別はないわ。でもそれだけであなた達のような邪な志を持つ者が豪傑を語るなんてとんだ笑い話だわ。三歳の子どもだって騙されないわよ」

 令狐珊はつっけんどんに言い放った。すかさず韓凌白が払子で欧陽丙を示して反論する。

「では欧陽丙はどうなる。其方と共に南宮赫を追い回しているそこの男は、我が天曜日月教の教徒だが?」

「もちろん認めてなんかいないわよ。敵の敵は味方、それだけよ」

 令狐珊の後ろで欧陽丙が「勘弁してください」と声を上げたが、令狐珊はそれを無視して韓凌白に言い返した。

「まあ、この龍虎比武杯に限って言えば私たちは同志ね。南宮赫の奴に一撃食らわせるために賭けをしているの」

 この言葉に、岳伯都は初戦の日に欧陽丙がしていた話――仇である南宮赫に傷を負わせるために、令狐珊・欧陽丙の二人と南宮赫のどちらがより上の順位に進めるかで二対一の賭けをしているという話を思い出した。

 岳伯都は「そういえば」と言って欧陽丙にそのことを言おうとした。ところが、

「あんたら二人が束になったって南宮赫には敵わねえよ。俺たち全員が束になったって無理だ」

 小馬鹿にしたような言葉に岳伯都は遮られ、思わず口をつぐんでしまった。いつの間にか飛雕が近くに来ていて、腕組みをして彼らを斜に眺めている。岳伯都が首をかしげていると、飛雕は岳伯都を睨みつけて自ら名乗った。

「なんだよ、もう忘れたのか? 俺は飛雕ひちょう、空飛ぶ鷲が地上の獲物を狙うが如くに的を射抜く、未来の江湖一の弓使いだ!」

 岳伯都は「はあ」と返事をした。あのときは名前しか聞いていなかったような気がするが、たった二文字の名前に立派な由来があるとは思いもしなかった。

 韓凌白と欧陽丙も、初耳だというように顔を見合わせている。ところが、令狐珊だけは飛雕の言葉を思い切り笑い飛ばした。

「なによそれ! 空飛ぶ鷲なんて地上の弓兵に射落とされるのがオチじゃない!」

「なんだと⁉」

 いきり立った飛雕が腰に提げた弓に手を伸ばす。令狐珊も長剣を目の高さに構え、いつでも抜いて斬りかかる構えだ。岳伯都たちが慌てて止めに入ったものの、若者二人は大声で言い合っていたせいですっかり注目を集めている。

「撤回しろ、令狐珊。でないと射抜かれるのはお前の方だぞ!」

「あら、そう。やれるもんならやってみなさい、この吹牛皮大ボラ吹き!」

「やめろ、令狐珊! 俺たちの賭けを放り出すつもりか?」

「飛雕小侠、君もやめるのだ。こんな些細な理由で退場させられていいのか?」

 欧陽丙と韓凌白がなだめるが二人は全く聞く耳を持たない。飛雕などは「邪教徒は黙ってろ!」と言い放ち、とうとう弓を持ち上げる始末だ。


 しかし彼らは、同時に違う騒ぎが起ころうとしていることに気が付いていなかった。

 天幕の騒ぎに気付いた張正鵠たちが腰を浮かせかけたとき、「掌門!」と叫びながら衡山派の弟子が転がるように現れたのだ。

「何事だ?」

 張正鵠が駆け寄って尋ねたのも束の間、一陣の殺気とともに、彼らのすぐ脇の地面に矢が突き刺さった。

汪鳴鶴おうめいかく!」

 吼えるようなだみ声が空気を震わせ、皆の聴覚を揺さぶる。


 現れたのは、ちぐはぐでぼろぼろの装備に身を包み、背中に矢筒と弓を背負った中年の男と、これまたぼろぼろの装備に長剣を背負った中年の女人だった。

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