第四章 その敵を侮るなかれ

勝ち上がれ、龍虎比武杯

 最初の予選を乗り越えれば、次は二日間のさらなる戦いが待っている。この二日を経て出場者たちは十六人に絞り込まれ、頂点を見据えた争いがいよいよ始まるのだ。

 このころには観衆による下馬評がだいたい定まり、また敗退して下山した者や消息を持って江湖を行き来する者たちによって龍虎比武杯の動向が広く伝わりだす。勝ち抜きの大会であるが故に、この二日間を突破できるかどうかが一流と二流の分かれ目と言われていた。出場する側にとっても、この頃には誰が手強くて誰がそうでもないかがだいたい分かってくる。そのために、ここで頭ひとつ飛び抜けられるかどうかに重きを置く者も多くいた——例えば、今回が初参加となる若者たちは、最後の十六人に残っただけで一躍名を知られるようになる。最後は達人同士の一騎討ちになることが多い龍虎比武杯において、若き才能たちがどこまで善戦するかというのは観衆の期待の寄せどころでもあったのである。


 一方で、達人同士の勝負にこそ龍虎比武杯の醍醐味があると言う者もいた。彼らが注目するのは優勝経験がある者や、その道の伝説的存在としてすでに地位を獲得している出場者だ――今回でいえば素文真そぶんしん知廃生ちはいせい南宮赫なんぐうかく常秋水じょうしゅうすいの四人がそうであり、彼らを優勝候補と目する者も少なくない。

 では前回大会の覇者である岳伯都はというと、彼の評価は真っ二つに割れていた。とにかく虎王拳が復活したことを称える者と天曜日月教の策略を疑う者で議論は常に紛糾し、その様子を見た韓凌白はどちらの側にも関わらないことを欧陽丙も含めた教徒全員に言い聞かせた。

「ここで我らが口を挟むと事がより面倒になる。我らは天曜日月教の覇権をかけて戦うのみだ、いいな」

「……何故俺まで協力せねばならんのですか」

 欧陽丙だけが韓凌白の決定に不満を示した。彼には右脚の仇をかけた彼だけの戦いがある上、もう何年も教のことから遠ざかっている。それなのに今更巻き込むなという彼の要求はしかし、群衆の議論が彼にまで及ぶという理由のもと一蹴された。教から遠ざかっているからこそ意見を求められる可能性が一番高いと言われては、欧陽丙も反論できなかったのである。



***



「しかしまあ、こうも同じメンツが並ぶんじゃ龍虎比武杯も面白みがないね。番狂わせとかないのかねえ」

 目の前で繰り広げられる戦いを眺めながら藍蝶蝶はぼやいた。

「簫九珠あたりが良い線行っているんじゃないですか? なんたって李玉霞の弟子ですし、絶対強いですよ。番狂わせなら私は彼に賭けますね」

 答えたのは隣にいる胡廉だ。二人は入れ替わり立ち代わり現れる豪傑たちの戦いっぷりを見ながらああだこうだと話し合っていた。

「でも、あたしたちとしては凌白兄と仁力兄と欧陽丙を応援してやるのが筋なんじゃないかい? それに燕南帰えんなんきだって、顔見知りの仲じゃないか……出てるのは知らなかったけど、あいつ仁力兄と仲良いし、二人とも頑張ってるじゃないか」

「それはまあそうでしょうけど……ああ、噂をすればだ。蝶姐、燕南帰のお出ましですよ」

 胡廉はそう言うと、縄で囲まれた競技場に現れた槍使いを指さした。

 燕南帰は物々しい装備に身を包んだ筋骨隆々の男だ。いかにも寡黙そうな面持ちに頬の傷跡が彩りを添え、地上の全ての子どもを一目で泣かせてしまいそうな雰囲気をかもし出している。対するは縦に長い老齢の道士、彼は林信君の合図とともに印を結ぶと「急急きゅうきゅうにょりつりょう」で終わる呪文を連呼しながら様々な現象を起こしてみせた――雷を召喚して攻撃し、風を起こして盾に変え、果ては燕南帰が放った一撃を吸い込んで皆を驚愕させた。しかし燕南帰もさることながら、簡単には近づけないと悟るやいなや槍を振り回し、内功を穂先に集めて一点突破をしかける。道士はまた「急急如律令」と声高に唱え、今度は土で壁を作りだしたが、燕南帰はそれを粉砕して道士に突進した。まさしく猪突猛進、土くれの降り注ぐ中、心窩に槍の先を突き付けられて道士は敗退したのである。

 燕南帰はにこりとも笑わず、また礼もせずにさっさと立ち去った。藍蝶蝶と胡廉は拍手を送りながら、今の取り組みについて話し始めた――方術は確かに強力だが力にものを言わせる相手には不利であり、ある程度の体術もできないと距離を取られた瞬間に勝敗が決してしまう。龍虎比武杯ではそれでもいいが、実戦となるとそれはすなわち死に直結するのだ。


 何仁力と韓凌白は危うさを見せることなく勝ち進み、欧陽丙もまた順調に試合を終えていく。彼は右脚が不自由なために動きが奇怪になり、ともすればそれが命取りにもなり得るのだが、それを補って余りある勢いと速度という敵を圧倒する術を持っていた。激戦の中、気付いたときには判官筆が喉元に迫っていたときの驚愕と焦りは尋常ではない。

 速度でいえば李宣もなかなかいい勝負だった。「峨嵋筆がびひつ」の二つ名のとおり、書生なら誰もが持っている筆を峨嵋刺の如く振り回す姿は窮鼠が猫を噛み続けているような勢いがある。とはいえ、岳伯都と対決すると豪語した手前、おいそれと風下に立つことができない重圧もあるのだろう。

「でも、本当に対決されたら厄介ですよ。粘られたらたまらない」

「そうだねえ……どこか適当にしくじってくれればいいのに」

 藍蝶蝶と胡廉は揃ってため息をついた。誰よりも岳伯都と付き合いがあった李宣は、天曜日月教の四人にとって頭痛の種でしかなかったのだ。

 さらにもう一人厄介な相手がいた――中原一の戦闘狂として有名な南宮赫である。技を放つたびに地鳴りがし、突風が吹き荒れ、対峙した者どころか観衆までもがなぎ倒される、まるで嵐のような男だ。そんな彼だが、実は龍虎比武杯では未だ優勝したことがなかった。特に前回の龍虎比武杯では岳伯都と頂点を争って敗れており、その対抗心が並みのものではないことは想像に難くない。

 当の岳伯都はというと、まるで人が変わったように果敢に戦いに挑んでいた。無様に逃げ惑うこともなく、どんな手を使われても対処し、着実に勝ちを収めることができている。そして何より、試合を重ねるごとに訝しみながらも彼を本物だと信じる者が増えてきていた。彼の一挙手一投足にわき起こる歓声は、藍蝶蝶たちの耳には一か月の苦労の数々を報う労いの歌の如く響いていたのだ。この調子なら大丈夫、二人はそう言葉を交わして次の対戦に注意を向ける。


 こんな調子で野次だの称賛だのを送りつつ、時間が流れるに任せていた二人のところに、人混みを掻き分けて緑の校服の少女が現れた。

「天曜日月教の藍蝶蝶様ですか?」

 二つに結い上げた髪の可愛らしい少女が口を開いた。藍蝶蝶が応じると、彼女は封筒を手渡して

「送り主の方がふもとでお待ちです。内容を確認したらすぐ来るようにと」

 と告げる。藍蝶蝶は答える前に封筒を破り捨てて文を読み始めたが、すぐに血相を変えて少女に聞いた。

「ねえ、小妹妹おチビちゃん。その送り主には会ったのかい?」

「はい。その方から直接、藍蝶蝶様にお渡しするよう言われました」

「どんな人だった?」

 藍蝶蝶が続けて問うと、少女は「おじさんでした」とすぐに答える。

「お髭が長くて灰色で、お目々がちょっと怖いおじさんです」

 藍蝶蝶はぎこちなく頷いて少女に礼を言った。そして

「行かなきゃ」

 と言い残し、胡廉を置いてさっさと立ち上がってしまった。

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