群侠集結す
どんよりと暗雲立ち込める胸の内とは裏腹に、からりとした晴空が岳伯都の頭上には広がっている。
初めて人を殺したという事実が一晩中重くのしかかり、彼は一睡もできないまま衡山の入り口に立っていた。しかし韓凌白たちは岳伯都よりも、昨日やり合った面々がもう衡山に着いているかどうか、
「まだ昨日のことを気にしているのか? 岳伯都」
韓凌白がようやく彼の方を向き、言葉をかけてくれた――しかしそこに心配の色は全くなく、岳伯都は何も答えることができない。
「でも、江湖なんてそんなもんなんだよ。特に天曜日月教には
藍蝶蝶はそう言うと、岳伯都の肩に腕を回してきた。思いのほか力のある腕にぐいと抱き寄せられ、岳伯都は少しよろめいた。
「ちなみにあたしは、
「……でも、どうして平気でいられるんですか? 後悔とか、罪悪感とかはないんですか?」
岳伯都はやっとのことで口を開いた。しかし四人はかえって不思議そうに顔を見合わせるばかりだ。
「さあ。少なくとも私は報復するに足る仕打ちを受けたのでそうしただけなんですが」
答えたのは胡廉だった。顔色こそ優れないものの、後ろめたさや罪悪感を抱いている様子は一切なく、どこまでもあっけらかんとしている。
「一つだけ言っておくと、龍虎比武杯では出場者に危害を加えることは禁じられている。だから衡山を下りるまではお前が昨日のことで報復を受けたり、命を狙われたりすることはない」
慰めのつもりなのか、何仁力が淡々と言う。岳伯都は「それでも……」と言い返そうとしたが、韓凌白が手で制して彼を黙らせてしまった――ちょうどそのとき、立派な身なりの男が一人、石段を下りて向かってくるのが見えたのだ。
黒い長髪を結って銀の冠でまとめ、深緑の落ち着いた色味の長袍を身につけた、真面目そうな若い男だった。男は五人を素早く見回し、
「ここから先は衡山派の領域だ。我が派に何用だ?」
と張りのある声で言った。
「我々は天曜日月教の者だ。龍虎比武杯に出るために
韓凌白が進み出て、袖から例の巻物を取り出す。天曜日月教と聞いても男が表情を変えることはなく、彼はむしろ岳伯都に注意を向けているように見えた――視線が合った一瞬の間に、岳伯都は共志会の男たちが彼に気づいたときに見せたのと同じ驚きをこの若者の目の中に見たのだ。韓凌白の巻物を確かめる間も、どこか自身に意識を向けられているような気がしてならなかった。
「……成程。承知いたしました。出場を希望されるのは韓殿だけですか?」
巻物をひととおり確かめたからか、男の語気が緩くなった。韓凌白は返された巻物を受け取ると、振り返って何仁力と岳伯都を指し、言った。
「いや。こちらの何仁力兄台と、それから岳伯都英雄も此度の大会に出させてもらう」
それを聞くと、男はついに訝しげに眉を吊り上げた。
「異論があるか?」
韓凌白が平然と問う。男は「いえ」と答えると、
「ただ少し驚いたもので。私のような若輩者が、まさか岳伯都英雄を我が衡山にお通しする日が来ようとは思ってもみませんでした」
と言って、そこで初めて人の良い笑顔を見せた。
男は袖を払って拱手すると、一礼して名乗った。
「私は衡山派の副掌門、
***
舗装され、あるいは踏み固められただけの山道を登っていくと、次第に前を行く人影が増えてきた。皆緑色の服を着た青少年に導かれ、道の先に見える白い石造りの
「あれが
林信君が牌坊の男を指さして言った。
「そういえば、林殿はかなりお若いのだな。副掌門と言っておられたが、張掌門の弟子の代のように見受けられる」
韓凌白が思い出したように言った。
「ええ。張掌門は私の
林信君は気にする様子もなく、平然と答える。
「元々は私の師が副掌門を務めていたのですが、昨年病で他界してしまい、高弟の私が跡を継ぐことになったのです。お二人とも先代の掌門の徒弟だったのですが、
林信君の言葉に、韓凌白は成程と頷く。しかし岳伯都はさっぱり分からず、隣を歩く胡廉にこっそり尋ねた。
「えっと、つまり林さんは……どういう人?」
「先代の掌門の孫弟子ですよ」
胡廉も声をひそめて答えた。
「先代の掌門には張正鵠ともう一人弟子がいて、そのもう一人が昨年亡くなるまで副掌門をしていたんです。林信君はその人の一番目の弟子で、師匠の後釜として副掌門になった。あと、その人よりも張正鵠の方が先に弟子入りしたか、年上なんでしょうね。だから
岳伯都はへえと呟いて礼を言った。
「こういう話はしょっちゅう出てきますから、ちゃんと覚えておいてくださいよ?
胡廉に釘を刺され、岳伯都は「分かった」と頷いた。天曜日月教は教主と幹部、それから一般の教徒で成り立っているが、衡山派などの門派はもっと複雑な関係の上に成り立っているのだ。
韓凌白と林信君はなおも世間話を続け、そうするうちに六人もまた列に組み込まれた。列の前後にいる者も皆それぞれに話をしており、あの人がどうした、この人がどうしたという噂話で山道は満ちている。岳伯都は少しだけ振り返って、後方にいる人々を見回してみた――書生、杖をついた女、刀剣を背負った男たち、白髪に白衣の若者と無精ひげの壮年の男、それに若々しい見た目の男の三人組。その後ろからも衡山派の弟子の案内で、様々な身なりの男女が三々五々登ってくる。ふと、白髪の若者が顔を上げて岳伯都を見た。韓凌白に負けるとも劣らない、しかし彼よりも純朴で、あどけない娘のような美しい
しかし、彼が縫い留められたのはその双眸だった。純朴な顔立ちに反して、その琥珀色の目だけは鋭く、こちらの後ろ暗い部分を見抜いて咎めるような険しさを持っている。岳伯都は慌てて目線を逸らしたが、今度は数人を隔てたところにいる書生と目が合った。書生は彼を見るなり信じられないとばかりに目を見開き、彼の名を呼ぼうと口を開きかけた――
「掌門、こちら、天曜日月教の
林信君の声で岳伯都は現実に引き戻された。五人はいつの間にか列の先頭に立っており、張正鵠が道の脇のちょっとした空間で拱手している。
岳伯都たちも揃って拱手し、彼に礼を返した。
「張掌門。此度はお招きいただき誠に光栄に存じます」
韓凌白が言った。張正鵠はにこやかに頷くと、
「何を。韓道長と何大師が揃って風采を添えてくださること、主催者としてこれに勝る光栄はありますまい。それに此度は岳伯都英雄までおられる……これは今まで以上に白熱した大会になりそうですな」
と言って灰色のあごひげを撫でつけた。
「ところで、残りのお二人は、観覧のみということでよろしいですかな」
「そうだよ。冷やかしにも人数がいるだろうと思ってね」
「結構、結構。大いに楽しんでいってくだされ」
その傍らでは、林信君が木簡を持った少年たちに全員の名前を教えて書きとらせている。少年たちの手が止まって彼が道に戻り、掌門に頷いたところで、五人はいよいよ牌坊をくぐった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます