幕間:龍虎名冊

共志領袖・素懐忠

 中原ちゅうげん共志会きょうしかいは打倒蒙古の反乱の時代、白蓮教徒に呼応するように江湖でも人が集まったことで創立された侠客たちの軍団だ。彼らの共有する「志」とはもちろん蒙古から漢の地を取り戻すという志のことだが、蒙古を退けた今では、この「志」を武をもって外道の輩に対抗し、義を成し蒼生を救う者としての志とするものも少なくない。素懐忠がこの世に生を受けたときにはすでに反乱は終結し、天子となった朱元璋による統治が始まっていたため、彼にとっても後者の「志」の方が馴染み深いものであった。


 では、今日の江湖における一番の「外道の輩」とは誰か――この問いに対しては、正義の徒を自称する多くの侠客と同じように、素懐忠そかいちゅうもまた天曜日月教の名を答えるだろう。なぜなら教主の敖東海ごうとうかいは「侠」の意味をはき違え、独りよがりの正義に則って江湖を敵に回し、多大なる被害をもたらしたからである。

 当時、敖東海の攻撃によって共志会やその他の組織は壊滅状態になり、さらには岳伯都という江湖の中心人物までもが行方知れずになった。素懐忠もまた長年修業した場所と大切な師を失った。そこから態勢を立て直し、離散した仲間を「志」の旗の下に再び集めて敖東海を退けることができたのは、ひとえに天の運と、彼の再起を助けてくれた人々のおかげなのである。



 ところが、この十年前の戦乱で消息を絶った岳伯都が龍虎比武杯に姿を現した。しかも彼に付き添っているのは天敵のはずの天曜日月教の幹部たちである――開幕の数日前、共志会の部下から「岳伯都と小競り合いになった」という話を聞いたときから驚きを隠せなかった素懐忠だが、衡山の山道で実際に彼の顔を見たときには霹靂の如き衝撃を覚えた。そして今日、素懐忠は彼らの起こした諍いを口実に岳伯都に話しかけてみたのだが、彼の態度は十年前とは全く異なっており、まるで臆病な別人が乗り移ったかのように振る舞っていたのである。


「素懐忠」

 思考にふけっていた素懐忠は、不愛想な呼びかけでふと現実に引き戻された。顔を上げると、十年来の戦友であり、彼ら父子とともに衡山にやって来た名医の金四缼きんしけつが燭台を持って戸口に立っている。

「客だぞ。李宣りせんが話があるそうだ」

「ありがとうございます、金先生。お通ししてください」

 素懐忠が礼を言うと、金四缼は外にいるらしい人物に向かって何やら声をかける。入れ違いに現れたのは青い衣の書生だった。彼は素懐忠を認めるやいなや、

「あの岳伯都は本物なのか?」

 と詰め寄った。

「まだ何とも言いかねます。明日、彼の武功を見て判断するより他にないでしょう……気息は岳英雄のものでしたが、態度がまるで別人なのです」

 素懐忠の答えに李宣はがっくりとうなだれる。彼もまた衡山の山道で岳伯都の顔を見ており、人一倍に衝撃を受けていたのである。

「しかし信じられない。誰よりも天曜日月教を憎んでいた伯都が連中の言いなりになっているなんて、天変地異もいいところだ……あの邪教徒ども、一体あいつに何をしたんだ!」

 李宣は悲しみ、怒り、憎しみの滲んだ声で吠えた。岳伯都が失踪してからの十年間、彼は必死で行方を探し続けてきた。その結果がこれなのだ、悲憤するのも無理からぬ話である。

「それに衡山のふもとで遭遇した連中の話によれば、あの岳伯都は『虎掌山河滅』を使えるそうじゃないか。虎王拳こおうけんの最高奥義をどうして赤の他人が使えるんだ? この岳伯都といい、九珠きゅうじゅ剣客けんかくの話といい、やはり今回の龍虎比武杯は何かがおかしい。どうして何年も行方の知れなかった者たちの居場所を彼らが知っているのだ? やはり誰かが裏で糸を引いているのでは……」

「李先生、李玉霞りぎょくか女侠と岳伯都がくはくと英雄の件は事情が異なります。岳英雄の方はたしかに天曜日月教が糸を引いているのでしょうが、李女侠が公天鏢局こうてんひょうきょくの一件以来隠遁していたことも彼らと関係があるというのは、結論を急ぎすぎているように思います」

 素懐忠は息巻く李宣をたしなめた。

「ここはもう少し様子を探りましょう。父上も次に勝ち上がったことですし、まだ時間はあります」

 そう言った素懐忠の双眸は純粋無垢な美しさからは考えられないほど鋭く、物事を深く抉るような力強さがある。李宣はため息をつくと、踵を返して戸口へと向かった。

「……やはり私も参加する。この手で戦って確かめないことには気が済まない!」

 李宣はそう言うと、戸枠に拳を打ち付けてから出ていった。

 それと入れ替わるように、金四缼が部屋に戻ってきた——彼は李宣の後ろ姿を見つめ、

「良いのか」

 と問うた。

「ええ」

 素懐忠は躊躇せず頷いた。

「正直、誰がいつ脱落するか分からない状況で父上にだけ頼るというのは難しく感じていたのです。李宣りせん先生も実力がないわけではないのですから、彼にその気があるのなら是非とも手伝ってもらいましょう」

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